八月は急ブレーキ

 この日の午後の仕事は水森と鉄、それに砂噛の三人で対応することになっていた。
 鉄がいることで、緩衝材になればいい、と思う一方で、こいつ何か余計なこと言いそうだな、という心配を抱えながら砂噛は社用車を取りに行った。
 この面子での仕事の場合、助手席に座るのは水森のことが多い。恋人だから、というのよりも、単純に水森のほうがナビが上手い。
 しかし、今日はどうなることか。気まずさから、後部座席を選ばれたら泣きそうだ。そんな心配をしながら、会社の前に車を停めると、後輩二人が乗り込んできた。
「先輩、今日はどこ行くんです?」
 だから、いつもと同じ様子で、そう問いかけられた時にはホッとしてしまった。何の躊躇いもなく、助手席に乗り込んできた恋人に、平静を装ってスマホを差し出した。
「水族館?」
「え、何?デートの下見?」
 水森の呟きに、鉄が後ろから囃し立てる。
「そんな訳あるか」
 そう言いつつも、今度水族館にでも連れて行ってやろうと、頭の片隅で砂噛は考えた。恋人らしいことをせずに、勉強ばかりだった。せっかく色々解禁されたのだから、それっぽいデートもしたい。
「じゃー、何?ウチと水森連れて行くってことは探し物?」
「探し物っつーか、探し人っつーか……」
「え、人多そうっスね」
「人探しにウチの耳は微妙じゃない?」
 やいのやいのとうるさい後輩を黙らせるべく、砂噛は書類を二人に渡した。最初からこうすれば良かったのだが、今日はどうにも集中力が欠けている。その原因である恋人は、助手席で素直に紙を捲り、ぽつりと呟いた。
「擬態型外星人の探索……?」
「そうだ。擬態っていっても人型に限定されている訳じゃない」
「ああ、猫の人会ったことあります」
 そう言ってパラパラと紙を捲るにつれて、水森の顔は青くなっていく。後ろの席で、先に読み終えた鉄が声を震わせている。
「ちょっと待て。ドラ男、これって……」
 バックミラーで確認すると、心底嫌そうな顔が目に入った。この仕事の大変さを理解したらしい。
「お前らには、水族館で飼育されている生物に擬態した外星人を探してほしい」
  

 薄暗い水族館の中で、水槽の灯りは神秘的だ。それに照らされている恋人の顔を見ると、それだけでどこか大人びて見えてしまう。
 だが、その表情は少し固い。これからの仕事のことを考えて、気が重いのだろう。一方の鉄は着いて早々に水槽にへばりついて魚を眺めている。
「水族館に紛れてるのって、何が問題なんスか?」
「まず、収入がないから、返済が滞っている」
「あー、なるほど」
 水族館で衣食住のうち食事と住居は与えられている魚や水棲生物に擬態しているなら服も必要ないので、最低限の生活は保障されていることになる。
「そもそも、今回のケースでは勝手に擬態の種類を変えられたから困ってんだよ」
「え、擬態って申請いるんスか?」
 夏休みということもあり、館内には子供が多かった。笑い声や慌ただしく走る音、それを注意する声で神秘的な雰囲気には似つかわしくない賑やかさだ。
 ここでなら、誰もこちらの話など聞いていないか、と砂噛は特に気にせず仕事の話を続けた。
「いる。つーか、こっちが把握してないと、交尾されて繁殖されたら管理できないからな」
「こ、交尾って……」
「前例があって、蛙に擬態してた奴が子供作った時は大変だったな。虹色に光るオタマジャクシとか」
 外星人と地球人のハーフは地球にどんな影響を及ぼすのかわからない。だからこそ監視対象になるのだが、子供ができたことを隠す親も多い。
「じゃあ、ここやばくない?」
 いつのまにか近くに立っていた鉄が、壁に貼ってあるポスターを指差す。つらつらと記載されているのは、この水族館の繁殖実績だ。どうやらそこに力を入れているらしい。
「そう、だから、早めに見つけて確保したい」
 砂噛の言葉に、後輩二人は困ったようにアイコンタクトを取っている。
「そうは言うけど、変な魚いても、ウチわかんないよ。鳴く訳じゃないし」
「お前はとりあえず、オットセイとかアシカとか鳴き声出す奴らに不審な点ないか見てきてくれ」
「あー、それなら」
 鉄はあっさりと頷いた。魚よりも楽だと踏んだのか、足取り軽くアシカの水槽へと向かって行く。
「……先輩」
 残された水森は不安げな顔でこちらを見つめている。おそらく、彼の想像する通りだが、口に出して明言する。
「お前は、魚を見分けてくれ」


 水族館の目玉の大水槽。色とりどりの魚が泳ぎ回り、一つの世界を形成している。後輩は、その水槽の前のソファを占領して、忙しなく目を動かしている。
 擬態していても、隠せない部分というのは存在する。今回の場合、それは体温だ。件の外星人は、地球の魚に比べると体温が高く、それを頼りに探してほしい、と指示をした。
「サーモグラフィーとか使えないんスか?」
「これだけガラス分厚いと、うまく感知できないらしいな」
 そうなんだ、と呟くと水森は再び沈黙した。集中力のいる仕事なので、それが自然なようにも思えるが、普段から何くれとうるさい後輩が無言というのは違和感がある。
 謝罪を受け入れてもらったが、やはり怖いのだろうか。席を外すべきか迷っていると、水森がこちらを見ずに呟いた。
「オレも、擬態ってできます?」
「は?何に?」
 突拍子のない言葉に、砂噛は思わず語気を強めた。何か、碌でもないことを考えている気がする。
 しかし、砂噛が不審がっていることなど気にもとめずに、水森は言葉を重ねてくる。
「女の人の体。それなら、怖がらずにできるかなって」
「……何を?」
 恐る恐る尋ねる。いや、聞かずとも、答えはわかる気もするが。
「こ、交尾……」
「アホか」
 消え入るような小さな声で告げられたのは、おおよそ予想通りの言葉だった。
「体がどうのっていうよりもお前の場合、経験がないから怖いんだろ?」
「経験って……じゃあ今から、どうしようもないじゃないっスか」
 恋人が声を荒げている。泣いているのかと心配になったが、横顔からは涙の気配が感じられない。けれど、その表情は歪んでいる。
「昼間にも言っただろ。気にするな」
「でも、先輩は、したかったんスよね?」
「いいから」
 一方的に会話を打ち切るように、砂噛は鋭く言い放った。
 これでは昼間の再現だ。だが、譲る気はなかった。水森側の非はこれっぽっちもないのだから。
「忘れて、いつものように仕事に集中しろ」
「……はい」
 小さな返事の後、水森はそれっきり話し出すことはなかった。

 
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