Tuesday


「ありゃ、暗い顔してどないしたん?男前が台無しやで」
「馬喰さん」
 社内の医務室の前。設置された簡易ソファに座っていると、通りかかった馬喰さんが声をかけてきた。あれから、検査が必要ということで、先輩は医務室に連れて行かれた。オレは、それが終わるのを待っている。何もできないけど、落ち着かないのでここにいたかった。
 馬喰さんはいつもと変わらず飄々とした話し方だけど、心配をしてくれたのだろう。だが、どう答えたものか。
「オレを庇って、砂噛先輩が」
「……怪我でもしたん?」
「色ボケ野郎になっちゃって」
「んん、なんて?」
 オレは、手短に今までの経緯を話した。最初は神妙な顔をして聞いていた馬喰さんだったけど、徐々に笑みを浮かべていき、しまいには爆笑していた。
「あー、おかしい」
 ひーひーと、笑いすぎて苦しそうにしているので、オレはムッとしてしまう。それを宥めるように、馬喰さんは軽い調子で話し出す。
「そんな心配せんでも平気や」
「た、確かにバカみたいな症状でてますけど、先輩、変な薬浴びたんスよ!」
 ここから急変して、命に関わるような事態になったら。そう思うと気が気ではなかった。
 オレの剣幕に、馬喰さんはちょっと笑いを抑えて説明をしてくれる。
「薬っつーか、ジョークグッズやな」
「はい?」
「蛍光ピンクの液体で、人にかかったら緑になってすぐ揮発、だったよな」
「そうっス」
 馬喰さんは、スイスイっと手元のデバイスをいじって画像を出してくる。ガラスの華奢な瓶。花の形を模した特徴的な蓋と、何より中身の液体の色には見覚えがあった。
「……それです」
「これな、とある星の学生の間で流行ったんや」
「え、こんなやばいやつが!?」
「いや、ジョークグッズ言うたやろ。こっちで言う王様ゲーム的なもんの罰ゲームに使われとったで」
 オレは愕然とした。
「そんな……先輩があんなになるなんて、やばい薬じゃないっスか!」
「いや、まぁ、ちょーっと効果強すぎやろってことで今は販売停止されてるけどな」
「ちょっとじゃないっスよ!目の前に居ただけで、オレを好きになるとか……惚れ薬じゃないっスか!」
 こんな薬を悪用されたら、望まぬ関係を結ぶ人が続出してしまう。危険すぎるだろ。オレの叫びに、馬喰さんは少し首を振った。
「いやー、惚れ薬かっていうと、厳密には違って……」
「馬喰姉」
 不意に、鉄先輩が医務室から出てきた。オレが一緒にさえ居なければ、砂噛先輩はいつも通り冷静に受け答えができていたので、代わりに付き添ってもらっていた。
 どうやら部屋の中で聞こえてきた会話に、たまらず出てきたようだ。先輩は目を泳がせながら、馬喰さんにそっと話しかけている。
「……勝手にバラすのは、ドラ男も、流石にかわいそうって言うか」
 ウチも流れで知っちゃったけど、と鉄先輩はばつが悪そうな顔をしている。
「あー……そやな」
「何!なんなんスか!」
 オレだけが蚊帳の外で、話を進めないでほしい。二人はちらりと視線を絡めると言葉を選びながら話始めた。
「水森、ドラ男がかけられたのは、さっき馬喰姉が説明した通りの薬」
「命の危険はないやつや」
「それは……良かったっスけど。惚れ薬じゃないならなんなんスか?」
「言わない」
 なんで。そう思いを込めて睨みつけるも、鉄先輩には効かない。むしろ睨み返される。
「ドラ男のプライバシーに関わるから、言わない」
「そやな。あんまり言いふらす類の話やない」
「で、でも、なんでああなっているかわかんないと対処しようがないじゃないっスか」
 正直早く治したい。それができなくても、症状は抑えたい。そうでないと、こちらの心臓がいくつあっても保たない。
 鉄先輩は、発現条件は言わないけど、と前置きして口を開いた。
「症状としては、今ドラ男は水森が好きな気持ちを抑えきれずに、色ボケムーブをかましている。それだけ」
「それだけって……大問題じゃないっスか」
「いや、水森いなきゃ普段通りだし」
「無理やり襲いかかってきたりはせぇへんから安心してや。……少しでも同意してみせたら襲い掛かられた事例あるけど」
 やっぱやべぇ薬じゃん。
「いつ治るんスか?まさか一生このままってことは」
「効力はまちまち。早い人は三日で効果切れるな。最長でも七日で、それ以上人体に成分が留まることはなかったはずや」
「寝て起きて、効果が切れてなかったらその日は一日効力続くと思った方が良いって言われた」
 つまり、最低でも三日間はあの調子ということだ。やばいな。オレの心が保つか心配になった。
 

 いくら恋に溺れていても、先輩はきちんと仕事をする。そう思っていたが、それはオレの幻想だったようだ。
「先輩、仕事してくださいよ」
「いやだ」
 いやだ、って。先輩はオレをぎゅうぎゅうと後ろから抱きしめて、離してくれない。ベッタリと成人男性を背に抱えたオレも、仕事にならない。室内の暖房も相まって、先ほどから暑いくらいだ。
 ばくばくと高鳴る心臓の音がバレないように。それを気をつけながら、オレは先輩に苦言を呈す。
「オレ報告書作んないと。集中できないからあっちいってください」
「いやだ、離れたくない」
 なんだよこの駄々っ子。普段の先輩と全く異なる言動に呆気に取られてしまう。間の悪いことに、今日の午後は二人ともデスクワークの予定だ。先ほどの顧客とのことを報告書にしなくてはならない。
 オレの仕事はそれくらいだけど、先輩は他にも案件を抱えていたはずだ。こんなことをしている場合ではないのに。思わずため息が漏れる。
「……仕事、どうすんスか?」
「やらなきゃ、とは思うんだがな。どうにもやる気でなくて」
 先輩も困っているようだ。もしかして、いや、もしかしなくても、薬のせいで仕事に対してなんらかのストッパーが働いているのだろうか?
「薬のせいで……そんな。嫌々オレに抱きついてるんスね」
「いや?抱きつきたいからやってる」
 なんなんだよ、もう。心のどこかで嬉しい、と思ってしまっているので、強く拒絶できない。完全に先輩のペースだ。
 オレが困ったようにうんうん唸っているのに、先輩は楽しげだ。弾んだ声で囁かれてしまう。
「お前が今晩、メシ行ってくれるなら、やる気でるかも」
「行く!ご飯でもなんでも行きますから、仕事してください!」
 叫ぶようなオレの言葉に、ようやく後ろにあった熱が消える。ばくばくとうるさい心臓を押さえながら、早く



 課長が会社に戻って来たのは、それから数十分後のことだった。
 その時は、宣言通りに先輩はきちんと仕事をしていたので、一見いつも通りの職場だった。
「だいたいのことは、叩き起こしたあの顧客から聞いたが、一応」
 そう言って、砂噛先輩を連れて、会議室に篭ってしまう。
 オレはというと胸のあたりがもやもやしていた。あの薬で人を好きになる条件を、教えてもらっていない。今のところ、オレ相手にしか症状がでてないけど、課長にもし惚れてしまったら。それを想像すると息が苦しくなった。
 もともと先輩は、課長にだけは態度が柔らかい。敬意を払っているのが一目でわかるし、受け答えも素直だ。二人の関係が、古くからのものであるのは知っている。阿吽の呼吸、じゃないけど、会話のテンポも速い。二人の間には、オレなんかが入り込めない。
「おつかれ」
 鉄先輩がオレの隣の席に座る。フラペチーノを差し出されたのでありがたく受け取る。本来二月に飲みたいものではないけど、激しい動悸のせいで熱った体には嬉しい飲み物だった。
 先輩も同じ物を飲み始める。さっきも飲んでいたのを見たが、どうやら買い直したらしい。医務室に行ってもらっている間に先ほどの物は溶けたのだろう。
「水森、もうちょっとうまくあしらえばいいのに」
「あしらうって……どうやって」
「さっきで言えば『オレはいつものクールな先輩の方が好きです』とか言えば、たぶん離れたよ」
 甘くて冷たいフラペチーノ。今はバレンタインにちなんでかチョコレート味が推し出されているようだ。甘ったるくてどろどろした液体を飲み下して、オレはへらへらと笑って見せた。
「そんなこと言えませんよ」
「なんで?適当に嘘つけば?」
 嘘じゃないから、困るのだ。いつもの先輩が好き。それは事実だ。
「嘘でも、先輩に好きなんて、言えないっス」
 オレの言葉を鉄先輩がどう捉えたかはわからない。よほど嫌いと捉えられたか、もっと重い感情がバレたか。
 いずれにしても、鉄先輩はそれ以上何も言わなかった。
 

 砂噛先輩が打ち合わせから出て来たと思ったら、今度はオレの番だった。
「水森さん、ちょっと」
 そう手招きされて、こじんまりとした部屋に入る。定員二名の打ち合わせ用の部屋。取調べ室ってこんな感じなのかな、と変な想像をしてしまう。
 課長はすでに座ってオレが腰を下ろすのを待っている。慌てて椅子を引くと、ぎぃと嫌な音がした。
「大丈夫でした?」
「え?はい、オレは薬浴びてないっス」
 前置きなく聞かれた言葉に、反射的に答えた。先輩が、オレの代わりに全部被ってくれた。それを思い出してずきりと胸が痛む。
 しかし、課長はふるふると首を横に振った。
「そうではなく。砂噛にセクハラされてましたよね」
 ほら、と見せられたスマホの画面には、べったりとオレの背中に張り付く先輩の写真があった。いつの間に。
「鉄から送られてきました。嫌な思いをしていないかと」
「嫌……では。困りましたけど」
 こんな時にも関わらずどきどきしていたとは流石に言えない。
「会社でやたらと抱きつかないようには注意しときました」
「あ、ありがとうございます」
 オレがいくら言っても聞いてくれなかったのに、課長の言うことは聞くんだ。そういうところは、薬を飲む前と変わっていない。
「薬の効能で、あんなですけど、戦闘能力や判断力は落ちてなさそうです。なので、明日以降も普通に出社させますがいいですか?」
「それは、大丈夫です。抱きつかれなければ、普通の先輩っスよね」
 課長は、「あんな砂噛見るの初めてなので、なんとも」と首を傾げている。課長でも見たことのない先輩を見れたのか。そう思うとちょっとだけ気分が高揚してしまう。薬のせいにも関わらず、こんなことに優越感を抱いてしまうなんて、つくづくオレはどうしようもない。
「早く、元の先輩に戻って欲しいっスね」
 自分に対する言い訳のように、当たり前のことを口にする。課長は一つ頷くと、戻った後のメンタルケアも考えないと、と呟いている。
「え、もしかして、あの薬って」
「はい、薬が効いている間の記憶は、砂噛にも残ります」
「え……それ、まずいんじゃ」
 普段からは考えられない色ボケした態度、好きでもない後輩を口説く様。正気に返ったら耐えられるものではないだろう。羞恥と怒りで、憤死するかもしれない。
 そして、そんな風に後悔する先輩を見たら、きっとオレも傷ついてしまう。ああ、オレへの好意は全部偽物だったんだな、って。
 長くても一週間でオレを好きな先輩は消える。変な期待も、勘違いもしないように。そう改めて心に誓った。
2/4ページ
スキ