丁寧ではない暮らし

 この家には体重計がない。引っ越すにあたって足りない家電を買い揃えようとなったときに、候補に上がらなかったのだ。
 そもそも実家にいた時にも、体重計はほぼ使っていなかった。たまに、太ったかな?と思ったときに、乗るくらいだった。成長期が終わってから、体重の変化はほぼなく一定だったこともあり、なくても困ることはなかった。そう、今この時まで。
 水森は液晶に映る数字を見て、絶句した。

 土曜日の朝、少し遅めの朝食を終えて、水森はため息をついた。自分の腹をさすると、先ほど食べたコーンスープやらトーストやらが詰まっている気がする。食べたんだから当然だろうと言われればそれまでなのだが、この前見た数字も相まって、妙に気になってしまう。
 キッチンで洗い物をしている恋人に目をやると、いつもと変わらずスラリとした立ち姿だ。肥満とは無縁そうなスタイルに、不満が募る。
 いやでも、自分と同じ食事をしていると言うことは、この人も同じように太ったのでは?そう考えて、水森は砂噛の背後に周った。当然気が付いているだろうが、恋人は皿洗いを続けている。
 背後からまじまじと眺めても、均整が取れた身体であることは変わらない。水森は、その広い背中に頭を預けて、後ろから抱きつくように腕を回した。
「……何?」
 怪訝そうな恋人の声に答えずに、水森は服の上から砂噛の腹を撫でた。服越しにもゴツゴツとした筋肉を感じ、脂肪の存在を感じさせない。ずるい、羨ましい。
 水森は自分が太ったのは、いわゆる幸せ太りだろうと考えていた。同棲を始めて食生活が変わった。相手の反応を見るのが楽しくて、色々凝った料理を作ったりもした。
 しかし、それは砂噛も同じはずだ。むしろ、幸せ太りというのは通常、料理作られる側がするものでは?そう考えると恋人の変化のなさに怒りすら覚えた。
 八つ当たりのように、すりすりと腹を撫で続けていると、流れ続けていた水が止められた。そのまま、砂噛の濡れた手が、水森の手に重ねられる。
「なんなんだよ、さっきから。だいぶ色気ないけど、誘ってんのか?」
「え!?いや違くて」
 慌てて手を引っ込めようとするががっちりと手を固定されてしまった。

「この前、実家に帰った時体重測ったら、太ってて」
「ふーん」
「先輩は見た目変わんないな、と思って」
「へー」
「……すみません、勘弁してください」
 先ほどとは形勢逆転し、水森は今、砂噛に抱きかかえられている。自分の触り方も遠慮がなかったと自覚しているが、恋人は輪をかけて無遠慮だ。服の中に手を入れられて、直接腹を撫でられる。
 こんなことになるなら、朝食の量を控えめにすれば良かった。どこかずれた反省をしながら、水森は腹をさする手のくすぐったい感覚に耐えた。
 砂噛は「そんなに変わらないだろ」と言いながら、手を止めてくれない。どこか楽しそうに、腹回りを撫でている。
「同じもの食べてるのに、先輩太んないのずるくないっスか?」
「ずるいって言われてもな。普段の運動量が違うんだから、仕方ないだろ」
 そう言われてしまうと、水森は何も言い返せない。普段の業務で、穂村も砂噛もやたら飛んだり跳ねたりしているので、運動量としては十分すぎるくらいだ。一方の自分は、必要に応じて、抱えられたり、投げられたり。カロリーは消費しそうにない。
 黙ってしまった水森のことを気にせず、砂噛はふにふにと腹をつまんでくる。以前はつまめるような肉はなかったので、やっぱ太ったな、と実感してしまう。
「先輩は、嫌じゃないんスか?」
「何が?」
「恋人が太るの」
 聞いたものの、たぶんこの人気にしないだろうな、と水森は考えていた。なので、この質問は否定を期待してのものだったのだが。
「恋人としては別に。同僚としてはもう少し鍛えた方がいいと思うけど」
 そう言って、割れてない腹筋をなぞられてしまうと、ぐうの音も出ない。二人の規格外の能力に、腹筋割ったくらいでは追いつけないのでは、と思うものの、体力が必要な場面は多い。
 ため息をついて、水森は「明日から筋トレします」と宣言した。

 ひとしきり腹をまさぐって満足したのか、砂噛は水森を解放した。腹を撫で回されただけなのに、朝から疲弊した水森は、それでも習慣となっている冷蔵庫のチェックをすることにした。
 昨日、食材を使い切ったため、冷蔵庫はほぼ空だ。スーパーに買い出しに行かなくてはならない。せっかくだし、昼は何か簡単に済ませて、夕食は手間のかかるものを作ろうか。そう考えて、はっとする。手間のかかる料理はだいたいカロリーが高い。
 筋トレをすると宣言したものの、食事にも気をつかったほうがいいだろう。あっさり、さっぱり、あとは高タンパク?その辺りを気にしたメニューが望ましいが、そうやって考えると食べたいものが思いつかない。
 冷蔵庫の前で唸っていると、砂噛が後ろから覗き込んできた。
「空じゃねーか。買い出し行かないとな」
「そうっスね」
 相槌の後、夕飯何作ろう、と水森はつぶやいた。独り言のつもりだったが、恋人は会話の延長と捉えたようだ。
「決めてないなら、あれ食べたい。この前作ってたグラタン」
 そんなハイカロリーな。そう思いつつも、恋人からのリクエストには応えたくなる。水森はスマホのメモにグラタンの材料を打ち込んだ。
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