下世話な話
別に、会社の休憩時間に何をしていようが、それは人の自由だと鉄は考えている。自分だって、弟に連絡したり、新作コスメを検索したりと好きに時間を使っている。
だけど、人に見られたくないものは、さすがに会社で見るべきではない。そう思うのだ。
「……あのさ」
「うわっ!」
鉄が声をかけると、水森はあからさまに動揺した。そして、怖々と聞いて来た。
「……見ました?」
鉄は舌打ちしたい気分だった。
「何を?」とか「反射でよく見えない」とか、言い訳はいくらでもできた。相手が水森でなければ。
「ごめん、見えた」
嘘が通じないので正直に答えると、水森はかわいそうなくらい真っ赤になった。
数分前の会社の休憩室。鉄はスマホをいじっている後輩の後ろ姿を見かけた。ちょっと驚かしてやろう、と息を殺して近寄ったのがそもそもの間違いだった。声をかける直前で目に入ったのが水森のスマホの画面だ。
有識者から勘違い野郎までそろう、ネットの質疑応答サイト。知恵袋なんて、かわいらしいネーミングのわりに、犯罪スレスレの質問まで飛び交っている。そろそろネットに触れ始める歳の弟を持つ鉄には、注意すべき対象にすらなっている。
そんなサイトを、水森は眺めていた。いや、見るのはいい。鉄も、何かの参考にしようと覗くことはある。だが、その質問文が問題だった。
『彼氏の男性器が大きすぎて、性行為が怖いです。これは変なのでしょうか?』
お前、なんつーページ見てんだよ。
呆れと驚きから、鉄はつい声をかけてしまった。
茹で蛸みたいに赤くなった水森は「違うんです……」と聞いてもいないのに弁明を始めた。
「確かに、性別書かなかったオレが悪いんスけど、こんな答えを求めてた訳じゃないんです」
そう言って、スマホを渡される。どうやら、見ていいようだ。というか、この言い草だと、あの質問文書いたのお前か。鉄は嫌な予感がしつつも、画面をスクロールした。
件の質問文の下には、たくさんの回答が続いている。
『オレが慣らしてあげようか?』『女子学生かな?テクニックある大人が相手してあげるよ。痛くしないよ』などなど。鉄は、回答欄を二、三個見て、水森にスマホを返した。
「バカみてぇな質問に、くっそみてぇな回答だな!」
「オレは真面目に悩んでるんスよ!」
水森の悲痛な叫びが休憩室にこだました。
◇◇◇
知ったからには、相談に乗ってください。
そう、半ばヤケになった後輩に言われて、鉄は相談料を要求した。何も、現金を取るわけではない。何か奢れと言ったのだ。
水森は、酒以外ならいいですよ、とあっさりと承諾してきた。正直、あの質問文から類推される、下世話な話を素面で聞きたくないのだが、仕方ない。何か、テンションの上がるところで話を聞こう、鉄はそう考えた。
「それで、ここを選んだってわけ」
「はぁ」
水森はいまいち解せん、という顔をしつつ、居心地悪そうにテーブルについている。
店内の白い壁は、赤いリボンやガーランドで飾りつけられている。テーブルクロスも赤いギンガムチェックでかわいらしい。隣の席に座る女の子二人が、きゃっきゃとかわいらしい声をあげながらお互いの写真を撮っている。その隣の席も似たようなものだ。
店内にいるのはほぼ女子だ。がんばって探せば、男性客もいるのだが、その数人は皆、水森のように居心地悪そうにしている。ここにいる誰も、他人のことなんて気にしてないのに、と鉄はちょっと面白く思った。
「ま、とりあえず、まずは取りに行こっか。食べなきゃ損だよ」
「まぁ、オレの金だし食べますけど」
水森はしぶしぶと言った様子で立ち上がった。相談事が気になって仕方がないようだ。
せっかくケーキバイキングに来たのだ。そんな話は後にしたい。鉄はウキウキしながら宝石のような輝きを見せるケーキ達の元へと向かった。
「この時期だからか、いちごのケーキの割合多いっスね」
「あーね、いちご、映えるしね」
あれだけ気乗りしない、という様子だったのに、水森は真っ白な皿を埋め尽くすようにケーキを載せてきた。もっとも、鉄も人のことは言えない。あれも美味しそう、これは初めて見るケーキだ、なんて目移りしているうちに皿の白地は見えなくなってしまった。
水森の皿に載っている、小ぶりなチョコのロールケーキ、次取ってこよ。テーブルに戻ってからも鉄の目移りは続いていた。
「じゃ、食べよっか」
「そうっスね」
ケーキを前に、水森の顔は晴れやかだ。このまま相談とか忘れてくんないかな。鉄はそんな無責任なことを考えながら、ショートケーキのいちごにフォークを刺した。
「いちご最初に食べる派なんですね」
「そーね、ちっちゃいときからの癖」
取っとくと、クソ野郎が横取りするから、先に食べるようになった、ということは伏せた。このポップでかわいい空間に合わない話だと言うことは分かっていたし、水森も反応に困るだろう。
「まぁ、オレもなんスけど」
そう言って、水森はチョコレートケーキの上に乗るいちごを口に運んだ。
好物を先に食べるタイプなのか。それとも、自分のように幼少期に何か面白くない体験をしたのだろうか。
そこまで考えて、邪推だな、と鉄は思考を打ち切った。いちご一つにいちいち意味を見出していたら、この世はトラウマ持ちだらけだ。
「それで、相談なんですが」
水森が神妙な顔で口を開いたのは、二人して二皿目に突入した時だった。
一皿目をいちごケーキで統一していた鉄は、二皿目はチョコレートづくしにしていた。こんなに心躍る茶色、他にある?そんなウキウキした気分で席に着いたのに、フォークを構える前に、面白くない相談が始まってしまった。
顔に出ていたのか、水森が無言でケーキの皿を指差す。奢ったじゃないか、と言いたいらしい。はいはい、聞きますよ。鉄はため息を吐いた。
「だいたい想像つくけど、なんであんな質問してたん?」
「たぶん、想像通りと思いますが、オレが、こう、受け入れる側なんスけど」
同僚の性事情ほど気まずいものはない。しかし、鉄はケーキの分は聞かなくてはならないのだ。あんまり想像しないようにしながら、鉄は頷いた。
「それで、まだ、いろいろ準備中なんスけど。この前その一環で……臨戦態勢の、先輩の大きさが怖くなって」
先ほども述べた通り、周りは女子だらけの店だ。そのことに配慮してか、水森はひどく遠回りな言い方をしてくる。鉄には、そのことが逆に卑猥に感じられた。
「それで、なんか、オレ、変なのか気になって」
本人は、至って真面目に悩んでいるのだろう。普段の明るさはどこへいった、というくらいに沈んだ顔をしている。だが、鉄にはその悩みがよく分からなかった。
鉄は性交渉の経験がない。弟のこと、父のことで手一杯だった、というのもあるが、興味が持てなかった。両親の不仲や、腹違いの弟の存在から子供を作る行為に、積極的になれない、なんて理由をつけることもできたが、そういうわけではない、と感じている。
イケメンは好きだし、穂村のことはキスしたいくらいかわいい、と思っている。けれど、じゃあセックスしたいか、と言われるとそこにはどうにも結びつかない。
気持ちいいよ、と友人から話を聞くことはあるが、鉄は自分と家族で合奏した時のように、音と音がぴったりはまった時ほど気持ち良いものはないと考えている。運動すると性欲が発散される、なんて話を聞くが、自分にとってのそれが音楽なのかもしれないな、というのが、鉄がぼんやりとだした答えだ。
そんな、ちょっと気恥ずかしい自分ごとを目の前の後輩に話すつもりはなかった。だから、鉄は「友達に聞いたんだけど、」と前置きをおいて話し始めた。
「割と、怖かったり、痛かったりで、最初の方失敗する子多いらしいよ」
だからお前は変じゃない。鉄としては、そう伝えたつもりだった。しかし、水森はどこか釈然としない顔をして、こう言った。
「でも……女の人って、大きいモノ見ると興奮するんじゃないんですか?」
ここが、かわいい雰囲気のケーキバイキングじゃなければ、ぶん殴っていたところだ。鉄は軽蔑の眼を水森に向けた。
「どこで得た知識だよ。マジで今の発言ないからな」
ふつふつと湧き出る怒りのまま、鉄は低い声で水森に問いかける。本気の怒りに触れて、水森はあたふたと弁解を始めた。
「あの、そういう動画とかで、大きい方がいいって台詞多くて」
「ああいう動画はフィクション。そんなの鵜呑みにするなんて、お前は童貞かよ」
鉄が吐き捨てるように言った言葉に、水森は目を逸らす。あ、これ、童貞だな。嘘が読めなくても、この反応を見れば鉄にもわかった。
自身の言葉に落ち込む後輩を見て、鉄の怒りも収まりつつあった。
「……やっぱり、どっちも経験ないから、オレ変なことで悩んじゃうんですかね?」
「変っていうか……気にしすぎじゃん?」
別に、周りがどうだろうと、怖いものは怖いでいい。どうしてそんなに、他との違いを気にしているのか。鉄は違和感を覚えた。
「気になりますよ……先輩の元カノ達と比べられるんだって思ったら」
「はぁ?」
砂噛に、元カノが多いことは鉄も知っている。鉄が会社で働くようになった時には、すでに穂村に苦言を呈された後で、その時代の砂噛を直接見たわけではないが、噂では聞いていた。
伝聞だけで決めつけるのもどうかと思ったが、その時の彼女と、水森に対する態度は、明らかに違う。なんというか、水森を見つめる砂噛の目線は、息苦しいくらいに甘ったるい。
「……嫉妬?」
水森は嫌そうな顔をしながらも、小さく頷いた。認めたくないらしい。
鉄は急に馬鹿馬鹿しくなった。気乗りしないものの、真面目に相談に乗っていたが、そんな必要もなかったようだ。どう見ても目の前の後輩にベタ惚れのあの男が、そんなこと気にするとは思えなかった。
保留していた目の前のケーキに、ぶすりとフォークを刺す。それを口に運びながら、鉄は軽い調子で答えた。
「へーきへーき。ドラ男だったら、水森がド下手でも、初夜失敗しても、他の女のことなんてこれっぽっちも思い出さないと思うよ」
「そんな、適当な……」
「マジマジ。分かるっしょ?」
本気ではあったものの、真剣には会話をしていない。鉄は今、目の前のオペラに向き合うのに忙しい。
◇◇◇
夕飯の代わりのつもりではあるものの、さすがに三皿目は食べる気になれず、鉄は空になった皿にフォークを置いた。口の中が甘ったるい。先ほどまでは幸福感を与えてくれた甘味が、今はくどさとなって不快だ。
口の中を洗い流すように、アイスティーを飲む。ぬるくなったそれは、満腹の今心地良い。不快にならないところで止めるのが、大人のバイキングの楽しみ方らしいが、いつも限界まで食べてしまう。そういう意味では自分はまだまだ子供なのだろう。
目の前に座る水森はあまり納得した様子ではなく、のろのろとケーキを食べ進めている。自分の分のケーキも無くなったので、少しだけ話を続けることにした。
「つーか、ドラ男には相談しないの?」
「相談っていうか……」
水森はそこで少し迷うように目を泳がせた。そうしてたどたどしく語られた内容に、鉄は聞かなきゃ良かったと後悔した。
モノの大きさに怯えた水森に、砂噛は宥めるようにキスをしてくれたという。「大丈夫」「無理はさせない」「お前がいいって言うまで待つから」と水森曰く優しい言葉をかけながら。すげぇ必死じゃん、と鉄は茶々を入れたかったが、黙って聞いていた。
そうして気持ちを落ち着けているうちに、水森も反応してしまったという。水森が濁しに濁して説明してくるのでよく分からなかったが、その後、とにかく砂噛の手で二人まとめて射精まで持っていかれたらしい。知らない世界を勝手に見せられた気分だ。
「それで、また、怖くなっちゃって」
「なんで」
「なんか、自分でするのと、感覚違って……」
要は、気持ち良すぎて嫌だったという。自分を見失いそうだった、と水森は目を伏せている。それでも、水森は食べるのをやめず、耳まで真っ赤にしながら、真っ赤ないちごにぷすりとフォークを刺した。
「痛いのも怖い、気持ちいいのも怖いって……」
「めんどくさい奴ですよね?分かってます」
水森の言葉は自嘲するかのように弱々しい。図星を指された鉄は少し口ごもったが、開き直って「まぁ、めんどいけど」と返した。
「それでも、諦めないんだ?」
「それは、まぁ。先輩、したいだろうし」
はぁ、とため息を吐きながら、水森はケーキの最後の一欠片にフォークを伸ばす。取ったからには食べないと、という義務感で消費しているようだ。せっかくの美味しいケーキを楽しめない後輩が、なんだか哀れだった。
「つーか、水森も健気だね」
「そうっスか?」
「うん、怖かったらやめればいいのに」
鉄の言葉に、水森はうーん、と首を捻っている。
「まぁ、怖いですけど。先輩が喜ぶなら、がんばるしかないかなって」
「……いつの間に、そんなに好きになったの?」
鉄は、この二人について、先に好きになったのは砂噛のほうだと踏んでいる。交際に至る経緯は細かく聞いていないが、砂噛が水森を見る時の「かわいくて仕方ない」という目線から、そう考えた。
水森はきょとんとした顔で、「好きじゃなきゃ付き合いませんよ」と軽く答えてくる。そうだけど、そうじゃない。
「ドラ男からは好き好きオーラ出てるけどさ。水森はなんかそこまでかなって思ってた。なんか好きになったきっかけとかあんの?」
「きっかけ……」
鉄の言葉を、水森は反復した。そうして、少し考え込んだ後、言葉を選びながら話し始めた。
「砂噛先輩って、あんまり顔にでないじゃないですか」
「何が?」
「好意が。付き合ってからも、それまでと表情変わらないし」
「え、でも、あいつマジで心臓うるさいよ」
「それは、鉄先輩しか分からないでしょ」
たしかに。鉄が砂噛の好意的な態度に気がついたのは、聴覚からの情報を元に観察した結果だ。他の人には別の見え方をしているのかもしれない。
「でも、目だけは正直で、わかりやすい」
鉄は頷いた。あの、溶けるような目線は恋する人間に独特のものだ。水森を見ている時だけ、少し柔らかくなる、あの目。
「あの視線が、他に向くのは嫌っス。あと、他に向いてたことがあるのも」
きっかけに、なってます?水森はそう苦笑している。鉄は十分だよ、と返した。十分に甘ったるい惚気だ。水森の方からの気持ちが少ないのでは、なんて考えていたが、想像以上に気持ちが向いている。
「じゃあ、まぁ、恐怖に負けずにがんばれ」
「そこなんスよねー……」
苦笑いをしながら、水森はフォークをかちりと置いた。
水森は先ほどからウーロン茶をちびちびと飲んでいる。全てのケーキを食べ終わったし、自分と同じように、口の中の甘みを消したいのかな、と鉄は推測した。一方で彼女は、もう一個、いや二個くらいなら食べられるかも、と思い始めていた。ちょっと時間も経ったし、甘いものは別腹って言うじゃん?と自分に言い訳をした。先ほどから甘い物しか食べていないが。
けれど、鉄は立ち上がらなかった。さすがに食べ過ぎだ。太ると、昨日買った新しいミニTが着こなせなくなる。すでに遅い気がするが、我慢しよう、そう決めた。
気を紛らわすように、鉄は後輩に話しかけた。
「あのさ、あれな話だけど、気になるから聞いていい?」
「え?は、はい」
我ながらずるい聞き方をした、と思いつつ、鉄は言質を取ってから話し始めた。
「ドラ男のサイズがやたらでかいって、言ってるけど、もしかして元の姿に戻ってすんの?」
水森がウーロン茶をむせている。まぁ、自分でも、下世話な話だとは思ったのだが、気になったものは仕方ない。
「てかさ、ドラ男って、元の姿の方が気持ちいいとかあんの?」
「知りませんよ……あと、さすがにあれ以上のサイズになると、オレ、どうがんばっても出来ないっス」
そう言って、水森は自分を抱きしめるように身震いしている。色々思い出して恐怖を感じているようだ。そこまでの反応を見せられると、どのくらいの大きさなのか、気にならないでもない。だが、そのことは口にしなかった。ここで知ったら、明日から砂噛と顔を合わせにくい。いや、もうすでに色々恥ずかしいことを聞いたので、気まずくはあるのだが。
「じゃあ、元の姿と、今の姿、どっちが好き?」
「どっちも……てか、鉄先輩、さっきから生態観察みたいな質問ばっかしてくる」
水森は困ったような、照れたようなそんな顔をしながらも答えを返してくれる。うん、さっきの沈んだ顔より、こっちの方がいいな。鉄はもうちょっとからかいたくなり、次の質問を考えた。
◇◇◇
終業後に店に入ったので、バイキングから出た時にはあたりは暗くなっていた。
「こんな時間まですみませんでした。夕飯の時間大丈夫です?」
「いいって。最後の方はウチが質問してばっかだったし」
つーか、この後家で夕飯食べるのか、こいつ。鉄は男子高校生の食欲が恐ろしくなった。テナやアルトも、成長したらケーキバイキングの後に夕飯食べるようになるのか。カレー、大鍋で作っても一日で空になるかも。そんな、早すぎる心配まで頭によぎってしまう。
「てかさ、相談料として奢ってもらったけど、返そうか?ウチ、水森の悩み解決できてないよね」
「え?でも怖いの変じゃないって言ってくれたじゃないっスか」
水森は手を前にして断るようなジェスチャーを見せた。本人はそう言っているが、鉄は気になってしまう。水森の表情はだいぶ明るくなったものの、本質的な悩みは解決していないように感じる。
「うん、変ではないけど。でも怖いままでしょ?」
「あー……」
「がんばれとしか言えない。当たって、砕けろ!」
「いや、砕けたくはないっスけど」
水森は笑っている。昼間、休憩室で見た時の思い詰めた表情は今はかけらも見えない。
「確かに今も怖いですけど。でも話をできたらちょっとすっきりしました」
だから、ケーキは約束通り奢りのままで。そう言われて、鉄はようやく納得した。
「じゃ、ありがたく。ゴチでした」
水森の家と、鉄の家はこの店から反対方向にある。送りましょうか?という後輩の言葉を、鉄は固辞した。さすがにそこまでしてもらうほど、遅くはない。
別れ際、鉄は水森に一つだけお願いをすることにした。
「もし、ドラ男に無理やり突っ込まれたら教えてね」
「砂噛先輩はそんなことしませんよ。待ってくれてますし」
水森はちょっとムッとしたように言い返してくる。恋人のことを悪く言われたと感じているようだ。
「もしもの話。盛り上がって、彼氏が止まらなくなってみたいなことは、結構ありふれた話だから」
別に、力任せにどうこうという話ではない。最中になるといくら「嫌だ」と伝えても、本気と捉えられなかったり、不機嫌な態度を見せて要求を飲ませたり。そういう話は友人たちから嫌というほど聞かされている。普段が優しいやつでも、性行為になると抑えが効かなくなることはある。
鉄の真剣な声音に、水森は黙ってしまった。納得はいっていないようだが、そう言った男女の話は鉄の方が詳しいと感じたのか、反論はなかった。
「……言ったら、どうするんですか?」
「おねーさんが、痛い目見せてやんよ」
そう言って、鉄はプラプラとスタンネイルを見せびらかすように動かした。
結局、恋愛ごとに他人ができることなんて、ほとんどないのだ。突き詰めていけば、二人の話になってしまい、自分たちが入り込む隙なんてない。良くも悪くも。できることといえば、話を聞いて、味方であると示すことぐらいだ。鉄は、今までも友人たちにそう接していた。
「無理なことされたら、ギャルが復讐してくれるって思ったら、ちょっと心強くない?」
わざと冗談っぽく、それでも本気でそういうと、後輩は「お守りが強すぎる」と笑っていた。
だけど、人に見られたくないものは、さすがに会社で見るべきではない。そう思うのだ。
「……あのさ」
「うわっ!」
鉄が声をかけると、水森はあからさまに動揺した。そして、怖々と聞いて来た。
「……見ました?」
鉄は舌打ちしたい気分だった。
「何を?」とか「反射でよく見えない」とか、言い訳はいくらでもできた。相手が水森でなければ。
「ごめん、見えた」
嘘が通じないので正直に答えると、水森はかわいそうなくらい真っ赤になった。
数分前の会社の休憩室。鉄はスマホをいじっている後輩の後ろ姿を見かけた。ちょっと驚かしてやろう、と息を殺して近寄ったのがそもそもの間違いだった。声をかける直前で目に入ったのが水森のスマホの画面だ。
有識者から勘違い野郎までそろう、ネットの質疑応答サイト。知恵袋なんて、かわいらしいネーミングのわりに、犯罪スレスレの質問まで飛び交っている。そろそろネットに触れ始める歳の弟を持つ鉄には、注意すべき対象にすらなっている。
そんなサイトを、水森は眺めていた。いや、見るのはいい。鉄も、何かの参考にしようと覗くことはある。だが、その質問文が問題だった。
『彼氏の男性器が大きすぎて、性行為が怖いです。これは変なのでしょうか?』
お前、なんつーページ見てんだよ。
呆れと驚きから、鉄はつい声をかけてしまった。
茹で蛸みたいに赤くなった水森は「違うんです……」と聞いてもいないのに弁明を始めた。
「確かに、性別書かなかったオレが悪いんスけど、こんな答えを求めてた訳じゃないんです」
そう言って、スマホを渡される。どうやら、見ていいようだ。というか、この言い草だと、あの質問文書いたのお前か。鉄は嫌な予感がしつつも、画面をスクロールした。
件の質問文の下には、たくさんの回答が続いている。
『オレが慣らしてあげようか?』『女子学生かな?テクニックある大人が相手してあげるよ。痛くしないよ』などなど。鉄は、回答欄を二、三個見て、水森にスマホを返した。
「バカみてぇな質問に、くっそみてぇな回答だな!」
「オレは真面目に悩んでるんスよ!」
水森の悲痛な叫びが休憩室にこだました。
◇◇◇
知ったからには、相談に乗ってください。
そう、半ばヤケになった後輩に言われて、鉄は相談料を要求した。何も、現金を取るわけではない。何か奢れと言ったのだ。
水森は、酒以外ならいいですよ、とあっさりと承諾してきた。正直、あの質問文から類推される、下世話な話を素面で聞きたくないのだが、仕方ない。何か、テンションの上がるところで話を聞こう、鉄はそう考えた。
「それで、ここを選んだってわけ」
「はぁ」
水森はいまいち解せん、という顔をしつつ、居心地悪そうにテーブルについている。
店内の白い壁は、赤いリボンやガーランドで飾りつけられている。テーブルクロスも赤いギンガムチェックでかわいらしい。隣の席に座る女の子二人が、きゃっきゃとかわいらしい声をあげながらお互いの写真を撮っている。その隣の席も似たようなものだ。
店内にいるのはほぼ女子だ。がんばって探せば、男性客もいるのだが、その数人は皆、水森のように居心地悪そうにしている。ここにいる誰も、他人のことなんて気にしてないのに、と鉄はちょっと面白く思った。
「ま、とりあえず、まずは取りに行こっか。食べなきゃ損だよ」
「まぁ、オレの金だし食べますけど」
水森はしぶしぶと言った様子で立ち上がった。相談事が気になって仕方がないようだ。
せっかくケーキバイキングに来たのだ。そんな話は後にしたい。鉄はウキウキしながら宝石のような輝きを見せるケーキ達の元へと向かった。
「この時期だからか、いちごのケーキの割合多いっスね」
「あーね、いちご、映えるしね」
あれだけ気乗りしない、という様子だったのに、水森は真っ白な皿を埋め尽くすようにケーキを載せてきた。もっとも、鉄も人のことは言えない。あれも美味しそう、これは初めて見るケーキだ、なんて目移りしているうちに皿の白地は見えなくなってしまった。
水森の皿に載っている、小ぶりなチョコのロールケーキ、次取ってこよ。テーブルに戻ってからも鉄の目移りは続いていた。
「じゃ、食べよっか」
「そうっスね」
ケーキを前に、水森の顔は晴れやかだ。このまま相談とか忘れてくんないかな。鉄はそんな無責任なことを考えながら、ショートケーキのいちごにフォークを刺した。
「いちご最初に食べる派なんですね」
「そーね、ちっちゃいときからの癖」
取っとくと、クソ野郎が横取りするから、先に食べるようになった、ということは伏せた。このポップでかわいい空間に合わない話だと言うことは分かっていたし、水森も反応に困るだろう。
「まぁ、オレもなんスけど」
そう言って、水森はチョコレートケーキの上に乗るいちごを口に運んだ。
好物を先に食べるタイプなのか。それとも、自分のように幼少期に何か面白くない体験をしたのだろうか。
そこまで考えて、邪推だな、と鉄は思考を打ち切った。いちご一つにいちいち意味を見出していたら、この世はトラウマ持ちだらけだ。
「それで、相談なんですが」
水森が神妙な顔で口を開いたのは、二人して二皿目に突入した時だった。
一皿目をいちごケーキで統一していた鉄は、二皿目はチョコレートづくしにしていた。こんなに心躍る茶色、他にある?そんなウキウキした気分で席に着いたのに、フォークを構える前に、面白くない相談が始まってしまった。
顔に出ていたのか、水森が無言でケーキの皿を指差す。奢ったじゃないか、と言いたいらしい。はいはい、聞きますよ。鉄はため息を吐いた。
「だいたい想像つくけど、なんであんな質問してたん?」
「たぶん、想像通りと思いますが、オレが、こう、受け入れる側なんスけど」
同僚の性事情ほど気まずいものはない。しかし、鉄はケーキの分は聞かなくてはならないのだ。あんまり想像しないようにしながら、鉄は頷いた。
「それで、まだ、いろいろ準備中なんスけど。この前その一環で……臨戦態勢の、先輩の大きさが怖くなって」
先ほども述べた通り、周りは女子だらけの店だ。そのことに配慮してか、水森はひどく遠回りな言い方をしてくる。鉄には、そのことが逆に卑猥に感じられた。
「それで、なんか、オレ、変なのか気になって」
本人は、至って真面目に悩んでいるのだろう。普段の明るさはどこへいった、というくらいに沈んだ顔をしている。だが、鉄にはその悩みがよく分からなかった。
鉄は性交渉の経験がない。弟のこと、父のことで手一杯だった、というのもあるが、興味が持てなかった。両親の不仲や、腹違いの弟の存在から子供を作る行為に、積極的になれない、なんて理由をつけることもできたが、そういうわけではない、と感じている。
イケメンは好きだし、穂村のことはキスしたいくらいかわいい、と思っている。けれど、じゃあセックスしたいか、と言われるとそこにはどうにも結びつかない。
気持ちいいよ、と友人から話を聞くことはあるが、鉄は自分と家族で合奏した時のように、音と音がぴったりはまった時ほど気持ち良いものはないと考えている。運動すると性欲が発散される、なんて話を聞くが、自分にとってのそれが音楽なのかもしれないな、というのが、鉄がぼんやりとだした答えだ。
そんな、ちょっと気恥ずかしい自分ごとを目の前の後輩に話すつもりはなかった。だから、鉄は「友達に聞いたんだけど、」と前置きをおいて話し始めた。
「割と、怖かったり、痛かったりで、最初の方失敗する子多いらしいよ」
だからお前は変じゃない。鉄としては、そう伝えたつもりだった。しかし、水森はどこか釈然としない顔をして、こう言った。
「でも……女の人って、大きいモノ見ると興奮するんじゃないんですか?」
ここが、かわいい雰囲気のケーキバイキングじゃなければ、ぶん殴っていたところだ。鉄は軽蔑の眼を水森に向けた。
「どこで得た知識だよ。マジで今の発言ないからな」
ふつふつと湧き出る怒りのまま、鉄は低い声で水森に問いかける。本気の怒りに触れて、水森はあたふたと弁解を始めた。
「あの、そういう動画とかで、大きい方がいいって台詞多くて」
「ああいう動画はフィクション。そんなの鵜呑みにするなんて、お前は童貞かよ」
鉄が吐き捨てるように言った言葉に、水森は目を逸らす。あ、これ、童貞だな。嘘が読めなくても、この反応を見れば鉄にもわかった。
自身の言葉に落ち込む後輩を見て、鉄の怒りも収まりつつあった。
「……やっぱり、どっちも経験ないから、オレ変なことで悩んじゃうんですかね?」
「変っていうか……気にしすぎじゃん?」
別に、周りがどうだろうと、怖いものは怖いでいい。どうしてそんなに、他との違いを気にしているのか。鉄は違和感を覚えた。
「気になりますよ……先輩の元カノ達と比べられるんだって思ったら」
「はぁ?」
砂噛に、元カノが多いことは鉄も知っている。鉄が会社で働くようになった時には、すでに穂村に苦言を呈された後で、その時代の砂噛を直接見たわけではないが、噂では聞いていた。
伝聞だけで決めつけるのもどうかと思ったが、その時の彼女と、水森に対する態度は、明らかに違う。なんというか、水森を見つめる砂噛の目線は、息苦しいくらいに甘ったるい。
「……嫉妬?」
水森は嫌そうな顔をしながらも、小さく頷いた。認めたくないらしい。
鉄は急に馬鹿馬鹿しくなった。気乗りしないものの、真面目に相談に乗っていたが、そんな必要もなかったようだ。どう見ても目の前の後輩にベタ惚れのあの男が、そんなこと気にするとは思えなかった。
保留していた目の前のケーキに、ぶすりとフォークを刺す。それを口に運びながら、鉄は軽い調子で答えた。
「へーきへーき。ドラ男だったら、水森がド下手でも、初夜失敗しても、他の女のことなんてこれっぽっちも思い出さないと思うよ」
「そんな、適当な……」
「マジマジ。分かるっしょ?」
本気ではあったものの、真剣には会話をしていない。鉄は今、目の前のオペラに向き合うのに忙しい。
◇◇◇
夕飯の代わりのつもりではあるものの、さすがに三皿目は食べる気になれず、鉄は空になった皿にフォークを置いた。口の中が甘ったるい。先ほどまでは幸福感を与えてくれた甘味が、今はくどさとなって不快だ。
口の中を洗い流すように、アイスティーを飲む。ぬるくなったそれは、満腹の今心地良い。不快にならないところで止めるのが、大人のバイキングの楽しみ方らしいが、いつも限界まで食べてしまう。そういう意味では自分はまだまだ子供なのだろう。
目の前に座る水森はあまり納得した様子ではなく、のろのろとケーキを食べ進めている。自分の分のケーキも無くなったので、少しだけ話を続けることにした。
「つーか、ドラ男には相談しないの?」
「相談っていうか……」
水森はそこで少し迷うように目を泳がせた。そうしてたどたどしく語られた内容に、鉄は聞かなきゃ良かったと後悔した。
モノの大きさに怯えた水森に、砂噛は宥めるようにキスをしてくれたという。「大丈夫」「無理はさせない」「お前がいいって言うまで待つから」と水森曰く優しい言葉をかけながら。すげぇ必死じゃん、と鉄は茶々を入れたかったが、黙って聞いていた。
そうして気持ちを落ち着けているうちに、水森も反応してしまったという。水森が濁しに濁して説明してくるのでよく分からなかったが、その後、とにかく砂噛の手で二人まとめて射精まで持っていかれたらしい。知らない世界を勝手に見せられた気分だ。
「それで、また、怖くなっちゃって」
「なんで」
「なんか、自分でするのと、感覚違って……」
要は、気持ち良すぎて嫌だったという。自分を見失いそうだった、と水森は目を伏せている。それでも、水森は食べるのをやめず、耳まで真っ赤にしながら、真っ赤ないちごにぷすりとフォークを刺した。
「痛いのも怖い、気持ちいいのも怖いって……」
「めんどくさい奴ですよね?分かってます」
水森の言葉は自嘲するかのように弱々しい。図星を指された鉄は少し口ごもったが、開き直って「まぁ、めんどいけど」と返した。
「それでも、諦めないんだ?」
「それは、まぁ。先輩、したいだろうし」
はぁ、とため息を吐きながら、水森はケーキの最後の一欠片にフォークを伸ばす。取ったからには食べないと、という義務感で消費しているようだ。せっかくの美味しいケーキを楽しめない後輩が、なんだか哀れだった。
「つーか、水森も健気だね」
「そうっスか?」
「うん、怖かったらやめればいいのに」
鉄の言葉に、水森はうーん、と首を捻っている。
「まぁ、怖いですけど。先輩が喜ぶなら、がんばるしかないかなって」
「……いつの間に、そんなに好きになったの?」
鉄は、この二人について、先に好きになったのは砂噛のほうだと踏んでいる。交際に至る経緯は細かく聞いていないが、砂噛が水森を見る時の「かわいくて仕方ない」という目線から、そう考えた。
水森はきょとんとした顔で、「好きじゃなきゃ付き合いませんよ」と軽く答えてくる。そうだけど、そうじゃない。
「ドラ男からは好き好きオーラ出てるけどさ。水森はなんかそこまでかなって思ってた。なんか好きになったきっかけとかあんの?」
「きっかけ……」
鉄の言葉を、水森は反復した。そうして、少し考え込んだ後、言葉を選びながら話し始めた。
「砂噛先輩って、あんまり顔にでないじゃないですか」
「何が?」
「好意が。付き合ってからも、それまでと表情変わらないし」
「え、でも、あいつマジで心臓うるさいよ」
「それは、鉄先輩しか分からないでしょ」
たしかに。鉄が砂噛の好意的な態度に気がついたのは、聴覚からの情報を元に観察した結果だ。他の人には別の見え方をしているのかもしれない。
「でも、目だけは正直で、わかりやすい」
鉄は頷いた。あの、溶けるような目線は恋する人間に独特のものだ。水森を見ている時だけ、少し柔らかくなる、あの目。
「あの視線が、他に向くのは嫌っス。あと、他に向いてたことがあるのも」
きっかけに、なってます?水森はそう苦笑している。鉄は十分だよ、と返した。十分に甘ったるい惚気だ。水森の方からの気持ちが少ないのでは、なんて考えていたが、想像以上に気持ちが向いている。
「じゃあ、まぁ、恐怖に負けずにがんばれ」
「そこなんスよねー……」
苦笑いをしながら、水森はフォークをかちりと置いた。
水森は先ほどからウーロン茶をちびちびと飲んでいる。全てのケーキを食べ終わったし、自分と同じように、口の中の甘みを消したいのかな、と鉄は推測した。一方で彼女は、もう一個、いや二個くらいなら食べられるかも、と思い始めていた。ちょっと時間も経ったし、甘いものは別腹って言うじゃん?と自分に言い訳をした。先ほどから甘い物しか食べていないが。
けれど、鉄は立ち上がらなかった。さすがに食べ過ぎだ。太ると、昨日買った新しいミニTが着こなせなくなる。すでに遅い気がするが、我慢しよう、そう決めた。
気を紛らわすように、鉄は後輩に話しかけた。
「あのさ、あれな話だけど、気になるから聞いていい?」
「え?は、はい」
我ながらずるい聞き方をした、と思いつつ、鉄は言質を取ってから話し始めた。
「ドラ男のサイズがやたらでかいって、言ってるけど、もしかして元の姿に戻ってすんの?」
水森がウーロン茶をむせている。まぁ、自分でも、下世話な話だとは思ったのだが、気になったものは仕方ない。
「てかさ、ドラ男って、元の姿の方が気持ちいいとかあんの?」
「知りませんよ……あと、さすがにあれ以上のサイズになると、オレ、どうがんばっても出来ないっス」
そう言って、水森は自分を抱きしめるように身震いしている。色々思い出して恐怖を感じているようだ。そこまでの反応を見せられると、どのくらいの大きさなのか、気にならないでもない。だが、そのことは口にしなかった。ここで知ったら、明日から砂噛と顔を合わせにくい。いや、もうすでに色々恥ずかしいことを聞いたので、気まずくはあるのだが。
「じゃあ、元の姿と、今の姿、どっちが好き?」
「どっちも……てか、鉄先輩、さっきから生態観察みたいな質問ばっかしてくる」
水森は困ったような、照れたようなそんな顔をしながらも答えを返してくれる。うん、さっきの沈んだ顔より、こっちの方がいいな。鉄はもうちょっとからかいたくなり、次の質問を考えた。
◇◇◇
終業後に店に入ったので、バイキングから出た時にはあたりは暗くなっていた。
「こんな時間まですみませんでした。夕飯の時間大丈夫です?」
「いいって。最後の方はウチが質問してばっかだったし」
つーか、この後家で夕飯食べるのか、こいつ。鉄は男子高校生の食欲が恐ろしくなった。テナやアルトも、成長したらケーキバイキングの後に夕飯食べるようになるのか。カレー、大鍋で作っても一日で空になるかも。そんな、早すぎる心配まで頭によぎってしまう。
「てかさ、相談料として奢ってもらったけど、返そうか?ウチ、水森の悩み解決できてないよね」
「え?でも怖いの変じゃないって言ってくれたじゃないっスか」
水森は手を前にして断るようなジェスチャーを見せた。本人はそう言っているが、鉄は気になってしまう。水森の表情はだいぶ明るくなったものの、本質的な悩みは解決していないように感じる。
「うん、変ではないけど。でも怖いままでしょ?」
「あー……」
「がんばれとしか言えない。当たって、砕けろ!」
「いや、砕けたくはないっスけど」
水森は笑っている。昼間、休憩室で見た時の思い詰めた表情は今はかけらも見えない。
「確かに今も怖いですけど。でも話をできたらちょっとすっきりしました」
だから、ケーキは約束通り奢りのままで。そう言われて、鉄はようやく納得した。
「じゃ、ありがたく。ゴチでした」
水森の家と、鉄の家はこの店から反対方向にある。送りましょうか?という後輩の言葉を、鉄は固辞した。さすがにそこまでしてもらうほど、遅くはない。
別れ際、鉄は水森に一つだけお願いをすることにした。
「もし、ドラ男に無理やり突っ込まれたら教えてね」
「砂噛先輩はそんなことしませんよ。待ってくれてますし」
水森はちょっとムッとしたように言い返してくる。恋人のことを悪く言われたと感じているようだ。
「もしもの話。盛り上がって、彼氏が止まらなくなってみたいなことは、結構ありふれた話だから」
別に、力任せにどうこうという話ではない。最中になるといくら「嫌だ」と伝えても、本気と捉えられなかったり、不機嫌な態度を見せて要求を飲ませたり。そういう話は友人たちから嫌というほど聞かされている。普段が優しいやつでも、性行為になると抑えが効かなくなることはある。
鉄の真剣な声音に、水森は黙ってしまった。納得はいっていないようだが、そう言った男女の話は鉄の方が詳しいと感じたのか、反論はなかった。
「……言ったら、どうするんですか?」
「おねーさんが、痛い目見せてやんよ」
そう言って、鉄はプラプラとスタンネイルを見せびらかすように動かした。
結局、恋愛ごとに他人ができることなんて、ほとんどないのだ。突き詰めていけば、二人の話になってしまい、自分たちが入り込む隙なんてない。良くも悪くも。できることといえば、話を聞いて、味方であると示すことぐらいだ。鉄は、今までも友人たちにそう接していた。
「無理なことされたら、ギャルが復讐してくれるって思ったら、ちょっと心強くない?」
わざと冗談っぽく、それでも本気でそういうと、後輩は「お守りが強すぎる」と笑っていた。
