丁寧ではない暮らし
「おー、ここがお前らの愛の巣かー!」
愛の巣って。水森は鉄の言葉に苦笑した。同棲しているのであながち間違いではないが、そこまでバカップルっぷりを発揮しているつもりはなかった。
「コーヒー淹れるんで、適当に座っててください。電源はソファの近くにあるんで」
「あんがと。じゃあ遠慮なく」
今日、水森は鉄と仕事だった。仕事自体はつつがなく終わり、時間的に帰社する必要もないとの穂村から連絡があり、さてじゃあ解散しようか、と言うところで鉄が叫んだ。スマホの充電が切れそう、と。それならば、とちょうど近場だった水森の家に招いたのが、今ここに鉄がいる理由だ。
鉄はキョロキョロともの珍しそうに家の中を見渡している。リビングには別段やましいものはないのが、何となく落ち着かず、水森はキッチンから鉄の様子を伺っていた。
「お前ら、ツーショットの写真とか飾んないの?」
「飾りませんよ……。つーか、何してんスか?」
先ほどから鉄は、這いつくばってソファの下を見ている。何だろう、姑のように掃除が行き届いているか見ているのだろうか?
「いや、なんかエロ本とかないのかなって」
「ないっスよ!」
顔を真っ赤にして怒鳴りつつ、水森は鉄にコーヒーを渡す。鉄は平然とした顔でそれを受け取るとひと口飲んだ。
「男子の部屋来たら、エロ本探すのがお約束というか礼儀かと思って」
「むしろ無礼でしょ……」
なぜ先輩を家に招いただけでこんなに疲れるのか。水森はげんなりとした表情でコーヒーを啜った。
コーヒーを飲みながらも鉄は、部屋の様子を観察している。また変なもん探してるんじゃないだろうな、と水森は気がきではなかったが、鉄が次に興味を持ったのは、部屋の間取りだった。
「二人とも個々に部屋あるの?」
「まぁ、一応。狭いですけど」
それぞれの部屋には個々のベッドと小さな本棚くらいしかない。お互い、帰りが遅い時もあるので、ベッドは別の方がいいだろうと、最初に決めた。
鉄は声をひそめて聞いてくる。
「聞いていいか分かんないけど、結構家賃高いんじゃない?」
二人しかいないのに、小声というところが、彼女の遠慮を示しているようで面白かった。エロ本探す時もこのくらいの奥ゆかしさが欲しかった。
「えーと、先輩が家賃補助もらってるんで。それ以外の金額を二人で割って、まぁ、学生の一人暮らしとしたら一般的なくらいっス」
「ふーん、いいね。対等な感じで」
「いやー……」
実際には、家賃以外にも出費はある。均等に割っているのは家賃くらいなもので、食費とか日用品については向こうに頼っている部分が多い。月々の光熱費も砂噛が七割負担しているのが現状で、その状態を心苦しくも思っている。
砂噛にそのことを告げると、お前とオレの手取りの差だと、この割合が妥当だと返されるのが常だ。この前は、各々の給与明細を突き合わせての計算までされたので、現状を覆せないでいる。卒業したら、本当に対等な負担に持ち込もう。それが水森の目標だった。
「そんで、個々の部屋のベッドの下にはエロ本あるの?」
「ないっス。なんでそこにこだわるんですか……」
「いや、将来的に弟がそーゆーのに興味を持ったときに、きちんと目を逸らしてあげたいし」
場所把握しときたいんだよねー、というのは出来た姉の発言だと思う。思春期には、兄弟とはいえ異性の目は気になる。ただ、その気遣いを後輩にも向けて欲しかった。水森は赤面しながら早口で答えた。
「鉄先輩、最近のそーゆーのは大体ネットです」
何で女の人にこんな説明しなくちゃならないんだ。鉄の方はいうと、へー、そういうもんなんだと素直に感心しており、その様子がさらに水森を疲れさせた。
「しっかし、お前らも思い切ったよな、同棲なんて。なんかきっかけあったの?」
「あー……、オレ三年になってゼミ始まって、忙しくなったんスよ」
「確かに、会社に来る頻度減ったよなー」
「そんで、先輩の前住んでた家の方が大学から近くて。入り浸ってたら怒られまして」
水森の言葉に、鉄が「ドラ男に?」と首を傾げる。水森は首を振ると恥ずかしそうに小声で答えた。
「いや、母親に」
二十歳超えて親に怒られた話をするのは割と恥ずかしい。自分に非があるので、余計に。
「あー……確かに子供が外泊ばっかだと心配か」
「はい、それで『もう大人なんだし、そんなに忙しいなら一人暮らししなさい』って言われて」
親としては、他人の家に高頻度でお邪魔していることが気になるようだった。大学の近くで自分の部屋を借りるように、と言われて水森は悩んだ。
自宅から大学は通えない距離ではない。ちょっと時間はかかるので、課題をやって遅くなった日には帰るのが億劫、くらいの距離感だ。ただ、水森が砂噛の家に行っているのは、立地の問題だけではない。ちょっとだけでも恋人の顔が見たい、といういじらしい動機も含まれる。
「それで先輩に相談したら、じゃあ一緒に住むかってなりました」
合理的な提案、と言われればそれまでだが、それ以上の何かを水森は感じた。一緒に住むか、と言った時の砂噛は珍しく耳を赤くしていて、いいですね、と返した自分の胸もばくばくとうるさかった。
「親にも挨拶してくれて、オッケーもらって、同棲開始って感じです」
二人して母親の前に座った時の緊張感は今でも忘れられない。母は、しばらくは品定めするように砂噛のことを見ていたが、どうやらお眼鏡にかかったようだ。最後には「息子をよろしくお願いします」と深々と頭を下げていた。バイト先の先輩とシェアハウスする、としか説明していなかったが、多分何か感じとっているんだろうな、とその時思った。
「はー……、甘ったるいお話だな」
黙って話を聞いていた鉄は、コーヒーを一気に飲み干した。自分で聞いたくせに、と思いつつも、水森はコーヒーのおかわりを勧めた。
しばらく他愛のない話をした後、鉄はスマホの画面を確認し、おもむろに立ち上がった。
「そろそろ帰るね。充電もある程度できたし」
ありがとね、と身支度を始める鉄を水森は引き止めた。
「夕飯食べてきません?今日先輩食べないって言うから材料余ってて」
一人の部屋が寂しいと言うのもあっての提案だったが、鉄にあっさりと断られてしまう。
「いやー、ウチも夕飯つくんなきゃだし」
そう言われては水森も引き下がるしかない。玄関まで見送りに出て、水森は鉄に再度声をかけた。
「休みにでも遊びに来てくださいよ。テナくんも連れて」
これは、寂しさというよりも、単純に久しぶりにテナにも会いたいと思っての提案だった。数年前になるが、鉄の家にお邪魔したこともあるし、別段変な話でもない、そう水森は考えていた。
だが、この提案にも鉄は首を横に振った。
「うーん、やめとく。この家、教育に悪そう」
「え?」
鉄の意図が分からず、水森は首を捻った。鉄は、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべると、ソファを指さした。
「ソファーの下のゴムの空箱、片しといた方がいいよ」
手を振りながら去っていく鉄に、水森は何も返せなかった。バタバタと部屋に戻る最中、鉄の楽しそうな笑い声が聞こえた。
愛の巣って。水森は鉄の言葉に苦笑した。同棲しているのであながち間違いではないが、そこまでバカップルっぷりを発揮しているつもりはなかった。
「コーヒー淹れるんで、適当に座っててください。電源はソファの近くにあるんで」
「あんがと。じゃあ遠慮なく」
今日、水森は鉄と仕事だった。仕事自体はつつがなく終わり、時間的に帰社する必要もないとの穂村から連絡があり、さてじゃあ解散しようか、と言うところで鉄が叫んだ。スマホの充電が切れそう、と。それならば、とちょうど近場だった水森の家に招いたのが、今ここに鉄がいる理由だ。
鉄はキョロキョロともの珍しそうに家の中を見渡している。リビングには別段やましいものはないのが、何となく落ち着かず、水森はキッチンから鉄の様子を伺っていた。
「お前ら、ツーショットの写真とか飾んないの?」
「飾りませんよ……。つーか、何してんスか?」
先ほどから鉄は、這いつくばってソファの下を見ている。何だろう、姑のように掃除が行き届いているか見ているのだろうか?
「いや、なんかエロ本とかないのかなって」
「ないっスよ!」
顔を真っ赤にして怒鳴りつつ、水森は鉄にコーヒーを渡す。鉄は平然とした顔でそれを受け取るとひと口飲んだ。
「男子の部屋来たら、エロ本探すのがお約束というか礼儀かと思って」
「むしろ無礼でしょ……」
なぜ先輩を家に招いただけでこんなに疲れるのか。水森はげんなりとした表情でコーヒーを啜った。
コーヒーを飲みながらも鉄は、部屋の様子を観察している。また変なもん探してるんじゃないだろうな、と水森は気がきではなかったが、鉄が次に興味を持ったのは、部屋の間取りだった。
「二人とも個々に部屋あるの?」
「まぁ、一応。狭いですけど」
それぞれの部屋には個々のベッドと小さな本棚くらいしかない。お互い、帰りが遅い時もあるので、ベッドは別の方がいいだろうと、最初に決めた。
鉄は声をひそめて聞いてくる。
「聞いていいか分かんないけど、結構家賃高いんじゃない?」
二人しかいないのに、小声というところが、彼女の遠慮を示しているようで面白かった。エロ本探す時もこのくらいの奥ゆかしさが欲しかった。
「えーと、先輩が家賃補助もらってるんで。それ以外の金額を二人で割って、まぁ、学生の一人暮らしとしたら一般的なくらいっス」
「ふーん、いいね。対等な感じで」
「いやー……」
実際には、家賃以外にも出費はある。均等に割っているのは家賃くらいなもので、食費とか日用品については向こうに頼っている部分が多い。月々の光熱費も砂噛が七割負担しているのが現状で、その状態を心苦しくも思っている。
砂噛にそのことを告げると、お前とオレの手取りの差だと、この割合が妥当だと返されるのが常だ。この前は、各々の給与明細を突き合わせての計算までされたので、現状を覆せないでいる。卒業したら、本当に対等な負担に持ち込もう。それが水森の目標だった。
「そんで、個々の部屋のベッドの下にはエロ本あるの?」
「ないっス。なんでそこにこだわるんですか……」
「いや、将来的に弟がそーゆーのに興味を持ったときに、きちんと目を逸らしてあげたいし」
場所把握しときたいんだよねー、というのは出来た姉の発言だと思う。思春期には、兄弟とはいえ異性の目は気になる。ただ、その気遣いを後輩にも向けて欲しかった。水森は赤面しながら早口で答えた。
「鉄先輩、最近のそーゆーのは大体ネットです」
何で女の人にこんな説明しなくちゃならないんだ。鉄の方はいうと、へー、そういうもんなんだと素直に感心しており、その様子がさらに水森を疲れさせた。
「しっかし、お前らも思い切ったよな、同棲なんて。なんかきっかけあったの?」
「あー……、オレ三年になってゼミ始まって、忙しくなったんスよ」
「確かに、会社に来る頻度減ったよなー」
「そんで、先輩の前住んでた家の方が大学から近くて。入り浸ってたら怒られまして」
水森の言葉に、鉄が「ドラ男に?」と首を傾げる。水森は首を振ると恥ずかしそうに小声で答えた。
「いや、母親に」
二十歳超えて親に怒られた話をするのは割と恥ずかしい。自分に非があるので、余計に。
「あー……確かに子供が外泊ばっかだと心配か」
「はい、それで『もう大人なんだし、そんなに忙しいなら一人暮らししなさい』って言われて」
親としては、他人の家に高頻度でお邪魔していることが気になるようだった。大学の近くで自分の部屋を借りるように、と言われて水森は悩んだ。
自宅から大学は通えない距離ではない。ちょっと時間はかかるので、課題をやって遅くなった日には帰るのが億劫、くらいの距離感だ。ただ、水森が砂噛の家に行っているのは、立地の問題だけではない。ちょっとだけでも恋人の顔が見たい、といういじらしい動機も含まれる。
「それで先輩に相談したら、じゃあ一緒に住むかってなりました」
合理的な提案、と言われればそれまでだが、それ以上の何かを水森は感じた。一緒に住むか、と言った時の砂噛は珍しく耳を赤くしていて、いいですね、と返した自分の胸もばくばくとうるさかった。
「親にも挨拶してくれて、オッケーもらって、同棲開始って感じです」
二人して母親の前に座った時の緊張感は今でも忘れられない。母は、しばらくは品定めするように砂噛のことを見ていたが、どうやらお眼鏡にかかったようだ。最後には「息子をよろしくお願いします」と深々と頭を下げていた。バイト先の先輩とシェアハウスする、としか説明していなかったが、多分何か感じとっているんだろうな、とその時思った。
「はー……、甘ったるいお話だな」
黙って話を聞いていた鉄は、コーヒーを一気に飲み干した。自分で聞いたくせに、と思いつつも、水森はコーヒーのおかわりを勧めた。
しばらく他愛のない話をした後、鉄はスマホの画面を確認し、おもむろに立ち上がった。
「そろそろ帰るね。充電もある程度できたし」
ありがとね、と身支度を始める鉄を水森は引き止めた。
「夕飯食べてきません?今日先輩食べないって言うから材料余ってて」
一人の部屋が寂しいと言うのもあっての提案だったが、鉄にあっさりと断られてしまう。
「いやー、ウチも夕飯つくんなきゃだし」
そう言われては水森も引き下がるしかない。玄関まで見送りに出て、水森は鉄に再度声をかけた。
「休みにでも遊びに来てくださいよ。テナくんも連れて」
これは、寂しさというよりも、単純に久しぶりにテナにも会いたいと思っての提案だった。数年前になるが、鉄の家にお邪魔したこともあるし、別段変な話でもない、そう水森は考えていた。
だが、この提案にも鉄は首を横に振った。
「うーん、やめとく。この家、教育に悪そう」
「え?」
鉄の意図が分からず、水森は首を捻った。鉄は、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべると、ソファを指さした。
「ソファーの下のゴムの空箱、片しといた方がいいよ」
手を振りながら去っていく鉄に、水森は何も返せなかった。バタバタと部屋に戻る最中、鉄の楽しそうな笑い声が聞こえた。
