走りにくい服

 おまけで入れたと言われたものの、メイド服など使う機会はないだろう。水森はそう考えていた。
 だが、今水森はどう言うわけか件のメイド服に身を包み、慣れないウインクをしながらポーズをとっている。
「おかえりなさいませ、ご主人様!」
 水森が裏声で叫んだ言葉は、店内に響きわたる。
 マジで、どうしてこうなった。笑顔を引きつらせながら、そう思った。

 水森がメイド服を着ているのは、当然彼の趣味ではない。
 数日前、彼は大使が通っているという男の娘カフェに来ていた。目的は大使の不倫相手の絞り込みだ。
 店員に外星人がいるか把握するため、客を装って店に入ろう。そう考えていたのだが、店の入るビルの前でためらってしまう。
 薄汚れたビルの入り口に『男の娘カフェ♡ピュアドリーム』の看板はあった。一見すると普通のカフェにもある、立てるタイプのメニュー黒板だが、色使いが毒々しい。ピンクと紫のチョークで書かれた店名に、何かいがかわしさを感じる。
 カフェの上下階に、風俗店が入っている、と言うのも水森の不信感を増長させた。繁華街、というよりも、ごくごく普通の住宅街に近いエリアなのに。ある所には、あるんだな……と知らない世界を垣間見た気がした。
 この時、水森はMESを起動しておらず、学校の制服姿だった。先述したような立地ということもあり、普通のカフェとあまり変わらないだろうと考えて、普段の格好で来てしまったのは、彼のミスと言える。
 ためらって風俗ビルの前で二の足を踏む男子学生は、未成年ながらそういう店を使おうとしているようにも見える。
「そこの君、そこで何してんの?」
 そのため、道路を挟んで向かいにいる警官に声をかけられてしまったのは、ある意味仕方ないと言える。
 まずい。焦った水森は咄嗟にビルに駆け込むとMESを起動した。あの距離であれば、服装を変えてしまえば警官も見分けられまい。そう考えて、先日馬喰に入れてもらったメガネ姿を選んだつもりだった。
 予想通り、後から入ってきた警察は、水森の姿を一瞥した後、階段を駆け上がって行った。自分が見た学生が、上へ逃げたと思ったのだろう。
 警官の足音が小さくなるのを待って、水森はため息をついた。気が動転していて逃げてしまったが、考えてみれば自分が行きたかったのはカフェなので、逃げる必要はなかったな、と今更ながら思い至った。
 まだばくばくと脈打つ胸を抑えながら、水森はカフェのある階へと上って行った。ためらっていたから、あんな目にあったのだ。さっさと入ってしまおう。そんな気分だった。
 気が動転していた水森は、自身の今の格好がどんなものか確認する余裕はなかった。そのため、自分がしたミスに気がついたのは、カフェの扉を開けた後だった。
「おかえりなさ……バイト希望の子?」
 出迎えてくれた店員に言われ、そこでようやく、水森は自分がメイド服を着ていることに気がついた。


 こうして、水森はカフェでバイトすることになった。
 来店するまで知らなかったが、このカフェはメイド喫茶兼男の娘カフェという二つの要素を掛け合わせているらしく、キャストは全員メイド服を着ていた。
 自前のメイド服で面接に来た、というやる気を評価されて、水森が戸惑っているうちに採用されてしまった。「化粧とか、着こなしはおいおい覚えればいいから」と完成度の低さについては、やんわりとだが指摘されて、出勤日までにウィッグと化粧品を揃えてくるように指導された。
 店を出てから確認すると、MESの動作は正常でどうやら慣れない操作で押すボタンを間違えたことが要因のようだった。つまり、この結果は100%水森のミスによる所である。
 当初の予定とずれてしまったこともあり、穂村にメールすると「こうなっては仕方ないので、潜入してください」と指示が返ってきた。
 自分のミスが招いたことなので仕方ないが、想定していた中でも最悪の方向性である。穂村が情報共有したのか、砂噛からの罵倒メールと鉄からの爆笑の絵文字が送られてきて、追い討ちをかけられる。
 ウィッグとか、経費で落ちるのかな。現実逃避をするように、そんなことを考えながら水森はこの日は家に帰った。

 初出勤の日は、地獄だった。
「カエデちゃんは、元がいいのにねぇ……」
 そう言って申し訳なさそうに目を逸らす先輩バイトは、優しい人なのだと思う。化粧品の使い方をレクチャーしてもらったのはいいが、水森には絶望的に才能がなかった。鏡の中に映る自分を見て、夜道で会ったら逃げ出すレベルの化け物だと、水森は自分を卑下した。
「すみません、オレ、裏方やりますよ」
 むしろ、その方が水森にとっても都合が良かったのだが、相手はそれを遠慮と受け取ったようだ。「諦めないで!」と言うと、店中の男の娘を集め、水森の顔をあーでもないこーでもないといじり始めた。
「骨格が男っぽいから、ウィッグで隠す方向で」
「目は大きめだし、これ以上強調しなくていいんじゃん?」
「血色はもう少し良く見せよっか」
 見た目は明らかに女の子の先輩方に、化粧を施されるというのは些か恥ずかしい気持ちになった。近づいてくる男の娘たちは皆、なぜか甘い匂いがする。同じ男のはずなのに……。そうして、されるがままで出来上がった顔を見せてもらったとき、水森は素直に驚いた。
「あ、一応女の子に見える」
 一応、という文言に、周りを囲んでいた先輩たちは苦笑する。水森の自己評価は正確で、確かにぱっと見は女子に見えるような出来であった。よくよく見ると違和感は出てくるし、周りと比べると突出してかわいいわけではないが、最初に比べると雲泥の差である。
 こうして、顔面が出来上がった所で、次は男の娘らしい仕草の指導が始まった。先ほど化粧を施してくれた時に感じた、ふんわりした砂糖菓子のように甘い雰囲気から一転、完全に体育会系のノリだった。
「はい、もっとお腹から声出して!」
「お、おかえりなさいませ!」
「かわいくウインク!」
「こ、こ、こうですか!?」
「あざとさが足りない!」
 あざとさなどと言う、普段求められることのないものを要求され、水森は疲弊した。結局、この日は化粧と仕草の練習だけでバイトが終了してしまった。新人の指導に力を入れるいい店なんだな、と感じる反面で、この潜入が終わった時、自分の日常にもここで身につけた仕草が入ってきそうで、ちょっとした恐怖を感じた。
 それはそれとして。そこそこかわいくなったと自負する女装姿を、水森は自撮りした。覚えたてのウインク姿はそれなりの出来栄えだ。
 「かわいいですか?」とだけ書いて、恋人にメールを送ると、「真面目に仕事しろ」と返ってきて、水森はため息をついた。

 
 地獄だと思っていたカフェも、慣れてしまえばなんとなくこなせるもので、一週間経った今、水森は店に溶け込んでいた。バイトの先輩たちとの関係も良好で、不倫相手を探すという使命を隠しながら接するのが申し訳なくなるほどだった。
 この日も、先輩の一人と雑談しながら、ロッカールームで話をしていた。先輩にあたる男は、そういえば、と前置きをして水森に尋ねた。
「カエデは、女の子になりたい派?それとも女装が好き派?」
「へ?」
 水森は思わず間抜けな声をあげてしまった。何の話か飲み込めずに、目を泳がせていると向こうの方からフォローが入る。
「あ、答えにくかったらいいよ。ごめんね、知っといた方が対応しやすいから聞いたけど、割とコアな部分だから答えたがらない子もいるし」
 申し訳なさそうに手を合わせる男は水森よりも長身だが、それを活かした女装をしている。水森と同じくメイド服に身を包んでいるが、腰の位置が全く異なる。以前聞いたところ、コルセットをつけて高めにくびれを作っているという。広めの肩幅を覆うパフスリーブは、長身からくる威圧感を消して可憐さを主張していた。自分の体型を理解し、カバーする服を選んでいる。水森とはレベルの違う女装だった。
「オレはね、女装したい派なんだ。ゲームキャラのコスプレやってて、それ極めようと思ったら、のめり込んでた」
「そうなんスね」
「うん、彼女もいるし」
「え!?……あ、ごめんなさい」
 水森は驚きを声に出してしまい、その後慌てて謝罪した。男は「いいよ」と笑っている。
「一口に男の娘って言っても、色々いるんだよ。それこそ、性対象が男か女かも人によって違う」
「……知らなかったです」
 勉強になるな、と水森は聞き入っている。知らない世界だ。みんな、女の子になりたくて、男の人が好きなんだと思っていた。
「お客さんも、それを知っているんですか?」
「うーん、気にしない人が七割かな。かわいい女装を観るのが目的の人が多いから。鑑賞するのに中の人の心情なんて関係ないでしょ」
 確かに、以前潜入したホストクラブに比べて、この店は客とキャストに距離がある。お金を払えばチェキは取れるし、じゃんけんなど軽いゲームはできるがそれだけだ。お互いの人間性を示し合うようなコミュニケーションは発生しない。
 それもあってか、嘘の臭いは身構えていたよりも少ない気がする。キャストはただ全力でかわいく有り、客はそれを楽しむ。コンセプト自体は虚構だが、ホストクラブのように息をするように嘘をつく、なんてことは必要なかった。
 この店の構造がわかってきて、水森は深く頷いた。先輩にあたる男は、それを見て一段と声をひそめた。
「カエデはさ、男の人が好き?」
「え!?」
 砂噛と付き合う前は女の子が好きだったので、性対象が男性かと問われれば、素直には頷けない。だが、ここで細かく説明する必要もないだろう。
「えっと、彼氏はいます」
 嘘ではない。自身は女装が下手な分、性対象が男であるとした方が、この店に来た理由を向こうに納得してもらいやすいのでは、という打算もあった。そんな水森の思惑とは関係なく、男は少し笑って肩の力を抜いた。
「そっか、なら安心だね」
「安心?」
「うん、さっきも言ったけど、七割は観客としてのお客さん。残りのうち一割は仲間に入りたがってる男の娘予備軍」
 男は人差し指を立てる。
「もう一割は冷やかしで来るウザ客」
 すっと中指が立てられる。
「そして、最後に男の娘でしか興奮できないガチ恋客」
「ガチ恋……」
 水森はごくりと喉を鳴らした。それこそ、大使の話ではないか?急に出てきた手がかりに、緊張感が走った。
「一応、トラブル防止でお客さんと付き合うのは禁止になってんだけどね。しつこい客はいるし、自分からアプローチするキャストもいるんだよね」
 彼氏いるなら安心だ、と男は頷いている。これは、当たりだ。そう確信した水森は、高揚する気持ちを隠しながら、質問した。
「その、気をつけたいんでお客さんの特徴とか教えてくれませんか?あと、キャストが誰かも」
 

「と、言うわけで、ビンゴでした」
「さすがですね」
「やるな、水森!メイドの才能あんじゃない?」
「いや、メイドは関係ないっス」
 この日、水森は男の娘カフェではなくCOSMOSに出社していた。得られた情報の報告を課のメンバーに行うと、穂村から素直に褒められ気分が上向いた。
 先輩バイトから聞いた、いわゆるガチ恋客の一人は明らかに大使だった。今回のカフェは、以前潜入したホストクラブとは異なり外星人御用達の店、ではない。そのため、キャスト達は大使のことを、羽ぶりのいい外国人のおじさんだと捉えているようだ。
「一応、前に何かの記念で撮ったって言ってた写真が店内に飾られてたんで、撮ってきました」
 写真をスマホで撮影しているため、綺麗な画像にはならなかったが、人相を確認するには十分だった。
「大使ですね。完璧です」
 穂村の確認も無事に取れ、水森はほっと肩を撫で下ろした。成り行きとはいえ、望まぬ女装までしての潜入だ。これで成果がないと流石にやっていられない。
「砂噛、そっちはどうだ?」
 穂村に問いかけられて、砂噛はタブレットから顔を上げる。彼は、先ほどから、水森が隠し撮りしてきたキャストの顔を外星人のデータベースと照合していた。
「ダメですね、ヒットしないです」
 そう言って砂噛は首を振る。そうなると、バイトは全員地球人なのだろうか?水森は首を傾げた。
「大使にアプローチしてるのは、アキラさんって人なんですけど、この人も外星人じゃないんですか?」
「そうだな。データベースと一致しないだけだから、ガワを変えている可能性もあるが。あとは、無断で地球に来ているか、だな」
 いずれにしても、安心できる状況ではないようだ。正直、地球人でいてくれたほうが、ただの浮気で済み、こちらとしては楽だったのだが。水森はため息をついた。
「じゃあ、まだ潜入は続けなきゃダメっスか?」
 げんなりとした水森の様子を気遣うことなく、穂村はあっさりと首肯した。
「当初の予定よりも早く情報が集まっています。この潜入は効果的ですし、続けてください」
 評価されているらしいコメントももらってしまっては、水森としても頷くしかない。そんな様子に、鉄はニマッといたずらっぽく笑った。
「水森、カフェでモテたりしねーの?」
 水森の女装のひどさを知っていてのからかいである。ムッとしながらも、彼は素直に答えた。
「しないっスね、周りのレベルが違いますもん」
「確かに、お前の撮ってきた写真の子、レベル高いな」
 タブレットを眺めながら、何気なく言われた砂噛の言葉に、水森はもやっとした。忙しくしていたときには忘れていられた、あの女装を見せた時に感じたもやもやだ。
 なんで恋人褒めないで、他人は褒めるんだよ。そう思ってしまった。水森とて、砂噛が褒めているのは女装の技術のことである、ということは冷静な部分で理解している。タイプだ、とか、かわいい、とか言っているわけではない。
 だが、悔しさは募る。他人を褒めた恋人への、意趣返しのつもりで水森は、言葉を付け加えた。
「あ、でも、やたらチェキ撮ってって言ってくる人はいます。一人だけっスけど」
 どーだ、オレのこと評価してくる客もいるんだぞ、そんな気持ちで口にした言葉だったが、水森はすぐに後悔した。砂噛の目はあまりにも興味なさげだ。
「ドラ男、妬かねーの?」
「写真くらいで妬かねぇよ」
 鉄がからかうが、恋人の答えはにべもない。がっくりと肩を落としながら、水森は決意した。さっさと解決して女装から離れよう、と。
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