走りにくい服

 潜入から二週間経った。この日、水森は緊張していた。鉄の調べによると、今日大使が来店する可能性が高い。
 
「秘書の人に、明日の夕方は例の店に行く時間が欲しいって言ってるの聞こえた」
 そう、鉄が吐き捨てるように言ったのは、昨日の打ち合わせの場である。彼女は大使側の動向を見張っていたのだが、不倫する男への嫌悪感で苛立ちを募らせていた。
「不倫相手と思われる、アキラさんも明日出勤っス」
 水森が付け足すと、穂村は頷いた。
「いよいよですね。明日、現場を押さえましょう」
 課長の宣言に、一同は無言で頷いた。
「しかし、このアキラって奴、男か女か、ぱっと見分かんないな」
 砂噛の指摘通り、アキラの見た目は、店の中でも中性的なほうに分類される。キャラ作りだろうが、仕草にもときどき男の子っぽさが混ぜられている。
「大使の好みが、元々中性的な子みたいっス。アキラさんが入る前も、似た系統の子を推してたって聞きました」
 うげ、と鉄が顔を顰めた。どうやら他のキャストとも不倫していたと考えているようだ。水森は慌てて否定した。
「あの、最初は大使、良心的な客で普通にチェキ撮るだけとかで口説くとかなかったらしいです。アキラさんが入って、ぐいぐいアプローチして、ガチ恋客になっちゃったって」
 店としても困っていると言う。いわゆる古参にあたる客を出禁にするのは忍びない。アキラに注意しても、あくまで店内だけの関係と言い張られてしまう。
「うわ、アキラって子、マジでハニトラじゃん」
「最初から大使に狙いを定めて、働き始めたんだな」
 鉄と砂噛の言葉に、水森は頷いた。アキラは大使以外にアプローチをかけない。カフェでの挙動を観察していたが、他のキャストと異なり女装にもあまり興味がなさそうだ。化粧品の話で盛り上がる先輩たちの輪を尻目に、休憩時間は一人でスマホをいじっていることが多い。
 状況証拠は十分に集まっている。あとは、決定的な現場を押さえて、二人を言い逃れ出来ないようにするだけだ。
 勝負の日である。


 普段より緊張したまま、水森は愛想笑いをしながらホールを駆け回っていた。大使が来店するまでは、動きはないだろうと思いつつ、どうしてもアキラの方に目がいってしまう。
 アキラの様子は、普段通りで話しかけてくる客に笑顔で対応していた。店ではどこか浮いている存在だが、大使が絡まなければ仕事ぶりに問題はないらしく、笑顔も自然だ。
「カエデ、お客さん来てる」
「あ、おかえりなさいませ、ご主人様!」
 アキラを見ていたせいで、来客に気づかず、先輩バイトに注意されてしまった。
「集中しなきゃダメだよ?」
 かわいく小首を傾げる男の娘の声に、『お前、いつもそんなことやってんのか?』と、砂噛の呆れた声が重なる。
 今日は、砂噛も店の外に待機している。向こうの話はイヤホンで届くし、基本的に返事はできないものの水森は小型の集音マイクも付けている。そのため、こちらのおおよその行動は砂噛にも伝わっている。
 何が悲しくて、恋人に聞かれながらメイドしなくてはならないのだ。笑顔を引きつらせながら、水森は目の前のメイドに謝罪した。

 大使が来る、ということと、砂噛に聞かれている、という二重の緊張感を感じつつ、水森はそれでもメイドとしての職務を全うしていた。自分の態度で、アキラに変に勘ぐられてはならない、その一心だった。
 いつもより、時間が経つのが遅く感じ始めた時、砂噛の声が再び耳に届いた。
『課長達から連絡があった。後十分で大使が店に着く』
 穂村と鉄は、大使の方を見張っていた。向こうに動きがあったと言うことは、いよいよ、である。
 水森が気を引き締めたとき、ちょうど店のドアが開いた。え、もう?と思いつつ出迎えに向かうと、待っていたのは別の客だ。しかも、嫌なタイプの。
「……おかえりなさいませ」
「カエデちゃん、おとといぶり!今日も後でチェキ撮ろうね」
「いつもありがとうございます」
 裏声で、にっこり笑って対応しながら、水森はげんなりした。この客は、いわゆるガチ恋客である。
 元々、他の子にも声をかけていたようだが、水森が入店してからは、狙いを定められている。売り上げにつながるのは助かるが、正直扱いに困っていた。
「今日もかわいいねぇ」
 上から下まで眺めながら、うっとりと褒められる。その言葉には素直にお礼を返した。
「この店で、一番かわいいよ」
 この言葉が、水森は嫌いだった。男の台詞からは嘘の臭いがする。彼は、店の子と付き合えれば、誰でもいいのだろう。あまり慣れていない新人の水森に目をつけたのも、それが理由だと推測していた。
 笑顔だけ返して、水森は「後で注文取りにきますね」と客から離れた。今日はいつも以上にこの客の相手が嫌だった。アキラをそれとなく見張っていたいのに、向こうのペースで話され、呼びつけられてはたまらない。
 そうこうしているうちに、再度店のドアが開いた。今度こそ、大使だ。写真で見るよりも精悍な顔つきで、高そうなスーツに身を包んでいる。こんな店に来るにはフォーマル過ぎて、少し浮いているが常連ということもあり、誰も気にかけていないようだった。
 大使の接客には、当然のようにアキラが付いた。注文を取り一旦裏に引っ込んだものの、すぐにチェキを撮りたい、と大使から声が掛かる。いそいそと出ていくアキラに付いて、水森もホールに出た。
 なんとか、不自然にならないように、大使たちの近くにいたい。そう思い、周りのテーブルをキョロキョロ見回していると、先ほどの客と目が合ってしまった。大使の席と近いテーブルだ。
「あ、カエデちゃん!チェキ撮ろう!」
「ありがとうございまーす」
 にこやかに応対しながら、水森は男に近づく。正直この客は嫌だが、不自然にならないように、大使に近づくには、都合が良い。背に腹は変えられない、と覚悟を決めて、水森は男の待つテーブルに向かった。
 

 チェキを撮り終わった後も、男は水森のことを離してくれなかった。何かと話を繋がれて、雑談の相手をさせられる。いつものことなので、適当に相槌をうちながら、不自然にならないように、自分の横にある大使のテーブルへと意識をめぐらせた。
 男は水森の雑な相槌など、気にならないようで、口説きにかかってくる。これも、いつものことだ。
「ねぇ、何度も言ってるけど、ボクと付き合おうよ」
「ごめんなさい、お店のルールでダメなんですよぉ」
 困ったように笑いながらお断りする。あくまでお店のせいにしとけ、と言うのが先輩バイトからのアドバイスだ。下手に傷つけると、逆上しかねないと言う。へらへら笑いながらも視線はアキラと大使のテーブルへと巡らせる。二人もチェキを撮り終えているが、自分たちのように談笑を続けている。
 この店は、メイドに触ることが禁止されている。プレゼント行為も禁止事項だ。だから、情報のやり取りは表立っては行われてないだろうと、水森は踏んでいた。
 何か、不審な動きはないか。ちらちらと目線を送っていると、大使の右手が胸ポケットに入った。すぐに出てきた手には何か握り込まれているように見える。自然な動きで、ティーカップへと手を滑らせると、ソーサーごとカップを持ち上げる。
「下げてもらっていいかな?」
 わざわざ、カップを渡してアキラに告げる。その右手は開かれており、先ほどまで隠していた物がなくなっているのが分かった。アキラは笑顔で応対して、裏へと下がっていく。
 何か、ソーサーに乗せた?それに気がついた時、水森はホールから踵を返していた。
「アキラさん!」
 キッチンスペースにカップを下げたアキラの手には、USBがあった。アキラは水森の姿を見て、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を消した。そのまま何も言わずに踵を返すと、躊躇うことなく店から出て行った。
「待て!」
 水森は慌ててその姿を追いかけた。メイド姿のまま。
 

 足元にまとわりつく布がうっとおしい。漫画やアニメでよく見る、ロングスカートの裾を掴むという表現は理にかなっていたんだ。そんな場違いなことを考えながら、水森はメイド服で駆けていた。その手はしっかりとスカートの裾を握っているが、ばさばさと風を受けて膨らむ布が走るスピードを落としていた。
 アキラは、水森が感じている不便さなど感じさせずに、身軽に逃げていく。最初は普通に走っていたが、後ろから水森が追ってきていることに気がつくと、急に跳躍した。
「嘘だろ!?」
 低層のマンションをベランダを起点に駆け上がり、アキラは上へと逃げていく。水森は当然、そんなことはできない。なんとか上に上がらなくては、と階段を探していると、急に浮遊感を感じた。
「え?」
「どう見ても外星人の動きだな!」
 水森が味わったのは奇妙な感覚だった。目の前に広がるのは地面だ。まるで自身が落下するような光景だが、落下の逆再生のように、地面がどんどん遠ざかっていく。
 先ほど聞こえた砂噛の声、腰回された腕、何か固い面を駆ける音。あれもしかして、先輩、オレ抱えて飛んでる?水森は、自分の状態を理解し、真っ青になった。
「ぎゃあああ!落ちる!!」
「うるせぇ!落とさないから黙ってろ!」
 砂噛に抱えられるのは初めてではない。今までも落とされたことはないが、ここまで無茶な動きをされると流石に不安になる。砂噛が壁の縁を踏んで跳躍した衝撃で、ウィッグが落ちていったのが目に入った。
 不安からの逃避か、急にどうでもいいことが水森の頭をよぎった。
「先輩、オレ、スカートだからパンツ見えちゃう!」
「黙れ!……換装切り替えりゃいいだろ!」
 ああ、確かに。焦っていて気が付かなかった選択肢に、水森は納得した。そのままMESをいじって、慣れ親しんだスーツ姿に服を変えた。

 長く感じたクライミングが終わり、二人が屋上に着いた時、アキラは穂村と対峙していた。
「遅いぞ」
 穂村は、目の前の相手から目を離さずに、二人に注意した。彼女と二人で、アキラを挟み込むような配置をとっている。
「さて、大使から受け取ったUSB、こちらに渡してもらおうか」
 アキラは焦ったような表情を見せているが、それでも眼はキョロキョロと逃げ道を探している。まだ諦めていないようだ。
「アキラさん、二人とも強いんで、諦めた方がいいです」
「カエデ……まさか、COSMOSの人間が女装までしてくるとは思わなかったよ」
「いやー……」
 こんな場面ではあるが、乾いた笑いが出てしまう。感心されているが、本当はここまでやる予定はなかったのだ。
「やっぱり、ハニートラップだったんスね」
「そうだよ。仕事とは言え、おっさんとの恋愛ごっこは疲れたよ」
 アキラは、ふぅ、とため息をついた。悩ましげな表情は様になっているが、会話の内容はひどいものだ。
 水森が話しかけている間に、穂村と砂噛はじりじりとアキラとの距離を詰める。その様子を一瞥し、アキラは不意に右手を挙げた。
「これ、持って帰るのがボクの仕事。どんな形でもね」
 そういうと、アキラはおもむろに上を向いた。あーん、と大きく口を開けて、USBをその上へと持ってくる。
 え、と思う間もなく、アキラの白い指が開かれる。USBは自由落下し、アキラの口の中に吸い込まれていった。
「おい!?」
「吐き出させろ!」
 穂村と砂噛が慌てて駆け寄るが、アキラは楽しそうに笑うばかりだ。そして、二人の手が届く前に、その姿は一気に縮んだ。まるで、風船から空気を抜くように、シュルシュルと。
「スーツか」
「まだ本体がいるはずだ。探せ!」
 スーツを脱ぐ様、と言うのは水森も以前見たことがある。中の人のサイズは、スーツより小さいはずだ。三人で視線を巡らせるが、隠れるような場所もない屋上で、どこにも姿が見当たらない。
 自分たちが想定しているよりも、相手のサイズが小さいのか?水森はそう思い至り、目に力を込めた。熱の動きが見えるようになり、先ほどよりも生体の探索がしやすいと考えてのことだった。集中して見渡すと、先ほど脱ぎ捨てられたスーツの中に、動く熱源を感じた。
 他の二人に、ジェスチャーだけで合図をして、そっと近寄る。相手も、こちらが屋上から去るのを息を潜めて待っているはずだ。狙いを定めて、一気にスーツの中に手を入れた。
「そこだ!」
「うぎゃ!」
 スーツに突っ込んだ手の中で、アキラの小さな呻き声が聞こえた。手のひらに当たる感触に、動いている様子はない。
 おそるおそる取り出した手を開くと、両手に収まるサイズの、小さな小さな人間が抱き枕でも持つようにぎゅっとUSBを抱えて気絶していた。
「……おやゆび姫?」
 その姿は、どう見ても女の子だった。
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