この恋の終わりを教えて

 出張が終われば報告書がまっているのが会社というものだ。水森は、会社でパソコンと向かい合いながら、文字を打っては消してを繰り返していた。
 砂噛がほぼ概要を書いてくれているので、水森が書くのは会話の中に嘘があったかどうか、という箇所のみなのだが、経験の乏しい彼にはそれが難しかった。話し言葉をそのまま書いて提出したら、見事に没を喰らった。
 デスクでうんうん唸っていると、目の前に見慣れたコーヒーチェーンのロゴが急に現れた。
「え?」
「おつかれー、休憩しない?」
 そう言う鉄の両手には、プラスチックのカップが握られている。休憩室にコーヒーメーカーもあるのに、わざわざ外の店で買って来てくれたようだ。
「あざっす……この寒いのにフラペチーノって」
「おごりなんだから、文句ゆーなし」
 腹壊しそうな量だなと思いつつ、水森はカップを受け取った。そのまま鉄に着いて休憩スペースに移動する。スペースと言っても、打ち合わせ用に並べられているソファを勝手に使っているだけだ。
 文句を言ったものの、暑いくらいに暖房が効いた室内で飲むとフラペチーノは美味しかった。慣れないデスクワークで頭を使ったので、甘いものが染み渡っていく気がする。
 鉄も水森と同じように、ストローを咥えていたが、おもむろに話し始めた。
「……大丈夫だった?出張」
「大丈夫って?」
 別に危険な仕事ではなかったはずだが、と首を傾げると、鉄はさらに続けた。
「お前らみたいな境遇の人たち……捕まえたって」
「ああ、なるほど」
 水森はちらっと、デスクの方を確認した。この距離で話していれば、砂噛や穂村にも自分たちの話が聞こえているだろう。穂村が何も言わないということは、彼女も気になっているのか、それとも鉄を差し向けたのが彼女なのか。分からなかったが、心配してくれているのは確かだ。祝福されていない、なんてやさぐれた気持ちになっていたが、近くにいるこの人たちは温かく見守ってくれている。その事実を改めて確認し、むずがゆい気持ちになりながら、へらっと笑って水森は答えた。
「大丈夫っスよ」
 鉄は真偽を確かめるようにじっとこちらを見てくる。そして、一つため息をつくと、わざと怒ったような調子で話しだした。
「たまにデリカシーないよなー、局長」
「はは……」
 それに関しては、わざとではと疑っている部分もあるので、乾いた笑いしか返せない。
「まぁでも、ほんと、大丈夫っスよ」
「そう?……なーんか、すっきりした顔してんな」
 ヤった?というあけすけな問いに慌てて首を振る。流石に出張中にそこまでしてない。抱き合って、話しただけだ。
「えっと約束、してもらったんで」
「へぇ、どんな?」
「秘密っス」
 言えるのは、ここまでだ。心配してくれる気持ちは嬉しいが、これは二人だけ知っていればいいことだ。幸せそうに微笑む水森の顔を見て、鉄は拗ねたような表情をした。
「うざっ。……ドラ男ー!約束って何ー!?」
 鉄はデスクの方に体を向けると、やや大きめの声量で叫んだ。仕事を続けていた砂噛だが、きっちりこちらの話を聞いていたようだ。間髪入れずに怒号が返ってくる。
「誰が言うか、仕事しろ!」
「今休憩ちゅー!」
 怒鳴り声など気にもとめず、鉄は水森に向き直った。そして、小声で問いかけられる。
「……ちゃんと、守られんの?」
 その目は真剣で、以前相談した時の様子が思い返された。あの時は確か、約束なんて守られない、と言われた気がする。今も、父親の裏切りを思い出し、水森のことを心配してくれているのだろう。
「大丈夫ですよ。すぐに済む、簡単な約束なんで」
 鉄はしばらく水森のことを見つめ、その後砂噛に目線を移した。小声で話していたものの、この距離だ。砂噛にも今の話は聞こえており、仕事の手を止めこちらを向いている。鉄は品定めするように砂噛を見つめ、砂噛もその目線から逃げなかった。
 やがて、そっか、と言って鉄はにかっと笑った。そのままフラペチーノの一気に飲んで立ち上がる。
「休憩終わり!水森もさっさと飲んで仕事戻れよー」
「いや、この量一気したら、腹壊すし……」
 飲み始めは良かったが、流石に寒くなって来て完全に持て余している。デスクでちびちび飲むかな、と立ち上がると、砂噛と目が合った。
 砂噛はいつも通り、こちらを小馬鹿にしたような目で見ると「早く報告書直せ」と急かしてくる。心配してこっち見ていたくせに、素直じゃないな。そう思いながら水森は席に戻った。
 
◇◇◇

 気怠い体をベッドに投げ出しながら、水森は呼吸を整えていた。先ほどまで自分を抱いていた男は、汗を拭ってさっさと服を着込んでいる。
「おい、お前も着とけ。風邪ひくぞ」
「まだ暑いっス」
 手渡された服を、ベッドの端に追いやって、代わりに砂噛に向かって腕を広げる。仕方ないな、なんて苦笑しながらも、砂噛はその手を取ると、自分の腕の中に抱き込んでごろりと横になった。
 服越しに感じる砂噛の体温が心地よく、幸福な疲労感を感じた。あの出張が終わり、報告もひと段落したところで、水森は久々に恋人の家に来た。予想通り、というか、それを期待していたところがあるが、話もそこそこにベッドに引きずり込まれて今に至る。
 先ほどまでの情事は、今までにないくらい、激しくて、優しくて、甘ったるかった。自分本位に求めるように動いたかと思えば、こちらを労るように優しく甘やかす。その繰り返しで、快楽にずぶずぶと沈められていった。
 砂噛も自分も、あの一件があってどこか吹っ切れた、と水森は考えている。局長が仕事を振ってくれて良かったのでは、とさえ思えた。相手の思惑通りだったかは別として。
 頭に、慣れ親しんだあのこそばゆい感覚を感じた。水森が顔を上げると、砂噛は撫でていた手を止めて「どうした?」と問いかけてくる。その目は、優しく眇められている。
 甘ったるい目って、これか。水森はようやく鉄の言葉が理解できた。大切な宝物を眺めるような、好物を前にした子供のような、いろんな好きが詰まったそんな。会社でこの顔してたのかと思うと、ちょっと大丈夫か?と心配になってしまう。
 甘い視線にあてられたのか、それとも吹っ切れたことによるものか、水森はぼんやりと、今なら聞けるなと感じた。そうしてそのまま、前までは漠然とだが怖くて避けていた話題を、口に出した。
「先輩の星の話、してください」
「……ピロートークにするような、面白い話はないんだが」
「今聞きたいんスよ」
 ねだるように上目遣いをすると、恋人は諦めたようにため息をついた。プライベートではつくづく自分に甘い。途中で寝ても知らないからな、と前置きをして、砂噛は話始めた。
「オレの星は、ここからだいぶ離れた所にあって」
 そうしてポツポツと語られる話に耳を傾けながら、水森は目を閉じた。砂噛の声が心地良い。文明レベルの差や、文化の違いを聞いても、以前感じたような不安感はない。あるのは、恋人のことを知れたという喜びだけだ。
 時折相槌を打ちながら、水森はこの幸せな時間を噛み締めていた。
 
◇◇◇

 水森の寝顔を見ながら、砂噛はそっとため息をついた。やっぱり、寝入ってしまった。もう少し強く言って服を着せるべきだったな、と後悔したもののこうなってしまっては仕方ない。腕の中の恋人が寒くないようにと、ベッドの端の布団を引っ張り上げた。
 規則正しい呼吸音が心地よい。恋人の髪をそっと撫でながら、砂噛はスマホのアラームをかけた。多分このままだと自分も眠ってしまう。それでもいいかと思うものの、水森のことは夜が深くなる前に帰らせる必要がある。学生で実家暮らしの恋人に、そうそう外泊はさせられない。
 穏やかな表情で眠る後輩は、どこか吹っ切れたようだった。ここ最近は、仕事でもプライベートでも晴れやかな顔をしていることが多い。以前も別に暗い雰囲気だったわけではないが、時折見せていた寂しげな表情を見ることは無くなったと感じている。
 砂噛は、この恋を始めた時から、明るい未来はないことを感じていた。きっとこの恋の終わりはハッピーエンドではない。それでもどうにも抑えきれずに始めてしまった関係だった。結婚どころか、ずっと一緒にいるということさえ砂噛には約束することはできない。この年若い恋人に、何の未来も示してやれないことが、心苦しくて仕方がなかった。それでも今だけを考えて過ごす時間は幸せそのもので、相手の時間を奪ってしまっているという罪の意識には蓋をしていた。水森も未来に不安を感じていることは見てとれたが、お互いにそのことを口にしなかったのは、関係が崩れるのが怖かったからだ。
 かけおちをした外星人たちを追うことになったとき、つけが回ってきたな、と思った。これが原因で別れることになってもおかしくはない。彼らの姿は未来の自分たちに見えたし、おそらく水森もそう感じていると分かった。
 あの日、口にした別れの選択肢は、半ば自暴自棄で発したものだった。罪悪感に押しつぶされそうで、別れを許容するような覚悟もないままに話していた。そんな気持ちが水森にはバレていたのだろう。
 まだまだ若く、子供だと思っていた恋人は、自分以上の覚悟を見せてきた。別れないと、強固な意志を見せて、こちらの罪悪感を減らすような言葉で甘やかしてくれる。最後には、こちらから与えられなかった約束まで提案された。
 簡単な約束、と水森は言っていた。確かに行為自体はすぐに済む。だが、その内容は砂噛にとってひどく苦くて辛いものだ。だが、そんなものでも、砂噛は嬉しいと感じていた。どんな内容でも、この約束が今の恋人の幸せに繋がるのなら、それで良かった。
 約束は守るつもりだ。いつかその時が来たら全ての罰を受ける。そう考えるだけで、この幸せな時間に罪悪感なく浸っていられる。
 もう一度水森の頭を撫でる。いつか、恋人の手を離さなくてはならなくても、その日が来るまでは隣にいよう。そう改めて思いながら、砂噛は目を閉じた。
 
 
◇◇◇
 
 先輩、そんなに気になるんだったら、一つだけ約束してくださいよ。
 オレの記憶を消す時が来たら、その時は、先輩が消してください。
 幸せな思い出だけだと、いつかオレのことを過去にしちゃうでしょ。
 先輩の手で、オレの全部を消して、そうして絶望してください。泣いて、苦しんで、先輩の一生消えない傷になってくれれば、オレの今にはきっと、意味があります。
 だから約束、してください。先輩がオレの記憶を消すって。
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