三月末まで青少年
COSMOSのオフィスの会議室。外での仕事が多い砂噛は入る機会が少ないが、今日は緊張した面持ちで座っていた。
大人数用の会議室だが、今は局長と自分しかいない。二人には広すぎる空間を静寂が包み、逆に耳に痛いくらいだ。
「やぁ、残ってもらって悪かったね」
「いえ……」
潤登の言葉に、砂噛は姿勢を正す。
上司からの急な呼び出し。しかも直属である穂村よりも一段上である局長と一対一。普段は気さくで、こちらも砕けた口調で話しているが、今はそんな雰囲気ではなかった。
そろそろ退勤しようかという時に潤登に呼び止められて部屋に入ったものの、砂噛は要件を掴めずにいた。なんだ、異動か?それとも何かミスでもあったか?平静を装っていたが、砂噛は気が気でなかった。
対する潤登は、何か言葉を選ぶように口に手を当てて考えていたが、やがて顔を上げて話し始めた。
「その……、今からする質問は、職務上必要である、ということは理解してほしい」
「……はい」
一体何を聞かれるのか。緊張で砂噛が喉を鳴らすと、潤登は重々しく話し始めた。
「君、水森君とはどこまでいっているの?」
◇◇◇
「条例?」
「ああ」
テーブルを挟んで目の前に座る水森に、これから告げる内容を考えると、砂噛はげんなりした。
局長との地獄のような面談を終えた砂噛は、自宅で水森に先ほどまでの話を伝えていた。
「外星人用のですか?」
「いや、日本の。青少年保護育成条例」
「ああ、たまに淫行で話題になる……」
青少年保護育成条例。未成年者の健全な育成のためにと定められた条例である。深夜外に出ては行けないとか、エロ本を読んではいけないとか、いろんな定めがあるが、ニュースで話題になるのは主に成人による未成年者との淫行である。
それがどうかしたんですか?と首を傾げる後輩は、どうやらまだこの話題を自分と結びつけられていない。
「今日、局長から引っかからないように注意された」
「え……」
一瞬で水森の目が軽蔑に染まる。待て、こいつ、オレがどっかの未成年に手を出したと勘違いしてないか?
「お前だよ、青•少•年!」
「なんだ、オレか」
水森は今年十八になったばかりだ。四月までは条例が適用される青少年、である。
「そっか、先輩、淫行野郎になるんスね……」
「まだ何もしてないだろ!」
水森の混ぜっ返すような言葉に、砂噛は頭痛がしてきた。
砂噛は目の前の後輩と交際を始めたばかりだ。性的なことはおろか、手も繋いでいない。
「つーか、何で局長は知ってるんだ……」
本当に、付き合い始めたばかりなのだ。それこそ関係性が変わったのは一週間前くらいの話で、そこから会社では顔を合わせていなかった。バレる要素はないはずだ。
自分の知らないうちに、チップやMESを用いた監視の精度が上げられているのか?砂噛の懸念はそこだった。だが、その懸念はすぐになくなった。顔を上げると明らかに青ざめて自分から目をそらす恋人の顔が目に入ったからだ。
「お前か!?」
「いや、オレは鉄先輩にしか言ってないっス!」
「全員に言ったようなもんじゃねーか!」
鉄は、めでたいという百パーセントポジティブな理由で誰彼構わず話しているだろう。「いいニュースは皆で祝いたいじゃん?」とか言いそうだ。
頭を抱えてしまった砂噛に、水森はごにょごにょと反論する。
「で、でも相談乗ってもらったりしてたんで、報告というか」
「相談……」
それも初耳だった。
「……だめでした?」
弱々しくそう言われると砂噛は弱い。付き合う前から、歳の離れた気安い後輩として可愛がっていた面が強く、甘えるような仕草をされてしまうと折れるしかない。
「……今諦めた」
いろいろと。たぶん、次に会ったら、穂村からも注意されるし、鉄からは散々からかわれるだろう。砂噛は、それも含めて受け入れる覚悟をした。
◇◇◇
「条例ってどこまで禁止してるんですか?」
「自治体によるが、ここのは明文化されてないな」
「え、じゃあ何しても大丈夫?」
それだったら注意されるわけないだろ。無言の抗議に、水森もですよね、と苦笑した。
「局長判断で、超えちゃいけないライン決められた」
会社の会議室で上司から重々しく、恋人との触れ合いの線引きを告げられた時は、羞恥と気まずさで死にたくなった。
「へぇ、どこまでオッケーなんスか?」
「……交換日記と手を繋ぐまで」
「それは……」
今どき中学生でももっと進んでいる。絶句する水森に、砂噛は何も言えなかった。
「えーと、します?交換日記」
「しない」
わざとらしくヘラヘラ笑って提案されたが砂噛は断った。そもそも仕事で数日に一回は会うし、メールでも電話でも連絡を取れるのに何を書けと言うのだ。
「ですよね」
水森も同じ考えではあったようで、あっさりと引き下がる。
「守るんスか?条例」
「……会社の信用にも関わるからって言われたからな」
別に、COSMOSは社内恋愛を禁止しているわけではない。局長も、交際自体を反対するつもりはないと、念押しした上での注意だった。
だが保険会社は信用を売っていると言っても過言ではない。社員の不祥事は避けたい、というのは当然の考えだろう。
「そっか、まぁ仕方ないスね」
潔く諦めたようで、水森はあっさりと引き下がった。なんだかんだ、社員としての自覚があるんだよな、と砂噛は水森のことを改めて評価した。
「でも今日はせっかく、おうちデート、とか思ってたのに、何もできないんですね」
「いや、勉強しろ」
そもそも、今日水森を家に招いたのは、条例の話をするためではない。
受験も無事終わったところで、FP以外にも必要な資格取りたい、と水森が言い出した。それならば、と自分の過去使っていた参考書を譲るために呼んだのだ。
「もともとオレは、今日お前をどうこうしようとは考えてなかった」
砂噛はそういうと、用意しておいた参考書を水森に渡す。
「嘘……じゃないのが残念っス」
しぶしぶ、といった様子だったが、それでも水森は渡された参考書を開いた。
◇◇◇
水森はしばらく真面目に問題に取り組んでいた。途中わかりにくいところがあれば素直に質問をし、自分なりに理解できるまで参考書を眺める姿は勤勉そのものだった。
そういや受験の時もだいぶ勉強していたな、と思い返して砂噛は素直に感心した。さきほどは悪態をついていたが、真面目に取り組む姿は微笑ましいものだった。
「砂噛先輩」
「ああ、どこ?」
だから、話しかけられた時も質問だと思ったし、自分でも意外なほど優しい声が出た。
水森もそれを感じたのか、嬉しそうに目を細めた。束の間二人は和やかに視線を交わす。
「あとちょっとしたら、四月ですね」
「そうだな?」
砂噛の頭に疑問符が浮かんだ。だから何だと言うんだ。今勉強している資格の試験は四月にはない。
「そしたら、オレ、青少年じゃないですよ」
イタズラっぽく笑う恋人の目は、先ほどまでの純粋さはなく、熱っぽく潤んでいた。つまり、彼の意味するところは、そういうことだろう。
砂噛とて、真剣に交際しているし、そう言った欲を水森に向けている。だが、制限しろと言われているこの状況で、その言葉はあまりにも酷で、彼を苛立たせた。ようは人の気も知らないで、である。
挑発するような視線が癪で、砂噛は水森のおでこを指で弾いた。いわゆるデコピンである。
「クソガキ、黙って勉強しろ」
いてて、とおでこを抑える水森に砂噛はため息をついた。
「決めた。お前が試験に受かるまで、何にもしないからな」
「嘘っ!?え、本気だ!」
嘘が分かる、というのは裏を返せばこちらの本気も伝わるということである。水森は、恋人の急な言葉が本気であることを理解したようだった。
「局長と、鉄と、あとおそらく課長にも知られているこの状況で業務に支障でたら、最悪どっちか異動になるぞ」
ようは分かりやすく支障がないことを示せ、と砂噛は言っている。そのこと自体は水森も理解した。理解はしたが、はいそれならば、とは納得できなかった。
「え、試験って最短でいつでしたっけ!?」
「八月だな」
「半年後じゃないスか!」
たかだか一、二か月の辛抱、という打算もあり条例遵守を誓ったのに、と水森は絶望的な気分になる。健全で健康な男子高校生である彼は普通に性欲があるし、性的なことに興味もあった。それを半年も我慢しろなんて。
「ほんとに何にもしないんですか?」
「交換日記なら、構わん」
どうする、と笑われて、水森は気づいた。これは先ほどの意趣返しだ。大人げねぇ、と水森は思ったが、元はといえば自分の挑発とも取れる態度が発端であり、強くは出られなかった。
「しません……」
ため息をつくと水森は大人しく試験勉強を再開した。
大人数用の会議室だが、今は局長と自分しかいない。二人には広すぎる空間を静寂が包み、逆に耳に痛いくらいだ。
「やぁ、残ってもらって悪かったね」
「いえ……」
潤登の言葉に、砂噛は姿勢を正す。
上司からの急な呼び出し。しかも直属である穂村よりも一段上である局長と一対一。普段は気さくで、こちらも砕けた口調で話しているが、今はそんな雰囲気ではなかった。
そろそろ退勤しようかという時に潤登に呼び止められて部屋に入ったものの、砂噛は要件を掴めずにいた。なんだ、異動か?それとも何かミスでもあったか?平静を装っていたが、砂噛は気が気でなかった。
対する潤登は、何か言葉を選ぶように口に手を当てて考えていたが、やがて顔を上げて話し始めた。
「その……、今からする質問は、職務上必要である、ということは理解してほしい」
「……はい」
一体何を聞かれるのか。緊張で砂噛が喉を鳴らすと、潤登は重々しく話し始めた。
「君、水森君とはどこまでいっているの?」
◇◇◇
「条例?」
「ああ」
テーブルを挟んで目の前に座る水森に、これから告げる内容を考えると、砂噛はげんなりした。
局長との地獄のような面談を終えた砂噛は、自宅で水森に先ほどまでの話を伝えていた。
「外星人用のですか?」
「いや、日本の。青少年保護育成条例」
「ああ、たまに淫行で話題になる……」
青少年保護育成条例。未成年者の健全な育成のためにと定められた条例である。深夜外に出ては行けないとか、エロ本を読んではいけないとか、いろんな定めがあるが、ニュースで話題になるのは主に成人による未成年者との淫行である。
それがどうかしたんですか?と首を傾げる後輩は、どうやらまだこの話題を自分と結びつけられていない。
「今日、局長から引っかからないように注意された」
「え……」
一瞬で水森の目が軽蔑に染まる。待て、こいつ、オレがどっかの未成年に手を出したと勘違いしてないか?
「お前だよ、青•少•年!」
「なんだ、オレか」
水森は今年十八になったばかりだ。四月までは条例が適用される青少年、である。
「そっか、先輩、淫行野郎になるんスね……」
「まだ何もしてないだろ!」
水森の混ぜっ返すような言葉に、砂噛は頭痛がしてきた。
砂噛は目の前の後輩と交際を始めたばかりだ。性的なことはおろか、手も繋いでいない。
「つーか、何で局長は知ってるんだ……」
本当に、付き合い始めたばかりなのだ。それこそ関係性が変わったのは一週間前くらいの話で、そこから会社では顔を合わせていなかった。バレる要素はないはずだ。
自分の知らないうちに、チップやMESを用いた監視の精度が上げられているのか?砂噛の懸念はそこだった。だが、その懸念はすぐになくなった。顔を上げると明らかに青ざめて自分から目をそらす恋人の顔が目に入ったからだ。
「お前か!?」
「いや、オレは鉄先輩にしか言ってないっス!」
「全員に言ったようなもんじゃねーか!」
鉄は、めでたいという百パーセントポジティブな理由で誰彼構わず話しているだろう。「いいニュースは皆で祝いたいじゃん?」とか言いそうだ。
頭を抱えてしまった砂噛に、水森はごにょごにょと反論する。
「で、でも相談乗ってもらったりしてたんで、報告というか」
「相談……」
それも初耳だった。
「……だめでした?」
弱々しくそう言われると砂噛は弱い。付き合う前から、歳の離れた気安い後輩として可愛がっていた面が強く、甘えるような仕草をされてしまうと折れるしかない。
「……今諦めた」
いろいろと。たぶん、次に会ったら、穂村からも注意されるし、鉄からは散々からかわれるだろう。砂噛は、それも含めて受け入れる覚悟をした。
◇◇◇
「条例ってどこまで禁止してるんですか?」
「自治体によるが、ここのは明文化されてないな」
「え、じゃあ何しても大丈夫?」
それだったら注意されるわけないだろ。無言の抗議に、水森もですよね、と苦笑した。
「局長判断で、超えちゃいけないライン決められた」
会社の会議室で上司から重々しく、恋人との触れ合いの線引きを告げられた時は、羞恥と気まずさで死にたくなった。
「へぇ、どこまでオッケーなんスか?」
「……交換日記と手を繋ぐまで」
「それは……」
今どき中学生でももっと進んでいる。絶句する水森に、砂噛は何も言えなかった。
「えーと、します?交換日記」
「しない」
わざとらしくヘラヘラ笑って提案されたが砂噛は断った。そもそも仕事で数日に一回は会うし、メールでも電話でも連絡を取れるのに何を書けと言うのだ。
「ですよね」
水森も同じ考えではあったようで、あっさりと引き下がる。
「守るんスか?条例」
「……会社の信用にも関わるからって言われたからな」
別に、COSMOSは社内恋愛を禁止しているわけではない。局長も、交際自体を反対するつもりはないと、念押しした上での注意だった。
だが保険会社は信用を売っていると言っても過言ではない。社員の不祥事は避けたい、というのは当然の考えだろう。
「そっか、まぁ仕方ないスね」
潔く諦めたようで、水森はあっさりと引き下がった。なんだかんだ、社員としての自覚があるんだよな、と砂噛は水森のことを改めて評価した。
「でも今日はせっかく、おうちデート、とか思ってたのに、何もできないんですね」
「いや、勉強しろ」
そもそも、今日水森を家に招いたのは、条例の話をするためではない。
受験も無事終わったところで、FP以外にも必要な資格取りたい、と水森が言い出した。それならば、と自分の過去使っていた参考書を譲るために呼んだのだ。
「もともとオレは、今日お前をどうこうしようとは考えてなかった」
砂噛はそういうと、用意しておいた参考書を水森に渡す。
「嘘……じゃないのが残念っス」
しぶしぶ、といった様子だったが、それでも水森は渡された参考書を開いた。
◇◇◇
水森はしばらく真面目に問題に取り組んでいた。途中わかりにくいところがあれば素直に質問をし、自分なりに理解できるまで参考書を眺める姿は勤勉そのものだった。
そういや受験の時もだいぶ勉強していたな、と思い返して砂噛は素直に感心した。さきほどは悪態をついていたが、真面目に取り組む姿は微笑ましいものだった。
「砂噛先輩」
「ああ、どこ?」
だから、話しかけられた時も質問だと思ったし、自分でも意外なほど優しい声が出た。
水森もそれを感じたのか、嬉しそうに目を細めた。束の間二人は和やかに視線を交わす。
「あとちょっとしたら、四月ですね」
「そうだな?」
砂噛の頭に疑問符が浮かんだ。だから何だと言うんだ。今勉強している資格の試験は四月にはない。
「そしたら、オレ、青少年じゃないですよ」
イタズラっぽく笑う恋人の目は、先ほどまでの純粋さはなく、熱っぽく潤んでいた。つまり、彼の意味するところは、そういうことだろう。
砂噛とて、真剣に交際しているし、そう言った欲を水森に向けている。だが、制限しろと言われているこの状況で、その言葉はあまりにも酷で、彼を苛立たせた。ようは人の気も知らないで、である。
挑発するような視線が癪で、砂噛は水森のおでこを指で弾いた。いわゆるデコピンである。
「クソガキ、黙って勉強しろ」
いてて、とおでこを抑える水森に砂噛はため息をついた。
「決めた。お前が試験に受かるまで、何にもしないからな」
「嘘っ!?え、本気だ!」
嘘が分かる、というのは裏を返せばこちらの本気も伝わるということである。水森は、恋人の急な言葉が本気であることを理解したようだった。
「局長と、鉄と、あとおそらく課長にも知られているこの状況で業務に支障でたら、最悪どっちか異動になるぞ」
ようは分かりやすく支障がないことを示せ、と砂噛は言っている。そのこと自体は水森も理解した。理解はしたが、はいそれならば、とは納得できなかった。
「え、試験って最短でいつでしたっけ!?」
「八月だな」
「半年後じゃないスか!」
たかだか一、二か月の辛抱、という打算もあり条例遵守を誓ったのに、と水森は絶望的な気分になる。健全で健康な男子高校生である彼は普通に性欲があるし、性的なことに興味もあった。それを半年も我慢しろなんて。
「ほんとに何にもしないんですか?」
「交換日記なら、構わん」
どうする、と笑われて、水森は気づいた。これは先ほどの意趣返しだ。大人げねぇ、と水森は思ったが、元はといえば自分の挑発とも取れる態度が発端であり、強くは出られなかった。
「しません……」
ため息をつくと水森は大人しく試験勉強を再開した。
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