ただひたすらに甘い


 ホワイトデーは、狙ったように砂噛との仕事になった。いや、向こうが狙っていたのかもしれない。顧客にアポを取る時に、砂噛のほうからこの日を提示していたのを水森は聞いていた。
 会社で振られるよりも幾分マシな扱いをされている、と水森は感じていた。今日、会社を出る前に砂噛が「ご自由にどうぞ」と紙をつけたマシュマロの箱を置いているのを見た。自分へのお返しもこれかな、と悲しい気分になりながら手を伸ばしたところ、「お前には別にあるから取るな」と砂噛に止められた。
 同じ課という距離の近さから、少しは特別扱いしてくれているのかもしれない。なんだか申し訳なさを感じながらも、水森はそれに甘えることにした。気持ちに区切りをつけるには、それなりの断り方をして欲しい。
 車に乗り込む時、後部座席に置かれた砂噛の荷物に紙袋が紛れているのが見えた。ああ、あれがオレへのマシュマロか、と水森は数時間後に訪れる別れへと思いを馳せた。

◇◇◇

 顧客との話はつつがなく終わった。契約内容を見直ししたい、という要望に対して、向こうがその条件を満たしているかの調査結果を伝えるための面談だった。結果は問題なし、向こうの希望が通る形となり、別れ際の顧客の顔は晴れやかだった。希望を叶えられなかったり、時には悪事を暴いたり、と顧客との関係が険悪になりがちな仕事なので、こんな風に平和な終わり方をできるのは、純粋に良かったなと思ってしまう。
 今日の仕事はこれで終わりだ。あとは帰るだけ、となりいよいよその時が来たんだ、と水森は覚悟を決めた。
「今日は、送るからな」
「わかってます。断りませんよ、今日は」
 砂噛が硬い声で告げてくるので、水森はなるべく明るく答えた。無理にでも明るく振る舞っていないと、決定的なことを言われた時に、泣いてしまいそうだった。
 そこからは、二人とも無言だった。これが、仲の良い先輩後輩でいられる最後の時間なのに。もったいないことをしている気がしたが、この関係を壊したのは自分なのだし、そもそもバレンタインから今日まで、ぎくしゃくしていた。
 水森はきちんと覚悟を決めて今日を迎えたつもりだったが、それでも後悔がないと言ったら嘘になる。恋心に蓋ができていれば、こんな気まずい空気ではなくて、今頃ただの後輩のふりをして話をできていたはずなのに、と考えてしまう。ただ、これ以外どうしようもなかった、とも思っている。簡単に蓋はできない、捨て去ることもできない、そんな思いだった。せめて、好きになったその人にとどめを刺してもらいたかった。
 そんな感傷を胸に、水森は助手席で外を見ていた。

◇◇◇

 結局、水森の家の前まで、ろくな会話がなかった。車が停まった時、ああ、いよいよだ、と水森は腹の底が冷たくなるのを感じた。
 砂噛はシートベルトを外して、後部座席に手を伸ばしている。予想通り、あの紙袋が水森へのお返しのようだった。
「これ、ホワイトデーの」
「あ、どうも」
 ずいっ、と渡されるまま水森は受け取った。ここで開けていいものなのか、それとも家で開けるべきか。迷っていると向こうから「開けないのか?」と聞かれてしまう。
「じゃあ、開けますね。なんか高そうな店のっスね」
「別に。オレには手作りできないからな」
 まぁ、多少料理ができてもマシュマロは難しいだろう。そんな会話をしながら、水森は包装紙を丁寧に開けていく。思ったよりも大きな箱で、マシュマロ何個入ってんだよ、とちょっと面白くなってしまった。
 水森は膝の上に箱を置いて、じっと眺めた。真っ白な箱に、店の名前だろうか、筆記体のアルファベットが並んでいる。なんだか申し訳ないくらいいいものを買ってくれたようだ。こんなに高そうな包装をされているマシュマロを初めて見た。
 砂噛が隣から、自分の手元を見ているのを感じる。そろそろ蓋を開かなくては。水森は意を決して、えいや、と蓋を開いた。
 水森の想像とは異なり、箱の中に並んでいたのは、色とりどりのマカロンだった。

 
「え?」
 呆けたような声が出てしまう。真っ白なマシュマロを想像していたのに、ピンク、緑、青、とかわいらしいパステルカラーが並んでいる。
 なんで、マシュマロじゃないんだ?あまりに予想外の物が入っていたので、水森は混乱してしまった。
 砂噛の手が自分の方に伸びてくる。その手が、自分の膝に置いた箱の上で迷うように動かされるのを、水森はスローモーションのように感じた。
「どれがいい?」
「え?あ……ピンクの」
 問いかけられた言葉に、水森は反射的に答える。頭の中ではまだ疑問符が渦巻いているし、事態がのみこめないでいる。
 砂噛の長い指に挟まれたマカロンが、顔の前に持ってこられる。パステルピンクのそれは、五百円玉より一回り大きい。一口で食べるのは少し難しい、そんなサイズだ。
 唇に、ひたりとマカロンが押し当てられる。いつものような鋭い目線に促され、水森は混乱したまま口を薄く開いた。ゆっくりと、だが確実にマカロンは水森の口内に押し込まれる。これ以上は無理だ、というところで歯を立てると、砂噛の手は止まった。
 これでは、逆だ。水森の脳裏に今まで自分が砂噛に給餌のように食べさせてきたシーンが蘇る。自分がやっていたときには気恥ずかしさがあったが、どこか軽く、ままごとのようなものだった。それを砂噛がするだけで、なぜか淫靡な雰囲気を感じてしまう。
 水森の下唇を撫で、砂噛の手は離れていく。咥えたものの、水森は固まってしまい、マカロンを食べ進めることができなかった。頭の処理容量を超えている。どうして今、こんなことになっているのか分からなかった。
「うまい?」
 その問いかけに、水森はようやく口内のものを咀嚼した。甘い。ピンクなのでいちごかと思っていたが、もっと複雑な味がする。それが何かまで、味わう余裕はなかった。
「……おいしい、です」
 水森はなんとかそう答えた。声が震えていることは、きっと砂噛も気がついているだろう。ふ、と少し意地悪げに歪められた口元にからかわれているのか、と邪推した。
 こちらの好意は、バレンタインにバレている。それを茶化すような人ではないことはわかっているが、じゃあこの行動は一体なんなのか。水森にはわからなかった。
 もしかして、砂噛はマカロンを渡すことの意味を理解していないのかもしれない。以前それとなく、ホワイトデーに渡すものの意味を教えたが、嫌そうな顔をしていたので、すぐに忘れてしまったのかもしれない。
 そんなことを考えていると、向こうから先に言及されてしまう。
「悪いが、リクエストされたマシュマロは渡せない」
 水森を射抜く視線は、真剣そのものだ。売ってなかった、とかそんな理由はないことがわかる。向こうもきちんとホワイトデーの意味を考えて、この選択をしたのだと実感させられた。
 これは、期待していいのだろうか。想像もしなかった展開に、心が着いて行かない。期待と不安がないまぜになって、息が苦しい。水森は胸を押さえた。
「……意味、わかるよな?」
 砂噛の目が、楽しげに細められる。ずるい。こちらの好意を確信している相手は余裕が見える。自分はあんなにも悩んで、覚悟して、そうして思いを告げたのに。水森はわざと拗ねたような声を出した。
「わからないっス。ちゃんと、言葉にして」
 目の前の相手は、意外そうに眉を顰めたが、余裕そうな表情は崩さなかった。そうして、あっさりと口を開く。
「好きだ。これで伝わるか?」
 勝てない。水森はそう感じた。真っ直ぐに伝えられた言葉には嘘がなく、そしてそれを水森に確認されることにもためらいがなかった。先ほどはずるいと感じてしまったが、砂噛の方も真剣に自分に向き合っているのが伝わってきた。
「お前は?」
「え?」
「言葉にしてくれないのか?」
 そう言われて水森は焦った。自分の気持ちはバレンタインに確かに伝えている。「本命だ」と言ったはずだ。もう一度、それを言えというのか。そう考えて、すぐにその考えを自分で否定した。いや違う。砂噛が求めているのはきっと先ほど自分がもらったのと同じく、ストレートな言葉だろう。
 水森は一度深呼吸した。そうして砂噛の目を真っ直ぐに見て静かに口を開いた。
「……オレも、好きです」
 自分の言葉を受けて、想い人が嬉しそうに目を細める。その顔が、あまりにも幸せそうで、水森もようやく、自身の幸せを実感することができた。

 お互いに好意を伝え合ったのち、数十秒の沈黙が落ちた。なんとも言えない気はずかしさがあり、水森は口を開けなかった。
 一方の砂噛は、大きくため息をついたかと思うと、ハンドルにもたれるように突っ伏した。
「え、どうしたんスか?」
「緊張が解けた」
 俯いているからかくぐもった声が聞こえる。あんなに余裕があるように見えたのに、緊張していたのか。水森は意外に思った。
「オレの気持ちわかっているのに、緊張したんスか?」
「した。だって、お前、振られて逃げようとしてただろ」
「逃げ……」
 人聞きの悪い。水森はムッとした。だが、確かに振られて、自分の気持ちを清算しようとしていた。付き合うなんてことこれっぽっちも考えていなかったし、振られた後は砂噛との距離感も見直そうと思っていた。
「ホワイトデーの前に、返事しようとしたら実際逃げたし」
「あれは……まぁ」
 確かに、そんなこともした。断られるとばかり思っていたし、砂噛の時間が欲しくて。
 砂噛はもう一度ため息をついて顔を上げた。そして水森の膝の上を指差した。
「気が抜けたら腹減った。それ一個くれ」
「オレにくれたお返しなのに」
 苦笑しながらも、水森はマカロンの箱を砂噛に差し出した。だが今できたばかりの恋人は、それを受け取ってくれない。
「食わせて。今までみたいに」
 少し甘えたような物言いに、水森はぎくりとした。そんな風に言われてしまうと断れない。だが、先ほど淫靡だ、とまで感じた行動をするのは躊躇われた。
 今まで、を意識しながら、震える手で薄い緑のマカロンをつまむ。砂噛がしてくれたように、色を選んでもらう、なんて余裕はなかった。
 大丈夫、口に入れて、すぐに手を離して、それが今まで通りだ。そう言い聞かせながら、水森はゆっくりと砂噛の方へと腕を伸ばす。
 手の震えが収まらない。かわいらしい緑が小刻みに揺れている。水森が焦れば焦るほど、その動きは大きくなるように感じられた。
 砂噛の目線を感じる。呆れているのだろうか。怖々と目を合わせると、捕食者の目が水森をとらえた。
「……!」
 不意に手首を掴まれる。そのまま手を固定され、マカロンは砂噛の口へと運ばれる。
 砂噛が咀嚼している間も、手は離してもらえない。痛いくらいに強く掴まれた手首は、そこだけ熱く感じた。
 水森が呆然とした様子で見つめていると、視線は逸らされないまま、砂噛がごくりと喉を鳴らした。食べ終えたようだが、その目はまだ飢えている。
「もう逃がさないからな」
 ああ、ダメだ、オレの負けだ。砂噛の声を聞いて、水森はそう思った。
 恋愛に勝ち負けがあるとしたら、成就するか否かだと、水森は考えていた。しかしそんな単純な話じゃなかったと痛感した。
 砂噛の言葉に、行動に、逆らえない。逃がさないと言うのなら、たぶん一生逃げられない。そうして、それでもいいかと思ってしまっている自分がいる。
 手首を掴んでいた手はいつのまにか肩に回り、体ごと引き寄せられる。それに逆らえないまま、水森は目を閉じた。
 
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