子供と踊る四月


 夕闇の中、砂噛は危うげなく運転していた。社用車を使用しているから、ということに加えて、外星人である彼は、違反をすると処理がややこしいので普段から運転には気を使っている。しかし、助手席に座る鉄は、そんな砂噛の事情など気にせずに、やたらと話しかけてきた。
 それに対して砂噛は適当な返事をしていたが、鉄は気にせず話し続けていた。だから、その質問が来た時も、それまで同様適当に答えた。
「そういやドラ男って、Sなん?Mなん?」
「Lだな」
「いや、服のサイズの話じゃねーし」
 先ほどまでと違い苛立しげに返される。少し驚いたが、一拍遅れて砂噛もカチンと来た。運転中に性癖答える義理などない。
「分かってるよ、運転中に変な話すんな!」
「はぁ!?ウチ真面目に話してんだけど!」
 ぎゃいぎゃいと口論しながらも砂噛は車を進めていく。二人での仕事の後に、鉄を家まで送っていく、という砂噛にとっては完全にサービス残業をしていたわけだが、まさかこんな詰問を受けるとは思っていなかった。
 結局、落ち着いて話をできるようになったのは、鉄の家の前に車を止めた後だった。
「で、SMがなんだって?」
「おう、お前どっちなん?」
 腕組みをした後輩の目は真剣で、砂噛は戸惑った。こんなに真面目に性癖を聞かれたのは初めてだ。今後もないだろうが。その気迫に若干気圧されたこともあり、きちんと回答を出した。
「至ってノーマルのつもりなんだが。なんでそんな話になった?」
 鉄は疑り深い目でこちらを見ている。勘弁してくれ、何が悲しくて後輩に性癖を疑われなくてはならない。
 やがてしぶしぶと言った様子で鉄が口を開いた。
「水森が試験受かるまで手ェ出さないって話聞いて、制限プレイ好きのマゾなんかなって」
「はぁ!?」
「そうかと思えば、『オレのこと好きですか』って聞いたらはぐらかされたって言っていたから、サドかもなって」
「おい待て、水森から何聞いた?」
 たぶん全部?と言われ、砂噛は頭を抱えた。
「……お前に相談しているとは聞いていたが、そんなに筒抜けなのか」
 砂噛の不機嫌なつぶやきに、鉄はすかさずフォローする。
「別に水森の口軽い訳じゃないかんな。片思いの時から知ってるから、心配で細かく聞き出したの、ウチの方だし」
「心配?」
 そう言われてしまうと、砂噛は内容が気になってくる。言え、と目線だけで伝えると、鉄は不機嫌そうに睨み返してくる。
 そのまましばらく睨み合っていたが、折れたのは鉄だった。
 はぁー、とわざとらしいくらいの大きなため息をつくと、話し始めた。
「恋人になる前に水森が一番気にしてたんは、ドラ男がカチョー好きなんじゃないかってこと」
「……それは」
 敬愛はしている。尊敬もしている。だが、恋愛感情があるかと言われると、おそらく違う。それは水森にも伝えたはずだ。
「分かってるよ。お前の気持ち、ウチと一緒っしょ?」
「まぁ、そうだな」
 鉄のようなテンションで好意を示しているつもりはないが、とりあえず肯定した。
「そこは、水森も納得してた。水森もカチョー好きだしな」
「なら問題ないだろ」
 一体何が心配だと言うんだ。付き合って2ヶ月ほど経ったが、喧嘩らしい喧嘩もせず、緩やかに日常を過ごしているつもりだ。いっそ物足りないくらい平和で刺激のない関係だが、砂噛は自身の中で水森をまだまだ子供と位置付けていたし、このくらいのペースが適切だろうと思っている。資格試験にかこつけて約束したのは正解だった。
「んで、今は付き合ったものの、何もしないのは、やっぱ男無理なんじゃないかって不安になってた」
「待て待て待て!」
 鉄の言葉に砂噛は強い衝撃を受けた。いつの間にそんな話になっていた?子供扱いしすぎたか?試験合格までと、ちゃんと説明したよな?
 ぐるぐると疑問が浮かんでは消え、砂噛は呆然としていた。
「ウチには何も言わんでいい」
 鉄は腕組みをして砂噛をじとりと睨みつけている。
「あんま、不安にさせんなし。水森、お前の恋人である前にウチの後輩だかんな」
「……お前の後輩である前からオレの後輩だからな」
「ガキか、マウントとんな!」
 水森泣かしたら、このネイルの餌食にしちゃる!そう言い捨てると鉄は車を降りた。
「送ってくれてあんがと!おやすみー」
 あれだけの文句をいい、牽制をしておきながら、それでもきっちりお礼を言うところは、鉄の美徳だ。彼女が去った車内には、ただただ沈黙が落ちる。
 一人車中に残された砂噛は、誰に言うでもなく、マジかよ、と呟いた。


◇◇◇

 水森の初恋は、小学三年生の時だった。相手は同じクラスの真弓ちゃん。優しくて、笑顔がかわいい女の子だった。
 中学の時に初めてできた恋人は女の子だったし、その次の恋人も女の子だった。
 自分の好みというものは、よく分からなかったが、三人の共通項を挙げれば、笑顔が可愛くて、明るいという点だろう。あと、三人とも割と小柄だった。
 だから、彼にとって砂噛を好きになった、というのは、自分でも驚きだった。
 どう見ても小柄ではない成人男性。たまに見せる笑顔は、悔しいくらいかっこいいが、可愛い笑みというより皮肉げなことが多い。
 最初は何かの勘違いだとと思ったが、会えない日が続くと寂しさが募ることに気がついて、水森は動揺した。
 次に疑ったのは吊り橋効果である。仕事の性質上、何度もピンチを助けられているし、そのドキドキを脳が勘違いしているのでは、という考えだ。しかし、仕事では穂村に助けられている回数の方がはるかに多い。この理屈では、自分は穂村に惚れるのでは?と考えを却下した。
 最後の決め手は鉄だった。「ドラ男といる時だけやたら脈早いけど、なんかされた?」と言われ、水森は諦めて自分の恋心を認めた。
 そして、絶望した。
 同性であること、相手が外星人であることに加えて、砂噛からは穂村に対する好意を感じた。最初から、終わっていた恋なのだ。
 この恋心は殺そう、そう決めて過ごしていたが、簡単には消えてくれず、思いは募るばかりだった。


 そして今、何を間違ったか砂噛と付き合っている。
 最初は浮かれていたが、蓋を開けてみれば、恋人らしい接触が一切ない。交際前と比べて変わったことは、砂噛の家に行くようになったことぐらいだ。
 しかし、そこで行うのは仕事の話と試験勉強である。これでは恋人というより家庭教師では、と思ってしまう。
 水森とて、砂噛が言う「仕事に支障がでないように」という理屈は理解している。だが、あまりにも変わらない態度にちょっと不安になったのは事実だ。
 だから一度だけ、砂噛に聞いてしまった。「オレのこと好きですか」と。嘘がわかる水森にとって、この質問は答え合わせだ。ずるい行為だな、と思いつつ、どうしても我慢できなかった。
 それでも、ちょっと怖くなってしまい、冗談ぽく話してしまった。本気でぶつかって拒絶されたら、嘘で返されたら、耐えきれない、というストッパーが働いたのかもしれない。
 わざと、ヘラヘラ笑いながらした問いかけは、「はいはい、スキスキ」となんとも雑に流された。嘘も何もあったものではない。
 あんまりな反応に、水森はちょっと腹を立てた。いや、自分もずるかったが、それはないだろ。仮にも恋人だぞ?と、その日は怒りを抱えたまま就寝した。
 次の日、気持ちが落ち着くと今度は不安になってきた。え、恋人、だよな?それらしいこと全くしてないけど。やっぱり嫌とか思ってる?水森の中で自問自答に答えは出ず、問いだけが重ねられていく。
 結局、抱えきれない鬱憤は、鉄に吐露してしまった。付き合う前から何かと相談に乗ってくれた先輩は、一緒になって怒ってくれて、それだけで水森は少し気が晴れた。
 だから、まさか鉄が、恋人に詰問するなんて、夢にも思わなかったのだ。


◇◇◇

「疲れた……」
 水森は砂噛の部屋で携帯と睨めっこしていた。遊んでいるわけではない。大学の履修登録と先ほどまで格闘していたのだ。
 シラバスなるものを手にして、これは興味ある、これは単位取れやすそう、など、候補を挙げていくまでは楽しかった。問題はその後で、時間割のパズルが難問だった。これとこれは取りたいが、そうするとスキマ時間ができてしまう。埋めるには別に興味ないやつを持ってきて、でもそうすると、詰め込みすぎる。必修の語学を軸にすると今度は一般教養が飛び地になる。あっちを立てればこっちが立たず、そうこうしているうちに通信エラーでブラウザが落ちて一からやり直し、なんてことをしていたら、登録完了まで小一時間かかった。
 あまりに憔悴した水森を見て、砂噛は思わず同情した。
「コーヒーくらい淹れてやるから、休んでろ」
「ありがとうございます……」
 水森は素直にお言葉に甘えることにして、ソファに深く沈み込んだ。
「大学って急に自由度上がるんですね」
「そうか、オレは行ってないから、分からん」
 以前聞いた生まれた星の関係か、それとも、ただ行かなかったのか。まだ、水森には踏み込めない。やっぱりまだ距離があるな、と感じてちょっと気持ちが沈んだ水森だったが、ここから仲を深めればいいと無理やり切り替えた。
「ほら」
「ありがとうございます」
 四月とはいえ、まだ夜は肌寒く、砂噛に渡されたのはホットコーヒーだった。ちびちびと飲みながら、隣に座った砂噛を盗み見る。
 今日、水森はある目的を持ってこの部屋に来た。散々怒ったし、落ち込んだが、向こうが何もしないなら、こっちから仕掛ければ良い、という思考に落ち着いた。水森に許されたのは交換日記と手を繋ぐことだけだ。交換日記は、お互いにするつもりがないと明言してしまったので、残る手段はただ一つだ。
 ちらちらと、恋人の手を見ていると、やがて砂噛がコーヒーをローテーブルに置いた。チャンスだ、と水森も慌てて同じ行動をする。
 その勢いのまま、砂噛の左手に自分の右手を絡める。いわゆる恋人繋ぎである。
「……何これ」
 怪訝な顔をする砂噛に、水森はちょっと怯んだ。振り解かれたらどうしようと思いつつ、わざと明るく言った。
「手を繋ぐのはいい、ですよね?」
「そうだったな」
 言葉通り、砂噛は水森の手から逃れようとはしなかった。緩く握った手が自分のものより大きくて、それだけで水森はドキドキしてしまう。絡めている指が、自分のものよりも長く、ゴツゴツと骨ばった感触が色っぽいなと感じた。
 今は、これで満足しよう。水森は自分に言い聞かせた。正直、相手が自分ほどこの手繋ぎを意識していないことはショックだったが、何にせよ拒絶はされなかった。
 さて、ここからどうしよう。これ以上できることもないし、何かのタイミングでこの手を離さなくては。悶々と水森が悩んでいると、砂噛の手が逃れるように緩められた。あ、もう終わりなのか、と水森は残念に感じたが、砂噛の手は予想に反して完全には離れなかった。
 絡めた指はそのままに、互いの手のひらの間に空間が作られる。つつつ、と弱い力で砂噛の親指が、水森の右手の付け根へと這っていく。そのまま、手のひらへと親指を移動させると、今度は、触れるか触れないかの加減で、生命線を往復するようになぞられる。撫でるよりも弱いその仕草は、少しくすぐったいくらいだった。
「……何してるんスか?」
「手繋いでるだけだろ」
 いや、だけじゃないだろ。水森の控えめな抗議の最中も、砂噛の親指は動いていた。もどかしいくらい、ゆっくりと動かされるその指がなんだか淫靡に感じてきた。
 やがて、感触を確かめるように、手のひらを押された。柔らかく、優しい力で押してくるその指が、いつの日か自分の、もっと深い所を暴く。そんな想像に行き着いてしまい、水森はたまらず手を離した。
 砂噛を睨みつけるが、相手は意に介さず、笑みを浮かべている。ガキだなんだとからかわれる時に、よく見る表情だ。
「なんだ、もういいのか?」
 楽しそうに言われて、水森は唸った。
「あんた、マジで……」
 手を出さないって言ったくせに、と責めると、手しか繋いでないだろ、と返される。からかわれている、と明確に感じた。
「あ、あんな触り方しなくても」
「……やっぱ子供だな。あれくらいで騒ぐな」
 そう言うと、砂噛はため息をついた。
「この前、こわーいギャルに脅かされてな」
「鉄先輩っスか?」
 急な話題の転換に、戸惑いつつも水森は相槌を打った。
「ああ、水森泣かせたらただじゃおかないってな」
 その言葉に、嫌な予感がした。鉄は、水森にとって確かに良い相談相手だが、時々暴走する。
 水森が表情を固くする中、砂噛は真剣な目でこちらを見てくる。
「なぁ、何がそんなに不安なんだよ」
 何が。何がと問われれば、色々ある。砂噛にはそういう欲求はないのか?恋人らしいことをしたいのは自分だけ?やっぱり無理なのか?
 水森の中でさまざまな文言が渦巻いた。だが、それらは突き詰めると、次の質問に集約できる。
「……オレのこと好きですか」
 少し声が震えた。水森は自分がどんな表情をしているのか分からなかった。ただ不安でいっぱいのこの心は、きっと表に出ているだろう。せめて、涙は溢すまいと、ぐっと目元に力を入れた。
 水森の表情を見た砂噛は、息を飲んだ。そのまま、距離が詰められて、耳元に口を寄せられる。相手の表情が見えず、水森はますます答えが不安になったが、それは長くは続かなかった。
「好きだ」
 以前質問した時とは比べ物にならないくらい、落ち着いた声。それを耳元で囁かれ、水森はびくりと肩を震わせた。相手の息遣いさえも感じられる距離に、水森の心臓はバクバクとうるさく脈動する。
「嘘じゃないって分かるな?」
「は、はい……」
 上擦る声を恥ずかしいと思いつつ、水森にはどうしようもなかった。何にもしてこないと思っていた恋人が、手を繋いで愛を囁いてくれた。完全に、供給過多だった。


◇◇◇

 水森の不安はどうやら解消されたらしい。真っ赤になっていたかと思えば、顔を緩ませて肩に頭を乗せてきた。今まで我慢していた反動か、寄りかかり方に躊躇いがない。
 砂噛はため息をこらえて、大人しくその頭を撫でた。なし崩し的にスキンシップが増えている気がするが、先に仕掛けたのは自分なので、文句は言えない。これくらいなら、まぁ手を繋ぐ延長だろうと、無理やり自分に言い聞かせた。
 やってしまった、と言うのが砂噛の正直な感想である。大人げない対応だったと。それでも、砂噛はどうにも我慢できなかったのだ。


 鉄から話を聞いて、まず感じたのは、直接言えよ、という苛立ちだった。水森のことを子供扱いしすぎた自覚はある。好きかと問われたことも覚えているが、軽く聞かれたこともあり、対応を間違えた気もする。
 確かに不安に気づいてやれなかった自分も悪いが、だからと言って他人伝いに聞きたい話じゃなかった。
 だから、ちょっとした意趣返しのつもりだった。約束した範囲内で、お望みの『恋人らしいこと』をしてやろうじゃないかと。
 自分から手を繋いで来たくせに、こちらから仕掛けると水森は真っ赤になって慌てていた。その初心な反応に、やっぱり子供じゃないか、と思いつつ、少し楽しくなったことは自覚している。
 からかうだけで済ませるつもりだった。ちょっと不安を聞いて、子供だな、なんて揶揄して、それで終わりにするつもりだったのだ。
 だが、不安に顔を歪める水森を見たときに考えが変わった。今にも泣き出しそうに瞳を潤ませ、それでも涙をこぼすまいと、耐える姿に、砂噛は息を飲んだ。
 気がついたら、愛を伝えていた。別にもったいぶるつもりもないが、かと言って、やたらと言うべき言葉ではない。それでも、口をついて出たのは、衝動的だった、と言うしかない。


 下に目線を向けると、水森の楽しげな顔が目に入った。髪に指を入れると、気持ちよさそうに目を細めて、ますますこちらに寄ってくる。ここまで表に出されると、特別な能力がなくとも分かるもんだな、と砂噛は思った。
 表に好意を出さない自分は、水森の能力によって本心が筒抜けになる。自分は本心は読めないが、水森が分かりやすく示して来るので悩むことはない。ある意味、フェアなのかも知れない、と砂噛は考えた。
「先輩」
 もたれかかっていた水森がぱっと身を起こした。
「どうした?」
「やっぱりオレも言わないと、ずるいなって思うんで」
 そういうと、きちんと座り直して、砂噛と正面から向き直った。真剣な顔を作ろうとしているようだが、水森の顔は相変わらず緩んでいた。
「オレも好きです」
 はっきりと言葉にしてくる後輩は満面の笑みだった。金色の髪から除く耳は、わずかに赤く、照れていることが見て取れた。
 その笑みは、子供のようにあどけなく、幸せそうだった。ずっと、見ていたいような、自分には眩しすぎるような、そんな相反する気持ちを感じつつ、砂噛は簡潔に答えた。
「知ってる」
 寄ってくるくせに初心で、子供のくせに一丁前にあれこれ悩む。そんな恋人に、これからも振り回されるんだろうな、と思いつつ、砂噛は水森の頭を撫でた。
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