走りにくい服
「しかし、ガワ取ったら女の人とは意外でしたね」
「よくあることだぞ、外身のスーツと中身の性別違うの」
件の大使の騒動が決着し、水森は久々の休日を恋人と共に満喫していた。ここのところ、休日もカフェのバイトに出ていたので、喜びもひとしおである。ああ、メイド服着なくていいって素晴らしい。
せっかくのデートではあるが、砂噛と水森は仕事の話をしていた。二人の共通の話題だから、というのもあるが、たまたま例のカフェの近くを通りがかり、自然と話に上がったのだった。
「大使、ハニトラだったことより、女の子だったことにショック受けてましたね……」
「……救いようのない奴だったな」
大使とアキラと名乗っていた外星人は、一線を超えていなかった。それをエサに、重要な情報を強請っていたというのだから驚きである。つまり、大使は女(彼目線では男の娘)を買うために、悪用されることを承知であの日、情報を持ち出したことになる。
「あの重要な情報ってなんなんスかね?」
「さぁな。多分地球との間で結んでる条約の、非公式な覚書とか、各国との武器供与の約束とか、そんなんだろ」
水森も砂噛も、その点についての詳細は知らされていない。ただ、本当に重要な情報が漏れることは未然に防げたということで、COSMOSがする補償は抑えられたとだけ聞いている。
「大使は失脚。離婚もするって話だ」
「予想できた結果ですけど、それでも、危ない橋渡っちゃったんですね。ちょっとかわいそうっス」
性欲って怖いな、というのが水森の率直な感想である。大使からすれば、抑圧してきた欲求を異星で開放したかったのかもしれない。最初は大人しめの良客だったと、カフェの先輩からも聞いている。そこにつけこまれ、結果自らの職業倫理に背いてしまったのは、少し哀れではあった。
「自業自得だろ」
砂噛の言葉は容赦ない。水森も、多少同情はしたものの、その言葉に異論はなく、乾いた笑いで返した。
「そういや、MESからメイド服消したんだな」
馬喰さんから聞いた、と言う恋人の表情にはからかいが混じっている。むっとしながら、当たり前でしょ、と水森は睨んだ。
「またあんな風にミスしたら、仕事になんないっス」
「まぁな」
鼻で笑われてしまい、水森はため息をついた。メイド服に未練はない。女装にもハマることはなかった。ただ、恋人にかわいいと言われなかったことだけ、心に燻っている。
水森とて、別に、万人受けするかわいさが欲しいわけではない。ただ、好きな人に見た目を褒められたい、というかわいらしい願望から生まれたこの悩みは、この数週間で歪んでしまった。恋人からの度重なるメイド姿への嘲笑と、他の子への素直な賛辞、それらを受けて、今の水森の願望は「とにかく、先輩にかわいいと言わせたい」に変貌していた。
でもなぁ、と水森は半ば諦めていた。先日化粧をした時も思ったが、自分の顔の系統では、かわいいと言わせるのは難しいかもしれない。そもそも、今まで女子に容姿を褒められる時も、かっこいいと言われてきた。店で練習させられた、あざとい仕草や、かわいらしい言動も、自分が行うとどこかチグハグな印象になった。オレ、かわいいの才能ないかもな、と言うのが水森の出した結論だ。
水森がちらりと見上げると、恋人の横顔が目に入る。切れ長の目も、無造作にまとめられた髪も、全てが様になっている。うん、今日もかっこいい。
結局、オレの方が好きが強いんだろうな。水森が一番引っかかっているのはそこである。惚れる前から、砂噛のことは整った顔立ちだと思っていたが、交際を始めた今では輝いて感じる。冗談ではなく、直視できない時が、いまだにあるくらいだ。
きっと向こうはこんな感情を抱えたりしないのだろう。先に惚れた方が負けとはよく言ったのもので、自分ばかりが好きな気がする。
水森がそんなことを悶々と考え込んでいると「リカバリーできたんだから、そんなに気に病むなよ」と、慰められてしまう。そこではないのだが。
なかなか晴れない水森の表情に、砂噛は機嫌を取るように言葉を重ねる。
「ほら、せっかくデートなんだ。仕事のことは一旦忘れろ」
「……そうっスね」
何にせよ、すぐに解決するような問題じゃない。気を取り直して、今この時間を楽しもう。そう、水森が気持ちを切り替えた時だった。もう聞くことのないと思っていた呼び名が、耳に入った。
「カエデちゃん?」
振り返ると、あのガチ恋客の男が立っていた。
「カエデちゃん、お店辞めちゃって寂しかったよ!」
水森は反射的に愛想笑いを浮かべながら、内心焦っていた。例のカフェに近い場所だが、今は女装もしていないし、と油断していた。素の姿でも、水森と気づいたのは、男の執念だろうか。
アキラを捕まえたあの日、店の客とバイトの記憶は操作している。アキラが逃げる様子や、水森が追いかける様は、なかったことになっているし、その後二人が円満にバイトを辞めて行った記憶も植え付けていたはずだ。
そう、無かったことにしたのは逃走劇だけで、水森があのカフェでバイトしていたことも、この客が水森を狙っていたことも、まだ残っているのだ。
面倒なことになってしまった、と水森は思わず一歩下がった。その距離を詰めるように男が一歩踏み出してくる。
「でも、辞めてくれて良かったよ」
「え?」
「お店辞めたってことは、ボクと付き合えるよね?」
お店のルール、が断る時の常套句だった。男は断られることなど考えていないようで、期待に満ちた目で水森を見ている。勘弁してくれ、付き合うわけないだろ。
いかに穏便に済ませるか水森が考えていると、ぐい、と横から肩を抱かれた。砂噛に抱き寄せられた形だ。無言の恋人は、不機嫌そうに男のことを見ている。男は、今気が付いたかのうように、砂噛のことを眺めている。
「誰?」
「か、彼氏です」
「彼氏?」
水森の答えに、男は眉を顰めた。だが、このまま諦めてくれないかな、という水森の願いも虚しく、すぐに笑顔を見せた。
「別れてよ、ボクのことのほうが好きでしょ?」
どこからその自信が来るんだよ。水森は眩暈を感じた。羨ましくなるくらい自己肯定感が高い。恋人にかわいいと言われないことを悩んでいた自分が馬鹿みたいに感じるほどだ。
「お店で、チェキたくさん撮ったし、ボク、君にたくさん貢献して来たよね?」
「いや、あのカフェは出来高制じゃないんで……」
「おい、ふざけんなよ」
水森が煮え切らない態度を見せていると、砂噛が明らかに不機嫌な声で男に言った。
「二度も目の前で人の恋人口説きやがって」
「え?二度?」
目の前の男は首を捻っているが、水森にはピンときた。これは、店でのことを言っている。あの時は無反応だったが、しっかり妬いていたようだ。
男は、砂噛の威圧感にたじろいでいたが、なんとか持ち直して水森に向き直った。
「カエデちゃん、今日は男の格好なんだね」
「え?は、はい」
「彼氏の前では女装しないの?」
反射的に頷くと、かわいそうにと同情的な目で見られた。いや、別に、女装したくないんだけど。水森がそう言う前に、男は砂噛に食ってかかった。
「君は知らないだろうけど、カエデちゃんの女装かわいいんだ。ボクならもっと自由に、もっと魅力を引き出してあげられる!」
「はぁ?」
「だから、ボクの方と付き合うべきだ!」
暴論である。ただ、勢いだけはあり、それに水森は肩を震わせた。言葉に嘘がないのが、怖かった。男は、本気でそう思っている。
不意に、水森の肩に置かれた砂噛の手に、力が入った。
「何言ってんだ、お前」
地を這うような声に、水森はまた肩を震わせた。めちゃくちゃ怒ってる。怯えながらも、水森はちょっと期待もした。こいつはオレのものだ、とかびしっと言ってくれないかな?
しかし、砂噛の次の言葉は異なっていた。
「こいつ、女装より今の方がかわいいだろ」
「「え?」」
あまりに予想外な言葉に、水森と客の声がハモる。呆然とする二人の表情を見て、砂噛の声はますます不機嫌になる。
「おい、お前もはっきり断れよ」
「あ、はい……。すみません、付き合えないです」
水森は動揺しながら、言われるがままに拒絶の言葉を口にした。
「女装も、別に好きじゃないんで。もう、諦めてください」
「そ、そんな」
打ちひしがれる男を尻目に、砂噛は用が済んだとばかりに踵を返した。
「行くぞ」
そう言ってさっさと歩き出す砂噛を、水森は追いかける。一度だけ振り返ったが、客の男は立ち尽くしており、追いかけてくることはなかった。
砂噛は細い脇道を選んで歩いていく。追われてはいないものの、何となく、あの男の視線から抜けたいのだろうと感じられた。その背中を見ながら、水森はポツリとつぶやいた。
「ごめんなさい、せっかくデートだったのに」
二人が本来向かう予定だった喫茶店は、あのまま通りを進んで行った先にある。男と再び遭遇する可能性を考えると、今日は行けそうになかった。
水森の言葉に、砂噛は足を止め振り向いた。何か言いたげではあるものの、言葉が発せられることはない。微妙な空気感に、気まずくなり、水森は謝罪を重ねた。
「先輩にも迷惑かけちゃって。ごめんなさい」
「いや、そこじゃない」
ようやく発せられた言葉は、水森の発言を否定した。どういうことだと首を傾げると、渋々と言った様子で砂噛は続けた。
「あいつと会ったことはしょうがない。野良犬に噛まれたくらいに考えているから、お前が謝ることじゃない」
問題は、お前の受け答えだ。そう言う砂噛の顔は苦々しげだ。
「店の時もそうだが、なんではっきり断らないんだよ」
言われた言葉に、水森は呆気にとられた。
「え……あの人になびくと思ったんスか?」
「流石にそこまでは考えてないが、いい気分はしない」
そう言って、砂噛は顔を背けた。妬いたことが恥ずかしいようで、耳が少し赤い。急に見せられた恋人からの好意に、水森の方も赤面してしまう。
逆上しないようにと、相手に気を使っていただけなのだが、そんな理由の説明を求めているわけではないだろう。ごめんなさい、と改めて謝って水森は砂噛の袖を軽く掴む。外でできる精一杯の接触だ。
「先輩だけっスよ、好きなの」
「知ってる」と先ほどよりも幾分柔らかい声音で返ってきた言葉に、水森は微笑んだ。
ところで、と水森は袖を掴んだまま砂噛の目を覗き込んだ。嘘は臭いでわかるし、逃がさないぞと言う意思を目に込めた。
「先輩、パーカー姿が好きなんスか?」
「は?」
「それか、このコート?」
水森は、勢いこんで恋人を問い詰めた。先ほどの「かわいい」という言葉の真意を聞きたかった。
今のほうが、と言っていたので、今日の服装だろうか。それとも、単純に女装よりも男性的な格好のほうが好きと言う話だろうか。求めていた言葉を与えられた事実に、水森は興奮していた。
「別に、今日の格好が特別どうこうってことはない」
水森の勢いに気圧されながら、砂噛は目を逸らした。勢いで言った言葉にここまで食いつかれると思っていなかったようだ。
「でも、かわいいって言ったじゃないっスか」
「お前、顔がいいんだから、普通にしてればかわいいだろ」
変に女装していると、面白いが勝つけど。なんでもないことのように言われてしまい、水森は肩透かしを食らった気分になった。なんだ、特別なことなんかしなくても、向こうもオレの顔好きなんだ。
安心し、それから急に恥ずかしくなってきた。冷静に考えると、何だかとってもすごいことを言われた気がする。あの皮肉屋の恋人が、手放しにオレの容姿を褒めている。水森は、喜びと照れから饒舌になった。
「先輩、オレにベタ惚れっスね」
ご機嫌につぶやいた言葉に、恋人は眉を顰めている。不機嫌そうに見えるが、これは照れている時の顔だ。その反応に、水森はますます気を良くした。
「男にかわいいなんて、大概っスよ」
水森は自身をかわいいと思っていない。素の姿にそれを感じると言うことは、砂噛の目にも恋で歪んだフィルターがかかっている、と解釈した。普段からかわれ、主導権を握られていることが多いが、ここぞとばかりにやり返し、水森はご満悦だった。
「大概、ねぇ」
低くつぶやかれた言葉に、水森はやりすぎたかな、とヒヤリとする。砂噛は水森に主導権を握られると、ムキになることが多い。付き合ってから気が付いたことだが、意外と子供っぽいなと感じている。案の定、恋人は何か企むようにこちらをじっとりと見つめてくる。
何を言われるのか、何をされるのか。水森は身構えていたが、実力行使に出られれば、彼に太刀打ちはできなかった。もともとの運動神経が違うのだから仕方がない。気が付いた時には顔を寄せられていた。
砂噛の長い髪が、水森の頬に当たる。唇には、もっと柔らかい感触があり、それがなんなのか、水森も知っている。知ってはいるが、こんな真っ昼間の住宅街で、感じるとは思っていなかったものだ。
「な、な、何!?こんなところで!!」
あたふたと恋人から距離を取ると、にやにやと嫌味な笑いが目に入った。これは、からかわれている時によく見る表情だ。羞恥で顔が熱くなるのを感じながら、水森は砂噛を睨みつける。そんな視線を受けても、砂噛は楽しそうな態度を崩さない。
「かわいいよ、お前は。特にキスした後は」
そう思えるのは、あんただけだろ。言い返したかったが、キスされた後の表情なんて水森自身も知らない。水森にできるのは悔しげに恋人を睨むことだけだった。
「よくあることだぞ、外身のスーツと中身の性別違うの」
件の大使の騒動が決着し、水森は久々の休日を恋人と共に満喫していた。ここのところ、休日もカフェのバイトに出ていたので、喜びもひとしおである。ああ、メイド服着なくていいって素晴らしい。
せっかくのデートではあるが、砂噛と水森は仕事の話をしていた。二人の共通の話題だから、というのもあるが、たまたま例のカフェの近くを通りがかり、自然と話に上がったのだった。
「大使、ハニトラだったことより、女の子だったことにショック受けてましたね……」
「……救いようのない奴だったな」
大使とアキラと名乗っていた外星人は、一線を超えていなかった。それをエサに、重要な情報を強請っていたというのだから驚きである。つまり、大使は女(彼目線では男の娘)を買うために、悪用されることを承知であの日、情報を持ち出したことになる。
「あの重要な情報ってなんなんスかね?」
「さぁな。多分地球との間で結んでる条約の、非公式な覚書とか、各国との武器供与の約束とか、そんなんだろ」
水森も砂噛も、その点についての詳細は知らされていない。ただ、本当に重要な情報が漏れることは未然に防げたということで、COSMOSがする補償は抑えられたとだけ聞いている。
「大使は失脚。離婚もするって話だ」
「予想できた結果ですけど、それでも、危ない橋渡っちゃったんですね。ちょっとかわいそうっス」
性欲って怖いな、というのが水森の率直な感想である。大使からすれば、抑圧してきた欲求を異星で開放したかったのかもしれない。最初は大人しめの良客だったと、カフェの先輩からも聞いている。そこにつけこまれ、結果自らの職業倫理に背いてしまったのは、少し哀れではあった。
「自業自得だろ」
砂噛の言葉は容赦ない。水森も、多少同情はしたものの、その言葉に異論はなく、乾いた笑いで返した。
「そういや、MESからメイド服消したんだな」
馬喰さんから聞いた、と言う恋人の表情にはからかいが混じっている。むっとしながら、当たり前でしょ、と水森は睨んだ。
「またあんな風にミスしたら、仕事になんないっス」
「まぁな」
鼻で笑われてしまい、水森はため息をついた。メイド服に未練はない。女装にもハマることはなかった。ただ、恋人にかわいいと言われなかったことだけ、心に燻っている。
水森とて、別に、万人受けするかわいさが欲しいわけではない。ただ、好きな人に見た目を褒められたい、というかわいらしい願望から生まれたこの悩みは、この数週間で歪んでしまった。恋人からの度重なるメイド姿への嘲笑と、他の子への素直な賛辞、それらを受けて、今の水森の願望は「とにかく、先輩にかわいいと言わせたい」に変貌していた。
でもなぁ、と水森は半ば諦めていた。先日化粧をした時も思ったが、自分の顔の系統では、かわいいと言わせるのは難しいかもしれない。そもそも、今まで女子に容姿を褒められる時も、かっこいいと言われてきた。店で練習させられた、あざとい仕草や、かわいらしい言動も、自分が行うとどこかチグハグな印象になった。オレ、かわいいの才能ないかもな、と言うのが水森の出した結論だ。
水森がちらりと見上げると、恋人の横顔が目に入る。切れ長の目も、無造作にまとめられた髪も、全てが様になっている。うん、今日もかっこいい。
結局、オレの方が好きが強いんだろうな。水森が一番引っかかっているのはそこである。惚れる前から、砂噛のことは整った顔立ちだと思っていたが、交際を始めた今では輝いて感じる。冗談ではなく、直視できない時が、いまだにあるくらいだ。
きっと向こうはこんな感情を抱えたりしないのだろう。先に惚れた方が負けとはよく言ったのもので、自分ばかりが好きな気がする。
水森がそんなことを悶々と考え込んでいると「リカバリーできたんだから、そんなに気に病むなよ」と、慰められてしまう。そこではないのだが。
なかなか晴れない水森の表情に、砂噛は機嫌を取るように言葉を重ねる。
「ほら、せっかくデートなんだ。仕事のことは一旦忘れろ」
「……そうっスね」
何にせよ、すぐに解決するような問題じゃない。気を取り直して、今この時間を楽しもう。そう、水森が気持ちを切り替えた時だった。もう聞くことのないと思っていた呼び名が、耳に入った。
「カエデちゃん?」
振り返ると、あのガチ恋客の男が立っていた。
「カエデちゃん、お店辞めちゃって寂しかったよ!」
水森は反射的に愛想笑いを浮かべながら、内心焦っていた。例のカフェに近い場所だが、今は女装もしていないし、と油断していた。素の姿でも、水森と気づいたのは、男の執念だろうか。
アキラを捕まえたあの日、店の客とバイトの記憶は操作している。アキラが逃げる様子や、水森が追いかける様は、なかったことになっているし、その後二人が円満にバイトを辞めて行った記憶も植え付けていたはずだ。
そう、無かったことにしたのは逃走劇だけで、水森があのカフェでバイトしていたことも、この客が水森を狙っていたことも、まだ残っているのだ。
面倒なことになってしまった、と水森は思わず一歩下がった。その距離を詰めるように男が一歩踏み出してくる。
「でも、辞めてくれて良かったよ」
「え?」
「お店辞めたってことは、ボクと付き合えるよね?」
お店のルール、が断る時の常套句だった。男は断られることなど考えていないようで、期待に満ちた目で水森を見ている。勘弁してくれ、付き合うわけないだろ。
いかに穏便に済ませるか水森が考えていると、ぐい、と横から肩を抱かれた。砂噛に抱き寄せられた形だ。無言の恋人は、不機嫌そうに男のことを見ている。男は、今気が付いたかのうように、砂噛のことを眺めている。
「誰?」
「か、彼氏です」
「彼氏?」
水森の答えに、男は眉を顰めた。だが、このまま諦めてくれないかな、という水森の願いも虚しく、すぐに笑顔を見せた。
「別れてよ、ボクのことのほうが好きでしょ?」
どこからその自信が来るんだよ。水森は眩暈を感じた。羨ましくなるくらい自己肯定感が高い。恋人にかわいいと言われないことを悩んでいた自分が馬鹿みたいに感じるほどだ。
「お店で、チェキたくさん撮ったし、ボク、君にたくさん貢献して来たよね?」
「いや、あのカフェは出来高制じゃないんで……」
「おい、ふざけんなよ」
水森が煮え切らない態度を見せていると、砂噛が明らかに不機嫌な声で男に言った。
「二度も目の前で人の恋人口説きやがって」
「え?二度?」
目の前の男は首を捻っているが、水森にはピンときた。これは、店でのことを言っている。あの時は無反応だったが、しっかり妬いていたようだ。
男は、砂噛の威圧感にたじろいでいたが、なんとか持ち直して水森に向き直った。
「カエデちゃん、今日は男の格好なんだね」
「え?は、はい」
「彼氏の前では女装しないの?」
反射的に頷くと、かわいそうにと同情的な目で見られた。いや、別に、女装したくないんだけど。水森がそう言う前に、男は砂噛に食ってかかった。
「君は知らないだろうけど、カエデちゃんの女装かわいいんだ。ボクならもっと自由に、もっと魅力を引き出してあげられる!」
「はぁ?」
「だから、ボクの方と付き合うべきだ!」
暴論である。ただ、勢いだけはあり、それに水森は肩を震わせた。言葉に嘘がないのが、怖かった。男は、本気でそう思っている。
不意に、水森の肩に置かれた砂噛の手に、力が入った。
「何言ってんだ、お前」
地を這うような声に、水森はまた肩を震わせた。めちゃくちゃ怒ってる。怯えながらも、水森はちょっと期待もした。こいつはオレのものだ、とかびしっと言ってくれないかな?
しかし、砂噛の次の言葉は異なっていた。
「こいつ、女装より今の方がかわいいだろ」
「「え?」」
あまりに予想外な言葉に、水森と客の声がハモる。呆然とする二人の表情を見て、砂噛の声はますます不機嫌になる。
「おい、お前もはっきり断れよ」
「あ、はい……。すみません、付き合えないです」
水森は動揺しながら、言われるがままに拒絶の言葉を口にした。
「女装も、別に好きじゃないんで。もう、諦めてください」
「そ、そんな」
打ちひしがれる男を尻目に、砂噛は用が済んだとばかりに踵を返した。
「行くぞ」
そう言ってさっさと歩き出す砂噛を、水森は追いかける。一度だけ振り返ったが、客の男は立ち尽くしており、追いかけてくることはなかった。
砂噛は細い脇道を選んで歩いていく。追われてはいないものの、何となく、あの男の視線から抜けたいのだろうと感じられた。その背中を見ながら、水森はポツリとつぶやいた。
「ごめんなさい、せっかくデートだったのに」
二人が本来向かう予定だった喫茶店は、あのまま通りを進んで行った先にある。男と再び遭遇する可能性を考えると、今日は行けそうになかった。
水森の言葉に、砂噛は足を止め振り向いた。何か言いたげではあるものの、言葉が発せられることはない。微妙な空気感に、気まずくなり、水森は謝罪を重ねた。
「先輩にも迷惑かけちゃって。ごめんなさい」
「いや、そこじゃない」
ようやく発せられた言葉は、水森の発言を否定した。どういうことだと首を傾げると、渋々と言った様子で砂噛は続けた。
「あいつと会ったことはしょうがない。野良犬に噛まれたくらいに考えているから、お前が謝ることじゃない」
問題は、お前の受け答えだ。そう言う砂噛の顔は苦々しげだ。
「店の時もそうだが、なんではっきり断らないんだよ」
言われた言葉に、水森は呆気にとられた。
「え……あの人になびくと思ったんスか?」
「流石にそこまでは考えてないが、いい気分はしない」
そう言って、砂噛は顔を背けた。妬いたことが恥ずかしいようで、耳が少し赤い。急に見せられた恋人からの好意に、水森の方も赤面してしまう。
逆上しないようにと、相手に気を使っていただけなのだが、そんな理由の説明を求めているわけではないだろう。ごめんなさい、と改めて謝って水森は砂噛の袖を軽く掴む。外でできる精一杯の接触だ。
「先輩だけっスよ、好きなの」
「知ってる」と先ほどよりも幾分柔らかい声音で返ってきた言葉に、水森は微笑んだ。
ところで、と水森は袖を掴んだまま砂噛の目を覗き込んだ。嘘は臭いでわかるし、逃がさないぞと言う意思を目に込めた。
「先輩、パーカー姿が好きなんスか?」
「は?」
「それか、このコート?」
水森は、勢いこんで恋人を問い詰めた。先ほどの「かわいい」という言葉の真意を聞きたかった。
今のほうが、と言っていたので、今日の服装だろうか。それとも、単純に女装よりも男性的な格好のほうが好きと言う話だろうか。求めていた言葉を与えられた事実に、水森は興奮していた。
「別に、今日の格好が特別どうこうってことはない」
水森の勢いに気圧されながら、砂噛は目を逸らした。勢いで言った言葉にここまで食いつかれると思っていなかったようだ。
「でも、かわいいって言ったじゃないっスか」
「お前、顔がいいんだから、普通にしてればかわいいだろ」
変に女装していると、面白いが勝つけど。なんでもないことのように言われてしまい、水森は肩透かしを食らった気分になった。なんだ、特別なことなんかしなくても、向こうもオレの顔好きなんだ。
安心し、それから急に恥ずかしくなってきた。冷静に考えると、何だかとってもすごいことを言われた気がする。あの皮肉屋の恋人が、手放しにオレの容姿を褒めている。水森は、喜びと照れから饒舌になった。
「先輩、オレにベタ惚れっスね」
ご機嫌につぶやいた言葉に、恋人は眉を顰めている。不機嫌そうに見えるが、これは照れている時の顔だ。その反応に、水森はますます気を良くした。
「男にかわいいなんて、大概っスよ」
水森は自身をかわいいと思っていない。素の姿にそれを感じると言うことは、砂噛の目にも恋で歪んだフィルターがかかっている、と解釈した。普段からかわれ、主導権を握られていることが多いが、ここぞとばかりにやり返し、水森はご満悦だった。
「大概、ねぇ」
低くつぶやかれた言葉に、水森はやりすぎたかな、とヒヤリとする。砂噛は水森に主導権を握られると、ムキになることが多い。付き合ってから気が付いたことだが、意外と子供っぽいなと感じている。案の定、恋人は何か企むようにこちらをじっとりと見つめてくる。
何を言われるのか、何をされるのか。水森は身構えていたが、実力行使に出られれば、彼に太刀打ちはできなかった。もともとの運動神経が違うのだから仕方がない。気が付いた時には顔を寄せられていた。
砂噛の長い髪が、水森の頬に当たる。唇には、もっと柔らかい感触があり、それがなんなのか、水森も知っている。知ってはいるが、こんな真っ昼間の住宅街で、感じるとは思っていなかったものだ。
「な、な、何!?こんなところで!!」
あたふたと恋人から距離を取ると、にやにやと嫌味な笑いが目に入った。これは、からかわれている時によく見る表情だ。羞恥で顔が熱くなるのを感じながら、水森は砂噛を睨みつける。そんな視線を受けても、砂噛は楽しそうな態度を崩さない。
「かわいいよ、お前は。特にキスした後は」
そう思えるのは、あんただけだろ。言い返したかったが、キスされた後の表情なんて水森自身も知らない。水森にできるのは悔しげに恋人を睨むことだけだった。
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