機械で感情を抑える方法

 次の日、放課後水森は河川敷にいた。学校を出ると、待っていた砂噛に連れて来られたのだ。
 スーツ姿の男性二人が河辺に並ぶ姿は、やや浮いていた。遊んでいる子供たちも、不審者でも見るようにちらちらとこちらを伺っている。
「えっと、ここで何の仕事するんですか?」
「課長から聞いてないのか?」
「砂噛先輩から聞けって」
 砂噛は嫌そうな顔をした。普段ならここで、自分が何かしてしまったか、と過剰に傷ついていたが、今はそんなことを感じない。どうしたのかな?と思うだけだ。
「……デスラッコが」
「は?なんて?」
 聞き馴染みのない単語に、思わず敬語が崩れる。砂噛の眉間の皺が深くなっていくのが見えた。
「デスラッコだよ。一部の外星人の間でカルト的に人気のあるペットだ」
 不機嫌さを隠そうともせずに砂噛は説明を続けた。
 彼が言うには、デスラッコというのは通称らしい。本当はもっと長い名前だしラッコではないが、見た目が似ているのでCOSMOS社員はこの通称を使っている。見た目はラッコで愛らしいが、一度野に放たれると生態系をガタガタに崩すほどの食欲を見せる。だいたいなんでも食べるがもっぱら魚を好むという。
「人間も食べるんですか?」
「食べない。ただ、手に持っている貝の形をした放出器官からレーザービームを打ってくる。当たったら鉄板も溶かすレベルだ」
「え、なにその危険生物」
 冗談みたいな説明だが、砂噛はものすごく嫌そうに、だが真面目に話している。宇宙は広い。レーザービームを出すラッコ(のような生物)もにきっといるのだろう。
「その危険生物を、今から探しに行く」
 げんなりとした様子の砂噛から告げられた言葉に、まぁそうなるよな、と水森は思った。話を聞いていて、そんな展開だろうとは思っていた。どうやら砂噛の機嫌の悪さもそれに起因するらしい。
 機嫌の悪さの理由が分かってすっきりした。それ以上に、相手の態度に対して疑問を覚えても、過度に不安になることがないことに、水森は感動を覚えた。MES様々である。
「探しにって、川にいるんですか?」
「ああ、バカな奴が闇ブローカーから購入した個体が逃げた」
 逃した場所から近いことに加えて、この川ではここ数日釣果が激減しているという。
「アクチュアリーが、分析した結果数日のうちにこの辺りに現れる、らしい」
「アクチュアリーって、そんなことも計算できるんスね」
「普通はしない」
 話しながら、砂噛は河辺に座る。水森もその隣に座った。距離が変じゃないか、とか気にしないで済むのが嬉しかった。今、すごく自然だ。
「ほら」
「あ、どうも」
 砂噛から缶コーヒーを渡される。買っておいてくれたらしい。後輩に対する面倒見の良さ、の範疇なんだろうが、こういうところが好きなんだよな、と水森は缶コーヒーを握りしめた。好んで飲んでいるメーカーの物、というのも心にくるものがあった。だが、心臓は高鳴らない。
「で、お前の仕事だが、ラッコを視認したらオレに知らせろ。以上だ」
「作戦、雑すぎません?」
「いいんだよ。無理に川に入って警戒されたくないし、向こうがレーザー打ってきたらややこしい。索敵して素早く仕留めるのが確実だ」
 索敵って。物騒な物言いだが、ビームを出す相手だ。砂噛の言うことも一理あるのかもしれない。
「じゃあ、今回オレって目を使う要員で配置されたんスね」
「そうだ。お前が見つけるまで、オレは待ちだ」
 言うが早いが、砂噛は携帯を取り出してメールの返信を始める。こんなところでも、デスクワークを進めるらしい。
「先輩、忙しいんスね」
 ラッコを探しながら、話しかける。目線は川から外せないので、相手がどんな顔をしているかは分からない。
「学生に比べれば、振られる仕事は多いな」
 返答は淡々としたものだった。そこで会話は途切れる。以前であれば、相手の機嫌や反応が気になって、沈黙は落ち着かなかったが、今の水森にはそんな不安感はなかった。たまにぽつぽつと喋りながら、集中した状態で川を見続けることができた。


 結局その日、周りが暗くなり始めるまで粘ったが、ラッコは見つからなかった。落胆しているところに、「出現まで数日の幅あるから気にすんな」と慰められて、やっぱり好きだな、と思ってしまう。
 だが、どきどきはしない。変に泣きたくもならないし、体温も上がらない。ただ、好きという感情だけ、脳内を駆け巡る、そんな感じだった。
 慣れない感覚に戸惑いつつ、一方で水森は快適さも感じた。隣に好きな相手が座っていても緊張もせず、あれだけの集中力が発揮できた、と言うのは求めていた効果と言っていい。
 ラッコこそ見つからなかったが、別の意味で成果があった、と水森は気持ちは少し上向いた。
 河辺から上り、砂噛と歩いて行く。明日も、というか捕まえるまで同じことをするという、嫌気がさすような予定を確認した。
「オレは、一旦夕飯食べてから会社に戻るが、お前はどうする?」
 砂噛の言葉は、問いかけの形をとっていたが、行くことを想定した誘いだった。水森も、普段であれば二つ返事でついて行っていた。恋心を自覚する前は普通に夕飯だけ一緒に食べていたし、自覚した後も、緊張半分、嬉しさ半分で一緒に食事していた。
 しかし、今日は馬喰のところにMESの様子を話に行かなくてはならない。別に夕食後に行ってもいいのだが、なんでお前も会社に行くんだ、とか問い詰められると困る。
「すみません、今日は家で食べます」
 水森は迷った末に誘いを断った。話した内容も嘘ではない。馬喰と話した後、家に帰って夕飯を食べるつもりだ。
「ふーん、そう。じゃあ、オレこっちだから」
 普段とは違う反応に、砂噛は訝しげな表情をしたものの、追及してくることはなかった。駅前へと歩いてく姿を見送ってから、水森は会社へ向かって歩き始めた。
 

 馬喰の使っている部屋は相変わらず、雑然としていた。特に訪問時間を決めていたわけではないが、馬喰は簡単に迎え入れてくれた。
「いい感じやなー」
 水森の感想を聞いて、馬喰は機嫌良く答えた。まだまだ働くつもりなのか、手にはエナジードリンクを持っている。ワーカーホリック、と言うよりも趣味を仕事にしたタイプの人だ、と水森は感じた。
「そしたら、このままの設定でいこか」
「はい、お願いします」
 明日からも、しばらく砂噛と一緒に仕事をすることになる。そのことを考えると、この制御機能は手放せない。
「一応、様子は見ときたいから、明日もまた寄ってもらってええ?」
「もちろんです、むしろ手厚く見てもらってありがとうございます」
 その言葉に、馬喰はニンマリと口角を上げた。しかし、目が笑っておらず、水森はびくりと肩をこわばらせた。
「水森君、何回もお礼言ってくれてるけど、ウチが善意で動いていると思ってるん?」
「……違うんですか?」
「いたいけな新人の悩みにつけ込んで、人体実験しとる、とか考えない?」
 人体実験までは考えなかったが、確かに試されている側面はあるとは思っていた。馬喰もそれを隠す様子もなかった。興味がある、と最初から言われていた。
「実験でも、構いませんよ。オレは助かっているので」
 水森の答えに、馬喰は今度こそ満足そうに笑った。
「じゃあ、win-winてことで、今後はいいっこなしや」
 馬喰の言葉に、水森は頷いた。
 

 ラッコを探し始めて数日が経った。その間、水森は安定していた。砂噛のことを見ると、好きだなとは思うが体の反応が伴わない。心拍は平常通りだし、以前なら勝手に気にしていた砂噛の一挙一動に心を揺らすことは無くなった。
 反応が出ないというのは不思議な感覚だったが、仕事は捗るし、何より恋に落ちる前のように砂噛と話せるのは嬉しかった。
 ただ何となくここ数日間、砂噛の元気がない気がする。じっと見られている気がして、砂噛を見ると目を逸らされるということも数回あった。何か、様子がおかしい。
 今日、悩みでもあるのか聞いてみようか。別に調子の悪そうな先輩を心配することは、後輩として普通のことだ。そう水森は自分に言い聞かせて、校門をでた。
 昨日までは、学校を出てすぐのところで砂噛が待っていてくれたが、今日は遅れているようだ。入れ違いになっても嫌なので、水森は校門の前で待つことにした。
「水森先輩!」
 聞き慣れない呼び方に顔を上げると、少女が立っていた。同じ高校の制服を着ているが、その顔にはまだ幼さが残り、一年生かな、と水森は推測した。知らない子だが、妹の友達だろうか、と首を傾げていると、向こうから自己紹介をされる。
「はじめまして、いきなり話しかけてごめんなさい」
 そう言って名前を告げられた。まずいな。水森は作り笑いで応対しながら内心焦っていた。このパターンには心当たりがあった。
 水森はそれなりにモテる。しかも一目惚れされることが多い。同じクラスの女子や少し関わりを持った相手からは、むしろ恋愛対象から外されがちだ。いわく、見た目より子供っぽいところが嫌だという。
 おそらく、目の前の少女は一目惚れしてきた類だろう。関わりを持った覚えがない。
「今、少しだけいいですか?」
「いや、人待ってて。その人来たら行かなきゃいけない場所があって」
 遠回しに断るが「じゃあ、来る前に済ませます」と言われてしまう。そして、止める間もなく決定的な言葉を告げた。
「好きです、付き合ってください」
 あまりにもまっすぐな告白に、水森は顔を歪めた。なんとかはぐらかして、と考えていたが上手くは行かなかった。
 以前であれば、好意を向けられていることへの喜びや、断ることへの申し訳なさを感じていた。決して相手に悪感情は抱かなかったし、なるべく傷つけないようにと言う気遣いもできた。だが今、水森の心を占めるのは、羨ましいという気持ちだった。
 頬を染め、自分を真っ直ぐに見つめてくる少女の心臓は、きっと高鳴っていることだろう。自分の返事を待ち、手を強く握っている心の中は不安に満ちているのだろう。全て、自分が諦めて、捨てて、消したものだ。
 ずるい。水森はそう強く思った。自分で決めたことだが、それでも好きで消した訳ではない。自分とは異なり、何のしがらみもなく、気持ちのおもむくままに告白してきた少女が妬ましかった。
「ごめんね、気持ちに応えることはできない」
 八つ当たりだということは、水森も自覚していた。それでも、少女に答える声はひどく平坦なものになってしまった。
「……そう、ですか。他に好きな人、いるんですか?」
 水森の冷たい声に、少し少女は怯んだようだった。それでも、自分を納得させるためか問いかけをしてきた。少女の何気ない問いに、水森は苛立ちを募らせた。好きな人はいる。気持ちを消さないと、どうしようもないほどに、強く想っている。けれど、本人には言えない。自分の中からも消さなくてはならない。そんなことを、どうして良く知らない他人に告げなくてはならない?
「オレが誰を好きでも、関係ないよね?」
 ささくれだった気持ちをそのままに、口にしてしまった。曇っていく少女の顔に、水森は冷静さを取り戻したが、もう遅い。少女はみるみる目に涙を浮かべていく。
「ごめん、言い過ぎた」
「いえ、私も、すみません」
 気丈にも少女は涙をこぼすことはなかった。ぎこちない笑みで、お辞儀をされてしまう。
「本当にごめん。でも、言いたくないんだ」
「はい……踏み入ったこと聞いてごめんなさい」
 少女はもう一度頭を下げると、逃げるように去って行った。その姿を見つめながら、水森はため息をついた。
 思っていたより、自分は重症なのかもしれない、と水森は考えた。砂噛の姿がないので、今、MESは働いていないはずだ。数日ぶりに感じた、あの自分をコントロールできない感覚。それに対して、強い恐怖感を感じた。
 MESで制御できる範囲を広げた方がいいかもしれない。夕方、馬喰の元を訪ねたときに相談してみよう。そう考えて、水森が自身の心を落ち着けようとしている時だった。
「……お前、モテるんだな」
 いつの間にか隣に来ていた砂噛に、そう言われて水森の心臓は高鳴り始めた。
 

 ドクドクと鳴り響く心臓に、水森は焦った。砂噛の姿でMESが作動するはずなのに、落ち着かない。先ほどの強い感情の揺れと、砂噛の姿をトリガーに始まった制御が重なり、MESの動作が悪くなっているのかもしれない。そう推測しつつ、水森は砂噛に問いかけた。
「……見てたんですか?」
「見てたっていうか、まぁ。終わるのを待っていた」
 タイミングが悪い。どうやら成り行きを見守られていたようだ。この後仕事なので、仕方のないことだが、気を遣ってどっか行っててくれよ、と苛立ちを感じた。
「振ったんだな」
「……はい」
 砂噛が皮肉っぽく笑っている。嫌な汗が出てきた。体の反応がおかしい。砂噛の態度に心が揺れ始めている。
「付き合えば良かったじゃないか。学生同士お似合いだろ」
 それを聞いて、水森はかつてない感情の揺れを感じた。鉛のように重いものが、自分の中に沈んでいく。ずぶずぶと音を立てて、自分の柔らかい部分を引き裂いていく、そんな感覚だった。
 砂噛が、自分の気持ちを知らないことも、自分をそういう対象に見ないことも、仕方ないと諦めていた。砂噛にとっては、軽口のつもりだということも理解している。それでも、なんで、こんな。
 好きな人から、他人を薦められるなんて、耐えられる訳がなかった。
 ボロボロと、流れ落ちる涙を止めることができなかった。やばい、と水森は感じた。本格的にMESによる制御が切れている。今まで止めていた感情が決壊したように目から溢れてくる。
「おい、どうした?」
 砂噛の焦った声が耳に届く。ああ、優しくしないでほしい。ますます溢れ出る涙を拭いながら、水森は答えた。
「ごめん、なさい。すぐ、止めるんで……」
 うまく喋れない。しゃくりあげながら、何とか話したが、砂噛をますます心配させる結果となった。両肩を掴まれて、目線を合わせて告げられる。
「無理に止めんな。何があった?」
 普段の皮肉屋な態度に比べると、数段優しいトーンで尋ねられる。ただの後輩に、こんなに優しいんだ。きっと恋人には、もっと優しく、甘い態度で接するのだろう。そんな想像を勝手にして、落ち込んでしまう。
「や、優しくしないで、ください」
「は?」
 これ以上優しくされたら、余計なことをいってしまいそうだ。それこそ、自分の恋心を全て曝け出すような言葉を。それだけは避けたくて、水森ははっきりとした拒絶を口にした。
「先輩には、言いたくない、です」
「……そうかよ」
 苛立たし気な砂噛の態度に、少し傷つく。けれど、こうでもしないと心が乱されて仕方ないのだ。水森はしきりに涙を拭った。後から後から溢れ出すので、まだまだ止められそうにはなかった。
 怒って離れていくかと思っていたが、なぜか砂噛は離れていかない。痛いくらいに掴まれた肩もそのままで、こちらを見つめている。
 砂噛の顔は苦しげに歪められている。怒りからか、それとも、自分が心配させているからか。そんな表情を見ていたくないのに、水森は目を逸せない。その間も、涙は止まることなく流れ続ける。
 不意に、目元に柔らかいものを感じた。それが砂噛の唇だと気がついて、水森は戸惑いを覚えた。涙を舐めとるように動く舌がくすぐったい。それ以上に、こんな、恋人にするような。
「なんで……」
「……泣き止んだな」
 水森の問いに、砂噛は答えてはくれなかった。水森の呆けた顔を確認すると、肩から手を外した。
「今日は、仕事を休め。オレから課長に言っておくから」
 一方的にそう言うと、砂噛は一人で歩いて行った。残された水森は動けないでいた。仕事をしなくては、と頭の片すみで思いはしたが、それができるコンディションでないことは、自分でもわかった。
「砂噛先輩の、馬鹿……」
 制御がなくなり、バクバクと早鐘を打つ心臓は、いっそ痛いくらいだった。先ほど止まった涙も、再び流れ始める。
 砂噛が何を考えて、あんな行動をとったのかは分からない。ただ、自分の中で暴れる恋心は、もう二度と制御できないだろう。水森は、痛む胸を抱えながら、そう確信した。
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