今日までノーカン!

 COSMOSの飲み会は、自由度が高い。ホストクラブで行われたのは、別格としても、おでんの屋台で行われたり、大衆居酒屋で行われたりと開催場所も様々だ。
 水森は飲酒できない年齢であるし、他の部署との付き合いも限られている。だから、飲み会に参加する機会というのは限られているし、誘われても断ることもあった。せいぜい、一ヶ月に一回、行くか、行かないか。そのくらいの頻度だ。
 他の会社の飲み会がどのように行われているのか知らないが、比較的緩いほうなんだろうな、と水森は考えていた。出席をその日に決めていいし、幹事がまともにいないことが多い。ノリで集まったメンバーで、適当に入れる店に行く、がほとんどのパターンだ。忙しい人が多いので、そういった緩やかな集まりになっているのだろうと推測していた。
 そんな軽い会なので、別に後輩がお酌する必要はない。女性にサラダの盛り付けが振られることもないし、そもそも全員が好き勝手にメニューを頼んでいる。自由すぎるくらいな空間なので、水森は飲めなくても居心地が悪いと感じたことはなかった。
 ただ、普段一緒に働いている人たちの酒癖については、どうしたものかな、と思わないでもなかった。まず、鉄が厄介だった。陽気で楽しい酔い方だが、他人への絡み方が酷い。以前ホストクラブで飲み会をした時には、同席した由梨への当てつけだとは思うが、水森にキスを迫ってきた。なんというか、人をからかうために体を張りすぎている。
 一緒に飲んだ回数は少ないが、馬喰は別の意味でタチが悪い。他人のMESにちょこちょことした改造を繰り返して、面白おかしい機能を加えてくる。この前、水森は換装をいじられて、猫耳メイド姿のまま一時間過ごした。地獄だった。
 穂村は、ホストクラブに潜入したとき以外、酒を飲んでいる姿を見たことがない。その時も、アルコールを無効化する薬を飲んでいたようだし、酔っている姿は見たことがない。ただ、積極的に場を収めるわけでもなく、黙々と食事をしているか、上の立場の人たちと、難しい話をしていることが多かった。そこだけ切り取ると、自由な飲み会ではなく会議か何かのようだった。
 酔っている姿を見たことがない、という意味では砂噛も同様だった。上記のメンバーの中では最もよく同席するが、いくら飲んでも顔色ひとつ変えないので、強いんだな、と水森は勝手に思っている。
 総じて自由な空間で、砂噛の隣は気が楽だった。食事の好みが似ているので、頼んだ料理を分けてもらえるし、無理に話さなくても沈黙が気まずくない。何より、普段と変わらぬ態度が酔いを感じさせず、心地良かった。
 だから、水森が飲み会に参加する時は、無意識だが砂噛が参加するものを選ぶことが多かった。
 
◇◇◇

 その日の飲み会は、珍しく小規模だった。そもそも、飲み会であったかも怪しいところがある。
 課のメンバー全員で残業をし、鉄が「もう、帰ってから夕飯作りたくなーい!」と叫んだことがきっかけだった。弟は友達の家に泊まりに行っており、今日は一人で過ごすらしい。ならば夕飯を食べて帰ろう、と四人で街に繰り出したところまでは、誰も酒を飲むつもりなどなかった。
 秋が深まり肌寒い夜の下、何を食べようか、あ、あそこ良さそう、などと言いながら、店を覗いては満員で断られ。それを二、三回繰り返してようやく入った店が居酒屋だった。
 入ったからには飲まないのは失礼では、と妙な気遣いの元、鉄と砂噛が酒を注文するに至った。今日は水曜日、週のど真ん中だ。さすがに鉄も深酒しないだろう、と水森は踏んでいたが、そんなことはなかった。
「カチョー、マジで好きです!」
「そうですか」
「塩対応!そこがいい。チューしていいです?」
「ダメですよ」
 鉄は隣の席の穂村に絡み続けている。ビール一杯でこんなになるなんて、この人ヤバいな、と水森は呆れながら目の前の光景を眺めた。
 水森は夕飯のつもりで来たし、酒も飲めないので、初っ端から〆のメニューにあったチャーハンを食べている。各々好きなものしか頼まず、シェアするなんて気はないので、誰もそのことをつっこんできたりしない。
 チャーハンは美味しかった。居酒屋侮れないな、なんて思いながらギャルが美少女に迫る光景をぼんやりと見ていると、隣から皿を渡された。
「残りやるよ。好きだろ?」
「やった、ありがとうございます!」
 差し出されたたこの唐揚げをありがたく頂戴しながら、つくづく砂噛と自分は食の好みが似ているな、と水森は嬉しくなった。好みが同じ人がいる、というのは嬉しいものだ。他意はない。
 砂噛はちびちびとビールを飲んでいる。ジョッキの中身は残り少ない。
「何か飲み物追加します?」
「あー、そうだな」
「あ、ウチも飲むー!」
「いや、お前はもうやめとけよ」
 ぽんぽんと会話が展開されていく。普段から会話の絶えない職場だが、飲み会となると殊更騒がしい。学校の友人たちとはまた違う雰囲気だが、これはこれで嫌いじゃなかった。

◇◇◇

 明日もあるので、という穂村の一言によって、夕飯兼飲み会は早めにお開きとなった。
 鉄はビール二杯でつぶれてしまい、穂村の背に担がれている。途中、不意をついて穂村の頬にキスを成功させていたが、今は完全に夢の中だ。
「じゃあ、鉄を送ってから帰る。ここでお別れだな」
「すみません、任せちゃって」
 鉄と共にタクシーに乗り込む穂村を、砂噛は恐縮しながら見送っている。その様子を眺めながら、つくづくこの人は課長と他への態度違うよな、と水森はぼんやりと考えていた。
 去って行くタクシーが見えなくなると、砂噛は水森の方に向き直った。
「オレたちも帰るか」
 水森が頷くと、砂噛はさっさと歩き出す。
 砂噛の家がどこにあるのか、水森は正確には知らない。ただ、飲み会の後、帰る方向が同じだからと一緒になることが多かったので、近くなんだろうな、とイメージはしていた。
 いつか、遊びに行ってみたいと言ったら、きっと嫌がるだろうな。そんなことを考えながら、水森は先に行く砂噛を追った。
 
 砂噛は決して無口ではないが、自分から話題を振ってくることはあまりない。こちらから話かけると返事は返ってくるので、一緒に歩く間はもっぱら水森が話題を探すことが多かった。二人の共通の話題といえば、会社のことくらいなので、先ほどの飲み会の話を出したのは自然な流れだった。
「鉄先輩、相変わらずでしたね」
「あんなに弱いのに、なんで毎回飲むんだろうな」
 呆れたような砂噛の声に、水森は苦笑した。
「楽しそうではありますけどね。今日は課長がキスされてましたが、この前はオレがキスされそうになったし。失敗してたけど」
 水森としては、鉄の酒癖のエピソードを一つ、披露したつもりだった。だが、砂噛は別の解釈をしたようだった。
「なんだ、されたかったのか?キス」
「え?いや、そういうわけじゃ」
 話している途中で、肩を掴まれる。あ、と思った時にはもう遅かった。
 肩を掴む手は強引なくらいだったのに、合わせられた唇は優しかった。柔らかく、重ねられたそれはすぐに離れていって、何か自分の勘違いだったのではと疑うほどだ。けれど、自分の周りの空気にアルコールの臭いを強く感じ、先ほどまで至近距離に砂噛がいたことは確実だった。
「まぁ、オレで我慢しとけ」
 じゃあ、こっちだから。そう言い残すと、砂噛はこちらを振り返ることなく、去っていった。
 残された水森は、しばらくあっけに取られて動けなかった。思い出したようにバクバクと心臓が動き出す。キスされた、職場の先輩に。何もわからないうちに終わってしまったが、その事実は消えない。
「……初めてだったんだけど」
 誰もいない道端での言葉は、夜の闇の中に溶けていった。
 
◇◇◇

 その晩水森は、全くと言っていいほど眠れなかった。その割に目が冴えて、次の日の昼間も全く眠気が来ない。
 なんなんだったんだ、一体。
 その言葉がぐるぐると水森の頭の中を巡っていた。
 え、なんなのあの人。オレのこと好きなの?つーか、ファーストキス、奪われてしまった。あんなにあっさり、しかもなんでもない道端で。もっとこう、あるだろ。お花畑の真ん中とか、噴水広場とか、夜景が綺麗な丘とか。
 水森は苦悩した。最後の方は、彼が主に少女漫画で集めた知識からくる苦情だ。ちなみに彼の理想のファーストキスは噴水広場で、噴水が上がった瞬間だった。実に乙女チックである。
 気もそぞろなまま下校時間を迎え、夕方になって水森は出社した。砂噛と顔を合わせるのは緊張してしまうが、このまま悶々と過ごすより、なんだったんだアレは、と問い詰めて決着をつけたい気持ちもあった。
 そうして、彼なりに覚悟を決めて自分の所属する課の扉を開くと、人影が見えた。
「あー、水森じゃん。おつかれー」
 ぐりぐりと自身のこめかみを押しながら、鉄が出迎えてくれた。部屋の中には彼女一人だ。残念なような、ほっとしたような。
「体調どうっスか?」
「頭がめちゃ痛い」
 そう言って、鉄はフラペチーノを啜っている。そこは水とかじゃないんだ。水森が苦笑していると、鉄が疲れた様子で話し出した。
「昨日、ウチ、どうやって帰ったの?気づいたら家だったんだけど」
「課長が送ってったはずですけど」
「マジ?後でお礼言わなきゃ……」
 頭痛からか、眉間に皺を寄せながら鉄は唸っている。どうやら、昨夜の記憶が飛んでいるようだ、と水森は察した。
 水森は少しいじわるをしたくなった。普段は、彼女の酒癖に振り回されているのだ。少しくらいいいだろう。そう、思った。
「鉄先輩、課長にキスしてましたよ」
「……マ?」
「マジっス。ほっぺですけど」
 水森の言葉に鉄は頭を抱えている。羞恥で後悔しているのかな、と思ったが、そうではないようだ。「覚えていないなんて、もったいない」という独り言が聞こえてくる。
 そこで、気がついた。砂噛も酔っていたんじゃないか、と。顔色は変わっていなかったし、言動もいつもと変わらなかった。だが、行動は明らかに変だった。顔に出ない人もいるっていうしな、と水森は一人で腹落ちしていた。
 なんだ、酔っていたのか。そうやって、残念に思う自分がいることに水森は驚いた。なんで、そんな風に感じてしまうのかわからずに戸惑っていると、部屋のドアが開いた。
「あ、ドラ男。おつー」
「……お前、まだ二日酔い治んないのか」
 呆れたように鉄に声をかけているのは、水森を悩ませていた張本人だ。砂噛の様子は昨日までと変わらない。体調も問題なさそうに見える。
「す、砂噛先輩」
「どうした?」
 緊張しながら話しかけると、砂噛がこちらを向いた。自分に向けられる目がいつもと変わらないことに、水森は違和感を覚えた。酔っていたとはいえ、後輩にキスしたのだから、気まずさとかないのか。
「……昨日のことなんスけど」
「ああ、ちゃんと帰れたか?」
 受け答えもあまりに普通だった。キスしたことなど全く話題に出してこない。ここまできて、水森はある可能性に気がついた。
「先輩も、鉄先輩みたいに、酔ったら記憶無くすんですね」
「は?」
 怪訝な顔をしている相手を無視して、水森は納得した。記憶がないなら、この反応も頷けると言うものだ。
「大丈夫っス、オレ、気にしてないんで」
 それだけ言い残すと、水森はさっさと部屋を出て行った。
 忘れよう。水森は自分に言い聞かせた。きっと、砂噛も鉄と同様酔うとキスしたくなるタイプなのだろう。誰でも良かったに違いない。そんな風に考えると、なぜだか胸が痛んだ。
 この痛みはなんなのか。それを深掘りしてもいいことなんてなさそうだ、と水森は直感した。何かの比喩であるように、犬に噛まれたようなものだと思おう。そう心に決めて、水森は仕事に取り掛かった。
 
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