春巻きでもコロッケでも
「先輩、春巻き好きっスか?」
砂噛が後輩に尋ねられたのは、昼食時のことだ。その日砂噛が食べていたのは、朝コンビニで買ってきたサンドウィッチで、いつも通り可もなく不可もなくといった味だった。唐突な話題に、相手の意図が読めずに首を捻ったものの、嘘をつく理由もなかったので正直に答えた。
「まぁ、普通に好きだけど」
「良かった」
水森はパッと顔を明るくする。無邪気な、という表現がぴったり合うようなそんな笑顔だった。そんな様子に、砂噛は一瞬心奪われるが、それと同時に少しばかりの罪悪感を感じてしまう。
そんな砂噛の様子に気づかず、水森はにこにこと続ける。
「揚げたてが、おいしいんスよね」
「まぁな。なんだ、食べたいのか?」
話の意図が読めない。今水森が食べているのはコンビニで良く見る惣菜パンで、どう見ても春巻きには見えない。好物を聞くにしてはピンポイントで話題を振られたし、遠回しな食事の誘いだろうか。
「食べたい、と言うより作りたいんですよ」
「作る?」
砂噛にとって春巻きは時たまコンビニ弁当に入っているか、外食した時に食べる、そんな存在だ。作るなんて考えは全くなかった。一方の水森は、当然のような口ぶりで話を続けている。
「はい、楽しいっスよ、作るの。綺麗に揚がった時に達成感ありますし、揚げたてをたくさん食べられるのがいいですよね」
「そこまで言うなら、作ればいいだろ」
「それが、最近妹がダイエットしていて、家で揚げ物出しにくいんですよね」
そこで、水森はちらりとこちらを見上げてくる。媚びるような、というと言い過ぎだが、何かを期待するような、ねだるようなそんな雰囲気を目線から感じた。
「砂噛先輩、胃袋貸してくださいよ」
「言い方が物騒だな」
反射的に言い返すと、水森はむくれた表情をした。
「かわいい恋人が手料理食べさせたいって言ってんだから、素直に受けてくださいよ」
「かわいげがある奴は自称しないんだよ、普通」
そうは言ったものの、恋人の手料理というのは確かに魅力的ではあった。遠回しではあるが、食べさせたいと言う様子もいじらしい。掛け合いのような会話でついつい引き延ばしてしまったが、別段断る理由もなかった。
「そんなに言うなら、うまいもん作れよ」
ようやく聞けた肯定的な言葉に、水森は嬉しそうに笑った。そうして、当然のようにこう続けた。
「じゃあ、今度の土曜に先輩のところで作りますね」
楽しみっスね、と無邪気に笑う恋人に砂噛は焦った。先輩のところ、が意味するのは、思い違いでなければきっと。
「待て、お前、うちに来るつもりか?」
そうスよ、と水森は何でもないことのように答える。加えて「オレの家、週末親居ますもん」と言われてしまえば黙るしかない。
「いいじゃないっスか、付き合ってんだし」
だから困るんだよ、と言う言葉を砂噛は飲み込んだ。代わりに「週末までに掃除しとく」とだけ返すと、水森は楽しそうに笑った。
砂噛と水森は数ヶ月前から付き合っている。お互いの気持ちを確かめ合って、恋人になることを二人で決めた。そこまでは良かった。
いざ付き合うとなってから、砂噛は悩み始めた。あれ、これ、手を出していいやつか、と。
砂噛自身は、同性同士の性交渉が可能であることは分かっているし、異星人であろうと今の姿であればできるだろうな、ということは分かっている。付き合う、という話をした時に、当然いずれはそういう話になるだろうと考えていた。
しかし、水森はどうだろう。それまでの会話で、水森がもともとは女性が好きだと言うことは知っていたし、あまり恋愛経験がないことも何かの話の流れで聞いた気がする。そんな奴が、同性同士の性交渉の存在を知っているのだろうか?もしかしたら、プラトニックな関係を想定しているのではないか。そう思い至ってしまった。
一度その考えが出ると、頭から離れなくなってしまった。恋人になってからの水森が、妙にかわいらしく、甘えたような幼い笑顔を見せるようになったことも、考えを強固にした。こんな子供が性的なことを知るはずないと。同時に罪の意識も持つようになってしまった。こんな純真無垢な子供を恋人にして良かったのかと。何か悪いことをしている気分だった。
鉄が聞いたら、「バッカ、水森のこと三歳児かなんかと思ってんの?」と怒涛の勢いで否定したであろう思考回路だが、残念ながら砂噛は鉄に恋愛相談することなんてことはしなかった。からかわれるのが目に見えているし、気恥ずかしい。
ただ、誰かに話を聞いてほしいと思うくらいには、思考が煮詰まっていたので、話した。飲みの席で東雲に。明らかに人選ミスである。真面目で従順な後輩である彼は、悩み相談というよりも懺悔に近いトーンで語られた「子供と付き合うことになったんだけど、手を出さない方がいいよな」という言葉にたっぷり三分間沈黙した。
子供って中学生か?まさか小学生じゃないよな。え、そういう趣味だったのか?だから、一緒に働いていた時に、いろんな女性からアプローチかけられても碌に相手しなかったのか。尊敬する先輩の、マイナスの意味で意外な一面を知ってしまい、東雲は大いに動揺した。それでも、先輩が道を踏み外すの見たくない一心で、動揺を表に出さずに、東雲は「大人になるまで指一本触れちゃだめです」と答えた。
「下手すると、犯罪です」
「そうか、やっぱりそうだよな」
「手を繋いだりしたら、防犯ブザー鳴らされるかもしれません」
「いや、持ってないと思うけど」
「他の奴が狙う可能性もあるんで、それは買ってあげて下さい」
気心しれた者同士の、飲みの席である。多少会話がチグハグになっても、そういうものか、こういうことかな、とお互いの頭の中で勝手に補足し合って会話は進んでしまう。
防犯ブザー、いるのか。いるな、水森はかわいい。
砂噛の目にはそう映るが、水森は男子高校生である。特別華奢なわけでもなく、一般的にはかわいいよりかっこいいと称される顔立ちだ。防犯ブザーは必要ない。だが、そんな判断もできないくらい砂噛の目にはフィルターがかかっていた。真面目な東雲からの助言であるということも、思考の偏りに拍車をかけた。
そうして、砂噛は助言通りに、付き合い始めてからは指一本も水森に触れていない。仕事などで、抱える必要があるときは流石に対応しているが、プライベートでは手も繋いでいない。付き合ってから変わったことといえば、たまにデートするくらいだが、それも買い物に行ったり食事をしたりと、至って穏やかなものである。
知れば知るほど恋人は愛おしいし、正直手を出してしまいたいな、と思うこともたまに、というか割と高い頻度である。
そんな状態で、恋人を家に招く。試されている、理性を。
砂噛のためらいとは関係なく、無情にも時は過ぎていく。水森が来ると言った土曜日はすぐに訪れてしまった。
約束の時間の十分前、やたらとでかいリュックを背負って、水森は訪ねてきた。何を持ってきたんだと問いかけると「鍋です」とどでかい天ぷら鍋を取り出してきた。家からわざわざ持ってきたという。
「先輩の家、多分いろいろ足りないだろうなって」
水森は抜け殻になったリュックを遠慮がちにリビングの床に置いている。初めて来る他人の家に、まだ勝手がわからないようだった。生意気なことを言っているが少し緊張が見え、その様子に幼さを感じた。
キッチンを見て良いかと問われ、好きにしろと返す。キッチン周りは掃除が必要ないくらいに汚れていない。単純にほとんど使っていないからだ。気が向いた時だけ自炊をするので、最低限の器具は揃えているつもりだったが、棚を開けて物色する水森の眉間にはどんどん皺が寄っていく。
「ヤバい」
「ヤバい?」
「普段何食ってんスか?」
心配するような、馬鹿にするような、そんな複雑な表情を水森はしている。正直、コンビニや外食で済ますことが圧倒的に多いのだが、見栄を張ってたまにする自炊の内容を砂噛は答えた。
「うどん茹でたりとか、米炊いたりとか」
「ふーん」
ふーんって。剣呑な目でこちらを見ている後輩は、どうりでと呟いている。
「先輩、油がないっス」
「油?」
「うどん茹でるのにはいらないですけど、油がいるんスよ、揚げ物には」
というか、基本的な自炊にはサラダ油が必要です。そう言って、水森はため息をついている。そうしてぐるりとキッチンを見渡して、疲れたようにつぶやいた。
「炊飯器はあって良かったです。流石に今日持って来れないんで」
「多少は自炊するからな」
「……自炊する人の家にはね、サラダ油あるんスよ」
頑なに自炊と認めてくれない。だが、強くは出れない。ここまでの言動からも、こと料理に関しては相手の方が数段上である。ふくれっ面で「足りないもの買いに行きます」と言う後輩に、オレも行くと砂噛は上着を掴んだ。
とんとん、と野菜を切る規則正しい音がする。水森の手元に危うさはなく、野菜はサイズの揃った小片へと変化していく。その様子を後ろから覗いていた砂噛は素直に感心した。
「うまいもんだな」
「親がいない時はオレが夕飯作るんで……つーか、そんなに見られると緊張するんスけど」
まだかかるから、リビングで待っているように、と言われてしまう。暗に邪魔だと言われている、と理解して砂噛は大人しくソファへと向かった。
見るな、と文句を言われたものの、エプロン姿で料理する恋人というのは魅力的で、砂噛は飽きずに眺めていた。切り終えた具材を炒め、何やら粉を振って煮詰めている。その手つきに迷いはなく、本当に得意なんだと感じさせる。
家に呼ぶことに、抵抗を覚えていた砂噛だったが、今のところ問題なく過ごせている。そう、問題はない。エプロンをしてキッチンに立つ姿に見惚れて抱きしめたいと思ったり、そういえばドアを一枚開ければベッドあるんだよな、なんて邪な考えがよぎったりしているが、全て自制している。
自身の中で暴れている欲望を除けば、穏やかで清純な休日であると砂噛は感じていた。子供と付き合っていくにはちょうど良い。
こんな風に過ごしていって、水森が成人してからゆっくりと知識を与えて、関係を深めていけばいいだろう。砂噛はそう考えていた。
一通り具材の用意が終わると、水森は一旦エプロンを置いて、ソファに座った。冷ましてから皮で包むという。「包むところは一緒にやりましょうね」なんて、笑顔で言われたら、頷くしかない。包み方など知らないが。
手を伸ばせば肩を抱けてしまう、そんな距離に恋人が座っていることに、少し緊張する。何かのはずみで抱き寄せてしまいそうだ。
そんな内面は全て押し殺して、砂噛は当たり障りない話題を振った。気を紛らわすためでもある。
「しかし、お前そんなに春巻き好きだったんだな」
水森と違って、手料理を振る舞うことはできないが、食事に連れて行くことはできる。今後の参考までに、相手の嗜好の話を広げていこうと思っていたが、恋人の返答は冷めたものだった。
「ああ、別に、今日作るのコロッケとかでも良かったんですよ」
「え?」
先ほどまでの笑顔が嘘のように、水森の表情は抜け落ちていく。そんな様子に動揺しつつ、砂噛は春巻きとコロッケの共通点がわからずにいた。
水森は、淡々と「先輩は料理しないから分かんないと思いますが」と前置きをして話始めた。
「春巻きもコロッケも、中身先に作って、冷まさなきゃいけないんスよ。今みたいに。
あと、揚げ物だと、妹のダイエットとか、口実を作りやすかったんで」
「嘘だったのか?」
動揺を抑えられないまま出した声は、掠れていた。水森は少しだけ眉を下げた。申し訳なさそうな表情ではあるが、告げられた言葉は先ほどと同様に淡々としている。
「妹がダイエットしているのは本当っスよ。ただ、オレが作れば文句言いつつ食べるでしょうね」
明言しないものの、嘘である。気まずさはあるようだが、それでも水森は目を逸らさずに砂噛のことを見つめている。
「オレは、この待ち時間に、先輩と話をしたくて来ました」
そのためだけに、こんな回りくどいことをしたというのか。一体何を告げられるのか。きっと、楽しい話ではない。砂噛は自然と体を固くした。
「ねぇ、先輩。オレと付き合って、何がしたかったんスか?」
剣呑な目線を向けられる。先ほどサラダ油がなかった時によく似た表情だが、その時とは異なり、空気が張り詰めるのを感じた。
水森の目は真剣で、そして怒りが滲んでいた。初めて見る恋人の様子に気圧されながら、砂噛は口を開いた。
「何がって……」
だが、砂噛の言葉を水森は遮った。
「少女漫画じゃあるまいし、告白がゴールじゃないんスよ」
溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、流れるように言葉が出てくる。砂噛はそれを聞くことしかできない。
「先輩は、オレをそう言う目で見れないんスか?オレはキスもエッチもしたいです。このまま、何にもできないでいると、いつか我慢できなくなって襲っちゃうと思います。……返り討ちにあうでしょうけど。
だから、先輩が、オレとそういうことできないなら、別れた方がいいかもしれません」
思い詰めた表情で告げられた言葉に、砂噛は衝撃を受けた。子供だと思っていた相手にそんな欲求があったことも驚きだったが、別れ考えるほど思い悩んでいたことに全く気が付かなかった。
いや、思い返すと、兆候はあったのかもしれない。デートのたびに、何か言いたげに、ちらちらとこちらの手を眺める視線。食事の後、別れ際に見せる少し寂しそうな表情。この前はラブホから出てくるカップルを見てため息をついていた。割と分かりやすいサインも混ざっていたが、相手は子供というフィルターで全て見えていなかった。
とにかく、別れを思い止まらせなければ。その一心で、砂噛は口を開いた。
「すまん、その、お前まだ子供で知識もないだろうし、そういうのは早いかと」
事実であるし、本音だった。だが、その言葉は水森の怒りに油を注いだ。
「子供って……オレ、もう十八っスよ!」
選挙権あります!と憤慨しながら主張される。それが大人の証明になるかというと微妙だ。彼はまだ学生である。
「付き合うって、なったから、男同士のやり方も調べましたし……」
むしろ、もごもごと、恥ずかしそうに小声で言われた内容の方に砂噛はショックを受けた。え、知ってんの?純粋無垢だと思っていた相手が、想像以上に知識を持っていたことにただただ唖然としてしまう。
固まっている砂噛に、追い討ちをかけるように、水森は問い詰めてくる。
「で、子供のオレとは何もしたくないんスか」
「いや、我慢してただけで、したくない訳では……」
「ふーん、知識もない相手に?」
追求の手が一向に止まない。砂噛は諦めて全てを白状した。
「悪かった、大人になったらおいおい教えればいいかな、くらいに考えてた」
「紫の上かよ!いや、その場合、もう手を出されてる年齢か……」
誰だよ、紫の上。外星人である砂噛は当然源氏物語など知らない。だが今はそんな細かいことを問うている場合ではない。恋人の怒りを鎮めることが先決だ。そう判断し、大人しく謝罪の言葉を繰り返した。
水森は、まだ言い足りなそうではあったが、一旦謝罪を受け入れたようで、一つため息をついた。
「分かりました。先輩も、オレといろいろしたい、でいいんですよね」
「……まぁ、そうなるな」
今の今まで押し殺し、我慢してきた感情を表に出すのに、砂噛はまだ抵抗があった。だが、いまさら否定するわけにもいかず、結局控えめな肯定の意を示した。その言葉に、言質を取ったとばかりに水森は追い詰めにかかってくる。
「じゃあ、今、キスしてください。オレ、子供じゃないんで」
逃すまいとこちらを見つめる恋人の目線に、砂噛は頭を抱えた。
「待て、お前に知識があるのはわかった。不安にさせたのもすまないと思っている」
砂噛は、ぐいぐいと物理的に距離を詰めてくる水森をなんとか押しとどめた。腕力の差から、振り払うことは簡単なはずだが、相手の勢いが恐ろしく尻込みしてしまう。あと目が怖い。
「けど、じゃあキスしましょうは急ぎすぎじゃないか?」
なんとか説得を試みるが、水森は小馬鹿にしたような表情を浮かべた。
「ふーん、まだ先延ばしにするんスね。そんなんじゃ、いつかオレ愛想つかしますよ」
そう鼻で笑われて、砂噛は苛立ちを覚えた。なぜそこまで言われなくてはならない。砂噛の立場からすれば、水森のペースに合わせて我慢して、そう、相当我慢してここまで来たのだ。勘違いからくる気遣いではあったが。
そんなに言うのなら、と砂噛は恋人の頬を撫でた。
「いいんだな?」
「さっきから、いいって言ってます」
ん、と顔を上げて水森は目を閉じる。本当に覚悟してきたようで、その表情に迷いや恐れと言うものは見られない。
妙なところで我が強いというか、芯があるというか。子供だと思っていたし、今見せられている瞼を閉じた顔もあどけなさが残る。かわいげがなく生意気で、愛おしくて仕方がない。大切にしたいと思う反面でめちゃくちゃにしてやりたいとも思っている。
ためらいながら、柔らかい頬をもう一度撫でる。ああ、この唇はこれ以上に柔らかく、温かいんだろうな。そう思ったら、もう、限界だった。
自然と恋人に口付けていた。時間としては数秒ほどで、柔らかいそこの温度を十分に堪能できたかというと、物足りない。名残惜しい気持ちのまま、砂噛は離れた。
一方で、水森は目を開けると満足げにつぶやいた。
「できましたね」
まるで、キスすることが、恋人としてのゴールかのような言い草だ。先ほどの水森の言葉ではないが、少女漫画じゃあるまいしそこがゴールな訳ないだろう。そんなところが子供だって言うんだよ。自分と恋人の差に砂噛は弱ってしまった。
こんなもので満足してもらっては困る。悩みが晴れたのか、清々しい笑みを浮かべている水森の頬を再び撫でる。もっとしたい。その欲求がぐるぐると砂噛の中で渦巻いていく。
「なぁ、もう一回」
いいよな?と断定するように問いかける。しかし、水森は明らかに戸惑った顔をした。覚悟はしてきたものの、まさか何回もすることにはならないと思っていたらしい。それでも、一度大きな口を叩いた手前か、ややあって「どうぞ」と再び目を閉じた。
許可はとった、では遠慮なく。砂噛は再度、柔らかい唇に自分のそれを押し付けた。先ほどよりも強く、長く触れた唇は、想像通り温かかった。少し離して、角度を変えてくっつける。それを繰り返しながら、ふと中はもっと温かいんだろうな、と考え至った。
「水森、口開けろ」
「え?」
砂噛の言葉に、どこかのぼせたような表情の水森は声を出した。それは、疑問を表明する声であり、決して砂噛の言葉に応えてのものではなかった。それでも砂噛は好機とばかりに水森の後頭部に手を回した。
「んぅっ」
引き寄せて、唇を奪う。そのまま、舌を割り入れていくと、水森が声をあげた。そんなことなどお構いなしに砂噛は恋人の口の中を蹂躙する。予想通り温かい口内は心地よく、堪能するようにゆっくりと舌を動かした。奥に縮こまる水森の舌を引き出すように絡めるが、戸惑っているのかされるがままだ。
薄く目を開くと、水森からは先ほどまでの余裕のある表情は消えて、固く目を瞑っている。やっぱり、子供だな。名残惜しさを感じながらも、砂噛はキャパオーバーしている恋人を解放することにした。最後に軽く唇を食んで距離をとると、煽情的に赤く濡れた唇が目に入った。
顔を真っ赤にした水森は、悔しそうにつぶやいた。
「……一回って言ったくせに」
「一連の流れで一回だろ」
舌を入れたことに文句を言ったら、子供扱いされる。そう考えているのか、水森の文句は回数に関してだった。負け惜しみにしか聞こえない言葉に、しれっと言い返すと、水森は無言で睨みつけてきた。全く迫力がない。こいつ、こんなにかわいくてどうするんだろうな。キスの余韻でのぼせた頭で砂噛はそんなことを考えて、やっぱり防犯ブザー買おうかな、と思案した。
具材の準備の時から感じていたが、水森は本当に手慣れている。自分が巻いたものに比べて、形も大きさも揃った春巻きを見て、そう実感した。一緒に具材を巻いていたはずなのに、いつの間にか水森は副菜の準備も炊飯のセットも終えていた。本当に手際が良い。
そうしてテーブルの上に、今まで載せたことのない皿数が並んだ。単純に二人分の食事ということもあるが、彩り豊かな食卓は食べる前から幸福感があった。
「悪いな、客用の箸なくて」
「いいっスよ」
どこか機嫌良さげな水森は、ぱきりと良い音を立てて箸を割っている。
「熱いうちにどうぞ」
「じゃあ、遠慮なく」
勧められた通りに辛子醤油に付けて口に運ぶ。香ばしい香り、薄くパリリとした食感、中から溢れる具材は相当熱いが、それも含めて揚げたてを食べた時の特権だ。
「……うまいな」
「やった!」
勝ち誇ったように水森は微笑んだ。そのまま自身も春巻きを口に入れる。「あちっ」と言いながらも良い食べっぷりだ。口実には使ったものの、春巻きが好物ではあるのだろう。
食事を続けながらも、砂噛は水森の様子をちらちらと盗み見ていた。油で光る唇が、妙に赤く輝いていて先ほどのキスを想起させる。だが、その表情は子供のように無邪気だ。先ほど、恋人との関係が進まないと言う悩みも解消されたこともあり、晴れやかですらある。そのちぐはぐさに、砂噛は内心ため息をついた。
「また作りに来ますね。今度は待ち時間ないやつ」
また。つまり家に来るということだろう。次は、どこまで進めて良いのだろうか。それが砂噛にはわからなかった。キスより先も想定していると、先ほどは言っていた。だが、反応を見るに想像はしていても受け入れる覚悟はまだできていないように見えた。舌を入れたくらいで、あんなに過剰反応されていてはそれ以上は困難だろう。
さて、どうしたものか。砂噛は悩んでいた。だが、贅沢な悩みだなとも思っている。先日までの、恋人に愛おしさを感じるたびに心に浮かんだ罪悪感と比べれば、楽しいものですらある。
「……じゃあ、お前の分の箸買いに行かないとな」
そう言うと、恋人は満面の笑みを見せてくれる。かわいいなと、もう一度キスしたい、が心の中に同時に湧いてくる。とりあえず今日家に帰す前にもう一回、なんとか説得してキスしよう。そう心に決めて、砂噛は箸を進めた。
砂噛が後輩に尋ねられたのは、昼食時のことだ。その日砂噛が食べていたのは、朝コンビニで買ってきたサンドウィッチで、いつも通り可もなく不可もなくといった味だった。唐突な話題に、相手の意図が読めずに首を捻ったものの、嘘をつく理由もなかったので正直に答えた。
「まぁ、普通に好きだけど」
「良かった」
水森はパッと顔を明るくする。無邪気な、という表現がぴったり合うようなそんな笑顔だった。そんな様子に、砂噛は一瞬心奪われるが、それと同時に少しばかりの罪悪感を感じてしまう。
そんな砂噛の様子に気づかず、水森はにこにこと続ける。
「揚げたてが、おいしいんスよね」
「まぁな。なんだ、食べたいのか?」
話の意図が読めない。今水森が食べているのはコンビニで良く見る惣菜パンで、どう見ても春巻きには見えない。好物を聞くにしてはピンポイントで話題を振られたし、遠回しな食事の誘いだろうか。
「食べたい、と言うより作りたいんですよ」
「作る?」
砂噛にとって春巻きは時たまコンビニ弁当に入っているか、外食した時に食べる、そんな存在だ。作るなんて考えは全くなかった。一方の水森は、当然のような口ぶりで話を続けている。
「はい、楽しいっスよ、作るの。綺麗に揚がった時に達成感ありますし、揚げたてをたくさん食べられるのがいいですよね」
「そこまで言うなら、作ればいいだろ」
「それが、最近妹がダイエットしていて、家で揚げ物出しにくいんですよね」
そこで、水森はちらりとこちらを見上げてくる。媚びるような、というと言い過ぎだが、何かを期待するような、ねだるようなそんな雰囲気を目線から感じた。
「砂噛先輩、胃袋貸してくださいよ」
「言い方が物騒だな」
反射的に言い返すと、水森はむくれた表情をした。
「かわいい恋人が手料理食べさせたいって言ってんだから、素直に受けてくださいよ」
「かわいげがある奴は自称しないんだよ、普通」
そうは言ったものの、恋人の手料理というのは確かに魅力的ではあった。遠回しではあるが、食べさせたいと言う様子もいじらしい。掛け合いのような会話でついつい引き延ばしてしまったが、別段断る理由もなかった。
「そんなに言うなら、うまいもん作れよ」
ようやく聞けた肯定的な言葉に、水森は嬉しそうに笑った。そうして、当然のようにこう続けた。
「じゃあ、今度の土曜に先輩のところで作りますね」
楽しみっスね、と無邪気に笑う恋人に砂噛は焦った。先輩のところ、が意味するのは、思い違いでなければきっと。
「待て、お前、うちに来るつもりか?」
そうスよ、と水森は何でもないことのように答える。加えて「オレの家、週末親居ますもん」と言われてしまえば黙るしかない。
「いいじゃないっスか、付き合ってんだし」
だから困るんだよ、と言う言葉を砂噛は飲み込んだ。代わりに「週末までに掃除しとく」とだけ返すと、水森は楽しそうに笑った。
砂噛と水森は数ヶ月前から付き合っている。お互いの気持ちを確かめ合って、恋人になることを二人で決めた。そこまでは良かった。
いざ付き合うとなってから、砂噛は悩み始めた。あれ、これ、手を出していいやつか、と。
砂噛自身は、同性同士の性交渉が可能であることは分かっているし、異星人であろうと今の姿であればできるだろうな、ということは分かっている。付き合う、という話をした時に、当然いずれはそういう話になるだろうと考えていた。
しかし、水森はどうだろう。それまでの会話で、水森がもともとは女性が好きだと言うことは知っていたし、あまり恋愛経験がないことも何かの話の流れで聞いた気がする。そんな奴が、同性同士の性交渉の存在を知っているのだろうか?もしかしたら、プラトニックな関係を想定しているのではないか。そう思い至ってしまった。
一度その考えが出ると、頭から離れなくなってしまった。恋人になってからの水森が、妙にかわいらしく、甘えたような幼い笑顔を見せるようになったことも、考えを強固にした。こんな子供が性的なことを知るはずないと。同時に罪の意識も持つようになってしまった。こんな純真無垢な子供を恋人にして良かったのかと。何か悪いことをしている気分だった。
鉄が聞いたら、「バッカ、水森のこと三歳児かなんかと思ってんの?」と怒涛の勢いで否定したであろう思考回路だが、残念ながら砂噛は鉄に恋愛相談することなんてことはしなかった。からかわれるのが目に見えているし、気恥ずかしい。
ただ、誰かに話を聞いてほしいと思うくらいには、思考が煮詰まっていたので、話した。飲みの席で東雲に。明らかに人選ミスである。真面目で従順な後輩である彼は、悩み相談というよりも懺悔に近いトーンで語られた「子供と付き合うことになったんだけど、手を出さない方がいいよな」という言葉にたっぷり三分間沈黙した。
子供って中学生か?まさか小学生じゃないよな。え、そういう趣味だったのか?だから、一緒に働いていた時に、いろんな女性からアプローチかけられても碌に相手しなかったのか。尊敬する先輩の、マイナスの意味で意外な一面を知ってしまい、東雲は大いに動揺した。それでも、先輩が道を踏み外すの見たくない一心で、動揺を表に出さずに、東雲は「大人になるまで指一本触れちゃだめです」と答えた。
「下手すると、犯罪です」
「そうか、やっぱりそうだよな」
「手を繋いだりしたら、防犯ブザー鳴らされるかもしれません」
「いや、持ってないと思うけど」
「他の奴が狙う可能性もあるんで、それは買ってあげて下さい」
気心しれた者同士の、飲みの席である。多少会話がチグハグになっても、そういうものか、こういうことかな、とお互いの頭の中で勝手に補足し合って会話は進んでしまう。
防犯ブザー、いるのか。いるな、水森はかわいい。
砂噛の目にはそう映るが、水森は男子高校生である。特別華奢なわけでもなく、一般的にはかわいいよりかっこいいと称される顔立ちだ。防犯ブザーは必要ない。だが、そんな判断もできないくらい砂噛の目にはフィルターがかかっていた。真面目な東雲からの助言であるということも、思考の偏りに拍車をかけた。
そうして、砂噛は助言通りに、付き合い始めてからは指一本も水森に触れていない。仕事などで、抱える必要があるときは流石に対応しているが、プライベートでは手も繋いでいない。付き合ってから変わったことといえば、たまにデートするくらいだが、それも買い物に行ったり食事をしたりと、至って穏やかなものである。
知れば知るほど恋人は愛おしいし、正直手を出してしまいたいな、と思うこともたまに、というか割と高い頻度である。
そんな状態で、恋人を家に招く。試されている、理性を。
砂噛のためらいとは関係なく、無情にも時は過ぎていく。水森が来ると言った土曜日はすぐに訪れてしまった。
約束の時間の十分前、やたらとでかいリュックを背負って、水森は訪ねてきた。何を持ってきたんだと問いかけると「鍋です」とどでかい天ぷら鍋を取り出してきた。家からわざわざ持ってきたという。
「先輩の家、多分いろいろ足りないだろうなって」
水森は抜け殻になったリュックを遠慮がちにリビングの床に置いている。初めて来る他人の家に、まだ勝手がわからないようだった。生意気なことを言っているが少し緊張が見え、その様子に幼さを感じた。
キッチンを見て良いかと問われ、好きにしろと返す。キッチン周りは掃除が必要ないくらいに汚れていない。単純にほとんど使っていないからだ。気が向いた時だけ自炊をするので、最低限の器具は揃えているつもりだったが、棚を開けて物色する水森の眉間にはどんどん皺が寄っていく。
「ヤバい」
「ヤバい?」
「普段何食ってんスか?」
心配するような、馬鹿にするような、そんな複雑な表情を水森はしている。正直、コンビニや外食で済ますことが圧倒的に多いのだが、見栄を張ってたまにする自炊の内容を砂噛は答えた。
「うどん茹でたりとか、米炊いたりとか」
「ふーん」
ふーんって。剣呑な目でこちらを見ている後輩は、どうりでと呟いている。
「先輩、油がないっス」
「油?」
「うどん茹でるのにはいらないですけど、油がいるんスよ、揚げ物には」
というか、基本的な自炊にはサラダ油が必要です。そう言って、水森はため息をついている。そうしてぐるりとキッチンを見渡して、疲れたようにつぶやいた。
「炊飯器はあって良かったです。流石に今日持って来れないんで」
「多少は自炊するからな」
「……自炊する人の家にはね、サラダ油あるんスよ」
頑なに自炊と認めてくれない。だが、強くは出れない。ここまでの言動からも、こと料理に関しては相手の方が数段上である。ふくれっ面で「足りないもの買いに行きます」と言う後輩に、オレも行くと砂噛は上着を掴んだ。
とんとん、と野菜を切る規則正しい音がする。水森の手元に危うさはなく、野菜はサイズの揃った小片へと変化していく。その様子を後ろから覗いていた砂噛は素直に感心した。
「うまいもんだな」
「親がいない時はオレが夕飯作るんで……つーか、そんなに見られると緊張するんスけど」
まだかかるから、リビングで待っているように、と言われてしまう。暗に邪魔だと言われている、と理解して砂噛は大人しくソファへと向かった。
見るな、と文句を言われたものの、エプロン姿で料理する恋人というのは魅力的で、砂噛は飽きずに眺めていた。切り終えた具材を炒め、何やら粉を振って煮詰めている。その手つきに迷いはなく、本当に得意なんだと感じさせる。
家に呼ぶことに、抵抗を覚えていた砂噛だったが、今のところ問題なく過ごせている。そう、問題はない。エプロンをしてキッチンに立つ姿に見惚れて抱きしめたいと思ったり、そういえばドアを一枚開ければベッドあるんだよな、なんて邪な考えがよぎったりしているが、全て自制している。
自身の中で暴れている欲望を除けば、穏やかで清純な休日であると砂噛は感じていた。子供と付き合っていくにはちょうど良い。
こんな風に過ごしていって、水森が成人してからゆっくりと知識を与えて、関係を深めていけばいいだろう。砂噛はそう考えていた。
一通り具材の用意が終わると、水森は一旦エプロンを置いて、ソファに座った。冷ましてから皮で包むという。「包むところは一緒にやりましょうね」なんて、笑顔で言われたら、頷くしかない。包み方など知らないが。
手を伸ばせば肩を抱けてしまう、そんな距離に恋人が座っていることに、少し緊張する。何かのはずみで抱き寄せてしまいそうだ。
そんな内面は全て押し殺して、砂噛は当たり障りない話題を振った。気を紛らわすためでもある。
「しかし、お前そんなに春巻き好きだったんだな」
水森と違って、手料理を振る舞うことはできないが、食事に連れて行くことはできる。今後の参考までに、相手の嗜好の話を広げていこうと思っていたが、恋人の返答は冷めたものだった。
「ああ、別に、今日作るのコロッケとかでも良かったんですよ」
「え?」
先ほどまでの笑顔が嘘のように、水森の表情は抜け落ちていく。そんな様子に動揺しつつ、砂噛は春巻きとコロッケの共通点がわからずにいた。
水森は、淡々と「先輩は料理しないから分かんないと思いますが」と前置きをして話始めた。
「春巻きもコロッケも、中身先に作って、冷まさなきゃいけないんスよ。今みたいに。
あと、揚げ物だと、妹のダイエットとか、口実を作りやすかったんで」
「嘘だったのか?」
動揺を抑えられないまま出した声は、掠れていた。水森は少しだけ眉を下げた。申し訳なさそうな表情ではあるが、告げられた言葉は先ほどと同様に淡々としている。
「妹がダイエットしているのは本当っスよ。ただ、オレが作れば文句言いつつ食べるでしょうね」
明言しないものの、嘘である。気まずさはあるようだが、それでも水森は目を逸らさずに砂噛のことを見つめている。
「オレは、この待ち時間に、先輩と話をしたくて来ました」
そのためだけに、こんな回りくどいことをしたというのか。一体何を告げられるのか。きっと、楽しい話ではない。砂噛は自然と体を固くした。
「ねぇ、先輩。オレと付き合って、何がしたかったんスか?」
剣呑な目線を向けられる。先ほどサラダ油がなかった時によく似た表情だが、その時とは異なり、空気が張り詰めるのを感じた。
水森の目は真剣で、そして怒りが滲んでいた。初めて見る恋人の様子に気圧されながら、砂噛は口を開いた。
「何がって……」
だが、砂噛の言葉を水森は遮った。
「少女漫画じゃあるまいし、告白がゴールじゃないんスよ」
溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、流れるように言葉が出てくる。砂噛はそれを聞くことしかできない。
「先輩は、オレをそう言う目で見れないんスか?オレはキスもエッチもしたいです。このまま、何にもできないでいると、いつか我慢できなくなって襲っちゃうと思います。……返り討ちにあうでしょうけど。
だから、先輩が、オレとそういうことできないなら、別れた方がいいかもしれません」
思い詰めた表情で告げられた言葉に、砂噛は衝撃を受けた。子供だと思っていた相手にそんな欲求があったことも驚きだったが、別れ考えるほど思い悩んでいたことに全く気が付かなかった。
いや、思い返すと、兆候はあったのかもしれない。デートのたびに、何か言いたげに、ちらちらとこちらの手を眺める視線。食事の後、別れ際に見せる少し寂しそうな表情。この前はラブホから出てくるカップルを見てため息をついていた。割と分かりやすいサインも混ざっていたが、相手は子供というフィルターで全て見えていなかった。
とにかく、別れを思い止まらせなければ。その一心で、砂噛は口を開いた。
「すまん、その、お前まだ子供で知識もないだろうし、そういうのは早いかと」
事実であるし、本音だった。だが、その言葉は水森の怒りに油を注いだ。
「子供って……オレ、もう十八っスよ!」
選挙権あります!と憤慨しながら主張される。それが大人の証明になるかというと微妙だ。彼はまだ学生である。
「付き合うって、なったから、男同士のやり方も調べましたし……」
むしろ、もごもごと、恥ずかしそうに小声で言われた内容の方に砂噛はショックを受けた。え、知ってんの?純粋無垢だと思っていた相手が、想像以上に知識を持っていたことにただただ唖然としてしまう。
固まっている砂噛に、追い討ちをかけるように、水森は問い詰めてくる。
「で、子供のオレとは何もしたくないんスか」
「いや、我慢してただけで、したくない訳では……」
「ふーん、知識もない相手に?」
追求の手が一向に止まない。砂噛は諦めて全てを白状した。
「悪かった、大人になったらおいおい教えればいいかな、くらいに考えてた」
「紫の上かよ!いや、その場合、もう手を出されてる年齢か……」
誰だよ、紫の上。外星人である砂噛は当然源氏物語など知らない。だが今はそんな細かいことを問うている場合ではない。恋人の怒りを鎮めることが先決だ。そう判断し、大人しく謝罪の言葉を繰り返した。
水森は、まだ言い足りなそうではあったが、一旦謝罪を受け入れたようで、一つため息をついた。
「分かりました。先輩も、オレといろいろしたい、でいいんですよね」
「……まぁ、そうなるな」
今の今まで押し殺し、我慢してきた感情を表に出すのに、砂噛はまだ抵抗があった。だが、いまさら否定するわけにもいかず、結局控えめな肯定の意を示した。その言葉に、言質を取ったとばかりに水森は追い詰めにかかってくる。
「じゃあ、今、キスしてください。オレ、子供じゃないんで」
逃すまいとこちらを見つめる恋人の目線に、砂噛は頭を抱えた。
「待て、お前に知識があるのはわかった。不安にさせたのもすまないと思っている」
砂噛は、ぐいぐいと物理的に距離を詰めてくる水森をなんとか押しとどめた。腕力の差から、振り払うことは簡単なはずだが、相手の勢いが恐ろしく尻込みしてしまう。あと目が怖い。
「けど、じゃあキスしましょうは急ぎすぎじゃないか?」
なんとか説得を試みるが、水森は小馬鹿にしたような表情を浮かべた。
「ふーん、まだ先延ばしにするんスね。そんなんじゃ、いつかオレ愛想つかしますよ」
そう鼻で笑われて、砂噛は苛立ちを覚えた。なぜそこまで言われなくてはならない。砂噛の立場からすれば、水森のペースに合わせて我慢して、そう、相当我慢してここまで来たのだ。勘違いからくる気遣いではあったが。
そんなに言うのなら、と砂噛は恋人の頬を撫でた。
「いいんだな?」
「さっきから、いいって言ってます」
ん、と顔を上げて水森は目を閉じる。本当に覚悟してきたようで、その表情に迷いや恐れと言うものは見られない。
妙なところで我が強いというか、芯があるというか。子供だと思っていたし、今見せられている瞼を閉じた顔もあどけなさが残る。かわいげがなく生意気で、愛おしくて仕方がない。大切にしたいと思う反面でめちゃくちゃにしてやりたいとも思っている。
ためらいながら、柔らかい頬をもう一度撫でる。ああ、この唇はこれ以上に柔らかく、温かいんだろうな。そう思ったら、もう、限界だった。
自然と恋人に口付けていた。時間としては数秒ほどで、柔らかいそこの温度を十分に堪能できたかというと、物足りない。名残惜しい気持ちのまま、砂噛は離れた。
一方で、水森は目を開けると満足げにつぶやいた。
「できましたね」
まるで、キスすることが、恋人としてのゴールかのような言い草だ。先ほどの水森の言葉ではないが、少女漫画じゃあるまいしそこがゴールな訳ないだろう。そんなところが子供だって言うんだよ。自分と恋人の差に砂噛は弱ってしまった。
こんなもので満足してもらっては困る。悩みが晴れたのか、清々しい笑みを浮かべている水森の頬を再び撫でる。もっとしたい。その欲求がぐるぐると砂噛の中で渦巻いていく。
「なぁ、もう一回」
いいよな?と断定するように問いかける。しかし、水森は明らかに戸惑った顔をした。覚悟はしてきたものの、まさか何回もすることにはならないと思っていたらしい。それでも、一度大きな口を叩いた手前か、ややあって「どうぞ」と再び目を閉じた。
許可はとった、では遠慮なく。砂噛は再度、柔らかい唇に自分のそれを押し付けた。先ほどよりも強く、長く触れた唇は、想像通り温かかった。少し離して、角度を変えてくっつける。それを繰り返しながら、ふと中はもっと温かいんだろうな、と考え至った。
「水森、口開けろ」
「え?」
砂噛の言葉に、どこかのぼせたような表情の水森は声を出した。それは、疑問を表明する声であり、決して砂噛の言葉に応えてのものではなかった。それでも砂噛は好機とばかりに水森の後頭部に手を回した。
「んぅっ」
引き寄せて、唇を奪う。そのまま、舌を割り入れていくと、水森が声をあげた。そんなことなどお構いなしに砂噛は恋人の口の中を蹂躙する。予想通り温かい口内は心地よく、堪能するようにゆっくりと舌を動かした。奥に縮こまる水森の舌を引き出すように絡めるが、戸惑っているのかされるがままだ。
薄く目を開くと、水森からは先ほどまでの余裕のある表情は消えて、固く目を瞑っている。やっぱり、子供だな。名残惜しさを感じながらも、砂噛はキャパオーバーしている恋人を解放することにした。最後に軽く唇を食んで距離をとると、煽情的に赤く濡れた唇が目に入った。
顔を真っ赤にした水森は、悔しそうにつぶやいた。
「……一回って言ったくせに」
「一連の流れで一回だろ」
舌を入れたことに文句を言ったら、子供扱いされる。そう考えているのか、水森の文句は回数に関してだった。負け惜しみにしか聞こえない言葉に、しれっと言い返すと、水森は無言で睨みつけてきた。全く迫力がない。こいつ、こんなにかわいくてどうするんだろうな。キスの余韻でのぼせた頭で砂噛はそんなことを考えて、やっぱり防犯ブザー買おうかな、と思案した。
具材の準備の時から感じていたが、水森は本当に手慣れている。自分が巻いたものに比べて、形も大きさも揃った春巻きを見て、そう実感した。一緒に具材を巻いていたはずなのに、いつの間にか水森は副菜の準備も炊飯のセットも終えていた。本当に手際が良い。
そうしてテーブルの上に、今まで載せたことのない皿数が並んだ。単純に二人分の食事ということもあるが、彩り豊かな食卓は食べる前から幸福感があった。
「悪いな、客用の箸なくて」
「いいっスよ」
どこか機嫌良さげな水森は、ぱきりと良い音を立てて箸を割っている。
「熱いうちにどうぞ」
「じゃあ、遠慮なく」
勧められた通りに辛子醤油に付けて口に運ぶ。香ばしい香り、薄くパリリとした食感、中から溢れる具材は相当熱いが、それも含めて揚げたてを食べた時の特権だ。
「……うまいな」
「やった!」
勝ち誇ったように水森は微笑んだ。そのまま自身も春巻きを口に入れる。「あちっ」と言いながらも良い食べっぷりだ。口実には使ったものの、春巻きが好物ではあるのだろう。
食事を続けながらも、砂噛は水森の様子をちらちらと盗み見ていた。油で光る唇が、妙に赤く輝いていて先ほどのキスを想起させる。だが、その表情は子供のように無邪気だ。先ほど、恋人との関係が進まないと言う悩みも解消されたこともあり、晴れやかですらある。そのちぐはぐさに、砂噛は内心ため息をついた。
「また作りに来ますね。今度は待ち時間ないやつ」
また。つまり家に来るということだろう。次は、どこまで進めて良いのだろうか。それが砂噛にはわからなかった。キスより先も想定していると、先ほどは言っていた。だが、反応を見るに想像はしていても受け入れる覚悟はまだできていないように見えた。舌を入れたくらいで、あんなに過剰反応されていてはそれ以上は困難だろう。
さて、どうしたものか。砂噛は悩んでいた。だが、贅沢な悩みだなとも思っている。先日までの、恋人に愛おしさを感じるたびに心に浮かんだ罪悪感と比べれば、楽しいものですらある。
「……じゃあ、お前の分の箸買いに行かないとな」
そう言うと、恋人は満面の笑みを見せてくれる。かわいいなと、もう一度キスしたい、が心の中に同時に湧いてくる。とりあえず今日家に帰す前にもう一回、なんとか説得してキスしよう。そう心に決めて、砂噛は箸を進めた。
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