ただひたすらに甘い


 顧客の元に向かう方法は、人それぞれだ。その方法は社会人である二人が決めるのが常だ。穂村と一緒に行動する時は、電車での移動が多い気がするが、砂噛と組む時はだいたい社用車を出してくれる。運転に対する苦手意識の差だろうな、と水森は踏んでいた。
 今までは電車でも車でも、別に水森にはこだわりはなかった。だが、バレンタインが終わってから、車での移動を少し躊躇うようになった。
 車は、簡易的な密室である。告白し、振られようとしている相手と一緒に過ごすには苦しい場所だった。特にバレンタインが終わってすぐは、砂噛が告白への返答をしようとするので困ってしまった。
 散々避けて、耳を塞ぎ、なんなら車から降りる姿勢を見せて、返答を拒絶した。最後にはきちんと振られるつもりではあるが、ホワイトデーまではこの関係性でいたかった。
 そうした気持ちを汲んでくれたのか、砂噛はホワイトデーに返事をすることを了承してくれた。水森は安心したものの、一度感じた気まずさは消えず、車中の雰囲気は今日も重いものだった。

 雰囲気が重かろうが、食欲は消えてくれない。水森は鞄から間食用の菓子を取り出した。
「お前、バレンタイン終わったのにチョコ食べてんだな」
 運転席の砂噛から声をかけられて、水森は少し泣きそうになった。告白前と変わらない、なんでもないような会話だ。もうすぐ、こんな会話もできなくなるのかと思うと感傷的になってしまう。
 変に思われないよう、いつも通りを心がけて水森は返事をした。
「バレンタインが終わったから、安くなってんスよ」
「余り物かよ」
 砂噛はこちらを見ないまま鼻で笑う。そのまま何か言いかけて、結局何も言葉にせずに砂噛は口を閉じた。
 以前であれば、水森が何か食べていると、必ず一つ寄越せとねだられた。信号待ちの最中に、砂噛の口元に菓子を運んでいくのは、水森の密かな楽しみだった。恋人同士のように甘い雰囲気ではなく、餌やりのようなその行為は、いつの間にか始まって二人の間で定着した遊びのようなものだった。
 砂噛があの行為をどう思っていたのかはわからない。ただ、水森にとっては、好きな人との接触が許される、貴重な機会だった。だから、相手が好きだと言った菓子はリピートして買ったし、苦手だと言ったものは避けてきた。
 だが、バレンタインの告白から、それもなくなってしまった。さすがに砂噛も気まずいのだろう。
 今日水森が食べているのは、砂噛が苦手な甘ったるいチョコだ。どうせねだられないので、気を使わずに選んだ。口の中で溶ける甘味に集中し、少しの間水森は気まずさを忘れた。
 
 顧客の元に行った後、水森はだいたい直帰する。定時は過ぎているし、水森がまだ学生ということもあり、穂村からそうするように指示されていることが多い。
 この日も、顧客との話が終わると、外は暗くなっていた。定時から一時間も過ぎていないのに、夜のようだ。ここからなら、最寄り駅まで一本で帰れるな、と水森はスマホで帰りのルートを調べた。
 そんな水森の方を見ずに、砂噛が声をかけてくる。
「車で送ろうか?暗いから」
 ぶっきらぼうにかけられた言葉は、こちらを気遣うもので、水森は複雑な気持ちになった。
「大丈夫ですよ、ちゃんと帰れます」
 今までは少しでも一緒にいたくて、素直に甘えていた申し出を、水森は断った。
 あと数日でホワイトデーだ。振られたら、さすがに今までのような距離感ではいられない。そう考えて、適切な距離、というものをちょっとずつ測っていた。
 水森の返事に、砂噛は眉を顰めている。気まずいのだろう。告白してきた相手にまで気を遣ってくれるのはありがたいが、向こうの気持ちを勘違いしてしまいそうだ。
「じゃあ先輩、お疲れ様でした」
 未練を断ち切るように、水森は砂噛に背を向けた。
「……気をつけて帰れよ」
 抑揚のない砂噛の声に、水森は申し訳なさと、それと同じくらいの喜びを感じた。
 砂噛は今、なんと言って自分を振ればいいのか、思い悩んでいることだろう。傷つけないように、仕事に支障が出ないように、そんな気遣いをしてくれている気がする。
 思い悩ませるのは申し訳ない。けれど、せめて、決定的なことを言われるその日までは自分のことで頭をいっぱいにして欲しい。歪んだ欲望だとは自覚していたが、それでも水森は振り返らずに帰路についた。

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