ロマンチストでリアリスト
結局砂噛はその晩一睡もできなかった。
リビングのソファで、鳴らす必要のなかったスマホのアラームを止めて、砂噛はため息をついた。カーテンの外はまだ暗く、冬の朝らしい冷え込みを感じた。
昨晩の出来事を思い出して、砂噛は恥ずかしいような、もどかしいような、いろんな感情がないまぜになった状態で顔を覆った。
あの後、水森の要望に応える形で、深いキスを繰り返した。唇を離すと、上気した頬でこちらをぼんやりと見つめてくる恋人は、破壊力抜群でかわいかった。
衝動的に押し倒したくなるが、ぐっと堪えて、砂噛はベッドから降りた。流石に待つと宣言したばかりで反故するわけにはいかない。
「一緒に寝ないんですか?」
先ほども聞かれた質問に、頭を抱えたくなった。水森は、不思議そうに、そして少し寂しそうにこちらを見ている。さっきまで蹂躙するようなキスをしてきた相手に、なぜそんなにも純粋に信頼をおけるのか理解できなかった。
「あのな、待つって言ったけど、オレはいつでもお前を抱きたいんだよ」
「え?」
水森の虚をつかれたような顔を見て、やっぱり自分と相手の性欲には差があるな、と砂噛は感じた。別にその差が愛情の差とは思わない。水森のほうは未知の体験だということもあり、恐怖も感じているのだろう。
だが、こうも純粋に理性を試され続けては身がもたない。約束を反故することだけはしたくないので、このできっちり、釘を刺しておかなくては。
「頼むから、ちゃんと『待て』させてくれよ」
「は、はい」
何を言われているのか、ようやく理解したようで、水森は顔を真っ赤にしている。ああ、また、そんなかわいい顔して。
おやすみ、とだけなんとか告げて砂噛はリビングへ向かった。気持ちが昂って、やっぱり今夜は寝られそうにないな、とため息をついた。
◇◇◇
砂噛が起きてから、程なくして水森もリビングに現れた。眠たそうにふらふらしている。
「お前、朝弱いんだな」
「……や、あんま寝れなくて」
目をこすりながら、水森が答えてくる。枕が変わると寝られないたちなのだろうか。
「寝にくかったか?」
「あ、いや……えーと」
水森は、言いにくそうに口篭っている。そうしてちらりと砂噛を見ると、「先輩が寝る前にあんなこと言うから」と恨みがましいような声でぽつりとつぶやいた。
「なんだ、襲われると思ったのか?」
「いや、さすがにそこまでは。信じてますし」
いや、警戒しろよ。純粋な信頼を向けてくる相手に、苦言を呈したくなってしまう。砂噛も、約束は守るつもりだが、万が一、と言うことがある。彼は自分自身を信用していない。
「先輩は寝れました?」
「いや……」
お前のことを思って悶々としていた、が正直な答えになるのだが、そんなことは言えない。後輩は「やっぱソファは寝にくいですよね」と一人で納得している。
「オレ、次は眠れると思います」
水森は呑気に、次、と口にしている。次、あるのか。休日前だけ受け入れようと砂噛は心に決めた。次も自分はきっと眠れない、と彼は理解している。
「その時はオレがソファで寝ますね」
「いや、ベッド使えよ」
なかなか頷かない後輩に焦れながら、砂噛はほっとしていた。昨夜の淫靡な雰囲気はなく、ただの先輩後輩としての会話ができている。食べてしまいたい、と言うような衝動も消えてただただかわいい後輩の顔を、穏やかな気持ちで眺めることができた。
◇◇◇
両者寝不足という最悪のコンディションではあったものの、予定通り水族館に向かった。水森たっての希望で、電車を二回乗り換えて他県まで赴いたのだが、予想以上に小さい水族館に拍子抜けした。
今は、深海魚の企画展をやっているというが、あまり人は入っていなかった。
異形と言っていいような、変わった魚の数々を眺めながら、砂噛はあくびを噛み殺した。水族館は、基本的に暗く、眠気を誘う。
「お前、深海魚好きなの?」
「いえ、特別好きってことはないですね」
そう返事をする水森も眠そうだ。ここに来るまでの電車でも、少し眠っていた。乗り過ごさないように、という建前の元、砂噛は起きてそのまま水森の寝顔を眺めていた。
「じゃあ、なんでわざわざ来たんだよ」
「……先輩好きかなって」
砂噛は首を傾げた。そんなこと、言ったことがあっただろうか。
「最初のデートで、美術館行った時に外星人が描いたやつ混ざってて面白いって言ってたじゃないですか」
確かに言った。外星では平凡な絵が、地球では斬新とされるのが面白いなと思ってのことだった。
「なんか、宇宙が感じられるものが見たいのかな、と思って。ほら」
そう言って、水森は企画展のパンフレットを見せてくる。『まるで宇宙人 深海魚の世界』と確かに書いてある。
「いや、こんなやついないからな」
「そうなんスねー」
呆れた口調の砂噛に、水森は気にした様子もなく答えている。なんだこいつ、気を遣っていたのか。そう考えると、いじらしいなと思ってしまう。
「今度は動物園でコモドドラゴンとか見ます?」
「見ない。行かない」
いや、いじらしい、というよりいじって来ている。砂噛は生意気な後輩の頭を軽くはたいた。
「お前の行きたい所でいい」
「えー、先輩そればっかりじゃないっスか。……オレと遊びに行くの楽しいですか?」
急に真面目な顔をして聞いてくる。心臓に悪いやつ、と砂噛は緊張で口が乾くのを感じた。答えを間違えられない問いを、いきなり入れ込んでくる。
「お前が楽しそうにしているのを見るのが、楽しい」
変な誤魔化しが効かないので、素直に答える。正直、どんな表情を見ていてもかわいいな、と思ってしまうのだが、やはり一番は楽しそうにしている顔だ。
「だから、気にせずにお前が行きたいところ選べよ」
砂噛は、別に特別なことを言ったつもりはなかった。本音であったし、今までのデートも楽しかった。自分の選んだデート先が水森には不評と言うことも初回で理解していたし、その方がやりやすかった。
だが、水森は、その言葉に、なんともいえない表情をしている。怒ったような、恥ずかしいような、そんな複雑な感情を見せている。水族館の薄暗さが憎たらしい。きっと今、赤面しているんだろうな、と感じた。
「先輩、たまに、すごくオレのこと好きみたいなこと言う」
「たまにか?」
別に隠すつもりはなかったし、伝わっているものと思っていた。水森が言う『すごく』がどの程度を指すかわからないが、多分水森が想像しているよりも強い感情を抱いている。
「伝わってないなら、今日も言わなきゃな」
「何をです?」
砂噛は水森の耳に口を寄せた。閑散とした水族館に感謝した。この距離感で話していても、奇異の目を向けてくる他人がいないのはいいことだ。
「お前が、すごく好きだって」
途端に距離をとって、耳を抑える後輩は、ぱくぱくと口を開閉している。きっと真っ赤になっているであろうその表情を見て、砂噛は、やっぱりこいつとのデートは楽しいな、と感じた。
リビングのソファで、鳴らす必要のなかったスマホのアラームを止めて、砂噛はため息をついた。カーテンの外はまだ暗く、冬の朝らしい冷え込みを感じた。
昨晩の出来事を思い出して、砂噛は恥ずかしいような、もどかしいような、いろんな感情がないまぜになった状態で顔を覆った。
あの後、水森の要望に応える形で、深いキスを繰り返した。唇を離すと、上気した頬でこちらをぼんやりと見つめてくる恋人は、破壊力抜群でかわいかった。
衝動的に押し倒したくなるが、ぐっと堪えて、砂噛はベッドから降りた。流石に待つと宣言したばかりで反故するわけにはいかない。
「一緒に寝ないんですか?」
先ほども聞かれた質問に、頭を抱えたくなった。水森は、不思議そうに、そして少し寂しそうにこちらを見ている。さっきまで蹂躙するようなキスをしてきた相手に、なぜそんなにも純粋に信頼をおけるのか理解できなかった。
「あのな、待つって言ったけど、オレはいつでもお前を抱きたいんだよ」
「え?」
水森の虚をつかれたような顔を見て、やっぱり自分と相手の性欲には差があるな、と砂噛は感じた。別にその差が愛情の差とは思わない。水森のほうは未知の体験だということもあり、恐怖も感じているのだろう。
だが、こうも純粋に理性を試され続けては身がもたない。約束を反故することだけはしたくないので、このできっちり、釘を刺しておかなくては。
「頼むから、ちゃんと『待て』させてくれよ」
「は、はい」
何を言われているのか、ようやく理解したようで、水森は顔を真っ赤にしている。ああ、また、そんなかわいい顔して。
おやすみ、とだけなんとか告げて砂噛はリビングへ向かった。気持ちが昂って、やっぱり今夜は寝られそうにないな、とため息をついた。
◇◇◇
砂噛が起きてから、程なくして水森もリビングに現れた。眠たそうにふらふらしている。
「お前、朝弱いんだな」
「……や、あんま寝れなくて」
目をこすりながら、水森が答えてくる。枕が変わると寝られないたちなのだろうか。
「寝にくかったか?」
「あ、いや……えーと」
水森は、言いにくそうに口篭っている。そうしてちらりと砂噛を見ると、「先輩が寝る前にあんなこと言うから」と恨みがましいような声でぽつりとつぶやいた。
「なんだ、襲われると思ったのか?」
「いや、さすがにそこまでは。信じてますし」
いや、警戒しろよ。純粋な信頼を向けてくる相手に、苦言を呈したくなってしまう。砂噛も、約束は守るつもりだが、万が一、と言うことがある。彼は自分自身を信用していない。
「先輩は寝れました?」
「いや……」
お前のことを思って悶々としていた、が正直な答えになるのだが、そんなことは言えない。後輩は「やっぱソファは寝にくいですよね」と一人で納得している。
「オレ、次は眠れると思います」
水森は呑気に、次、と口にしている。次、あるのか。休日前だけ受け入れようと砂噛は心に決めた。次も自分はきっと眠れない、と彼は理解している。
「その時はオレがソファで寝ますね」
「いや、ベッド使えよ」
なかなか頷かない後輩に焦れながら、砂噛はほっとしていた。昨夜の淫靡な雰囲気はなく、ただの先輩後輩としての会話ができている。食べてしまいたい、と言うような衝動も消えてただただかわいい後輩の顔を、穏やかな気持ちで眺めることができた。
◇◇◇
両者寝不足という最悪のコンディションではあったものの、予定通り水族館に向かった。水森たっての希望で、電車を二回乗り換えて他県まで赴いたのだが、予想以上に小さい水族館に拍子抜けした。
今は、深海魚の企画展をやっているというが、あまり人は入っていなかった。
異形と言っていいような、変わった魚の数々を眺めながら、砂噛はあくびを噛み殺した。水族館は、基本的に暗く、眠気を誘う。
「お前、深海魚好きなの?」
「いえ、特別好きってことはないですね」
そう返事をする水森も眠そうだ。ここに来るまでの電車でも、少し眠っていた。乗り過ごさないように、という建前の元、砂噛は起きてそのまま水森の寝顔を眺めていた。
「じゃあ、なんでわざわざ来たんだよ」
「……先輩好きかなって」
砂噛は首を傾げた。そんなこと、言ったことがあっただろうか。
「最初のデートで、美術館行った時に外星人が描いたやつ混ざってて面白いって言ってたじゃないですか」
確かに言った。外星では平凡な絵が、地球では斬新とされるのが面白いなと思ってのことだった。
「なんか、宇宙が感じられるものが見たいのかな、と思って。ほら」
そう言って、水森は企画展のパンフレットを見せてくる。『まるで宇宙人 深海魚の世界』と確かに書いてある。
「いや、こんなやついないからな」
「そうなんスねー」
呆れた口調の砂噛に、水森は気にした様子もなく答えている。なんだこいつ、気を遣っていたのか。そう考えると、いじらしいなと思ってしまう。
「今度は動物園でコモドドラゴンとか見ます?」
「見ない。行かない」
いや、いじらしい、というよりいじって来ている。砂噛は生意気な後輩の頭を軽くはたいた。
「お前の行きたい所でいい」
「えー、先輩そればっかりじゃないっスか。……オレと遊びに行くの楽しいですか?」
急に真面目な顔をして聞いてくる。心臓に悪いやつ、と砂噛は緊張で口が乾くのを感じた。答えを間違えられない問いを、いきなり入れ込んでくる。
「お前が楽しそうにしているのを見るのが、楽しい」
変な誤魔化しが効かないので、素直に答える。正直、どんな表情を見ていてもかわいいな、と思ってしまうのだが、やはり一番は楽しそうにしている顔だ。
「だから、気にせずにお前が行きたいところ選べよ」
砂噛は、別に特別なことを言ったつもりはなかった。本音であったし、今までのデートも楽しかった。自分の選んだデート先が水森には不評と言うことも初回で理解していたし、その方がやりやすかった。
だが、水森は、その言葉に、なんともいえない表情をしている。怒ったような、恥ずかしいような、そんな複雑な感情を見せている。水族館の薄暗さが憎たらしい。きっと今、赤面しているんだろうな、と感じた。
「先輩、たまに、すごくオレのこと好きみたいなこと言う」
「たまにか?」
別に隠すつもりはなかったし、伝わっているものと思っていた。水森が言う『すごく』がどの程度を指すかわからないが、多分水森が想像しているよりも強い感情を抱いている。
「伝わってないなら、今日も言わなきゃな」
「何をです?」
砂噛は水森の耳に口を寄せた。閑散とした水族館に感謝した。この距離感で話していても、奇異の目を向けてくる他人がいないのはいいことだ。
「お前が、すごく好きだって」
途端に距離をとって、耳を抑える後輩は、ぱくぱくと口を開閉している。きっと真っ赤になっているであろうその表情を見て、砂噛は、やっぱりこいつとのデートは楽しいな、と感じた。
