丁寧ではない暮らし

 肌寒い。そう感じて、水森はゆっくりと覚醒した。まだ目を閉じたままで、夢との境にいる状態だが、こう寒くてはもう一度眠るのは困難だ。
 手探りで布団を探すが、近くには見当たらない。こうなっては仕方ない、と諦めて目を開いた。
 カーテン越しの窓の外はまだ暗く、夜が明けていないことを示していた。こんな時間に目を覚ますのは、なんだか損した気分だ。もう一眠りしよう、と水森は布団を探すため体勢を変えた。
 次の瞬間、目に飛び込んで来たのは、布団ではなく恋人の寝顔で、彼の意識は一気に覚醒へと傾いた。

 寝起きに恋人の顔、というのはなかなか心臓に悪い。交際を始めて数年経つし、今では一緒に住んでいるというのにいまだに慣れない。
 顔が良すぎるんだよな、この人。
 水森は恋人のせいにしつつ、寝顔をまじまじと観察した。普段は鋭ささえ感じる切れ長の目は、今は閉じられている。その目を縁取るまつ毛は思いのほか長い。不機嫌そうに傾いていることの多い眉も、今は緩んでいる。会社では見せない無防備な顔に愛おしさが募った。
 ぼんやりと寝顔を眺めていると、昨夜の記憶が蘇ってきた。休みの前日ということもあり、昨日は割と激しく抱かれた……気がする。途中、意識が曖昧な部分もあるので、自信が持てない。そのまま寝落ちしてしまったようで、今自分は一糸纏わぬ姿だ。
 ともかく、寒いので何か着るなり羽織るなりしたい。水森は再度辺りを見回してため息をついた。布団は、恋人が専有してしまっている。半分寄越せと言いたいところだが、シングルサイズの布団は男二人に対しては、元からちょっと足りない。
 昨日着ていた寝巻きは、とてもじゃないが着る気になれなかった。服を脱ぐ前にいろいろ、そう、いろいろされたせいで、どろどろのぐちゃぐちゃになっている。水森は諦めてベッドから降りた。面倒だが、新しい服を出すしかない。
 
 今、水森がいるのは砂噛の個室である。それこそ、そう言うことをする時くらいしかこの部屋には入らないが、何度も来ているのでどこに何があるかは把握している。暗い中でも迷わずにベッドの下の収納を開けると、恋人のTシャツを取り出して拝借した。
 この部屋には、普段は入らない。別にお互い鍵をかけているわけではないが、なんとなく勝手に入り辛い。砂噛も同じようで、自分の部屋に入る時には、必ず事前に了承をとられる。
 改めて見ると、簡素な部屋だ。ベッドと、小さな収納しかない。自分の部屋も似たような造りだが、実家から持ってきた漫画を本棚に並べているし、大学関係の資料も雑然と積まれている。
 砂噛にとって、この部屋は個室というより寝室でしかないのだろう。今まで彼は一人で暮らしていたため、家丸ごとがパーソナルスペースだったことになる。一方の水森は、実家暮らしだったため、完全に自分の陣地、と言えるのは今と同様部屋くらいなものだった。
 たぶん、そこの意識の差なんだろうな、と水森は推測している。砂噛からすれば、完全に自分一人の空間、と呼べる範囲が減った形になるが、今のところそこに窮屈さは感じていないようだ。
 一緒に住む前は、同棲、と聞くと四六時中ひっついて暮らしているのかな、と漠然と思っていた。しかし、いざ自分たちがやってみると、たとえ同じリビングに居ても、お互いに別のことをしていることが多い。むしろ同棲前よりも会話は減ったくらいだ。それでも、ふと顔を上げると相手がいることの幸福感や、自分以外の衣擦れに感じる安心感は得難いものだと感じている。
 こうやって、相手がいるのが当然になっていく。それがたまらなく嬉しかった。

 さて、と水森は腕組みをして考え始めた。服を着たのはいいものの、目は完全に覚めてしまった。窓の外はいまだに暗いが、起きてしまってもいいかもしれない。
 シャワーも浴びたいし、汚れた布切れと化している寝巻きも洗濯したい。せっかくの休日だし、凝った朝食を作るのもいいだろう。
 最後に、もう一度恋人の寝顔を拝んでいくか。そう考えて、砂噛の寝ているベッドへと目線を移すと、寝ていたはずの恋人と、ばっちり目が合った。
「起きるのか?」
 不機嫌そうな声から、まだ寝ぼけているようだと分かる。起こしたかな、と申し訳なくなりつつ、受け答えをする。
「寒くて目が覚めちゃって」
 先輩はまだ寝てていいっスよ。そう伝えると、眉が寄せられていく。先ほどまでの穏やかな寝顔はどこへやら。険しい顔の出来上がりだ。
「お前も寝てろよ。休みなんだし」
 ベッドに一人分空いたスペースをべしべしと叩かれて催促される。一緒に寝て、というかわいらしいわがままのはずだが、お願いの仕方でこうも高圧的になるのか。水森は苦笑しながらも、ベッドに戻った。態度はアレだがこんな風に甘えられては断れない。
 隣に寝っ転がると、布団の中に抱き込まれる。「お前冷たいな」と文句を言いながらも、砂噛は温めるように背中をさすってくれる。どこまでも素直じゃない恋人の背に腕を回すと温かさが伝わってきた。
 体温が上がると、一度覚醒したはずの頭もぼんやりとしてくる。シャワーも、洗濯も後でいいかな。朝食は、簡単なもので済ませよう。先ほどまでの考えをあっさりと放棄して、水森は幸せな温かさの中意識を手放した。
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