ロマンチストでリアリスト

 飲み会自体は平和なものだった。
 鉄が酔っ払って、穂村にキスを迫ったり、馬喰が誰彼構わずMESを改造したりと色々と事件はあるものの、それも含めていつも通りだった。
 水森は今日も砂噛の隣を選んで座っていたし、楽しそうに笑っていた。本来であれば、その表情を肴に、酔えない酒を飲んでいるはずだった。だが、会の最中に砂噛の頭を占めていたのは、この後のことだった。
 家に着いたら、すぐ寝てしまうのだろうか。風呂はどうする。服を貸すって言ったって、サイズが合わないんじゃないか。え、そういや、どこで寝る?ぐるぐるとそんなことを考えながら、砂噛は水森にハムカツを分け与えた。体に染み付いているのか、無意識に餌付けしていた。
 水森は喜んでハムカツを食べている。揚げ物の油でてらてら光る唇が、妙に艶めかしく見えて、砂噛はぎくりとした。赤く光る唇の柔らかさは知っている。次は、軽く噛んで弾力を確かめたい。そんな欲望がいつのまにか心を覆っていき、慌てて頭を振った。
 水森はそんな恋人のことなど気にせずペロリとハムカツを食べ終えて、向かいに座る他部署の社員と話している。時折楽しそうにケラケラと笑う声が耳に心地良い。
 いっそ酔えたら良かったのに、と砂噛は自分の体質を恨んだ。いや、故郷の酒なら普通に酔えるのだが、今は手元にない。酩酊でも泥酔でも良いので、このうるさい思考を止めたかった。

 二時間ほどでお開きになった飲み会の後、砂噛と水森は連れ立って歩いていく。元々帰る方向が同じなのだが、今日は最後まで一緒なのだと思うと妙に緊張感があった。砂噛がそんな風に感じる一方で、水森は機嫌よさげに歩いている。やっぱり、そういう意識をしてないよな、と少し残念に思いながらも、今日は絶対手を出さないと改めて心に誓った。
 だがそれはそれとして、途中で寄ったコンビニで、万が一そういうことになった時のために、コンドームを買った。後輩に見られないように購入するのは至難の技だったが、砂噛はやり遂げた。
 絶対に手を出さない、という誓いと相反する行動だが、万が一、いや億が一でもそういう雰囲気になったら、と期待し準備をしてしまった。恋する男というのは実に愚かな生き物だ。
 普段なら、水森と別れるT字路を今日は二人で同じ方向へと向かう。「なんか変な感じ」とはにかむ後輩が夜道なのにキラキラと輝いて見えた。自分はこんなにも邪な思いを抱えているのに、相手は純朴そのものだ。そのことに罪悪感と、少しの苛立ちを覚えながら、砂噛は家への帰路を進んだ。

◇◇◇

「おじゃましまーす」
 砂噛の部屋はリビングと寝室という間取りだ。とりあえず水森をリビングに案内すると、普段より大きめのバッグを持ったままキョロキョロと周りを見回している。今週はそれなりに時間があったので、リビングは荒れていない。繁忙期になると、洗濯前の服やら、コンビニ弁当の残骸やらが散乱していることもあるので、そんな時期じゃなくて良かった、と砂噛は密かに息をついた。
「鞄はその辺に置いていいから。ソファ座ってろ」
「はーい、ありがとうございます」
 砂噛が促すと、水森は素直に従った。砂噛はキッチンスペースに移動して先ほどコンビニで買っておいた緑茶をペットボトルからグラスに注ぐ。この家にはコーヒーくらいしか常備している飲み物がないので、一応買っておいた。寝る前にコーヒーはどうなんだ、と思ってのことだったが、緑茶にもそれなりにカフェイン入っているんだっけか、とどうでもいいことを考えながら砂噛はグラスを差し出した。
「あ……どうも」
 グラスを受け取った水森は少し顔を曇らせた。
「なんだ、緑茶嫌いか?」
 尋ねながらそんなことないだろう、とも思う。たまに飲んでいるのを見かける。
「いや、その……これ元カノのグラスですか?」
 砂噛は、しまった、と眉を顰めた。水森の言う通り元カノが置いていったものだ。ビビットな花柄がアクセントとしてプリントされたそれは、どう見ても女性向けだし、何より水森に嘘は通じない。自分の軽率な行動を後悔しながら、砂噛は素直に認めた。
「まぁ、そう。……悪い、変えるか?」
「大丈夫っス」
 全然大丈夫じゃない顔で、水森はグラスに口をつける。言い訳でしかないと思いつつも、砂噛はつらつらと言葉を重ねた。
「すまん、大切に取っておいた、とかじゃないから。捨てるの忘れていただけで」
 これは本当のことだ。水森に指摘されるまで、このグラスが昔の恋人のものだということを忘れていたし、相手にも何の未練もない。しどろもどろになって弁明する砂噛を見て、水森はふっと笑った。
「別に、捨てなくてもいいっスよ。……オレ用のも、明日買ってくれます?」
 もちろん、と頷くと恋人はにっこり笑う。その様子に砂噛は胸を撫で下ろした。
 安心して、改めて水森の姿をまじまじと眺める。換装を解いているので、学校の制服姿でソファに座る後輩は、いつもに増して幼く見えた。そのことが、砂噛の背徳感を煽る。
 だいぶ気の抜けた様子の後輩は、少し疲れたように目を擦っている。眠いのかもしれない。こちらを信用してくれるのは嬉しいが、もう少し緊張感を持ってくれ、と思わないでもない。ああ、もう、無防備にネクタイを緩めるな。晒された鎖骨に齧り付いたら、どんな反応するんだろう、なんて考えを、砂噛は必死で押さえ込んだ。
「先輩、座らないんスか?」
 水森がソファの隣に誘ってくるが、とてもじゃないが座れない。こんな気持ちで距離を詰めたら何をするか分からなかった。
「風呂沸かしてくるから、適当にくつろいでろ」
 砂噛は、逃げ込むように風呂場へと向かった。

◇◇◇

 沸かした風呂になんとか後輩を押し込んで、砂噛はようやく一息をついた。水森は、家に来ることには遠慮を見せなかったくせに、一番風呂にはためらいを見せた。何が違うのかよく分からなかったが、いいから入ってこいと着替えとタオルを押し付けて、浴室のドアを閉めると諦めたようだった。
 自分以外のシャワーの音を聞くのは数年ぶりだ。そのことを意識しないようにしながら、砂噛は出番のなさそうなコンドームを片付けることにした。寝室は水森に明け渡すので、そこに置いておくと見つかるかもしれない。元カノとの余りだ、なんて勘違いされてはたまったものではないので、とりあえずソファの下に突っ込んでおいた。ここなら見ることもないだろう。
 水森はどういうつもりなんだろうか、とようやく座れたソファにもたれながら、砂噛はぼんやりと考えた。付き合っているし、キスもしている。そんな相手の家に来ることが、性的なことに結びつかないなんてあるのか?それが、砂噛には疑問だったし、意識されていないことが腹立たしくすらあった。
 もしかして、と砂噛は嫌な閃きを得た。水森は雰囲気を大事にする。それこそ、少女漫画のように綺麗で甘い、そんなロマンチックな恋愛を夢見ている節がある。それを参考に知識を得ているのだとすれば、キス以上の行為を知らないのではないか?
 あの告白の前、水森は、きちんと段階を踏め、と怒っていた。彼にとっての段階は、デート、告白、キスの三段階で終わっている可能性がある。そう考えると、恋人の家に来てあまりにも無防備なのも頷ける。
 砂噛は頭を抱えた。どうすればいい?大切にしたいと思っているのは事実だし、今日も関係を進めるつもりはなかった。だが、未来永劫我慢できるかと言われれば、たぶん無理だ。
 キスももっとしたいし、その口内の温度も知りたい。快感に悶える顔も、こちらを求める表情も見たい。何より、相手の全てが欲しかった。セックスすれば、水森が自分の物になる、という訳ではないことは、砂噛も分かっている。だが、体を繋げるという行為はそう錯覚させる何かがあるのも確かだ。
「先輩?」
 砂噛が懊悩をし続けていると、いつの間にか風呂から上がった水森が、こちらを覗き込んでいた。しっとりと濡れた髪と、微かに色づく肌が目に毒だ。なるべく小さいサイズのものを選んだのに、貸した服はやはり水森には大きく、襟ぐりから首元がのぞいている。
 至近距離にいる恋人からは、シャンプーの香りがする。自分と同じものを使っているはずなのに、なぜか甘い香りに感じてしまい、砂噛は無意識に唾を飲み込んだ。
「大丈夫です?調子悪いんスか」
「……平気。頭冷やしてくる」
 心配した様子の後輩に、お前とセックスしたくて思い悩んでいたなんて言えず、砂噛はふらふらと風呂に向かった。「冷やさないで、あったまってくださいよ」なんて、水森の言葉は無視した。冷水のシャワーでも浴びないと、この湯だった頭は元に戻りそうになかった。

◇◇◇

 砂噛が風呂から上がると、水森はソファでうとうとと舟を漕いでいた。冷水を浴びて頭を冷やして、なんてことをしていたせいで、普段よりも長風呂になってしまった自覚はある。
 悪いことをしたな、と思いながら、水森の肩を揺する。
「おい、ここで寝るな。風邪ひくだろ」
「……あ、すみません」
 目を擦る水森に立つように促す。寝室に案内して、砂噛自身はソファで寝るつもりだ。
 ふらふらとした足取りの水森を連れて、寝室のドアを開ける。目に入ったベッドは見慣れたもののはずなのに、今日はこちらの理性を試してくる物体に成り下がっている。そこに、後輩を座らせると、攻撃力が増した気がした。
「毛布、足りなければクローゼット開けて、もう一枚出してくれ」
 砂噛の言葉に、水森は無言で頷く。相当眠そうだ。その無防備な様子を直視できず、砂噛はさっさと部屋をでることにした。
「じゃ、おやすみ」
 そう言って踵を返したのに、手首を掴まれてしまう。
「一緒に寝ないんスか?」
 水森は心底不思議そうな声でそう問いかけてくる。手首に感じる体温は相手の方が高く、そこだけ熱いくらいだった。
「……狭いだろ」
「詰めれば大丈夫ですって」
 辛うじて発した砂噛の言葉を、水森は善意から切り捨てる。その瞳は、邪な思いなど一切感じさせない。そのことが、砂噛には辛く、苛立たしかった。
 少しくらい、意識してくれてもいいのではないか。今後のためにも、知識を与える必要があるし。なにも頭から食べ尽くそうと言う訳ではない。ちょっと、味見をするくらいだ。
 砂噛は自分に言い訳をした。そして、何にも知らない子供を押し倒した。体格差も、単純な腕力の差もあるので、あっさりと組み敷くことができた。
「え?」
 戸惑いの声をあげる水森に顔を寄せる。
 柔らかい唇に、自分のものを合わせると、自分の下にある身体がびくりと震えた。それを無視して、砂噛は恋人の唇を普段よりも長く堪能する。角度を変え、繰り返し唇を合わせていると、ためらいがちに水森の手が伸びて来た。やがて、自身の背におずおずと回された手の感触に、砂噛は気を良くした。なんだか許された気すらした。
 触れたことしかない唇に、軽く歯を立てる。想像していたよりも弾力があり、少し噛む力を強くすると、背に回された腕に力が入ったのが分かった。砂噛は、謝罪するように今度は優しく唇を舐めた。
 濡れた唇の力が抜けていく。薄く開いたそれを割り開き、自身の舌を挿し入れると、温かい口内が迎え入れてくれた。堪能するように舌をぐるりと巡らせた後、上顎を擦るように舌を動かした。
 同時に、水森の耳をふにふにとくすぐるように手を動かす。耳が弱いのか、急な刺激に驚いただけか、分からないが身を捩るように自分の下で恋人が動いているのがわかる。
 満足にはほど遠かったが、砂噛は唇を離した。これ以上続けたら、途中でやめられなくなりそうだった。
「ん……」
 離れた瞬間に、水森がかすかな声をあげた。微かに快感を孕んだ、少し上擦った声に頭が熱くなる。なんとか自制すると、砂噛は水森の耳元に口を寄せた。
「お前は知らないかもしれないけど、ここから先もあるからな」
 覚悟しておけよ、と砂噛は伝えたつもりだった。逐一性行為について教えても良かったが、なんだかそういうプレイになりそうでやめた。あとは自分で調べて、覚悟を決めてもらおう。
 ただ、少しはこちらをそういう意味で意識してくれたかな、と期待をこめて顔を上げた。怯えでも、怒りでも、受け止めるつもりで覗き込んだ目は、砂噛の想像とは異なる色をはらんでいた。
「先輩、オレ、高校生っスよ。知らないわけないでしょ」
 冷え切った目線が砂噛を貫いた。
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