丁寧ではない暮らし

 以前からその違和感に気がついてはいたが、見て見ぬふりをしていた。
 まだ大丈夫、これくらいなら保つだろう。今週忙しいし、週末に確認すればいい。そうやってずるずると後回しにしていたツケが回ってきたのだろう。
「マジかー……」
 水森は、綺麗に折れたテーブルの脚を片手に絶望した。

 今水森が持っているのは、リビングのローテーブルの脚だ。ソファの前に置いているもので、彼は基本的にここで食事をする。皿を並べるたびに、なんかがたつくな、とは思っていたが、まさかこんな急に寿命を迎えるとは。
 無惨な姿になったローテーブルは、比較的華奢な脚をしている。元々は同棲している恋人の持ち物で、いつから使っているかは知らないが、寿命というほど古びてはいない。それに、こんな風に急に壊れるものだろうか。
 なんか負荷かけたっけ?と水森は記憶を探る。普段は、それこそ食事の皿しか並べない。たまに大学の課題をするためにパソコンを開いたりもするが、それがことさら重いとは言えない。
 何か重いもの、と思い返して、水森は思わず「あ」と声をあげた。分かった、完全にアレだ。原因を特定した水森は、耳まで赤くした。

 その日の晩、水森は恋人の帰りをソファに座って待っていた。今日は自分が出社する日ではないので、先に帰宅していた。同棲相手である砂噛からは、遅くなるから夕飯は外で食べてくると連絡があり、もやもやとした気持ちを抱えたまま、水森はリビングに留まった。
 脚を一本失って傾いたローテーブルを眺めながら、水森はため息をついた。この家にはダイニングテーブルというものがない。同棲を始めて半年、必要性の高いものから買い揃えていった。その間、ローテーブルで食事をしており、なんかもうコレでいいか、という雰囲気になっていた。
 明日からの食事どうしよう。昼は学食で食べるとして、朝夕を全て外食で済ますような経済的な余裕は水森にはない。最悪、大きめのダンボールをテーブルがわりにするしかない。
 それもこれも、全部先輩のせいだ。水森はまだ帰宅しない恋人を恨めしく思った。一言文句を言ってやる。その思いで、彼はソファでじっと座っていた。折れたテーブルの脚を持ちながら。

 砂噛が帰って来たのは、夜九時を回ってからだった。普段であれば仕事で疲れた相手を労る気持ち、というのが湧いてくる場面だが、この日の水森はじとりとした目で恋人を睨んだ。
「……何があった?」
 砂噛は不機嫌な恋人と、無惨な姿のローテーブルを見て戸惑っているようだった。水森はため息を吐くと、テーブルの脚を振ってみせた。
「テーブルの脚、折れました」
「マジか……怪我はないか?」
 真っ先に自分の心配をしてくれる恋人に、絆されそうになる。緩む頬を抑えながら、水森は「ないっス」と簡潔に答えた。
「その折れ方だと、新しいの買うしかないな」
「そうっスね。先輩のせいだから、お金出してください」
 つんけんとした水森の言葉に、砂噛は怪訝そうに眉をしかめた。
「別に金出すのはいいけど、オレのせいってなんだ?」
 まだ察していない様子の砂噛に、水森は声を荒げた。
「先輩が!この前このテーブルに押し倒したから壊れたんスよ!」
 噛み付くような勢いで怒鳴りながら、水森は『この前』のことを思い返した。
 あの日は、リビングでそういう雰囲気になってしまった。盛り上がって、どちらかの部屋のベッドに行く時間も惜しくて、このテーブルで致した。次の日めちゃくちゃ背中が痛かったし、しばらくこのテーブルで食事をするのが気恥ずかしかった。
 絶対あれが原因だ、と水森は考えていた。あの時、ひびか何かが入り、そして今日折れるに至ったのだろう。
 砂噛も思い至ったようで、あれか、と言う顔をしている。ばつの悪そうな顔をしつつも、ゴニョゴニョと反論してきた。
「いや、でもあの時ソファでいいかって聞いたら、汚したくないって言ったのお前だろ」
「うっ……!」
 それには水森も覚えがあった。あの時はソファーカバーを変えたばかりだった。ふわふわ手触りが良くて、ちょっと値が張るものを二人で折半して買った。
 水森が言い返せないでいると、さらに追及されてしまう。
「ベッド連れてこうとしたら、『早くして』『ここでいい』とも言ってたよな」
「……言いましたっけ?」
「言った」
 自信を持って断言されてしまい、水森は頭を抱えた。マジかー、ほぼオレのせいじゃん。割と恥ずかしいことを言っていたことと、相手のせいにして責め立てたことが相まって、恥ずかしさで一杯になった。
「……すみません、テーブル、オレが買います」
 しおしおとしょげた様子の水森に、恋人は「まぁ、オレもそのまま押し倒したのは事実だから」と慰めてくれる。普段よりも優しい言葉に、余計に惨めな気分になった。

 結局、テーブルの料金は半分ずつ負担することになった。
「お前、今月余裕あんの?」
「うーん……まぁ、割と手当てついたんで大丈夫っス」
 学生の水森と、社会人の砂噛で自由になる金額には差がある。大きな買い物の時にはこうやって気を遣われることが多い。それが申し訳ないような、むず痒いような。無理をしても続かないから、金銭面は正直に話せと、この同棲を始めるときに口酸っぱく言われたことを思い出した。
「いっそダイニングテーブル買うか。物によってはローテーブルと値段さほど変わんないし」
「え、じゃあ、ネットじゃなくて、週末店に見に行きましょうよ」
 水森はちょっと気分が高揚するのを感じた。きっかけはどうあれ、新しい家具を買うのはテンションが上がる。
「久々のデートっスね」
「デートねぇ。家具屋が行き先ってどうなんだよ」
 砂噛の皮肉な物言いに水森は苦笑した。一緒に住む前は、それこそベタなデート先に行ったものだ。映画館に始まり、水族館、遊園地、スケートなんかにも行った。それが、同棲を始めてから、ぴたりとなくなった。別に、今もそう言った場所に行けば、楽しめると思う。けれど、その必要性を感じないと言うのが正直なところだ。
 あのころはただ、一緒にいる口実が欲しかっただけだ。今、何のイベントも無しに当然のように共にいられるが嬉しいと水森は感じている。ただ、そのことを逐一説明するつもりはなかった。
「いいんスよ。楽しみですね」
 そうやって笑いかけると、砂噛も表情を緩める。素直じゃないが、多分恋人もおんなじような事を考えている。水森はそう思った。
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