神様も暇じゃない
春と言うのは出会いと別れの季節である。
卒業、入学、就職、異動、等々。理由は人それぞれだが、出会いと別れのイベントがこの時期に集中しているからだ。そして、出会いと別れがあれば、必然と飲み会が多くなる。
この日、砂噛と水森が飲み屋街を歩いていたのも、そう言った理由からだ。隣の部署の送別会に、良かったら、と呼ばれ課の全員で参加してきたところだった。
極彩色のネオンがギラギラと目に眩しい。とてもじゃないが、学生、しかも未成年がいていい場所ではない、と砂噛は思っているのだが、当の水森は特に気にした様子もなく歩いている。
以前ホストクラブに潜入したこともあってか、水森はこういった夜の街に耐性を付けている気がする。怯えや緊張もなく進む後輩は、砂噛から見ると危なっかしい。何かの拍子にタチの悪い輩に絡まれかねない。
そんな心配もあって、砂噛は水森を送っていた。単純に、もう少し一緒にいたかった、というのもあるが。
「先輩」
水森の声がやや後方から聞こえて、砂噛は立ち止まった。振り返ると、後輩はネオンが煌めく建物の前に立っている。
「寄ってきません?」
そう言って水森が指差すのは、休憩の二文字だ。それを見て、砂噛は顔を顰めた。
砂噛は目の前の後輩と付き合っている。そういったこともしたいと考えているし、このお誘いは本来なら喜ぶべきものである。だが、相手のことを思うと、手放しに歓迎できなかった。
「お前、自棄になってないか?明日も仕事だろ」
諭すようにそう問いかけると、水森は不満げに眉を顰めた。
「なってないっス。明日の朝もちゃんと出社します」
社会人としての心得の研修、この前受けました!なんて、胸を張ってくる。心得も何も、ちゃんと出社するのは大前提だし、その後の体調とかパフォーマンスの話をしているのだが、後輩には伝わっていない。
ため息をつきたかったが、砂噛はぐっと我慢する。軽い態度で誤魔化しているが、水森の目は真剣だし、少し手も震えている。それなりの覚悟を持って、自分を呼び止めたのだろう。
これ以上の問答は野暮だな。そう考えて、砂噛は水森の手を取った。恋人は一瞬惚けたような表情をしたが、こちらの意図がわかったのか、嬉しそうにはにかんだ。
悪趣味なくらい輝いている看板の下を通り、よし入るぞという時だった。
水森のスマホが鳴った。
なかなか鳴り止まないそれは、電話のようだった。砂噛は手を離し、出るように促す。水森は顔を強張らせながら、スマホを耳に当てた。
「はい、もしもし?」
「かえでー!まだ学生なんだから十時前に帰って来いって言ったでしょ!」
スピーカーにしなくても、相手の声が鮮明に聞こえる。怒りを露わにした女性の声だ。水森が電話の音量を下げたようで、徐々に声が聞こえなくなるが、漏れ聞こえる音の端々から相手の怒りが収まらないことが伝わってくる。
「ごめん、ごめんなさい、すぐ……帰るから」
平謝りを繰り返し、最後にそう言って恋人は電話を切った。そうしてこちらを見上げてくる目は、申し訳なさそうに揺れていた。
「親?」
「は、はい……」
「今日は無理だな。つーか、オレも悪かった。時間見てなかった」
なるべく気にしていない風を装って、砂噛は声をかけた。内心は残念な気持ちでいっぱいだったが、それを顔に出すことはしない。大人なのだから。だが、恋人は違った。
「……またできなかった」
不満を前面に出して、水森は拗ねたように口を尖らせている。こうなると、砂噛は宥めるしか選択肢はなくなる。
「仕方ないだろ、お前、まだ学生なんだから。親に心配かけんなよ」
「そうっスけど……でも、これで四回目ですよ」
「……」
砂噛は反論できなかった。四回は、今まで失敗した回数だ。
「なんかもう、誰か邪魔しているとしか思えないです」
「誰かって……親?」
あんまりな言い草に砂噛の声も固くなる。今回に関して言えば、学生を遅くに連れ回していた自分が悪いし、水森の母親の言い分は真っ当なものだった。
砂噛の言葉に、水森は首を横に振った。そうして、疲れたように笑いながら、こう呟いた。
「もっと上の、神様とか」
なんだよ、それ。砂噛は頭を抱えた。
水森の言うとおり、二人がいわゆるそういうことをしようとして、失敗するのはこれが初めてではない。
初めてそんな雰囲気になったのは、水森の部屋だった。
その日の仕事帰り、水森の家が近かったこともあり「コーヒーでも」と誘われた時のことを、砂噛は鮮明に覚えている。
実家暮らしだということは知っていたので、それを理由にやんわりと断ろうとした。正直、相手の家族にどんな顔して会っていいのかわからなかった。だが水森は食い下がった。
「今日、母親出張しているし、妹も友達の家泊まるって」
はっきりとそういう水森の目は、砂噛を真っ直ぐに捉えていた。これは、つまり、そういうことを望まれている。一拍遅れてそう理解した砂噛は、ごくりと唾を飲み込んだ。付き合い始めてはや半年、そろそろかなとは思っていたが、まさか相手から言い出されるとは。
「ダメっスか?」
少し不安げにこちらを見上げる恋人は、普段とは打って変わってしおらしい。
ダメなわけない。むしろ、この機会を逃してたまるか。そんな気持ちを押し殺しながら、砂噛は「じゃあ、寄ろうかな」と冷静を装って告げた。
そうして上がり込んだ水森の家は、事前に言われた通り人の気配がなかった。他人のテリトリーというのはただでさえ緊張するものだが、この先の展開を考えると余計に緊張してしまった。
家主であるはずの水森も緊張を隠しきれておらず、ぎこちない態度でリビングに通された。口実に使われたコーヒーを律儀に入れてくれたが、何を間違えたのかびっくりするほど薄かった。一口飲んで違和感に気がついたが、明らかにいっぱいいっぱいの恋人に指摘することはしなかった。
水森はというと、自分の分のコーヒーに口をつけることもなく、きょろきょろと目を泳がせている。ここからどうすればいいのか、一生懸命考えているようだ。助け舟を出すべきか、とも考えたが初心なその様子が可愛らしかったので、砂噛は黙ってその様子を見ていた。
「え、えーと。せっかくだからオレの部屋見ます?」
全く手慣れていない誘い文句に、砂噛は思わず笑ってしまった。いっそ清々しい。自分の笑い声に、恋人の表情はみるみる歪んでいく。照れているのか、拗ねているのか、あるいはその両方か。いずれにしても、機嫌を損ねているのは明白だったので、砂噛は「悪い」と謝った。
立ち上がって、恋人の近くまで歩いていく。案内して欲しいと目配せすると、まだむすりとしているものの、水森も立ち上がり、部屋まで案内をしてくれた。
恋人の部屋は、程よく雑然としていた。積まれた漫画本や、床に放ってある服を、水森が気まずげに片付けている。学習机が目に入り、まだ水森が学生だと改めて思い知らされた。
「すみません、散らかってて」
「いや、別に」
生活感があっていいと思ったが、それを口にすると恋人の暮らしを覗きたがっているみたいだな、と声にはださなかった。
水森がベッドに視線を向けている。さすがにこれ以上リードさせるのは、難しいだろう。そう判断して、砂噛は水森をそっと抱き寄せた。腕の中で恋人が身を固くしているのがわかる。
「いい?」
「……はい」
水森の腕が、砂噛の背中に回る。柔らかい唇を、親指でなぞるようにすると、恋人は全てを受け入れるように瞼を閉じた。
キスは今までに何度もしてきた。だが、その先に進むのは初めてだ。いずれはと思っていたが、まさか相手の方から言い出してくれるとは。湧き出る愛おしさと期待感で、砂噛は胸がいっぱいになった。
優しくしよう。そう思いながら、ゆっくりと唇を寄せていく。
あと数センチ。そんな距離まできた時だった。
「おにぃー!お客さん来てんのー?」
玄関の方から聞こえてきた女の声に、咄嗟に砂噛は水森から距離を取った。まだ責められていないのに、両手をあげて何もしていません、というアピールまでしてしまう。
水森も、驚きで反応できないでいるようだ。二人して妙な距離を取ったままでいると、ガチャリとドアノブが回った。
「あ、やっぱりお客さんだ」
こんばんは、と頭を下げてくる少女に、砂噛も反射的に会釈を返す。友人にしては歳が離れている自分の存在を怪しまれないか、とひやひやしたが相手は気にしていないようだ。
「さ、さくら……、泊まりじゃなかったっけ?」
「んーそのつもりだったんだけど、友達の弟が急に体調崩してさ。さすがにお泊まりするの申し訳ないから帰ってきた」
あっけからんと答える彼女に悪意はない。相手からしてみれば、自宅に帰ってきただけなのだ。
「お客さん、夕飯食べてきます?」
さくらと呼ばれた少女は、首を傾げてこちらを見ている。瓜二つ、というほど似てはいないものの、目元は水森を思わせるものがあるな、と砂噛は感じた。
「……いえ、ちょっと寄っただけなんで」
外行きの顔を作って、砂噛はなんとか答える。こうなっては、この部屋でどうこうできるわけがない。ボロが出る前に帰るべきだ。
玄関まで見送りに来た水森は、残念そうな、申し訳なさそうな、そんな顔をしていた。それに砂噛は笑って「これからいくらでも機会はあるから」、と宥めたのだった。
二度目は、砂噛から誘った。
休日に、映画を観るだけの健全なデート。その帰りに、「寄っていかないか」と自宅へと連れ込んだ。
なんの口実もなしの誘いに、水森は少しそわそわしながらも黙ってついてきた。お互いに何を期待しているかはわかっていたが、口にすることはなかった。
前回の失敗もあるので、家に帰るとすぐに砂噛は鍵を閉めた。カチャン、という金属音に恋人が微かに肩を震わせている。玄関に立ったまま動かない相手を、部屋の奥へと誘導した。
すぐにても手をだしたかったが、さすがに流れというものがある。それに、不安げな表情を浮かべている相手の緊張もほぐしてやりたかった。砂噛は少し話でもしようか、と水森をソファに座らせた。
「なんか飲む?水かコーヒーでよければ出すけど」
「え、あ……じゃあコーヒーを」
遠慮がちに告げられた言葉に頷くと、砂噛はキッチンに向かった。普段自炊をしないので、物が少なく簡素だが、コーヒーだけは飲むので、比較的良いコーヒーメーカーを持っている。
適当なカップにコーヒーを注ぎ、水森に差し出す。自分もその隣に座ると、明らかに相手は身を固くした。
緊張からか、水森は静かだった。そのくせ沈黙に耐えられないようで、言い訳のようにコーヒーに口をつけている。
「あつっ」
舌をやけどしたのか、水森が小さく叫ぶ。勢い良くのんだのだろう。呆れたように砂噛は苦笑した。
「少し落ち着けよ」
「落ち着けるわけないでしょ!」
こちらを睨みつけてくる顔は、耳まで真っ赤に染まっている。揺れるコーヒーが危なっかしく、砂噛は水森からカップを取り上げた。
「まぁ、無理に落ち着く必要はないけど」
そう言って水森の肩を抱き、自分の方に引き寄せる。抱き込むようにしながら、こめかみにキスを落とすと、うひゃあ、と色気ない声が聞こえた。
「怖い?」
「いや、怖くは……」
問いかけながら、砂噛は額や頬に軽いキスを繰り返す。固くなる水森も体を緩やかにソファに横たえると、そのままその上に覆い被さった。
「怖くなったら、言えよ」
「やめてくれるんスか?」
「……努力する」
途中で止められる自信がなかったので、正直に答えた。ここで、絶対やめられるなどと嘘をつくと、自分の下にいる恋人は余計に緊張してしまうだろうと配慮もあった。
砂噛の言葉に、水森は少し笑った。緊張が多少ほぐれたのか、嬉しそうに腕を伸ばしてくる。キスを求められているな、と理解して、砂噛は頭を下げていった。
水森の腕が、砂噛の首に回る。強く引き寄せるような動きに応えるように、唇を寄せ――。
「あン」
水森のものではない喘ぎ声に、二人は仲良く固まった。
何かの聞き間違いかと目を合わすが、女の声は続けて聞こえてくる。「すごい」「おっきい」「もっと」。断続的に聞こえてくる女の言葉は、ありきたりなものだった。甲高く聞かせるようなその言葉に、演技ではないかと疑ってしまう。
壁越しに響く喘ぎ声は、どんどんヒートアップしていく。水森は、砂噛の首から腕を離した。ほてった顔を隠すように覆いながら、問いかけてくる。
「と、隣の人ですか?」
「……そうだな」
「こんな、聞こえるものなんスか?」
「たまに」
この家の壁は、薄い。普段の生活音は気にならないが、たまに隣人が彼女を連れ込んでいると、割と声は聞こえてくる。
「あの、もしかして、オレの声も、これから聞かれるんスか」
砂噛は肯定も否定もできなかった。隣の家で、女がどのくらいの声量を出しているのかはわからないが、時折男の声も聞こえてくるので、比較的声は通るのかもしれない。水森がどんな声を出すか、聞いたことはないが、声量によっては向こうに届く可能性はある。
沈黙する砂噛に、水森の顔はどんどん歪んでいく。
「……ごめんなさい、気になって、その」
「いや、いい。オレもこの環境では無理だ」
砂噛自身は、正直始まってしまえば、隣のことなんて忘れられる気がする。だが、水森は違うだろう。初めての行為をこんな集中できないところで無理やり行うのも気が引けた。何より、恋人の声を、よく知らない隣人に聞かれると言うのは許容できなかった。
二人の間に沈黙が落ちる。そうなると壁越しの女の声がますますクリアに聞こえてくる。普段から説教的に聞きたいものではないが、今日は特に不愉快だった。
「……コーヒー、外で飲むか」
「……そうっスね」
この空間にいることが耐えられず、どちらからともなくソファから立ち上がった。
三回目になると、もはや二人とも、まどろっこしい表現はしなかった。
「とにかく邪魔がないところにしよう」
「そうっスね。ラブホ行きましょう」
神妙な顔で呟く水森に、砂噛は頷き返した。
二人とも真剣である。真剣に、コーヒーチェーン店でラブホを検索している。定時で上がれた仕事帰り、明日は休日だ。タイミングとしてはうって付けだが、前回、前々回を考えると、場所を真面目に選びたい。
「こことかどうっスか?近いし」
「あんま会社から近いと、知り合いに会う可能性高いだろ。ここは?」
「……そこはオレの高校近いんで」
「それは……アウトだな」
お互いに選んだホテルを見せ合いつつ、あーでもない、こーでもないと議論する。
「ここは?」
「高くないっスか」
「オレが出すから」
数秒の沈黙の後、水森は頷いた。よし、決まった。二人は同時に立ち上がると、店を出てラブホに向かった。ムードも何もあったものではないが、二人とも真剣に悩んでの行動だった。
一回目は他人の介入、二回目は環境が悪かった。ラブホテルはそれらの問題を全てカバーしてくれる。ここは、勝手にドアが開くことはない。ちょっと高めの場所を選んだから、隣の声がうるさくて集中できない、なんてこともない。これならいける、と砂噛は安心していた。三度目の正直、というやつだ。
水森も同じ気持ちのようで、ラブホのドアを閉めた瞬間に、ホッと一息ついている。その様子がちょっとおかしくて、砂噛は笑ってしまった。
「なんで笑ってるんスか?」
不思議そうに首を傾げる水森の頭を撫でまわし、砂噛は弁明した。
「普通、ここに入ったらちょっと緊張するもんなのにな」
お互いここに辿りつけたことに安心感を覚えてしまっている。初めての行為に対する緊張感よりも、ようやく、という気持ちの方が強く出ている。
「……緊張とか、もうしませんよ」
水森が緩く抱きついてくる。胸元に顔を埋められているせいで表情は見えないが、その声は柔らかかった。
「やっと、できるんスね」
「……そうだな」
何か、スイッチでも入れたように、淫靡な雰囲気が漂う。ちょっと部屋の奥まで行けば、ベッドもそういった小道具も完備されいてるのに、ドアの前から動けない。
水森が顔を離してこちらを見上げてくる。何を求めているかなんて明白だ。砂噛は焦る気持ちを抑えながら、その頬を撫でる。
ああ、やっとだ。目を閉じた恋人の顔が間近になり、砂噛も瞼を下ろす。だが、二人の唇が合わさるその前に、室内に小さな機械音が響いた。二重で聞こえるその音に、二人は目を開けた。
「……電話だな」
「……そうっスね」
嫌な予感しかしなかったが、出ないわけにはいかない。バイブで震えるスマホをお互いに取り出した。これを無視して情事に耽るほど、二人は豪胆ではない。水森にはその場で出るように目配せし、砂噛は部屋の奥に向かった。
スマホの画面に示される『局長』の文字に砂噛はため息をついた。ベッドに腰掛けると、頭を切り替えて電話に出た。
「はい、砂噛です」
「もしもし、退勤したところ悪いんだけど――」
挨拶もそこそこに告げられたのは、緊急事態による招集だ。そんな気はしていたし、電話に出た時から覚悟はしていたが、それでも諦めきれなかった気持ちが溢れ、砂噛は眉を寄せた。
「……三十分くらいで着くと思います。はい、では」
それでも、砂噛は断ることなんてできない。社会人というのはそういうものだ。やさぐれた気持ちで、ベッドに寝転ぶ。自分の家のものよりも大きくて柔らかい感触に、未練が出てきてしまう。あと十分遅ければ、恋人とここで寝転んでいたのに。
「先輩……」
いつの間にか電話を終えた水森が、ベッドサイドに来ている。気まずそうなその顔に、同じようなことを言われたんだろうな、と予想がついた。
「誰から?」
「課長からでした。先輩は」
「局長」
「……きっと鉄先輩も呼ばれてんでしょうね」
お互いに、用件は聞かなかった。聞かなくてもわかる。砂噛はため息を我慢した。ここでネガティブな態度を取るのは、相手にも自分にもプラスにならない。もう気持ちを切り替えなくてはならないのだから。水森も、同じような考えなのか、暗い表情をしながらも何も言わない。
砂噛はベッドから起き上がった。緊急と言われて連絡が来たのだ。いつまでもここにいるわけにはいかない。
「行くか」
「……はい」
五分も滞在していないのに、しっかりと休憩分の料金を払って、二人はホテルを後にした。
こうして二人は三度目の失敗を経験した。
そうして、今日、四度目の失敗となった。さすがに間が悪すぎる、と砂噛も思わないでもない。思わないでもないが、だからと言って「神様が邪魔している」なんて思考にはならなかった。
地球、ひいては日本の宗教観というものを理解しきっているとは言い切れないが、砂噛の浅い知識で照らし合わせても、神や仏と称される存在が一個人の性事情に介入してくることなんてないだろう、と感じた。そんなに暇じゃないだろ、と言いたい。
水森は相変わらず不満そうだ。それだけではなく、少し悲しげですらある。彼なりにやるせない気持ちに折り合いをつけたいのかもしれない。
それで恋人の気が晴れるなら。砂噛は「次は神頼みでもしてからにするか」と同調するような言葉を口にして、水森を帰路に付かせた。
卒業、入学、就職、異動、等々。理由は人それぞれだが、出会いと別れのイベントがこの時期に集中しているからだ。そして、出会いと別れがあれば、必然と飲み会が多くなる。
この日、砂噛と水森が飲み屋街を歩いていたのも、そう言った理由からだ。隣の部署の送別会に、良かったら、と呼ばれ課の全員で参加してきたところだった。
極彩色のネオンがギラギラと目に眩しい。とてもじゃないが、学生、しかも未成年がいていい場所ではない、と砂噛は思っているのだが、当の水森は特に気にした様子もなく歩いている。
以前ホストクラブに潜入したこともあってか、水森はこういった夜の街に耐性を付けている気がする。怯えや緊張もなく進む後輩は、砂噛から見ると危なっかしい。何かの拍子にタチの悪い輩に絡まれかねない。
そんな心配もあって、砂噛は水森を送っていた。単純に、もう少し一緒にいたかった、というのもあるが。
「先輩」
水森の声がやや後方から聞こえて、砂噛は立ち止まった。振り返ると、後輩はネオンが煌めく建物の前に立っている。
「寄ってきません?」
そう言って水森が指差すのは、休憩の二文字だ。それを見て、砂噛は顔を顰めた。
砂噛は目の前の後輩と付き合っている。そういったこともしたいと考えているし、このお誘いは本来なら喜ぶべきものである。だが、相手のことを思うと、手放しに歓迎できなかった。
「お前、自棄になってないか?明日も仕事だろ」
諭すようにそう問いかけると、水森は不満げに眉を顰めた。
「なってないっス。明日の朝もちゃんと出社します」
社会人としての心得の研修、この前受けました!なんて、胸を張ってくる。心得も何も、ちゃんと出社するのは大前提だし、その後の体調とかパフォーマンスの話をしているのだが、後輩には伝わっていない。
ため息をつきたかったが、砂噛はぐっと我慢する。軽い態度で誤魔化しているが、水森の目は真剣だし、少し手も震えている。それなりの覚悟を持って、自分を呼び止めたのだろう。
これ以上の問答は野暮だな。そう考えて、砂噛は水森の手を取った。恋人は一瞬惚けたような表情をしたが、こちらの意図がわかったのか、嬉しそうにはにかんだ。
悪趣味なくらい輝いている看板の下を通り、よし入るぞという時だった。
水森のスマホが鳴った。
なかなか鳴り止まないそれは、電話のようだった。砂噛は手を離し、出るように促す。水森は顔を強張らせながら、スマホを耳に当てた。
「はい、もしもし?」
「かえでー!まだ学生なんだから十時前に帰って来いって言ったでしょ!」
スピーカーにしなくても、相手の声が鮮明に聞こえる。怒りを露わにした女性の声だ。水森が電話の音量を下げたようで、徐々に声が聞こえなくなるが、漏れ聞こえる音の端々から相手の怒りが収まらないことが伝わってくる。
「ごめん、ごめんなさい、すぐ……帰るから」
平謝りを繰り返し、最後にそう言って恋人は電話を切った。そうしてこちらを見上げてくる目は、申し訳なさそうに揺れていた。
「親?」
「は、はい……」
「今日は無理だな。つーか、オレも悪かった。時間見てなかった」
なるべく気にしていない風を装って、砂噛は声をかけた。内心は残念な気持ちでいっぱいだったが、それを顔に出すことはしない。大人なのだから。だが、恋人は違った。
「……またできなかった」
不満を前面に出して、水森は拗ねたように口を尖らせている。こうなると、砂噛は宥めるしか選択肢はなくなる。
「仕方ないだろ、お前、まだ学生なんだから。親に心配かけんなよ」
「そうっスけど……でも、これで四回目ですよ」
「……」
砂噛は反論できなかった。四回は、今まで失敗した回数だ。
「なんかもう、誰か邪魔しているとしか思えないです」
「誰かって……親?」
あんまりな言い草に砂噛の声も固くなる。今回に関して言えば、学生を遅くに連れ回していた自分が悪いし、水森の母親の言い分は真っ当なものだった。
砂噛の言葉に、水森は首を横に振った。そうして、疲れたように笑いながら、こう呟いた。
「もっと上の、神様とか」
なんだよ、それ。砂噛は頭を抱えた。
水森の言うとおり、二人がいわゆるそういうことをしようとして、失敗するのはこれが初めてではない。
初めてそんな雰囲気になったのは、水森の部屋だった。
その日の仕事帰り、水森の家が近かったこともあり「コーヒーでも」と誘われた時のことを、砂噛は鮮明に覚えている。
実家暮らしだということは知っていたので、それを理由にやんわりと断ろうとした。正直、相手の家族にどんな顔して会っていいのかわからなかった。だが水森は食い下がった。
「今日、母親出張しているし、妹も友達の家泊まるって」
はっきりとそういう水森の目は、砂噛を真っ直ぐに捉えていた。これは、つまり、そういうことを望まれている。一拍遅れてそう理解した砂噛は、ごくりと唾を飲み込んだ。付き合い始めてはや半年、そろそろかなとは思っていたが、まさか相手から言い出されるとは。
「ダメっスか?」
少し不安げにこちらを見上げる恋人は、普段とは打って変わってしおらしい。
ダメなわけない。むしろ、この機会を逃してたまるか。そんな気持ちを押し殺しながら、砂噛は「じゃあ、寄ろうかな」と冷静を装って告げた。
そうして上がり込んだ水森の家は、事前に言われた通り人の気配がなかった。他人のテリトリーというのはただでさえ緊張するものだが、この先の展開を考えると余計に緊張してしまった。
家主であるはずの水森も緊張を隠しきれておらず、ぎこちない態度でリビングに通された。口実に使われたコーヒーを律儀に入れてくれたが、何を間違えたのかびっくりするほど薄かった。一口飲んで違和感に気がついたが、明らかにいっぱいいっぱいの恋人に指摘することはしなかった。
水森はというと、自分の分のコーヒーに口をつけることもなく、きょろきょろと目を泳がせている。ここからどうすればいいのか、一生懸命考えているようだ。助け舟を出すべきか、とも考えたが初心なその様子が可愛らしかったので、砂噛は黙ってその様子を見ていた。
「え、えーと。せっかくだからオレの部屋見ます?」
全く手慣れていない誘い文句に、砂噛は思わず笑ってしまった。いっそ清々しい。自分の笑い声に、恋人の表情はみるみる歪んでいく。照れているのか、拗ねているのか、あるいはその両方か。いずれにしても、機嫌を損ねているのは明白だったので、砂噛は「悪い」と謝った。
立ち上がって、恋人の近くまで歩いていく。案内して欲しいと目配せすると、まだむすりとしているものの、水森も立ち上がり、部屋まで案内をしてくれた。
恋人の部屋は、程よく雑然としていた。積まれた漫画本や、床に放ってある服を、水森が気まずげに片付けている。学習机が目に入り、まだ水森が学生だと改めて思い知らされた。
「すみません、散らかってて」
「いや、別に」
生活感があっていいと思ったが、それを口にすると恋人の暮らしを覗きたがっているみたいだな、と声にはださなかった。
水森がベッドに視線を向けている。さすがにこれ以上リードさせるのは、難しいだろう。そう判断して、砂噛は水森をそっと抱き寄せた。腕の中で恋人が身を固くしているのがわかる。
「いい?」
「……はい」
水森の腕が、砂噛の背中に回る。柔らかい唇を、親指でなぞるようにすると、恋人は全てを受け入れるように瞼を閉じた。
キスは今までに何度もしてきた。だが、その先に進むのは初めてだ。いずれはと思っていたが、まさか相手の方から言い出してくれるとは。湧き出る愛おしさと期待感で、砂噛は胸がいっぱいになった。
優しくしよう。そう思いながら、ゆっくりと唇を寄せていく。
あと数センチ。そんな距離まできた時だった。
「おにぃー!お客さん来てんのー?」
玄関の方から聞こえてきた女の声に、咄嗟に砂噛は水森から距離を取った。まだ責められていないのに、両手をあげて何もしていません、というアピールまでしてしまう。
水森も、驚きで反応できないでいるようだ。二人して妙な距離を取ったままでいると、ガチャリとドアノブが回った。
「あ、やっぱりお客さんだ」
こんばんは、と頭を下げてくる少女に、砂噛も反射的に会釈を返す。友人にしては歳が離れている自分の存在を怪しまれないか、とひやひやしたが相手は気にしていないようだ。
「さ、さくら……、泊まりじゃなかったっけ?」
「んーそのつもりだったんだけど、友達の弟が急に体調崩してさ。さすがにお泊まりするの申し訳ないから帰ってきた」
あっけからんと答える彼女に悪意はない。相手からしてみれば、自宅に帰ってきただけなのだ。
「お客さん、夕飯食べてきます?」
さくらと呼ばれた少女は、首を傾げてこちらを見ている。瓜二つ、というほど似てはいないものの、目元は水森を思わせるものがあるな、と砂噛は感じた。
「……いえ、ちょっと寄っただけなんで」
外行きの顔を作って、砂噛はなんとか答える。こうなっては、この部屋でどうこうできるわけがない。ボロが出る前に帰るべきだ。
玄関まで見送りに来た水森は、残念そうな、申し訳なさそうな、そんな顔をしていた。それに砂噛は笑って「これからいくらでも機会はあるから」、と宥めたのだった。
二度目は、砂噛から誘った。
休日に、映画を観るだけの健全なデート。その帰りに、「寄っていかないか」と自宅へと連れ込んだ。
なんの口実もなしの誘いに、水森は少しそわそわしながらも黙ってついてきた。お互いに何を期待しているかはわかっていたが、口にすることはなかった。
前回の失敗もあるので、家に帰るとすぐに砂噛は鍵を閉めた。カチャン、という金属音に恋人が微かに肩を震わせている。玄関に立ったまま動かない相手を、部屋の奥へと誘導した。
すぐにても手をだしたかったが、さすがに流れというものがある。それに、不安げな表情を浮かべている相手の緊張もほぐしてやりたかった。砂噛は少し話でもしようか、と水森をソファに座らせた。
「なんか飲む?水かコーヒーでよければ出すけど」
「え、あ……じゃあコーヒーを」
遠慮がちに告げられた言葉に頷くと、砂噛はキッチンに向かった。普段自炊をしないので、物が少なく簡素だが、コーヒーだけは飲むので、比較的良いコーヒーメーカーを持っている。
適当なカップにコーヒーを注ぎ、水森に差し出す。自分もその隣に座ると、明らかに相手は身を固くした。
緊張からか、水森は静かだった。そのくせ沈黙に耐えられないようで、言い訳のようにコーヒーに口をつけている。
「あつっ」
舌をやけどしたのか、水森が小さく叫ぶ。勢い良くのんだのだろう。呆れたように砂噛は苦笑した。
「少し落ち着けよ」
「落ち着けるわけないでしょ!」
こちらを睨みつけてくる顔は、耳まで真っ赤に染まっている。揺れるコーヒーが危なっかしく、砂噛は水森からカップを取り上げた。
「まぁ、無理に落ち着く必要はないけど」
そう言って水森の肩を抱き、自分の方に引き寄せる。抱き込むようにしながら、こめかみにキスを落とすと、うひゃあ、と色気ない声が聞こえた。
「怖い?」
「いや、怖くは……」
問いかけながら、砂噛は額や頬に軽いキスを繰り返す。固くなる水森も体を緩やかにソファに横たえると、そのままその上に覆い被さった。
「怖くなったら、言えよ」
「やめてくれるんスか?」
「……努力する」
途中で止められる自信がなかったので、正直に答えた。ここで、絶対やめられるなどと嘘をつくと、自分の下にいる恋人は余計に緊張してしまうだろうと配慮もあった。
砂噛の言葉に、水森は少し笑った。緊張が多少ほぐれたのか、嬉しそうに腕を伸ばしてくる。キスを求められているな、と理解して、砂噛は頭を下げていった。
水森の腕が、砂噛の首に回る。強く引き寄せるような動きに応えるように、唇を寄せ――。
「あン」
水森のものではない喘ぎ声に、二人は仲良く固まった。
何かの聞き間違いかと目を合わすが、女の声は続けて聞こえてくる。「すごい」「おっきい」「もっと」。断続的に聞こえてくる女の言葉は、ありきたりなものだった。甲高く聞かせるようなその言葉に、演技ではないかと疑ってしまう。
壁越しに響く喘ぎ声は、どんどんヒートアップしていく。水森は、砂噛の首から腕を離した。ほてった顔を隠すように覆いながら、問いかけてくる。
「と、隣の人ですか?」
「……そうだな」
「こんな、聞こえるものなんスか?」
「たまに」
この家の壁は、薄い。普段の生活音は気にならないが、たまに隣人が彼女を連れ込んでいると、割と声は聞こえてくる。
「あの、もしかして、オレの声も、これから聞かれるんスか」
砂噛は肯定も否定もできなかった。隣の家で、女がどのくらいの声量を出しているのかはわからないが、時折男の声も聞こえてくるので、比較的声は通るのかもしれない。水森がどんな声を出すか、聞いたことはないが、声量によっては向こうに届く可能性はある。
沈黙する砂噛に、水森の顔はどんどん歪んでいく。
「……ごめんなさい、気になって、その」
「いや、いい。オレもこの環境では無理だ」
砂噛自身は、正直始まってしまえば、隣のことなんて忘れられる気がする。だが、水森は違うだろう。初めての行為をこんな集中できないところで無理やり行うのも気が引けた。何より、恋人の声を、よく知らない隣人に聞かれると言うのは許容できなかった。
二人の間に沈黙が落ちる。そうなると壁越しの女の声がますますクリアに聞こえてくる。普段から説教的に聞きたいものではないが、今日は特に不愉快だった。
「……コーヒー、外で飲むか」
「……そうっスね」
この空間にいることが耐えられず、どちらからともなくソファから立ち上がった。
三回目になると、もはや二人とも、まどろっこしい表現はしなかった。
「とにかく邪魔がないところにしよう」
「そうっスね。ラブホ行きましょう」
神妙な顔で呟く水森に、砂噛は頷き返した。
二人とも真剣である。真剣に、コーヒーチェーン店でラブホを検索している。定時で上がれた仕事帰り、明日は休日だ。タイミングとしてはうって付けだが、前回、前々回を考えると、場所を真面目に選びたい。
「こことかどうっスか?近いし」
「あんま会社から近いと、知り合いに会う可能性高いだろ。ここは?」
「……そこはオレの高校近いんで」
「それは……アウトだな」
お互いに選んだホテルを見せ合いつつ、あーでもない、こーでもないと議論する。
「ここは?」
「高くないっスか」
「オレが出すから」
数秒の沈黙の後、水森は頷いた。よし、決まった。二人は同時に立ち上がると、店を出てラブホに向かった。ムードも何もあったものではないが、二人とも真剣に悩んでの行動だった。
一回目は他人の介入、二回目は環境が悪かった。ラブホテルはそれらの問題を全てカバーしてくれる。ここは、勝手にドアが開くことはない。ちょっと高めの場所を選んだから、隣の声がうるさくて集中できない、なんてこともない。これならいける、と砂噛は安心していた。三度目の正直、というやつだ。
水森も同じ気持ちのようで、ラブホのドアを閉めた瞬間に、ホッと一息ついている。その様子がちょっとおかしくて、砂噛は笑ってしまった。
「なんで笑ってるんスか?」
不思議そうに首を傾げる水森の頭を撫でまわし、砂噛は弁明した。
「普通、ここに入ったらちょっと緊張するもんなのにな」
お互いここに辿りつけたことに安心感を覚えてしまっている。初めての行為に対する緊張感よりも、ようやく、という気持ちの方が強く出ている。
「……緊張とか、もうしませんよ」
水森が緩く抱きついてくる。胸元に顔を埋められているせいで表情は見えないが、その声は柔らかかった。
「やっと、できるんスね」
「……そうだな」
何か、スイッチでも入れたように、淫靡な雰囲気が漂う。ちょっと部屋の奥まで行けば、ベッドもそういった小道具も完備されいてるのに、ドアの前から動けない。
水森が顔を離してこちらを見上げてくる。何を求めているかなんて明白だ。砂噛は焦る気持ちを抑えながら、その頬を撫でる。
ああ、やっとだ。目を閉じた恋人の顔が間近になり、砂噛も瞼を下ろす。だが、二人の唇が合わさるその前に、室内に小さな機械音が響いた。二重で聞こえるその音に、二人は目を開けた。
「……電話だな」
「……そうっスね」
嫌な予感しかしなかったが、出ないわけにはいかない。バイブで震えるスマホをお互いに取り出した。これを無視して情事に耽るほど、二人は豪胆ではない。水森にはその場で出るように目配せし、砂噛は部屋の奥に向かった。
スマホの画面に示される『局長』の文字に砂噛はため息をついた。ベッドに腰掛けると、頭を切り替えて電話に出た。
「はい、砂噛です」
「もしもし、退勤したところ悪いんだけど――」
挨拶もそこそこに告げられたのは、緊急事態による招集だ。そんな気はしていたし、電話に出た時から覚悟はしていたが、それでも諦めきれなかった気持ちが溢れ、砂噛は眉を寄せた。
「……三十分くらいで着くと思います。はい、では」
それでも、砂噛は断ることなんてできない。社会人というのはそういうものだ。やさぐれた気持ちで、ベッドに寝転ぶ。自分の家のものよりも大きくて柔らかい感触に、未練が出てきてしまう。あと十分遅ければ、恋人とここで寝転んでいたのに。
「先輩……」
いつの間にか電話を終えた水森が、ベッドサイドに来ている。気まずそうなその顔に、同じようなことを言われたんだろうな、と予想がついた。
「誰から?」
「課長からでした。先輩は」
「局長」
「……きっと鉄先輩も呼ばれてんでしょうね」
お互いに、用件は聞かなかった。聞かなくてもわかる。砂噛はため息を我慢した。ここでネガティブな態度を取るのは、相手にも自分にもプラスにならない。もう気持ちを切り替えなくてはならないのだから。水森も、同じような考えなのか、暗い表情をしながらも何も言わない。
砂噛はベッドから起き上がった。緊急と言われて連絡が来たのだ。いつまでもここにいるわけにはいかない。
「行くか」
「……はい」
五分も滞在していないのに、しっかりと休憩分の料金を払って、二人はホテルを後にした。
こうして二人は三度目の失敗を経験した。
そうして、今日、四度目の失敗となった。さすがに間が悪すぎる、と砂噛も思わないでもない。思わないでもないが、だからと言って「神様が邪魔している」なんて思考にはならなかった。
地球、ひいては日本の宗教観というものを理解しきっているとは言い切れないが、砂噛の浅い知識で照らし合わせても、神や仏と称される存在が一個人の性事情に介入してくることなんてないだろう、と感じた。そんなに暇じゃないだろ、と言いたい。
水森は相変わらず不満そうだ。それだけではなく、少し悲しげですらある。彼なりにやるせない気持ちに折り合いをつけたいのかもしれない。
それで恋人の気が晴れるなら。砂噛は「次は神頼みでもしてからにするか」と同調するような言葉を口にして、水森を帰路に付かせた。
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