機械で感情を抑える方法
ここ数日通っていた馬喰の部屋は、相変わらず雑然としていた。それでも、座れる椅子までのアクセスは最初に比べてスムーズにできるようになった。水森が、この部屋に慣れたのだ。
「いやー、昨日のアレ、面白かったわ」
「勘弁して下さい……」
馬喰にケタケタと笑われて、水森は羞恥で顔を伏せた。普段部屋にこもって開発をしている馬喰が知っているということは、たぶん会社のほとんどの人に昨日のアレは知られている。
穴があったら入りたい気分だ。
昨日、水森は叫びながら会議室から飛び出した後、とにかく走って逃げていた。どこに、とか、誰かの元へ、とかはなくとにかく逃げなくてはという思いが強かった。
「おい、待て、ふざけんなよ!」
後方から砂噛の声がする。完全に怒っていることが伝わってきて、水森はますます必死で足を動かした。足音から、追いかけて来ていることがわかった。やばい、怖い。
男性二人が、オフィスで全力疾走する様子は、とても異様で大層目立った。すれ違う他の社員がぎょっとした顔でこちらを見ているが、構っていられない。
「なんで逃げんだよ!」
先ほどよりも近くで、砂噛の声がする。徐々に距離を詰められているようだ。そもそもの運動能力が違うので、このままではいずれ追い付かれてしまう。
MESでスーツ姿をしているのも仇になった。革靴が走りにくくて仕方がない。高校の制服に比べて、スーツでは腕や足の可動域も狭くなる。
そうこうしているうちに、廊下の端が見えてくる。このままではまずい。水森は左右を見て咄嗟に階段に繋がる扉を開けた。
「わかんないです!」
水森は、砂噛の問いに答えながら、階段を駆け降りる。そう、自分でもなぜ逃げているのかはわからない。砂噛の顔を見ていると、思考が、感情が、爆発してしまいそうで処理しきれずに飛び出した。
「もう、何もわかんないから、ほっといてください!」
下の階に辿り着き、再び廊下を駆けていく。やばい、息切れして来た。叫びながら走ったせいもあり、水森のペースは明らかに落ちていた。
「やだね、逃がさないからな」
ついに追いついた砂噛に腕を取られた。反動で体が傾げ、水森の足はもつれてしまう。
あ、倒れると思い、目を瞑るが思っていた衝撃はこない。背中に温かいものを感じて、恐る恐る目を開けると、こちらを見下ろす砂噛と目が合った。後ろから支えてくれているようだった。
「もう逃げんな、頼むから」
その言葉は、懇願とも取れる響きを持って、水森に届いた。眉を顰めてこちらを見つめる様子は、怒っているというよりも、不安が感じられた。ああ、先輩も恋しているのか。そう、実感して水森が口を開いた時だった。
ぽん、と横から肩を叩かれた。
「お取り込み中申し訳ないですが、局長室まで来てもらいましょうか」
無表情でこちらを見つめる穂村の声は、常よりも低く怒りが感じ取れた。
「あなたたちは会社で追いかけっこしていいと思っているんですか?」
「……思ってないです」
「ごめんなさい」
穂村に捕まった二人は、局長室で正座をさせられ、説教を受けていた。穂村の後ろで鉄が爆笑しながらスマホで二人の写真を撮っている。
穂村は一つ息をつくと「二度としないでください」と釘を刺した。そして、しゃがみ込むと二人に目線を合わせると、小首を傾げて聞いてくる。
「それで、二人は交際するんですか?」
「え!?」
「好き同士なんですよね」
穂村の言葉に、先ほどの会議室での出来事が思い出され、顔が熱くなる。好きと言われた。キスをされた。好き同士かと言われれば、それはそうなのだろう。だが、水森は素直に頷けない。どうしても気になることがあるのだ。それを置いて交際などできない。
黙ってしまった水森に、他の三人は不思議そうに目を合わせている。
「てっきり付き合って、大団円ででてくるかと思ってたんですが、なんで鬼ごっこ始めたんですか?」
「いや、急に諦めるって言われた上に、逃げられたんで」
「マジか、振られてんじゃん」
「振られてない、……まだ」
三人が好き勝手に話す中、いたたまれなくなり、水森は口を開いた。
「だって、砂噛先輩は」
そこで一旦区切って、ちらりと鉄を見上げる。きょとんとした顔でこちらを見ている彼女は、なぜこちらを見るんだ、と言わんばかりだ。
「……鉄先輩のことが好きなんスよね?」
局長室に、束の間沈黙が落ちた。
「待て!なんでそうなる!?」
「はーー!?そんな訳ないっしょ!」
「そうなんですか?」
三者三様の反応に、水森は戸惑った。とりあえず、怒鳴りつけてきた二人に反論する。
「で、でも、さっき二人で話してましたよね?急にキスするなとか、好きな奴がとか」
水森の言葉に、砂噛と鉄は頭を抱えた。照れているというよりも、困ったようなその反応に水森も、何か変だと感じ始めた。
「あれは、お前の話だ」
「ドラ男が、水森にキスしたって聞いて、説教したんよ。同意なしに、勝手にすんなって」
二人の言葉に嘘はない。水森は急に恥ずかしくなった。それでは、先ほどの会議室でのやり取りは、全て自分の勘違いではないか。
顔を真っ赤にして俯いた水森を尻目に、「こいつとだけはねぇから」「こっちのセリフだ」などと二人は言い争いをしている。穂村だけが冷静に、口を開いた。
「それで、改めて聞きますが、二人は交際するんですか?」
水森は再び返答に困った。そんな展開、夢想したこともないし、砂噛がどう考えているかも分からない。
「あーもう、面倒だ」
隣で正座する砂噛が、こちらの肩を掴んできた。そのまま強引に目を合わせて、言い聞かせるように話をされる。
「オレは、お前が好きだ。お前だけだ。分かるな?」
「は、はい」
嘘はない。それは分かる。だが、毎回毎回、この人はなんでこんなに苦虫を噛み潰したような表情で愛を告げてくるのだろう。
「お前も、オレが好きだよな?」
「そ、そうですね」
砂噛の気迫に押されて、水森は反射的に頷いた。砂噛の語気はどんどん強くなる。
「じゃあ、付き合うでいいな?!」
「はい!……はい?」
仕事中の返事のように、勢いよく答えてしまった。答えてから、あれ、何か重要なこと押し切られたな、と思うがもう遅い。
「課長、交際することになりました」
「了解です。チーム編成は今まで通りでいいですね」
砂噛と穂村は勝手に話を進めている。水森は頭で処理しきれず、また逃げ出したくなった。
「すげー強引」
鉄が苦笑いしているが、止めてはくれないらしい。
こうして、晴れて水森は想い人と交際することとなった。やたら強引な展開で。
社内での追いかけっこの顛末を馬喰に話すと、爆笑された後、「カップル成立やん。おめでとさん」とあっさりとした祝福をもらった。
「ありがとうございます。その……馬喰さんにはご迷惑お掛けしました」
穂村が抗議したという話を聞いて、気になっていた。自分から言い出し、巻き込んでしまった彼女が責められたというのは寝覚めが悪かった。
「リンリンのこと?ええって。ウチもMESの実力試したくて無茶したなって自覚あるし」
「でも……」
なおも言い募る水森に、馬喰は「ええって」と被せるように繰り返した。
「それにしても、MES、薬にはならへんかったな」
あーあ、と残念そうに馬喰は呟いた。薬とはなんのことかと水森が首を傾げていると、馬喰は続けた。
「恋の病につける薬な。途中から効かなくなったって言うてたもんな」
「……まぁ、そうですね」
砂噛といるときだけ働くように設定していたが、蓋を開けてみれば一緒にいない時も、なんだかんだで砂噛を意識していて、恋する少女に嫉妬するなんてこともあった。人間の感情って単純じゃないんだな、と痛感させられた数日間だった。
「まぁ、しゃーない。恋人同士になったわけだし、これからは機械に頼らんでええやろ」
そう言って、水森のピアスが渡される。数日前にした改造をなくして、元に戻してもらったのだ。
「ありがとうございます」
「今日も仕事?」
「はい。……砂噛先輩と」
それはそれは、とからかうように馬喰は目を細める。これ以上、ちょっかいをかけられては、仕事に遅れてしまう。水森は「そろそろ」と言って立ち上がった。
「浮かれすぎんようになー」
去り際にかけられた言葉に、水森は曖昧に笑うと、黙って会釈をした。
そこなんだよなぁ、と水森は先ほどの馬喰の言葉を反芻した。浮かれてはいない。というか、その域に達していない。なんというか、いまだに現実味がないのだ。
昨日から急展開で、気づけばずっと好きだった人と付き合っている。天と地がひっくり返っても、こんな展開にはならないだろうと思っていたので、夢想すらしなかった。だから、付き合うって何すんの?という状態だ。
会社からでてここ数日通い詰めた川に向かう。どうやら自分の恋人になったらしい先輩がこちらを待っているのが見えてきた。
「よぉ、お疲れ」
「……お待たせしました」
昨日の今日で一緒の仕事を組まれてしまった。いや、デスラッコ捕まってないから仕方ないのだけど。
「じゃあ、今日もラッコ探すか」
砂噛はあんまりにも普通だ。昨日の態度が嘘のようで、水森はやはり付き合っているというのは、何かの間違いではないかと疑った。
「先輩って、オレの気持ちにいつ気がついたんですか?」
もやもやした気持ちを抱えながら、水森は砂噛の隣に座った。答えの代わりに缶コーヒーが差し出され、反射的に受け取る。
「最近だな」
「そうっスか。隠してたつもりだったんですが」
「あれだけ熱い視線向けられれば、誰でも気がつくと思うが」
呆れたように言われてしまう。この人、オレのこと本当に好きなのか、と疑いたくなるが、今日も手の中の缶コーヒーは自分の好きなメーカーの物だ。
川の流れは今日も穏やかで、ラッコもいないしビームも打たれない。何かいるなと思っても、鴨が泳いでいるだけだ。暇である。
「オレが告白された時、お似合いだって言ったアレ、なんなんですか?」
「……八つ当たりと嫌味だよ。妙に態度変わって苛ついてた所で見たから」
答え合わせのように、水森は思いつくまま砂噛に疑問をぶつける。歯切れが悪いが、砂噛は答えてくれるらしい。「ふーん」と答えつつ、水森はちょっと安心した。妬くくらいには好かれているらしい。
「砂噛先輩、付き合うって何するんですか?」
川から目を離さずに、問いかける。一番、気になっていたことだ。実感もわかないし、想像もできなかった事態だ。もう聞くしかないだろう。
「仕事中なんだが」
「ちゃんと見てますよ」
さすがに嗜められてしまい、水森はちょっと拗ねた。仕事をおろそかにするつもりはなかった。むしろ、このもやもやをすっきりさせて集中したい。
渡されたコーヒーを飲む。口の中に広がる苦味が、今の気分のようだ。
「……別に、普通だろ」
水森が臍を曲げたのに気がついたのか、しぶしぶと言った様子で、砂噛が答える。だが、その普通が水森にはわからない。
「普通って?」
「キスして、デートして、セックスするんだよ」
「せ……!!」
あまりにも直接的な物言いに、水森は絶句した。確かに、付き合うと言ったら、そういうこともするのだろう。だが、片思いの最中も、恋人になった今も、どうやってそういう展開になるのか、想像もつかなかった。
「なんだお前、プラトニックな関係求めてんのか」
「いや、そういうわけじゃ」
水森とて、性欲はある。具体的な想像はつかなかったが、今までだって自慰行為の時に、砂噛のことを思い浮かべたりしていた。そのことに、罪悪感も覚えたが。
慌てながら言葉を探す水森に、砂噛はため息をついた。そのまま水森を覗き込むように近づくと、軽く口付けた。
「……は?」
「ま、キスはできるみたいだな」
勝手にしておいて、なんだその言い草は。水森は文句を言いたかった。今のところ、同意なくキスされてばかりだ。
「仕事中って言ってたじゃないっスか!」
「これくらい慣れろ」
完全にからかわれている。砂噛の態度は付き合う前と変わらない。だが、その笑顔は少し柔らかくなっている気がする。照れくさくなって、水森はコーヒーを飲んだ。
ちびちびと苦味を摂取しながら、川を眺める。自分の心臓の音がうるさくて集中するのが難しい。ふと、目の端に茶色いものが映った気がした。まだ、遠く小さくしか見れないが、あれは。
「先輩、ラッコ!あそこにいます!」
「ようやくオレの仕事か」
言うが早いが、砂噛はドラゴンの姿に戻ると、そのまま川に入って行く。視認したらしいラッコの位置まで、気取られないようゆっくりと泳いで近づいていく様子は、先ほどまで自分をからかっていた人とは思えなかった。
ずるいよな、自分はちゃんと仕事になるんだから。水森は恨みがましくそう思った。悔しいが、向こうの方が大人で、切り替えがうまいのだろう。
ドラゴンの姿に戻ってラッコを捕獲する恋人、というなかなかにシュールな絵面を見ながら、それでも水森の心臓はうるさいくらいに高鳴っていた。
やっぱり、何かしら制御した方がいいのかもしれない。自分の心臓が心配になり、水森はそう思った。
「いやー、昨日のアレ、面白かったわ」
「勘弁して下さい……」
馬喰にケタケタと笑われて、水森は羞恥で顔を伏せた。普段部屋にこもって開発をしている馬喰が知っているということは、たぶん会社のほとんどの人に昨日のアレは知られている。
穴があったら入りたい気分だ。
昨日、水森は叫びながら会議室から飛び出した後、とにかく走って逃げていた。どこに、とか、誰かの元へ、とかはなくとにかく逃げなくてはという思いが強かった。
「おい、待て、ふざけんなよ!」
後方から砂噛の声がする。完全に怒っていることが伝わってきて、水森はますます必死で足を動かした。足音から、追いかけて来ていることがわかった。やばい、怖い。
男性二人が、オフィスで全力疾走する様子は、とても異様で大層目立った。すれ違う他の社員がぎょっとした顔でこちらを見ているが、構っていられない。
「なんで逃げんだよ!」
先ほどよりも近くで、砂噛の声がする。徐々に距離を詰められているようだ。そもそもの運動能力が違うので、このままではいずれ追い付かれてしまう。
MESでスーツ姿をしているのも仇になった。革靴が走りにくくて仕方がない。高校の制服に比べて、スーツでは腕や足の可動域も狭くなる。
そうこうしているうちに、廊下の端が見えてくる。このままではまずい。水森は左右を見て咄嗟に階段に繋がる扉を開けた。
「わかんないです!」
水森は、砂噛の問いに答えながら、階段を駆け降りる。そう、自分でもなぜ逃げているのかはわからない。砂噛の顔を見ていると、思考が、感情が、爆発してしまいそうで処理しきれずに飛び出した。
「もう、何もわかんないから、ほっといてください!」
下の階に辿り着き、再び廊下を駆けていく。やばい、息切れして来た。叫びながら走ったせいもあり、水森のペースは明らかに落ちていた。
「やだね、逃がさないからな」
ついに追いついた砂噛に腕を取られた。反動で体が傾げ、水森の足はもつれてしまう。
あ、倒れると思い、目を瞑るが思っていた衝撃はこない。背中に温かいものを感じて、恐る恐る目を開けると、こちらを見下ろす砂噛と目が合った。後ろから支えてくれているようだった。
「もう逃げんな、頼むから」
その言葉は、懇願とも取れる響きを持って、水森に届いた。眉を顰めてこちらを見つめる様子は、怒っているというよりも、不安が感じられた。ああ、先輩も恋しているのか。そう、実感して水森が口を開いた時だった。
ぽん、と横から肩を叩かれた。
「お取り込み中申し訳ないですが、局長室まで来てもらいましょうか」
無表情でこちらを見つめる穂村の声は、常よりも低く怒りが感じ取れた。
「あなたたちは会社で追いかけっこしていいと思っているんですか?」
「……思ってないです」
「ごめんなさい」
穂村に捕まった二人は、局長室で正座をさせられ、説教を受けていた。穂村の後ろで鉄が爆笑しながらスマホで二人の写真を撮っている。
穂村は一つ息をつくと「二度としないでください」と釘を刺した。そして、しゃがみ込むと二人に目線を合わせると、小首を傾げて聞いてくる。
「それで、二人は交際するんですか?」
「え!?」
「好き同士なんですよね」
穂村の言葉に、先ほどの会議室での出来事が思い出され、顔が熱くなる。好きと言われた。キスをされた。好き同士かと言われれば、それはそうなのだろう。だが、水森は素直に頷けない。どうしても気になることがあるのだ。それを置いて交際などできない。
黙ってしまった水森に、他の三人は不思議そうに目を合わせている。
「てっきり付き合って、大団円ででてくるかと思ってたんですが、なんで鬼ごっこ始めたんですか?」
「いや、急に諦めるって言われた上に、逃げられたんで」
「マジか、振られてんじゃん」
「振られてない、……まだ」
三人が好き勝手に話す中、いたたまれなくなり、水森は口を開いた。
「だって、砂噛先輩は」
そこで一旦区切って、ちらりと鉄を見上げる。きょとんとした顔でこちらを見ている彼女は、なぜこちらを見るんだ、と言わんばかりだ。
「……鉄先輩のことが好きなんスよね?」
局長室に、束の間沈黙が落ちた。
「待て!なんでそうなる!?」
「はーー!?そんな訳ないっしょ!」
「そうなんですか?」
三者三様の反応に、水森は戸惑った。とりあえず、怒鳴りつけてきた二人に反論する。
「で、でも、さっき二人で話してましたよね?急にキスするなとか、好きな奴がとか」
水森の言葉に、砂噛と鉄は頭を抱えた。照れているというよりも、困ったようなその反応に水森も、何か変だと感じ始めた。
「あれは、お前の話だ」
「ドラ男が、水森にキスしたって聞いて、説教したんよ。同意なしに、勝手にすんなって」
二人の言葉に嘘はない。水森は急に恥ずかしくなった。それでは、先ほどの会議室でのやり取りは、全て自分の勘違いではないか。
顔を真っ赤にして俯いた水森を尻目に、「こいつとだけはねぇから」「こっちのセリフだ」などと二人は言い争いをしている。穂村だけが冷静に、口を開いた。
「それで、改めて聞きますが、二人は交際するんですか?」
水森は再び返答に困った。そんな展開、夢想したこともないし、砂噛がどう考えているかも分からない。
「あーもう、面倒だ」
隣で正座する砂噛が、こちらの肩を掴んできた。そのまま強引に目を合わせて、言い聞かせるように話をされる。
「オレは、お前が好きだ。お前だけだ。分かるな?」
「は、はい」
嘘はない。それは分かる。だが、毎回毎回、この人はなんでこんなに苦虫を噛み潰したような表情で愛を告げてくるのだろう。
「お前も、オレが好きだよな?」
「そ、そうですね」
砂噛の気迫に押されて、水森は反射的に頷いた。砂噛の語気はどんどん強くなる。
「じゃあ、付き合うでいいな?!」
「はい!……はい?」
仕事中の返事のように、勢いよく答えてしまった。答えてから、あれ、何か重要なこと押し切られたな、と思うがもう遅い。
「課長、交際することになりました」
「了解です。チーム編成は今まで通りでいいですね」
砂噛と穂村は勝手に話を進めている。水森は頭で処理しきれず、また逃げ出したくなった。
「すげー強引」
鉄が苦笑いしているが、止めてはくれないらしい。
こうして、晴れて水森は想い人と交際することとなった。やたら強引な展開で。
社内での追いかけっこの顛末を馬喰に話すと、爆笑された後、「カップル成立やん。おめでとさん」とあっさりとした祝福をもらった。
「ありがとうございます。その……馬喰さんにはご迷惑お掛けしました」
穂村が抗議したという話を聞いて、気になっていた。自分から言い出し、巻き込んでしまった彼女が責められたというのは寝覚めが悪かった。
「リンリンのこと?ええって。ウチもMESの実力試したくて無茶したなって自覚あるし」
「でも……」
なおも言い募る水森に、馬喰は「ええって」と被せるように繰り返した。
「それにしても、MES、薬にはならへんかったな」
あーあ、と残念そうに馬喰は呟いた。薬とはなんのことかと水森が首を傾げていると、馬喰は続けた。
「恋の病につける薬な。途中から効かなくなったって言うてたもんな」
「……まぁ、そうですね」
砂噛といるときだけ働くように設定していたが、蓋を開けてみれば一緒にいない時も、なんだかんだで砂噛を意識していて、恋する少女に嫉妬するなんてこともあった。人間の感情って単純じゃないんだな、と痛感させられた数日間だった。
「まぁ、しゃーない。恋人同士になったわけだし、これからは機械に頼らんでええやろ」
そう言って、水森のピアスが渡される。数日前にした改造をなくして、元に戻してもらったのだ。
「ありがとうございます」
「今日も仕事?」
「はい。……砂噛先輩と」
それはそれは、とからかうように馬喰は目を細める。これ以上、ちょっかいをかけられては、仕事に遅れてしまう。水森は「そろそろ」と言って立ち上がった。
「浮かれすぎんようになー」
去り際にかけられた言葉に、水森は曖昧に笑うと、黙って会釈をした。
そこなんだよなぁ、と水森は先ほどの馬喰の言葉を反芻した。浮かれてはいない。というか、その域に達していない。なんというか、いまだに現実味がないのだ。
昨日から急展開で、気づけばずっと好きだった人と付き合っている。天と地がひっくり返っても、こんな展開にはならないだろうと思っていたので、夢想すらしなかった。だから、付き合うって何すんの?という状態だ。
会社からでてここ数日通い詰めた川に向かう。どうやら自分の恋人になったらしい先輩がこちらを待っているのが見えてきた。
「よぉ、お疲れ」
「……お待たせしました」
昨日の今日で一緒の仕事を組まれてしまった。いや、デスラッコ捕まってないから仕方ないのだけど。
「じゃあ、今日もラッコ探すか」
砂噛はあんまりにも普通だ。昨日の態度が嘘のようで、水森はやはり付き合っているというのは、何かの間違いではないかと疑った。
「先輩って、オレの気持ちにいつ気がついたんですか?」
もやもやした気持ちを抱えながら、水森は砂噛の隣に座った。答えの代わりに缶コーヒーが差し出され、反射的に受け取る。
「最近だな」
「そうっスか。隠してたつもりだったんですが」
「あれだけ熱い視線向けられれば、誰でも気がつくと思うが」
呆れたように言われてしまう。この人、オレのこと本当に好きなのか、と疑いたくなるが、今日も手の中の缶コーヒーは自分の好きなメーカーの物だ。
川の流れは今日も穏やかで、ラッコもいないしビームも打たれない。何かいるなと思っても、鴨が泳いでいるだけだ。暇である。
「オレが告白された時、お似合いだって言ったアレ、なんなんですか?」
「……八つ当たりと嫌味だよ。妙に態度変わって苛ついてた所で見たから」
答え合わせのように、水森は思いつくまま砂噛に疑問をぶつける。歯切れが悪いが、砂噛は答えてくれるらしい。「ふーん」と答えつつ、水森はちょっと安心した。妬くくらいには好かれているらしい。
「砂噛先輩、付き合うって何するんですか?」
川から目を離さずに、問いかける。一番、気になっていたことだ。実感もわかないし、想像もできなかった事態だ。もう聞くしかないだろう。
「仕事中なんだが」
「ちゃんと見てますよ」
さすがに嗜められてしまい、水森はちょっと拗ねた。仕事をおろそかにするつもりはなかった。むしろ、このもやもやをすっきりさせて集中したい。
渡されたコーヒーを飲む。口の中に広がる苦味が、今の気分のようだ。
「……別に、普通だろ」
水森が臍を曲げたのに気がついたのか、しぶしぶと言った様子で、砂噛が答える。だが、その普通が水森にはわからない。
「普通って?」
「キスして、デートして、セックスするんだよ」
「せ……!!」
あまりにも直接的な物言いに、水森は絶句した。確かに、付き合うと言ったら、そういうこともするのだろう。だが、片思いの最中も、恋人になった今も、どうやってそういう展開になるのか、想像もつかなかった。
「なんだお前、プラトニックな関係求めてんのか」
「いや、そういうわけじゃ」
水森とて、性欲はある。具体的な想像はつかなかったが、今までだって自慰行為の時に、砂噛のことを思い浮かべたりしていた。そのことに、罪悪感も覚えたが。
慌てながら言葉を探す水森に、砂噛はため息をついた。そのまま水森を覗き込むように近づくと、軽く口付けた。
「……は?」
「ま、キスはできるみたいだな」
勝手にしておいて、なんだその言い草は。水森は文句を言いたかった。今のところ、同意なくキスされてばかりだ。
「仕事中って言ってたじゃないっスか!」
「これくらい慣れろ」
完全にからかわれている。砂噛の態度は付き合う前と変わらない。だが、その笑顔は少し柔らかくなっている気がする。照れくさくなって、水森はコーヒーを飲んだ。
ちびちびと苦味を摂取しながら、川を眺める。自分の心臓の音がうるさくて集中するのが難しい。ふと、目の端に茶色いものが映った気がした。まだ、遠く小さくしか見れないが、あれは。
「先輩、ラッコ!あそこにいます!」
「ようやくオレの仕事か」
言うが早いが、砂噛はドラゴンの姿に戻ると、そのまま川に入って行く。視認したらしいラッコの位置まで、気取られないようゆっくりと泳いで近づいていく様子は、先ほどまで自分をからかっていた人とは思えなかった。
ずるいよな、自分はちゃんと仕事になるんだから。水森は恨みがましくそう思った。悔しいが、向こうの方が大人で、切り替えがうまいのだろう。
ドラゴンの姿に戻ってラッコを捕獲する恋人、というなかなかにシュールな絵面を見ながら、それでも水森の心臓はうるさいくらいに高鳴っていた。
やっぱり、何かしら制御した方がいいのかもしれない。自分の心臓が心配になり、水森はそう思った。
