下世話な話

 先輩後輩というのは難儀なものだ、と東雲は考えている。どれだけ自分が歳を重ねても、役職が上がっても、関係性が崩せない。普段は意識していなくても、砂噛の前に立つと、自分がまだ未熟者だった時に、タイムスリップするような感覚がある。だからか、経験を積んで、部下を持って、それなりに落ち着きと威厳を身につけたはずなのに、いまだに砂噛には敬語が抜けないし、後輩ムーブをしてしまう。
 別にそれ自体は構わないと思っていた。向こうも相変わらずの強さだし、今でも尊敬に値する先輩だとも感じている。自分は今役職が付いているが、砂噛はそんなことで態度を変えてこない。そのことも、嬉しかった。
 だが、最近、東雲はこの先輩との関係を見直したほうがいいかな、と考え始めている。なんなら、しばらく距離を置きたいくらいだ。
 いや、仕事で一緒になる分には構わない。実力も知っているし、頼りになる。よく知っている相手なので、やりやすいな、と思う面も多い。問題はプライベートだ。一緒にダーツに行くくらいには可愛がってもらっていたが、あの時と今とでは勝手が違う。
 そんなことを考えながらも、東雲は砂噛の飲みの誘いを断れない。いや、仕事があれば断っている。だが、予定がない時に誘われると、逃げきれない。この辺りの反応が、後輩として染みついたもののせいだろうな、と東雲は感じている。
 そうして今日も、気乗りしない約束のために、東雲は飲み屋に入った。

「おつかれ」
「お疲れ様です、待たせました?」
「いや、そんなに」
 完全個室と表に書かれていたのに、飲み屋の席はすだれで仕切られている程度だった。左右のスペースから、すでに出来上がった酔客の声が漏れ聞こえる。
 別に仕事の秘密情報を話すわけでもないので、個室にこだわる必要はないのだが、少し気を張ってしまう。今から話す内容は、周りに聞かれたくない。恥ずかしいので。
 先に席に着いている砂噛はそんなこと一切気にしていない。メニュー表を広げながら、「とりあえず適当に選んで注文していい?」と聞いてくる。
「すみません、オレがしますよ」
 身についた後輩としての立ち居振る舞いで、メニューを受け取ろうとするがかわされる。
「いや、いいって。注文くらい」
 学生の頃から体育会系の上下関係を叩き込まれた身としては、この手持ち無沙汰な時間が居心地が悪い。砂噛はそんなこと頓着していないようで、店員を呼んでビールと軽いつまみを頼んでいる。砂噛とて、穂村に対しては過剰なくらい気を使っているので、そういう上下関係は理解しているはずだ。だが、後輩に対してそれを押し付けてくることはない。こういうところはいい先輩なんだけどな、と東雲はこの後のことを考えてげんなりした。
 
 お通しとビールが届いたので、まずは乾杯をすることにした。
「改めて、おつかれ」
「お疲れ様です」
 ジョッキを軽く持ち上げて、乾杯の挨拶とする。口をつけると、舌を刺す炭酸と苦味を感じた。疲れた体には、最高のご褒美だが、今日は味わう気になれない。
 目の前の砂噛は、ごくごくと喉を鳴らしてビールを飲んでいる。長い付き合いなので、地球の酒で酔わないことは東雲も知っている。それでも飲むのは、場の雰囲気を壊さないため、と以前言っていた気がするが、その割にはうまそうに飲むので、単純に酒の味が好きなのかもしれない。
「お前、最近仕事どうなの」
「人手不足ではありますが、まぁ、順調ですね」
 周りに人もいるので、細かい話はしない。砂噛の方も、自分で聞いておきながら「ふーん」と気のない返事だ。東雲もこれが先ほどの乾杯と同様に、一種のお決まりの話題で、本当に興味があるわけではないことは分かっていた。
「先輩の方はどうですか?」
 聞かれたからには、東雲も聞き返さなければならない。正直、聞きたくないのだが、上手いかわし方が彼にはわからない。
「まぁ、普通。先週水森と出張行った」
 出たよ、水森。東雲は顔に出ないようにと、注意しながら話に耳を傾けた。最近の飲み会はいつもこうだ。いつの間にか、水森の話題が出ている。それだけ、目の前の相手の頭は、年下の恋人のことが占めているのだろう。
 呆れたような、いっそ清々しいような、そんな気持ちになりながら、東雲はビールに口をつけた。

 砂噛が現在所属している部署は、STARSと異なる雰囲気だと東雲は感じている。なんというか、上下関係が緩い。課長が年若いというのも起因しているかもしれないが、根っからの体育会系である東雲には、鉄が先輩である砂噛に敬語がなしで話しかけていることが信じられなかった。
 水森のほうは、鉄よりはまだ上下を意識しているらしく、敬語を使っているのを見たことがある。それでも、なんと言うか、砂噛に対する気やすさが自分とは違う。砂噛の見た目が若いことも起因しているのかもしれないが、話を聞く限りまったく物怖じしていない。
 東雲は、砂噛との今の関係性に不満はないし、敬語を崩したいとも思っていない。単に歳が上というだけではなく、砂噛の戦闘能力はいまだに高いと思っているし、それは尊敬に値する。それだけで敬語を使う理由としては十分だ。
 そう、尊敬はしている。だが、それと無限に惚気ともつかない話に耐えられるかは話が違う。
 早く、この時間が終わりますように。東雲はそんなことを願いながらビールを減らしていった。

◇◇◇
 
 東雲は水森本人に会う前から、水森のことを知っていた。昨年元日の雪山で再会した砂噛と、せっかくだからと飲みに行った時に盛大に惚気られたからだ。いや、その当時は砂噛と水森は付き合っていなかったので、惚気というのは正しくないかもしれない。
 とにかくかわいい、水森という後輩がいる、とまるで懺悔でもするかのように目を伏せて告げられた時には、ひどく驚いたものだった。砂噛はSTARSにいた時からやたらモテていたが、言い寄られて、付き合って、そうして別れてを繰り返していた気がする。砂噛が彼女に入れ込むことなど一回もなかったし、まして惚気てくることなんてなかった。
 そんな先輩をここまで骨抜きにするなんて、一体どんな美人なんだ。東雲は好奇心から写真を見せてほしいとお願いした。砂噛は拒否することなく、自分のスマホを差し出してくる。
 ドキドキしながら画面を見た東雲はそのまま数秒固まってしまった。液晶に映るのは、どこからどう見ても男子高校生だ。MESだろうか片耳にピアスをつけ、髪色を明るくしている彼は、少し軽薄な印象すらある。とてもじゃないが、かわいい、という感想は出てこなかった。
 写真の選択ミスでは?と思い指摘しようとするが、それよりも早く砂噛が口を開いた。
「その写真、ラーメン屋に一緒に行った時に撮ったんだ。かわいいよな」
 東雲はもう一度手元のスマホを見た。画面の中の高校生は確かに箸を構えて、ラーメンを口に運ぼうとしている。どうやら、この高校生が水森でいいらしい。か、かわいいのか?
「先輩、昔彼女いましたよね?」
「昔な。今は別れてるんだから、別にいいだろ」
 東雲は、遠回しに性的指向が女性だったよな、と確認したつもりだったが、相手には通じない。
「一応確認ですが、この水森、は男ですよね」
「そうとしか見えないだろ?」
 だめだ、通じない。東雲は諦めて直球で聞いた。
「先輩、男が好きなんですか?」
 いや、彼女がいたからバイセクシャルなのか?いずれにしても、センシティブなことだ。聞いてしまったが、不快に思ったかもしれない、と東雲は相手の反応を伺った。しかし、砂噛の答えは至ってシンプルだった。
「こいつ以外の男に興味はない。男女合わせて考えてもダントツでこいつだけかわいい」
「あ、そうなんですね」
 そう言い切られてしまうと、もう、東雲から言うことはなかった。

 それから、折に触れて砂噛と飲みに行っていた。後輩に骨抜きになっている先輩、というのは今までのイメージが崩れてしまったが、最初のほうはそれを面白がっていたし、歓迎していた。彼女がころころ変わっていた時に比べれば、一途な態度だし、何より人間味が感じられて、嬉しかった。
 しかし、そう思えたのは最初の数回だけだった。
 今までモテて来たのが仇となったのか、砂噛はとにかくアプローチが下手だった。そのくせ、水森のことを好きな気持ちは募るばかりで、つらつらとあれがかわいかった、これがかわいかったと語り出す。
 めんどくさい。それが数回の飲み会を経た東雲の感想である。何度語られようと、東雲は水森がかわいい、とは思えなかったので、共感できない話をつらつらとされるのは苦痛だった。また、男ならビシッと決めて欲しいと、ある種先輩への理想の押し付けにはなるが、砂噛の遠回しな態度もいただけなかった。
 だから、砂噛から「水森と付き合うことになった」と報告を受けた時には、自分のことのように嬉しかった。ああ、これでようやく苦痛ばかりの飲み会から解放される、と。
 そんなことは、全くなかった。付き合ってからも、砂噛はますます水森のことをかわいいと思っているようだったし、今度はどうやって手を出せばいいのか、と進め方を悩んでいるようだった。
 勘弁してくれよ。

 そうして、今日の飲み会も、今までと変わらずに、水森の話題が出ている。
 砂噛の惚気はとても分かりにくい。顔に全く照れが出ないのだ。真顔で「かわいい」と繰り返すので、聞いているこっちが戸惑ってしまうほどだ。
「先輩、相変わらず水森の顔、好きなんですね」
 あんまりにも、容姿を褒めるので、ぽろりと東雲がこぼすと、砂噛は首を傾げた。
「顔もだけど、あいつ、性格もかわいいだろ?」
「え?」
 思わず、疑問の声をあげてしまった。どこか気安く、それでいて熱いところもある。砂噛から聞いた話から、東雲はそんな人物像を作り出している。かわいい、というような性格ではなかったはずだ。
「覚悟決まっているところも、こっちを振り回すところも、どこかにぶいところも、全部」
 そう言いながら、砂噛は先ほど出てきた𩸽の干物の身を解している。その表情に相変わらず照れはない。東雲はまるで、当たり前のことを説かれている、そんな気分になってしまった。
「そうなんですね……」
 否定も肯定も出来ず、東雲が発せた言葉はそれだけだった。料理は出てきたばかりだが、すでに別の意味でお腹いっぱいで、帰りたかった。
 
◇◇◇

 なんとか、水森以外の話も交えながら、飲み会は進んでいった。惚気さえなければ、砂噛との会話は楽しい。お互いのバックグラウンドも知っているし、仕事のことも話やすい。
 そうして、酒が回ってきた時、東雲は少し油断していた。
「その傷、どうしたんですか?」
 だし巻きに箸を伸ばす砂噛の右手に、赤い線が数本入っている。頑丈な砂噛に傷が付いているのは珍しく、東雲はつい聞いてしまった。
 砂噛は特に気にした様子もなく、普段通りのトーンで答えを返して来た。
「この前、急にたたせてくれって言われて」
「何をですか?」
「だから、ナニを」
 砂噛は平然と、自身の下半身を指差す。そこまで言われれば、東雲だって何をさしているかわかる。くそ、失敗した。自分から、猥談の導入を振ってしまった。
 目の前に座る砂噛の表情はいつもと変わらない。相好を崩すとか、でれでれするとか、もっと表に出してくれれば何を考えているかわかるのに。
「なんで、そんなことになったんですか……」
 惚気というにはあまりにも突拍子もないシチュエーションだったので、東雲は聞いてしまった。確か、砂噛の話では、二人はまだセックスに至っていなかったはずだ。前回の飲みから、事態が進展したのかもしれない。
「いや、今、アナルの拡張待ちなんだけど」
「先輩、もう少し歯に衣着せた言い方でお願いします」
 あんまりにも直接的な言い方に東雲は閉口した。ここは個室ではない。別に、個人の飲み会にコンプライアンスも何もないが、もう少し言い方に気をつけてほしい。
「……後ろの開発待ちなんだけど、どこまで広げればいいか知りたいって言われて」
「はぁ」
「参考にするから、こう、勃てろと」
 東雲は頭が痛くなって来た。聞けば聞くほど、意味がわからない。下世話な話のはずなのに、砂噛の淡々とした語り口も相まって、ものすごく作業感が強い。
「……そんなんで勃つんですか?」
 東雲の疑問に、砂噛は目を逸らした。あ、勃ったんだ。気まずそうな反応で分かってしまった。
 砂噛は言い訳を始めた。ちょろい奴だと思われるのは、心外とでも言うように。
「そんな言われてすぐに勃たないって断ったんだ、最初は」
「……でも、勃てたんですね」
「仕方ないだろ。あんなかわいい目で言われたら断れない」
 ちょろいなこの人。聞けば聞くほど、頼れる先輩から、恋に溺れた男に印象が変わっていく。最近の飲み会はずっとこんな感じだ。
 東雲はジョッキを持ち上げて、ため息ごとビールを飲み下した。

 いろんな言葉を飲み込むのに使っていたためか、いつの間にかジョッキは空だ。東雲は、三杯目のビールを注文した。もっと酔いを回したい。とてもじゃないが、理性を保った状態では聞いていられない。
 店員が去るのを待って、砂噛が続きを話始める。
「まぁ、そうは言っても、ほっといても勃たないわけだ」
 それはそうだろう。いくら砂噛が水森にベタ惚れだからと言って、見つめられただけで反応するようなことはない、と信じたい。
「で、普通に手で扱いてたんだけど」
 東雲はその場面を想像した。服を着込んだ恋人同士が、部屋の中に向かい合って座る。砂噛はズボンの前だけくつろげて、恋人の前で勃起するために、ひたすら手を動かす。それを冷静な目で観察する水森。なんというか、エロティックを通り越して、いっそシュールだ。
「それで……」
「それで?」
 砂噛が言い淀んでいる。珍しい、と思った。後輩への懸想も、恋が成就した後のあれこれも、全て赤裸々に話してきたのに。
「最初はあんまり興奮しなかったんだけど。水森が『手伝いますね』って手を重ねてきて」
「はぁ」
 なんか急に生々しい話になってきたぞ。
「気がついたらキスしてたし、勃起してた」
 AVの導入かよ、と思いながら東雲はビールを口に運んだ。合わせるようにして、砂噛もジョッキを持ち上げる。
 飲み会の場で、猥談になるのは多々あることだ。同性同士の場では特に。彼女とこんなプレイをした、なんてそれこそ学生の頃から数多の先輩に聞かされてきた。だが、それを笑い話として聞けるのは、相手の顔を知らないときだけだ。後日「これが彼女」と紹介されると、途端に今までの下世話な話に現実味と質感が加味される。そうして一方的に申し訳なさを感じることになるのだ。
 今回の場合は、砂噛と水森が付き合う前から、水森のことを知っていた。それこそ、見かけただけで、直接のやり取りはほぼないのだが、それでも聞いていて背徳感が掻き立てられる。
 東雲としては、正直もうお腹いっぱい、勘弁してくれ、という気分だったが、話はまだ終わらないようだ。喉を潤した砂噛が再び口を開いた。
「で、オレの弄っているうちに、まぁ、それなりの大きさになったんだけど」
 東雲は、砂噛のモノの平常サイズを知っている。卑猥な関係ではない。単純に、トイレで見えてしまうのだ。勃たせる前からご立派、と言っていいサイズだったはずだ。それなりの大きさになったら、それは凶器だろう。
「水森が怯え始めた」
 それは、仕方ないのでは?と言いたかった。聞く限り、水森はもともと男性が好きというわけではなさそうだ。男を受け入れた経験もなく、グロテスクなサイズのものを見せられたら、恐怖を感じても仕方がない。
 
 砂噛はきゅうりの浅漬けを口に運んでいる。こんなに生々しい話をしながら、食事を続けられるのは豪胆とうかなんというか。東雲の方はというと、水森への申し訳なさと、哀れみであまり箸が進まなかった。仕方ないので、酒を口に運ぶ。もっと強い酒の方がいいかもしれない。
「……それで、どうしたんですか?」
 全く聞きたくなかったが、最後まで聞かないことには、きっと終わらない。そもそも、先輩の話の途中で、相槌をサボることなど、体育会系の立ち居振る舞いが身についてる東雲にはできなかった。嫌な性分である。
「いや、まぁ、宥めようと思って、キスしてたんだが」
「はぁ」
「そうしたら、向こうも反応し始めて」
「なるほど」
 何がなるほどなのかわからないが、東雲はいちいち頷いてみせた。砂噛にも水森にも共感できないのだからしょうがないじゃないか。誰に言うでもなく、東雲は毒づいた。
「向こうも辛そうだったから、こう、まとめて手淫してたら、抵抗されて引っ掻かれた」
「そうなんですね、よく分かりました」
 いや、もうそれ以外になんて言えっていうんだ。

「それ以来、ちょっと怯えてんだよな、あいつ」
 そう言うと、砂噛は小さくため息をついた。東雲は警戒した。これは、今から悩み相談に転がっていくのか?それとも引き続き惚気か?どっちにしても聞きたくないのだが、どちらかによって相槌が変わる。
 東雲は恋愛経験が少ない。だから、相談されても何も答えられないし、相槌を打つしかない。ちなみに、相談された時の相槌は「大丈夫です」「がんばってください」の二種のみだ。
「声かけると目を逸らすし、偶然手が触れるとすごい勢いで引っ込める」
 それは、ちょっとどころでないのでは?東雲は思ったが口にしなかった。
「少し、泣きそうな表情を見てると、なんか」
「だ、大丈夫ですよ。そのうち慣れますって」
 これは、相談事だ。そう判断した東雲は、勢いよく用意していた言葉を口にした。
「かわいくて、死ぬかと思った」
 惚気だった。砂噛は何かを耐えるように、眉間を揉んでいる。その表情はどこか憂いを含んでいるように見えて、色気すら感じるのだが、実際には年下の恋人に骨抜きにされて、かわいさに悶えているだけだ。
 この人、数年前まで来るもの拒まず、去るもの追わず、してたって信じられるか?東雲は、人って変わるんだな、としみじみ感じた。
「でも、そこまで怯えられると、手を出しにくいんじゃないですか?」
「まぁな。でも、あの顔見てたら、しなくてもいいかと思い始めた」
 かわいいけど、怯えられるのはな。そんなこと言いながら、聖人君子のような言葉まで発している。先ほど、恥ずかしげもなく、自身のモノを勃てた話をしていた人物とは思えない。
 東雲は、この相談だか惚気だかわからない話の適切な相槌を打つことを放棄した。
「そうですか、がんばってください」

◇◇◇

 その後も、仕事の話と水森の話を三対七の比率で繰り返され、東雲はついにギブアップした。
「先輩、もうお腹いっぱいです」
「もう?お前最近食えなくなったな」
 東雲としては、この惚気話全般に対して言ったつもりだったが、砂噛は食欲として捉えている。東雲はあえて訂正しなかった。げんなりした気分のせいで食欲のほうもなかったし、何よりもう帰りたかった。
「なんか〆に頼む?それもやめとく?」
「じゃあお茶漬けだけ」
 こういうところは、変わらない。自然な態度で気を回してくれるので、なんだかんだ面倒見のいい先輩だ。そんなところを見せられるから、いくら惚気られても、この人との飲み会を強く断れないんだろうな、と東雲は自嘲した。

 お茶漬けは、梅茶漬けだった。程よい酸味が、疲れた体に染み渡る。主に、疲れているのは精神なのだが、そこも癒してくれる気すらする。
 そういえば、と東雲はずっと聴きたかった疑問を口にした。
「先輩、地球人と付き合うリスク、どう考えてんですか?」
「どうって?」
「水森がうちで働いているうちはいいですが、もし辞めることがあったら、その時は記憶消されますよね」
 要するに、退職とともに別れがやってくることになる。こんなにベタ惚れで執着している相手を、砂噛は諦めきれるのだろうか。東雲には想像できなかった。 
 砂噛は口角をちょっと上げて、笑ったような表情を見せた。だが、目が笑っておらず、そのちぐはぐさが東雲に不安を与えた。そんな気持ちを知ってか知らずか、砂噛は試すような物言いをしてくる。
「攫うって言ったらどうする?」
「勘弁してくださいよ、オレ、先輩のこと捕まえたくないです」
 軽く言われた言葉に反射で返してから、東雲は気がついた。この言い方だと、意味することは。
「へぇ、お前、オレを捕まえられると思ってんだな」
 砂噛のことを軽んじているつもりはない。今も尊敬しているのは事実だ。だが、戦闘員として最前線に居続けた自分と、それ以外の業務もしている砂噛。経験の差は着実に貯まっているだろう。今の自分ならおそらく目の前の先輩に勝てる。そう、無意識に考えていたことに、東雲は自分で驚いてしまった。
「頼もしいな」
 先ほどと異なり、砂噛は楽しげに笑っている。失礼とも取られかねない発言であったにも関わらず、そこに対する怒りは一切ないようだった。むしろ、東雲の成長を喜ぶような、そんな。
 ああ、やっぱりこの人はいつまで経ってもオレの先輩なんだ。東雲はそう痛感し、次も誘われたら、きっと飲みに来てしまうんだろうな、と漠然と考えた。 
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