ロマンチストでリアリスト

 砂噛の地球における恋愛経験というものは、常に受け身だった。
 なんとなく好意を持たれていると感じた相手と、気がつけばそう言う関係になっていて、いつの間にか恋人ができている。そんな感じだ。告白なんてしたことはなかったし、されることも稀だった。急にキスされたり、飲み会の後に「帰りたくない」とくっつかれる。流れに身を任せていたら、関係が形成されているというのが決まったパターンだ。
 来るもの拒まず、というスタンスでいたため、いつの間にかできていた恋人を邪険にしたことはなかった。デートに誘われればついて行ったし、求められればセックスもしていた。しかし、大切にしていたか、と言われるとそれには頷けない。気がつけば「私に興味ないんでしょ」と詰られて、去っていかれるまでがセットだ。
 砂噛からしてみれば、勝手にくっついてきて、いつの間にか恋人になっていた相手よりも、仕事の方が大事だったし、興味を持てと言われても難しかった。だから去るもの追わず、を体現し追い縋るなんてことは一度もしたことがない。
 そうやって寄ってくるのは、だいたいが砂噛の擬態した姿しか知らない他部署の人間だった。他部署、と言っても仕事をしていればそれなりに協力は必要になるし、関係性が拗れるとやりにくいところもでてくる。恋愛ごとには砂噛以上に疎い穂村だが、砂噛の元カノが社内で二桁に達した辺りで苦言を呈した。曰く「仕事に支障がでるから、娶る覚悟がないなら手を出すな」とのことだった。
 敬愛する上司の言葉に、砂噛は素直に従った。地球人と、というか同じ星の人間とすら結婚なんて考えてなかったし、もともと自分はそういう欲が薄い方だと考えていた。だから、恋人がいない生活というのは苦ではなかったし、何の問題もなかった。
 水森に出会うまでは。

◇◇◇

 砂噛は水森のことが、初めて会った時から好きだった。いわゆる一目惚れである。穂村が気にかけている、という前情報であまりいい印象をもっていなかった相手を助けにいったら、やたらかわいい存在がいて驚いたのをよく覚えている。
 オレのストライクゾーンど真ん中ってこれかと、ゆだったように回らない頭で考えながら、水森を救出した。穂村の手前、水森に興味がないフリをするため、辛辣なことや皮肉を言っていたが、内心では会社に入って欲しいと思っていた。とにかく、このかわいい存在が近くにいてほしかった。水森の入社が決まった時には内心ガッツポーズをした。
 かわいい、かわいい、とにかくかわいい。そんな風に思いながらも、砂噛は気持ちを押し殺した。これまでの恋愛経験から、恋が破れればそばにいれなくなることは知っていたし、何より穂村の言葉がブレーキになっていた。「娶る覚悟」と彼女は言っていた。一生をかけて相手を幸せにするだけの気概を見せろということだ。砂噛は確かに水森に惚れていたし、どうしようもないくらい欲しい存在ではあったが、自分が幸せにできるのかは自信を持てなかった。
 星の違いのことも頭にあったが、一番の懸念は水森からそういった意味での好意を感じたことがない、と言う点にあった。前述の通り、受け身の恋しか経験のない砂噛は、自分からアプローチする方法を知らない。どうやったら、水森が自分のことを好きになってくれるのか、皆目見当がつかなかった。
 経験人数の割に恋愛偏差値が低い砂噛は、自分の気持ちを隠すのに精一杯、元来の性格も起因して、水森に対して嫌味や皮肉を言うこともしばしばだ。このままでは嫌われてしまうのでは?と不安になったが、後輩は純粋にこちらを信頼し、笑顔を向けて来る。そんな態度も愛らしく、ときめきで死にそうだった。
 そんな、素直になれない砂噛が唯一できた行動が、餌付けである。飲み会や食事の際に、水森が好きそうなものを頼んでは、分け与えていた。砂噛の下心に気づいていない水森は、ニコニコと嬉しそうに与えたものを頬張る。その様を見るだけで、砂噛は酔えない酒が進んだ。アプローチとして全く機能していないことには薄々気がついていたが、この幼気な表情を見られるだけでも良かった。
 だから、あの夜は魔がさした、としか言えなかった。二人での帰り道、キスの話題が上がり、ただ単純にしたいな、と思ってしまった。そうして、気がついたら唇を奪っていた。
 欲望のままに口付けた後、かわいい後輩は戸惑いの目をこちらに向けてきた。その目に好意の色が全くなくて、やっぱりなと思いながらも、先ほど感じた柔らかい感触には満足していた。何を言っても言い訳になるし、変に話すと嘘が通じない後輩は、こちらの気持ちを看破してくるに違いない。そう考えた砂噛は、半ば逃げるように水森と別れて家に帰った。
 そうして、後悔した。なんてことをしたんだ、明日からどうやって顔を合わせればいい?砂噛は頭を抱えた。体質上、地球の酒で酔うことはないが、酔っていたとしか思えない自分の行動が理解できなかった。
 嫌われる。最悪の場合、セクハラで訴えられる。そんな風にびくびくしながら、次の日水森と顔を合わせると、酔って記憶をなくしていると一方的に解釈された。正直、好都合だと思った。かなり、不誠実な対応であることは自覚していたが、これで、水森とキスできる口実を手に入れた。砂噛はそう思ってしまった。
 穂村からの苦言を無視した形になるが、どうしてもやめられなかった。飲み会の帰り道、別れ際に水森を見つめると、困惑した表情の後、受け入れるように目を閉じてくる。その顔が全て許してくれているように思えて、たまらなかった。怖がらせないように、あくまで酔っ払いの愚行と思えるように、そうやって理性をフル動員させながら、およそ理性的とは言えない自分勝手で軽い口付けを繰り返していた。
 回数を重ねるごとに、砂噛はあることに気がついた。水森の目線に変化が出ている。こんなことをする前から、飽きることなく見つめていた顔だ。表情の変化には敏感に気がつく。キスする直前、期待するように潤む目、唇を離した後、名残り惜しそうに送られる熱い視線。これは、もしかして、期待していいのでは?砂噛の気持ちは高揚した。そう考えて思い返すと、なんだか最近水森と飲み会で一緒になることが多い。積極的に一緒に帰ろうとするし、キスの前に見せる表情から躊躇いが消えている気がする。
 一度、唇が切れたと水森が声を上げた時があった。夜目にも分かる、赤く色づいた唇に思わず指で触れた。痛い、と声を上げた水森の目は、戸惑いと、緊張と、何か期待するように潤んでいた。いける、この愛らしい存在が手に入る。そう思い高揚した砂噛だったが、その日は決定的なことを言えずに終わってしまった。
 そうして寝て起きると、ここから先どうすればいいか分からなかった。告白なんてしたことがないし、今までの経験では流れのままに交際に発展していたので、段階を踏む、なんてことしたことがなかった。このまま流れで付き合えないかな、と無責任なことを考えていた矢先だった。
 水森を怒らせたのは。

◇◇◇

 水森は怒った顔もかわいかったが、砂噛はそれどころではなかった。なんとか機嫌を取らなくては、ここで嫌われてはたまったものではない。そんな焦燥感のもと、相手の求めるままにデートに誘い、きちんとした告白をした。よってくる相手に興味を持てない、なんて言っていた時とは雲泥の差だ。水森が自分にネガティブな感情を向けていると感じるだけで恐怖を感じたし、デート中こちらを翻弄しながら微笑む姿に蠱惑的な魅力を感じた。ベタ惚れである。
 そうして、だいぶ遠回りをしたものの、なんとか水森と正式にお付き合いを始めることができた。恋が成就した瞬間、嘘偽りなく、今が一番幸せだと感じたものだ。穂村に言われた「覚悟」もこの時決まった。日本の法で、水森と結婚することはできないが、娶る、と言う言葉に準ずるだけの幸せを必ず与えよう。砂噛はそう心に誓った。
 
 大切に、幸せにしようと思う気持ちは、付き合い始めて数週間経った今でも、砂噛の心の中にあった。だが、一方でそれが枷となって、新たな悩みを彼に与えているのも事実である。
 水森が、いわゆる雰囲気を大切にしている、と言うことは、告白の後に訥々とさとされて理解したつもりだった。急にするな、場所と時間を選べ、段階を踏め。水森の要望は大まかに言うとそんなところだった。聞けば、水森のファーストキスは自分だというし、どうやら恋愛関連には慣れていないようだった。本か何かで得た知識で憧れのシチュエーションを口にする様は、初心としか言いようがなく益々大切にしよう、と砂噛は思わされた。
 だが、その憧れが曲者だった。噴水広場みたいな雰囲気のあるところでキスするのが憧れ、と水森は言った。だが一方で、他人に見られながらはしたくない、と恥ずかしげに目を伏せる。どうしろと言うんだ。人気のない噴水なんて、夜中か早朝くらいしかない。
 場所以外にも問題がある。告白を飛ばしてキスをしたことを散々責められたので、どういうペースで、どのように進めていくのがいいのか、それを測りかねている。そういう欲が薄いから、恋人なんていなくてもなんとかなる、なんて考えていた時期が嘘のように、砂噛は今性欲を持て余している。かわいくて仕方がない存在と恋人になったのだ、全部自分のものにしたいと思うのは当然だろう。
 水森が男で良かった、とまで砂噛は考えている。女だったら、今頃無理矢理にでも既成事実を作って、自分の星に連れ帰っているところだ。いや、多分そんなことしたら、穂村も鉄も黙っていないだろうが。
 自分の中で暴れる性欲を必死に抑えつけ、砂噛は水森とのお付き合いを続けていた。そんな訳で二人の関係は付き合う前から進展していない。変わったことといえば、週末にデートをするようになったことくらいだ。
 水森とのデートは、楽しかった。知らない漫画の聖地巡礼に連れて行かれたり、自分は大して興味のない映画に行ったりと、行き先はなんだこれ、と思うようなところもあったが、それでも良かった。目の前で、満面の笑みを見せる恋人がただただ愛くるしく、それだけで満足できた。どうしようもないくらい、浮かれている、と砂噛も自覚している。
 ただ、その楽しい時間にも、頭の片隅に邪な考えが潜んでいる。別れ際、人気のない通りを選んで歩いて行き、タイミングを見計らって、キスをねだる。雰囲気ないなと文句を言いつつ、素直に身を任せてくる恋人に、これまでと変わらず数秒だけ口付けた。水森は砂噛のことを信頼しているようで、一切抵抗をしない。
 この信頼を裏切って、無理にでも舌を押しいれて、ぐちゃぐちゃになるまで深くキスをしたい。そんな欲が砂噛の中にはある。行動に移したら、水森はどう反応するだろうか。怒るだろうか、驚くだろうか、泣くだろうか。どんな顔でもきっと愛らしく、自分を止めることはできない。そうしたら最後、家まで攫って、無理矢理にでも体をつなげてしまうだろう。
 そんな凶暴な感情を、砂噛は強靭な精神力で押さえつけていた。大切にしよう、オレには覚悟がある、課長の言葉を思い出せ。そんな言葉を頭の中で巡らせながら、毎度デートを終えていた。そのおかげもあってか、年下の恋人は、今日も自分に屈託のない笑顔を向けてくれる。
 ああ、かわいいな、もう。

◇◇◇

 その日は、久しぶりの飲み会の予定があった。部署間交流の名の下に、それなりの人数が招集されるものだ。水森も参加すると言っていたし、砂噛自身も出席予定にしていた。
 明日はデートの予定がある。少し遠い場所にある水族館に行くので早起きしなくてはならないし、楽しいデートには強い精神力が必要になので、さっさと帰ってとっとと寝よう、と砂噛は決めていた。後半は彼特有の事情である。
 だがそれはそれとして、飲み会自体にも期待していた。わざわざ自分の隣を選んで座ってくる水森の姿が見れるのが、彼の密かな楽しみだった。理由を聞くと、変な酔い方しないし、食べ物くれるから、と色気のない答えが返ってきたが、それでも良かった。
 もう付き合っているのだから、せっせと餌付けする必要がないのは分かっている。しかし、必要はなくても、それはそれで楽しいし、何より、場の空気に酔うのかいつもより少し陽気な恋人が見られるのは眼福だった。
 楽しみな予定のためには、目の前の仕事をきちんと片付けなくてはならない。砂噛は、いつも以上に精力的に仕事に取り組んだ。恋とは人をダメにするが、時に勤勉にするものだ。
 そんな、浮かれた恋人の様子に気が付かず、水森は普段と変わらぬ様子で声をかけてきた。
「先輩、今日飲み会の後、泊めてもらえませんか?」
 時が止まった気がした。

 水森が話しかけて来たとき、砂噛はパソコンに向かっていた。つまり、ここは普通に仕事場であり、課のメンバーも周りにいる。
 二人の交際は、メンバーにはバレている。付き合えたことの喜びを、砂噛が隠しきれず、態度に出たため早々に関係が露見した。
 声をかけられた張本人の砂噛は目を見開いてフリーズしている。同じくパソコンに向かっていた鉄も、マジかよ、という目で二人を見ている。穂村だけは特に気にした様子もなく、書類に目を通していた。
「ダメっスか?」
 水森が小首を傾げて問いかけてくる。ダメなわけない。ダメなわけないが、それはどういう意味で言っている?砂噛は動揺する気持ちを抑えながら、なんとか返事をした。
「いいけど、なんで?」
 こんな所で聞くからには、きっと砂噛が期待するような理由ではない。でも、少しくらいは夢見てしまう。恥じらいながら、身を明け渡してくる恋人の姿を想像して、砂噛の心臓は高鳴った。「心音ヤバ。死ぬの?」と鉄が言ってくるが無視した。
「明日行くところ、先輩の家からのほうがアクセスいいじゃないっスか。朝早いし、一緒に家出たほうが効率いいでしょ」
 名案、とばかりに水森は少し胸を張っている。効率、ね。砂噛は少し落ち込んだ。いや、分かっていた、こんなオチだろうと言うことは。声を押し殺して鉄が笑っている。お前、後で覚えておけよ。
「着替えとかは?」
 冷静を装って、砂噛は実務的なことを聞いた。はしゃいだ様子の水森は「持って来てます!」と笑顔だ。はなから断られるとは思っていなかったようだ。
「あ、でも、寝巻きは持って来てないんで、なんか服貸してください」
 砂噛は頭が痛くなって来た。え、お前、オレの服着る気でいるの?そんな、事後みたいな格好、するの?そう問い詰めたかった。それなりに経験を積んでいるはずなのに、なぜこんな童貞のような思考回路になるのか、自分でも分からなかった。
 かろうじて、分かった、と答えると後輩は呑気に「助かります」なんて言っている。あんまりにも性的なことを意識していない。こいつ、オレのこと友人か何かだと思ってんじゃないか?と砂噛は疑った。先ほどまで笑っていた鉄も、今は哀れみの目線を送って来ている。やめろ、そんな目で見るな。
 今夜は悶々として寝れそうにない。砂噛は口から出そうになるため息をなんとか我慢した。
1/4ページ
スキ