今日までノーカン!

 次の日、学校で穂村を見かけたのは偶然だった。
 昼休み、購買に向かう途中の廊下を歩く姿を見かけて、水餅は思わず声をかけた。
「課長!」
「学校ですよ」
 会って早々呼び方を注意され、水森は頭を下げた。
「すみません……」
「気をつけてくださいね。なんでしょう?」
 首を傾げる穂村は、いつも通りだ。きっと昨日の会食でも飲まなかったんだろうな、と水森は推測した。今までもどんなに夜遅い飲み会に出ていても、翌日の穂村が疲れた様子を見せることはなかった。
「その……砂噛先輩、大丈夫でした?」
「大丈夫、とは?」
 穂村の声は淡々としている。怒っているわけではないのは、今までの付き合いでわかるが、聞きたい内容が内容なのでちょっと緊張してしまう。
「えーっと、酔って大変だったとか、ないのかなって」
 さすがに、キスされませんでしたか、とは聞けずにぼやかした表現で話す。相変わらず首を傾げている穂村に、気まずくなってしまい、水森は慌てて言葉を足していく。
「いや、先輩って、顔にはあんまり出ないけど、酔うと変なことしたりするじゃないですか」
「水森さん」
「おせっかいかな、とは思ったんですけど、心配になって」
「水森さん、聞いてください」
 ベラベラと言い訳のように言葉を紡いでいた水森を、穂村は静止した。そうして、彼女は不思議そうに呟いた。
「砂噛が酔うことは、ないですよ」
 知らなかったんですか?という穂村の言葉に、水森は何も返せなかった。
 
◇◇◇ 

 穂村が言うには、砂噛は体質上、地球の酒で酔うことはないという。体内の分解酵素の違いから、外星人にはよくあることらしい。飲み会で酒を飲んでいるのは、単にその場の空気に合わせてのことで、穂村が知る限り、砂噛が酔っているところを見たことはないという。
 呆然としながらその話を聞いた水森は、「どうかしました?」と言う穂村にお礼だけ言って教室に戻った。表情には出ていなかったが、心配をさせた気がするが、それどころではなかった。
 机に突っ伏しながら、水森はぐるぐると考えを巡らせる。
 酔わない、と言うことは、今までずっと酔ったふりをしていたと言うことになる。水森は、嘘をかぎ分けることができるが、考えてみれば、酔っているかどうかなんて、言葉にして聞いたことはなかった。砂噛の行動から、自分が判断していただけだ。
 じゃあ、あのキスはなんだったと言うんだ。酔った末の行動でないとするならそれは。
 そこまで考えて、水森はここが教室であることを忘れて、低く唸った。耳まで赤くしながら唸る男は異様すぎて、周りの誰も触れてくることはなかった。
 顔を真っ赤にし、水森は照れていた。これは、自分に都合よく捉えていいのではないか、と浮かれた気分ですらあった。しかし、徐々に悪い方向に思考が傾いていく。じゃあ、なんで明確なことを言わずに、キスだけしてきたと言うのだ。
 ……遊ばれている?
 その可能性に行き着いて、今度は水森の顔は一気に青くなった。キスにあたふたする自分の姿を見て、面白がっていたのだろうか。さすがにそこまで性格が悪くないと思うが、それでも、相手の行動が理解できず、水森は混乱した。
 そうして、赤くなったり、青くなったりを繰り返しながら水森は考えに考え、最後には諦めた。
 考えていても仕方がない。今まで、キスも関係性の進展も、ずっと受け身で来ていた。そうして、相手の真意がわからなくなって、ウジウジしている。情けない気持ちでいっぱいだ。
 じゃあ、こっちから、やってやろうじゃないか。
 怒りにも似た決意を胸に、水森は作戦を立て始めた。

◇◇◇
 
「先輩、飲んでいいっスよ」
 ニコニコと酒を薦める水森に、砂噛は怪訝そうに眉を顰めている。
「いや、お前飲めないのに飲むのもな」
 今日は、水森が「夕飯一緒に食べて帰りましょう」と誘ったので、二人きりで店に来ている。水森が選んだ店は明らかに居酒屋で、砂噛は難色を示したものの、なんとか押し切って今に至る。
「オレは気にしませんよ。それに、居酒屋にきて飲まないのも悪いじゃないっスか」
「お前がこの店がいいってゴネたんだろうが……」
 なかなか酒を飲まない砂噛に焦れて、水森は少し踏み込んだ発言をした。
「大丈夫ですよ、先輩が酔っても、オレがちゃんと一緒に帰りますから」
 今まで通り、と笑いかけると砂噛は何か疑うような表情でこちらを見てくる。それに動じずに、水森は笑顔のまま酒のメニューを渡す。
「ほら、早く注文決めちゃいましょうよ」

 結局、押し負けた砂噛がビールを頼んで夕食は始まった。と言っても、居酒屋メニューの中から食事になりそうなものを選んで食べていく形だ。
 最初は何か警戒した様子の砂噛だったが、食事が進むにつれて饒舌になっていった。水森が機嫌良さそうにニコニコ笑っているので、それにつられたようだった。
 会社の話から、水森の通う高校の話になり、話題は友人のことに移った。ここで水森は、最近告白に失敗した友人のことを引き合いにだし、聞きたかったことを口にした。
「先輩、モテますよね?告白、失敗したことないんじゃないですか?」
「……まぁ、そうかもな」
 嘘がないのが、嫌味な話である。水森が、生ぬるい目線を送ると、言い訳のような言葉が足された。
「つーか、自分から告白したことないんだよ。向こうから勝手にくるから」
「うわ、余計に嫌味っス」
「なんなんだよ、自分から聞いたくせに」 
 文句を言いながらも笑っている砂噛に、笑顔を返す。屈託のない笑みとは裏腹に、水森の頭の中は文句でいっぱいだ。
 なんだ、この人、告ったことないのか。そんなんだから、手順すっ飛ばして、オレにキスしてきたのか?モテるのに恋愛初心者なのか、全く。
 そんなことを考えているなんて、想像もさせない笑顔で、水森は砂噛にメニュー表を渡した。
「先輩、コップ空いてますし、もう一杯頼みます?」

◇◇◇
 
 砂噛が三杯目の酒を飲み干したところで、水森は「そろそろ帰りましょうか」と声をかけた。普段だったら、この飲酒量で、相手は酔っていたはずだ。いや、酔っていたかどうかはわからないのだが、少なくともキスはされていた。
 二人で連れ立って歩くのは、いつも通りの道だった。順当にいけば、今日も砂噛はあのT字路でキスをしてくるのだろう。だが、水森はそこまで待つ気はなかった。別に、人気がない場所であれば、どこでも構わない。それこそ、ここのような住宅街の真ん中でも。
「先輩」
「なんだよ」
 水森が立ち止まって声をかけると、砂噛も歩みを止める。街灯の下で見上げると、夜道でも砂噛の顔色はよくわかる。全く赤みがさしていない。いつも通りだ。
 水森は背伸びをした。確か漫画か何かで、キスしやすい身長差は何センチ、みたいな表現があったけど、多分自分達には当てはまらないんだろうな、と思った。狙いを定めるのが難しい。
 バランスを取るために、相手の首に腕を回して、ちゅっとリップ音をたてる。さて、九回目。今回は自分からしたので、犬に噛まれた、という表現は正しくないかもしれない。まぁ、とにかくこれもキスにカウントしないこととしよう、そう水森は決めていた。
 あっけに取られた表情の砂噛は、耳まで赤くしている。自分から好き勝手にしてきた時は、眉も動かさなかったくせに、この差だ。
 ああ、もう。わかっていたけど完全にクロじゃないか。水森の機嫌はどんどん下降する。
「先輩、酔ってないっスよね?」
 水森はじとっとした目で砂噛を睨みつけた。
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