機械で感情を抑える方法

 働くようになって、ずいぶん会社にも慣れたつもりだったが、あまり来たことのない部署に顔を出す時はやっぱり緊張する。よく知らない社員とすれ違いながら目的の部屋に向かう水森は、自分が非日常の空間に来たと実感して知らず知らずのうちに体を強張らせていた。
 COSMOSの社内でも特に奥に位置する場所に水森は来ていた。ここにくるのは、MESのメンテナンス以来だ。
 一度だけ大きく深呼吸をして、水森はドアをノックした。中からどうぞー、と間延びした声が聞こえてきたので、ドアを開ける。
「失礼します……」
「おう、いらっしゃーい」
 座席に座ったままの馬喰が、ひらひらと手を振る。いつもと同じ様子の彼女に、水森の緊張は少し解けた。
 座っていいと指し示された椅子まで、そろそろと移動する。馬喰の部屋はパソコンやら機材やらが無頓着に床に置いてあるので歩きにくい。
「馬喰さん、すみません、忙しい中時間取ってもらって」
「別にええって。事前に社内チャット貰ってたし、こんくらいの時間、いくらでも調整可能や」
 馬喰の語り口は軽く、本当に気にしていないようだった。性格からして、こちらに気を遣って、と言うよりも本音なのだろう。その態度に、水森は少し気持ちが軽くなった。
「で、相談って何?リンリンと喧嘩でもした?」
「いや、課長とは特に問題ないです」
 話の展開が早い。せっかち、とは感じないが自分の興味を優先して会話が進められている気がする。その態度は今の水森にとっても都合が良かった。世間話をしにきたわけではないのだから。
「MESって、記憶改竄できるじゃないですか」
「そやね、使ってるから知っとるやろ」
「あれ応用して、特定の感情をコントロールすることってできますか?」
 馬喰はいつもの飄々とした笑みを崩すことはなかった。だが、水森の質問を受けて明らかに目の色が変わった。今までと異なり、慎重な答えが返ってくる。
「……他人のは無理やで。マインドコントロールにつながる機能や、危なくて付けられへん」
 危なくて、ということは、技術的には可能なのだろう。馬喰の言葉に嘘はない。
 水森は、緊張から唾を飲み込んだ。大して話していないのに、喉が張り付くように乾いている。何とか説得して、その機能を使わせてもらうしかない。
「コントロールするのは、オレの感情です」
 馬喰は、水森の言葉を黙って聞いている。続きを促すように頷かれ、自分の目的の根幹について話す。
「オレの、恋心を消してください」


 からかわれて、笑われるかもな、と半ば考えていたが、意外にも馬喰は冷静だった。
「……おんなじ高校のダチへの気持ち、とかじゃなさそーやな」
「はい」
 馬喰の言う通り、学生同士の甘い恋、みたいなものであれば、こんな相談はしない。仕事に支障があるからこそ、この部屋に来た。
「会社の、課の人です」
「水森君、急に襲うとかせぇへんやろ。何も、感情いじることないんやない?」
 馬喰の言葉に、水森は軽く首を振った。
「恥ずかしい話ですが、仕事のパフォーマンスが明らかに落ちてます。今に、重大なミスを冒しそうで怖いんです」
 普通の保険会社だったら、ミスが命の危険に直結することはない。だが、COSMOSは特殊な会社だ。ミスは最悪、命に関わる事態に繋がる。それが、自分の命であればまだいいが、顧客や仲間、そして恋した相手を危険に晒したらと思うと、耐えられなかった。
 馬喰はうーん、と首を捻っていた。水森の不安がいまいち理解できていないようだ。
「告白とかせぇへんの?うちの会社、社内恋愛の規定ないで」
「うまくいくはずないです。その後、気まずくなって、仕事に支障が出るのが目に見えてます」
「課の人なんやろ?リンリンでも、ソプラノでもその辺うまくやってくれるやろ」
 馬喰の言葉に、水森は少し返答を躊躇った。課の人に恋をした。そう話せば、二人を想像するのが普通だ。目の前の彼女の言葉に、悪意はないし、内容も理解できる。穂村も鉄も、仮に水森から恋情を向けられたとしても、いつも通り接してくれるだろう。
 だが、違うのだ。水森が恋したのは、二人ではない。自嘲するように笑って、水森は答えた。
「相手が課長か鉄先輩だったら、ここには来なかったですね」
 遠回しな言い方にも関わらず、馬喰には通じたようだ。水森と接する機会が多い、二人以外と言えば一人しかいない。
「砂かー」
 馬喰の言葉に水森は頷いた。
「難儀な恋したもんやな」
 馬喰の呟きは静かだった。哀れみや同情が含まれているように、水森は感じた。
 同性で、外星人。それだけでも成就が難しい恋だ。水森は恋心を自覚した時から、実ることはないと諦めている。それに加えて、砂噛の性格である。自分のことを認めてくれているとは思うし、何かと気にかけてくれる優しさもあると理解している。だが、気まずくなった後輩との距離感に気を配る、というのはできないだろうなと思う。自分の方も、振られた後に笑顔で関係を続ける自信はない。
「本当に、なんで好きになっちゃったんでしょうね」
 自嘲するように、水森は笑った。


 水森の話を聞いて、馬喰はしばらく考え込むように目を伏せていた。たまに「アレを繋げば」とか「調節が微妙やな」とか独り言が聞こえてくるので、何か手を考えてくれているようだった。
 やがて、長く息を吐くと、馬喰は水森に向かって話しかけた。
「水森君の言う、消す、は無理や」
「……そうですか」
 ダメ元でお願いしたものの、言い切られてしまうとやはり残念に感じてしまう。それでも水森は何とか笑顔を作って、お礼を言った。
「無茶なお願いに、真剣に考えてくれてありがとうございました」
「待ち、話はまだ途中や」
 椅子から立ちあがろうとする水森を馬喰は手で留めた。
「消すのは無理やけどな、制御は可能や」
 馬喰の言葉に、水森は首を傾げた。制御するとはどういうことだろう。
「水森君が心配しとんのは、恋の二次作用……つまり、ドキドキするーとか、不安になるーとかそういう反応が出ることやろ」
「……そうっス」
 つまるところ、そう言った反応が仕事に支障をきたす。集中力の低下や、気持ちの制御、冷静さの欠如。制御したいのはそこである。
「好きっちゅー気持ちは消されへんけど、反応が出ないようには出来るで」
「どういうことですか?」
 好きなまま、どきどきしない、などあり得るのか?水森には想像できなかった。
「恋愛感情による、ドキドキや不安は自律神経やホルモンによる作用や。神経の反応とホルモン分泌を抑えれば、制御可能や」
「……神経やホルモン抑えたら、それはもう好きという気持ちを消したことにはならないんですか?」
 馬喰は少し笑った。馬鹿にしたような笑いではなく、どちらかと言えば楽しそうな笑みだった。
「ええ質問やね。反応がなければ感情は消えたことになるのか?恋愛感情の場合には、ノーやと考えとる」
 馬喰の語り口はゆっくりと、そして静かだった。まるで先生のようで、水森は口を挟まずに話を聞くことにした。
「そもそも、恋愛感情による反応は、ぎょーさんあるし、千差万別や。ドキドキ、不安、嫉妬みたいな落ち着かないものもあれば、安心、信頼、幸福感、なんてプラスに働くこともある」
 それは理解できた。水森が素直に頷くと、馬喰は話を進めた。
「で、今回はそん中で、不安と嫉妬に働きかける部分だけ抑制する。砂のこと見たり、考えたりした時に脳が発する電気信号に合わせて、神経とかホルモン分泌を抑制する信号をMESから軽く流す」
「大元の電気信号は消せないんですか?」
「そんなんしたら、廃人になるで」
 廃人、という言葉に、水森は少し気後れした。
「今回は大元じゃなくて、副次的な効果の抑え込みにだけ使うつもりや。それでも精神には負担はあるからな」
 やめとく?と馬喰に聞かれて、水森はちょっと笑った。この恋を自覚してから、水森の心はずっと落ち着かない。勝手に高鳴る心臓、劣情を向けてしまうことへの罪悪感、報われない想いを抱える懊悩。恋とはどんなものかしら?聞かれたら、一言、絶望とだけ答えたい。こんな思いを抱え続けるほうが、精神にはよっぽど負担がかかる。
「構いません、やって欲しいです」
 水森の言葉に、馬喰はもう、止めることはしなかった。


 数十分で改造できるというので、水森はその場で馬喰にピアスを渡した。ピアスの中の小さな基盤に線を繋いで、馬喰はパソコンで何か打ち込んでいく。
「神経やらホルモンやらの反応抑える信号やけど、弱すぎると効かへんし、強すぎると必要なところも働かへん。加減が重要や」
 水森は頷いた。細かいことは分からないが、微妙な調整が必要だということだけ理解できた。
「そやし、最初のほうは具合見ながら調整しときたいし、一日一回ここ来てくれへん?」
「分かりました、大丈夫です」
 むしろ馬喰の手を煩わせ続けることに、水森は申し訳なく思った。それを表情から読み取ったのか、馬喰は「気にせんでいい」と軽く笑った。
「ウチも興味あるんや。MESがお医者様と草津の湯に勝てるか」
「どういう意味ですか?」
「知らへんの?お医者様でも草津の湯でも惚れた病はなおせやしない、ってやつ。恋の病に薬なし、と同じ意味やな」
 ようは、MESの活用の幅を広げられるか試したいということらしい。こんなことへの需要がそんなにあるのか?と水森は疑問に思ったが、口にはしなかった。楽しんでくれているなら、こちらとしてもありがたい。
「あと、さっきも言うたけど、根本の感情は消えへんからな。MESの信号でとるときに、強く心を揺さぶられたりすると、全く効かなくなるから注意してな」
「え、怖。例えばどんな時ですか?」
 水森の問いに、馬喰は「せやなぁ」と相槌を打った。そして考えながら、言葉を口にしていく。
「泣きたくなるほど傷ついたり、怒ったり。あとは、すごく嬉しいことがあってもダメやな」
「……結構、難しいですね」
 喜怒哀楽の振れ幅を小さくする必要がありそうだが、そんなコントロールをできる自信はなかった。この会社に入ってから、やたら感情が揺さぶられることが多い。それが良いところでもあるのだが。
「何も、常に無感動でいろって訳じゃあらへん。砂と関わる時だけや。砂の姿をトリガーにして信号出るように設定しとる」
「ああ、それなら……」
 水森と砂噛の会話は、静かなものが多い。それも、こちらから話しかけることが常だ。無闇に感情を揺らすような事態にはならないだろう。
 なんとかなりそうな気がしてきた。水森は少し心を軽くして頷いた。
「ほい、完成。付けてみ。いうても、見た目や付け心地は変わってへんけど」
 馬喰から渡されたピアスは、確かに見た目の違いがなかった。付けてみてもその印象は変わらない。だが、これが自分を支えてくれると考えると、いつもより少し重く感じた。
「それで、次に砂と会うのはいつなん?」
 馬喰は、早速性能を試したいようでうずうずしている様子が見て取れた。水森としても、早めに効果を知りたい。彼にとっては死活問題なのだから。
「えーと、明日ですね」
「渡りに舟やん」
 がんばってな!と肩を叩かれ、水森は曖昧に笑った。何をがんばればいいかはよく分からなかったが、とにかく明日の仕事はうまくやろう、そう思えた。
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