次のステップに進む方法

 水森は漫画が好きだ。没入できる虚構の世界に魅せられて、本屋でバイトをするくらいには。母が出版関係の仕事をしていることもあり、子供のころから身近にあった存在だ。妹も、自分ほどではないが比較的読む方だと思っている。
 ジャンルにこだわりはないが、最近の少女漫画については、妹の方が揃えている印象だ。思春期の妹の部屋に入ることはしないが(逆はよくある)、リビングに放ってある彼女の漫画は勝手に読むこともある。
 その日、水森が手に取った一冊も、そんな経緯で読み始めた少女漫画だった。休日出勤をした母の代わりに、夕食のシチューを煮込んでいる間の待ち時間。リビングのローテーブルに置かれた漫画が目についたのだ。
 もう少し正確に言うと、漫画の表紙に映る、おそらく主人公の相手役であろう男が、なんとなく恋人に似ていたから、手に取った。髪型とか、皮肉っぽい目線とか、そっくりだ、と水森は思ってしまった。そこから、夢中になって読み進め、気づいたら三十分以上経っていた。あわれ、焦げ付いて薄茶色に染まったクリームシチューを、何とか活用すべく牛乳とマカロニを足しながら、水森は漫画の続きが気になって仕方がなかった。
 クリームシチューから急遽マカロニグラタンに方向転換した夕食を「なんか焦げた匂いがする」と言いながら、それでもきっちり完食した妹に、水森は頼み込んだ。
「あの漫画の続き、貸してくれない?」
 普段自分も兄の本を勝手に拝借していることもあり、妹はあっさりと既刊六巻全てを貸してくれた。


 自室のベッドの上に寝転がって漫画のページを捲る。内容はシンプルな恋愛漫画だった。奥手で恋愛初心者の主人公が、高校入学と共に出会う、様々な男性陣に翻弄されつつ成長していく、と言った筋である。
 イケメンキャラを入れ替わり立ち替わり出していくのが売りなのか、数話ごとにスポットを当てられるキャラが変わる。その中でも、一巻の表紙に映った、皮肉屋で長髪の男性キャラがどうやら主人公のメインの相手になるようだ。なんだかんだで毎回出てきている。
 そして、このキャラクターが、水森の恋人である砂噛を彷彿とさせた。主人公のことをどう思っているのか表に出さず、嫌味や皮肉ばかり言うくせに、いざといいう時助けてくれる。見た目も似ているが、行動もそっくりだ。
 別に、恋人に似ているキャラがいるからといって、主人公に感情移入することはなかった。似ても似つかない、可憐で小さな少女に、自分を投影することは、水森にはできなかった。むしろ、恋に悩む少女に「がんばれ」「自信を持って」と思いながら読んでいた。気分は主人公の女友達である。
 シリアスありコメディありで、途中までは楽しく読んでいたが、現時点での最新刊である六巻に差し掛かったところで、不穏な空気が流れ始めた。その回に登場した新キャラが、主人公に告白をしたのだ。しかも、件の長髪の男の目の前で。
 返答に悩む主人公に対して、冷たく当たる長髪の男。その反応に泣き崩れる主人公。水森は彼女の友人として、男を殴ってやりたい気分で読み進めていく。
 もうやめとけよ、その男。告白してきた新キャラのほうが、明るく元気でわかりやすい。あっちにしとけ、マジで。義憤に駆られながら読み進めると、泣いている主人公に焦ったのか、長髪の男が慰めている。水森はいまさらなんなんだよ、と思いながらページを捲った。
 次のページは見開きで、二人のキスシーンが描かれていた。え、なんで?と思いながら、数秒フリーズしてしまう。ドキドキしながら次に進むと、主人公も『なんで……』と頬を染めながら呟いている。長髪の男はそれには何も答えずに去っていった。
 ここで、六巻は終わりである。
 水森はため息を吐いた。一気に読んでしまったが、続きが気になって仕方ない。
 とりあえず、マジであの男はやめとけ、辛い思いをするだけだ。主人公に対しそこまで考えて、水森ははたと気づいた。あれ、オレ、もしかして同じ目にあってないか?と。
 

 漫画の展開と自分の境遇を重ねてしまい、水森はまとまらない考えのまま、その日はうまく眠れなかった。次の日の朝、妹のさくらに感想を聞かれて、とりあえず無難なコメントを返した。
「シリアスな部分と笑える部分のバランスが良くて面白かった」
「だよねー!あと、恋愛の部分もめっちゃときめく。特に花ちゃんと鈴本先輩のもどかしい感じが」
 花ちゃんは主人公、鈴本先輩は長髪の男のことである。さくらはどうやら、あの展開にもときめきを感じているようだ。
「いや、あの男、なんか強引すぎないか?」
「そうかなー?」
「うん、勝手にキスしてくるし」
 とりあえず、一番気になっていた部分について話す。自分が恋人に感じた不満でもあるが、それは伏せる。水森の言葉にさくらは首を傾げた。
「うーん、あのキャラ設定でいちいち許可取ってこないでしょ」
 むしろ、ちょっと勝手な感じがいいじゃん、とさくらは肯定的だ。そういうものなのだろうか。漫画でも現実でも長髪の皮肉屋な男は勝手にキスしていいというルールでもあるのか?水森は頭を抱えた。
「てか、雑誌のほうでは、あの後の展開結構進んでるらしいよ」
 気になるなら読んでみれば?とさくらは掲載誌の名前を教えてくれる。あわよくば、自分も読みたいから買って、と顔に書いてある。
「今買っても、間の展開分からないだろ」
 妹を嗜めて、漫画の話題はそこで終わりとなった。


 その日の夜、自室のベッドで水森は雑誌を捲っていた。朝、さくらに教えられた雑誌である。ああは言ったものの、どうしても先の展開が気になって、買ってしまった。
 案の定、間の展開は分からない。雑誌特有の、あおり文がページの端にちらりとある程度だ。『ようやく思い通じあった二人だが!?』とだけ書いてあり、どうやら付き合うことになったらしい、いうことだけ分かった。
 今回の話は、主人公の内面にスポットを当てていた。主人公が付き合い始めた、砂噛似の男との関係に思い悩んでいる様子が、モノローグ中心で語られていく。
『付き合うって言っても、今までと何が変わるの?』
 分かる、めっちゃ分かる。水森はモノローグに同意した。
『連絡の頻度も変わらないし、デートもまだしたことない』
 マジでそれ。水森は読みながら自然と頷いていた。砂噛と付き合い始めて数週間過ぎたが、いまだにデートもしていない。
『なのにキスだけ済んでるなんて……先輩、そういうことが目当てなんじゃ』
 そこで、ページを捲る手が止まった。同意できない部分が出てきた。
 水森は、自分たちの関係が体目当ての交際では、と疑ったことはない。単純に、恋人にとって自分に性的な魅力がないと考えているからだ。この漫画の主人公のように、可愛らしい笑みは浮かべられないし、守ってあげたくなるような健気さも自分にはない。
 一方で、今の状況が交際と呼べるのか怪しいとは思っている。前にそれを尋ねたところ、キスとデートとセックスをしてれば付き合ってるだろと言われた。三個中一個しか達成していない。
「お兄、昨日の漫画返してー」
 悶々としていると、ノックもなしに、さくらが入って来た。いつものことだが、今は間が悪かった。雑誌を隠す暇もない。
「あー、雑誌買ってんじゃん!朝あんなん言っといて!」
 さくらは、ぷくっと頬を膨らます。こんな風に怒ってますアピールをしてくる時は、本気ではない。水森は妹の扱いを心得ている。
「ごめんて。読んでいいよ」
 そう言って雑誌を差し出すと、すぐにさくらの顔は笑顔になった。そのまま、ベッドに寄りかかる形で床に座って読み始める。
 ちょうどいい機会だ。他人の感想も聞きたい。水森はさくらが読み終えるのを待って話しかけた。
「なぁ、今回の話どう思った?」
「どうって……付き合ったのにまだ悩むんだなって思った」
 それはそうだと水森も頷いた。付き合うって、もっと天に昇る気持ちで浮かれていられると思っていた。現実は甘くなく、水森は悩み続けている。
「あ、あと、花ちゃんちょっとめんどくさいね」
「え、どこが?健気じゃん」
 水森が反論すると、さくらも負けじと言い返してくる。
「だってさ、連絡が増えないとか、デートに誘われないとか、全部受け身じゃん。気になるなら自分から動けばいいのに」
「それは……」
 確かにそうだ、と思ってしまった。恋人の考えが読めないことを嘆くよりも、自分から動いたほうがはやい。水森はさくらの手を取った。
「ありがとう、オレがんばるよ」
「え、何を!?」
 事態が飲み込めず戸惑うさくらの言葉は耳に入っていなかった。水森はこれからのことを考え始めた。
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