走りにくい服
仕事のミーティングは、基本、穂村からの説明を聞く形で始まる。この日も立ち上がって話す穂村に対して、三人は座って資料を眺めていた。
「今回の案件ですが、平たく言えば浮気調査です」
「そんな探偵みたいなことするスか?」
水森の疑問に、他の二人は目を逸らしている。穂村は頷くと、説明を続けた。
「普通はしません。対象が問題なんです。タレコミをしてきたのが、とある星の大使の妻です」
「大使……」
「地球にもいるだろ、他の国の大使。あれと同じようなもんだ」
言いながら、砂噛の声は震えている。相変わらず水森とは目を合わせてくれない。
「当然、機密情報も多く握っています。その大使がどうやらハニートラップを仕掛けられて、情報を流しているらしい、です」
ハニトラって。大使と言っても誘惑には勝てないということだろうか。神妙な顔をしている水森の前で、鉄は目を伏せて肩を震わせている。
「漏れた情報が元で、日本の、ひいては地球の不利益になった場合には、COSMOSの外賠責が適用され、それなりの金額が支払われます」
穂村はそれなりと言うが、きっと億単位なのだろう。自然と緊張感が高まる。いつもよりも涼しい足を交差させ、水森は身震いした。
「さて、肝心の浮気相手ですが、どうやらこの店の店員のようです」
穂村が指し示したページまで、資料を捲る。そこには前ページまでの内容とは打って変わって、ポップな色使いの店内写真と緊張感を削ぐような字面が並んでいた。
「『男の娘カフェ♡ぴゅあどりーむ』って……」
男の娘、の箇所で先輩二人が水森を見たがすぐに目を逸らした。なんだ、さっきから。言いたいことがあるなら言ってくれ。水森は仏頂面で資料を読み進めた。
「大使はこの店で働く、女装した男性、通称男の娘、と浮気をしているらしいです」
「え、大使って奥さんいるんスよね?」
「どっちもイケるんでしょ」
鉄が吐き捨てるように言った。父親のことがあるからか、彼女は浮気者に対して厳しい。
「私たちの仕事は、大使が情報を漏らしている証拠集めと、浮気相手が外星人の場合、その身柄の確保、の二点です」
穂村はここまで言って、資料を置いた。要点は伝え終えた、と言うことだろう。ちらりと水森に目をやると、首を傾げながら普段と変わらない声で言った。
「水森さん、メイドの格好までして気合いをいれてもらったところ申し訳ないですが、今回は潜入の予定はないですよ」
穂村がようやく、水森の服装に言及した。それが合図のように、砂噛と鉄が吹き出す。真剣なミーティングの場で二人とも我慢をしていたが限界だったようで、タガが外れたようにげらげらと笑っている。
「そんな理由で着てる訳じゃないっス!!」
水森は羞恥と怒りで真っ赤になった。
水森かなぜメイド服を着ているのか。そもそもの発端は穂村の指示にある。
仕事の幅も増えてきたし、MESの換装を増やしてくるように言われたのだ。調査員とばれるとややこしい場面もあるから、なるべく地味な格好を一つ入れろ、とのことだ。馬喰には話を通してある、と言われてミーティング前の空き時間に彼女のいる部屋を訪ねた。
それからみっちり三十分、水森は馬喰のおもちゃにされていた。
「ぎゃははは!水森くん、女装似合わへんなー」
「だから、もう少しまともな格好にしてくださいって!」
何の格好がええかなー、なんていいながら、馬喰のデバイス操作で水森の服装は一瞬で変わる。強制的な着せ替え人形である。
「イケメンさんやし、肩幅もある、足もがっしりしてるとなると、なかなか厳しいなー女装」
「あの、マジでなんで女装?」
水森の言葉を無視して、馬喰はまたデバイスを操作する。水森が足元を見ると、先ほどまで着せられていたセーラー服から、長くて重めのスカートに服装が変わったのが分かった。
「お、なかなかええやん。足元隠れるし、エプロンのフリルで肩幅カバーできるし」
「え、何の格好ですか?」
「メイドさん、クラシカルな方」
なかなかかわいいなぁ、と言われる。そう言われると、女装には興味がないものの、水森も自分の格好が気になってきた。見たい、と素直に言うと部屋の隅から馬喰は姿見を引っ張ってきてくれる。MESでの換装の調整に使うのかもしれない。
「どう、かわいーやろ?」
水森はまじまじと、自分の姿を眺めた。確かに馬喰の言う通り、長めのスカートは足を覆い、一目で男性とわかるがっしりとしたふくらはぎを隠している。たっぷりとした布で作られたワンピースは、自分の動きに合わせて緩やかに波打つ。触ってみると厚手の布の感触があり、高そう、と庶民的な感想を抱いた。黒いワンピースを覆うのは、フリルの付いた白いエプロンだ。大ぶりのフリルが付いているが、くどくなく、全体的にシックで可愛らしい服だ。
そう、服はかわいい。
「いや、これ、オレの顔まんまじゃないっスか!」
「せやで、化粧とかは自分でしてな」
かわいらしい服に自分のいつも通りの顔が乗っている、と言うのは違和感があった。いや、頭にはメイドがよくつけている白いフリルのカチューシャが付いているが。それだけではとてもじゃないが女の子には見えない。
「似合うと思うけどなー」
馬喰さん、激務で感覚やられてんのか?水森は真剣に心配になった。どう見ても似合ってないし、かわいくない。
「と、とにかく、この格好、使い道ないんで、他のにしてください」
「うーん、あとなんか女装あったっけな」
「女装から離れて!なんか地味なやつにしてください!」
このままではメイドにされてしまう。そう危惧した水森が強めに抗議をしていると、馬喰の携帯が鳴った。「ちょっと出るなー」と宣言し、通話を始めた馬喰を水森は待つしかなかった。
電話は短かったものの、馬喰の表情が固くなっていくのを見て、水森は嫌な予感がした。案の定、電話が終わると、「悪い、緊急案件や。三十分後にもう一回来てな」と部屋から追い出されてしまう。
「えー……」
水森は部屋の前で途方に暮れた。三十分後と言われても、その時間までに課のミーティングにでなくてはならない。それこそ、五分後には始まる。
仕方ない。腹を括って、水森はミーティングスペースへと向かった。慣れないワンピースに苦戦しながら。
砂噛と鉄は笑っていたが、穂村は全く笑わなかった。ただ淡々と「かわいらしくていいと思いますが、変装には向かないので変更して来てください」と指示されてしまう。もとよりそのつもりだったので、さっさと部屋を出ようとすると、「砂噛も連れて行きなさい」と背中に声をかけられた。
「え、なんでっスか?」
「お前一人じゃ、また遊ばれて終わりだろ」
立ち上がって水森のほうに向かって来る砂噛は、まだ笑いが収まらないのか、少し口角が上がっている。その態度にむっとしたが、一人では確かに馬喰のペースに飲まれそうだ。
「じゃあ、お願いします」
水森は素直に頼んで、部屋を出た。
「しかし、お前その格好似合わねーな」
廊下で二人になると、改めて笑われて水森は閉口した。そんなこと、自分でよく分かっている。
「分かってますよ。つーか、先輩はこういうの興味ないんスか?」
水森はその場でくるりと一回転して見せた。ふわりとスカートが風をはらんで膨らむ。動作だけみれば優雅で女性らしいものだが、裾から覗く脚は男性の太さである。砂噛は冷めた目でその様子を見ていた。
「ねぇよ」
「えー、せっかく恋人がかわいい服着てんのに」
分かってはいたが、あんまりにも愛想のない答えに、水森は拗ねた。「ほら行くぞ」とさっさと歩き出した砂噛に追いつくと、ささくれ立つ気持ちをそのままに、砂噛に絡んだ。その恋人は、呆れたようにため息をつくと足を止めずに答えた。
「いや、本当に、似合ってないからな」
その言葉に、少しだけ胸が痛む。似合っていないのは事実だし、女装したい、かわいくなりたい、という願望があるわけではない。けれども、先ほど水森自身が言った通り、二人は恋人同士である。なんか、もっとこう、気遣いとかあってもいいのではないか。
そういえば、と水森は気がついた。オレ、先輩に外見を褒められたことない。
水森は自身の見た目が悪くないことを自覚している。後輩女子に告白されたこともあるし、体育祭などイベントでは知らない女子から歓声が飛ぶ。だが、そういった外観の良さは砂噛に通じてない気がする。
同性ゆえの感覚かとも思うが、水森自身は砂噛の見た目を素直にかっこいいと思っているし、それを口にしている。好きなところを三つ挙げろと言われれば、顔がランクインするくらいには、見ていて飽きない。
砂噛はどうなのだろう。水森の中で急に不安が募っていく。性格とか雰囲気とか、そういった面を好かれているのは分かっている。好意もちゃんと感じている。けれど、隣に並ぶにあたって、見た目も好いて欲しいと思ってしまう。
少なくとも今現在は、似合っていないと評される格好をしているわけだが。心なしか、普段よりも隣で歩く恋人との距離が空いている気がする。
「先輩、遠くないっスか?」
「一緒になって笑いものになるのはゴメンだ」
ひでぇ。辛辣な恋人に水森は恨めしそうに言葉をかけた。
「いっそ、ドラゴンの着ぐるみとか着たら、かわいいですか?」
水森としては、情報が少ないながら真面目に恋人の好みに合わせようとした結果だったが、再び冷ややかな目で見られてしまう。
「馬鹿かお前。お前にとって精巧な人間の着ぐるみ着ているようなもんだからな。かわいいじゃなくて気持ち悪いだろ、そんな奴」
「あー……、確かに」
「ほら、着いたぞ。真面目に選べよ」
仕事の先輩として諭されてしまえば、話はここまでだ。水森はすっきりしない気持ちを抱えながら、馬喰の部屋のドアをノックした。
「なんや、水森くん、砂も連れて来たんやな」
「はぁ、課長に言われて」
部屋で待ち構えていた馬喰は二人の姿を見て、楽しげに目を細めている。あ、これはいらん方向にからかわれるな。水森は嫌な予感がして身構えた。
「砂ぁ、恋人、かわいーやろ?」
二人の交際は、馬喰も承知している。交際を始める前のすったもんだで社内で盛大に追いかけっこをしたので、割と有名な話になってしまった。先日、遠く離れた国にいるサニーから『Congratulations!』とだけメールが来て水森は頭を抱えた。どこまで話が広がっているんだ。
「いや、馬喰さん。服はいいけど、似合ってないっスね」
「えー、砂の好みじゃないんか。じゃあ、どんなんがいい?ミニスカポリスとかも素材あんで」
なんであるんだよ。水森は心の中で突っ込んだ。馬喰は、からかいの対象を砂噛に定めたのか、にやにやと笑いながら質問を続けている。
「セクシー系とキュート系、どっちがええ?」
「勘弁してくださいって。課長からも言われてるんで、地味な格好入れてやってください」
砂噛は困ったように笑いながら、質問をかわした。穂村の名前を出したことで、馬喰の勢いは失速する。なんだかんだ、課長の存在は効果的だ。
「リンリンが言うならしゃーない。いい加減真面目にやらんと怒られるな」
馬喰はあっさりと自身のデバイスを操作した。水森が先ほどまで感じていた足下のスースーする違和感が消え、代わりにジーンズの硬い感触が現れる。
「これが『大学デビューで髪色明るくしてみたけど、いまいち服装が決まらない学生風』な」
「え、え?」
戸惑う水森を無視して、馬喰はもう一度帽子の鍔に手をかける。先ほどとは違い、水森の下半身はチノパンに覆われた。目元に違和感を感じ手をやると硬い感触があり、メガネをつけていると理解できた。
「そんでこっちが『程よく真面目そうな見た目で、実はサークルの女子食い散らかしている大学生風』」
「さっきから、ろくでもない設定ばっかり盛られているの何なんですか!?」
「えーでも、こーゆー学生多いで。量産型や」
そう言われて、水森は先ほどから出しっぱなしの姿見を見た。確かに街中でよく見る学生、といった風貌に仕上がっており、唸ってしまう。設定は変だが、街に溶け込むには良さそうだ。
「砂はどっちがタイプ?」
「仕事なんで、オレからはノーコメントで」
何やら気になる会話が背後でなされているが、入るわけにもいかず、水森は自分の服装をチェックする。先ほどのジーパンよりも、チノパンの方が動きやすい。メガネを掛けるというのも、変装という目的には合っていそうだ。
「馬喰さん、こっちのメガネの方がいいっス」
「了解、女食い散らかしてる方なー」
だから、その例えはなんなんだ。水森の心の声は馬喰に当然届かない。水森のピアスをチャカチャカといじると「出来たで」とすぐに返される。
「メイドさんも、おまけで入れといたで!」
「いらないです!」
ぐっとサムズアップした馬喰に、水森は叫んだ。結局、最後まで遊ばれていた気がする。
水森はぐったりとした疲労感を感じた。
「今回の案件ですが、平たく言えば浮気調査です」
「そんな探偵みたいなことするスか?」
水森の疑問に、他の二人は目を逸らしている。穂村は頷くと、説明を続けた。
「普通はしません。対象が問題なんです。タレコミをしてきたのが、とある星の大使の妻です」
「大使……」
「地球にもいるだろ、他の国の大使。あれと同じようなもんだ」
言いながら、砂噛の声は震えている。相変わらず水森とは目を合わせてくれない。
「当然、機密情報も多く握っています。その大使がどうやらハニートラップを仕掛けられて、情報を流しているらしい、です」
ハニトラって。大使と言っても誘惑には勝てないということだろうか。神妙な顔をしている水森の前で、鉄は目を伏せて肩を震わせている。
「漏れた情報が元で、日本の、ひいては地球の不利益になった場合には、COSMOSの外賠責が適用され、それなりの金額が支払われます」
穂村はそれなりと言うが、きっと億単位なのだろう。自然と緊張感が高まる。いつもよりも涼しい足を交差させ、水森は身震いした。
「さて、肝心の浮気相手ですが、どうやらこの店の店員のようです」
穂村が指し示したページまで、資料を捲る。そこには前ページまでの内容とは打って変わって、ポップな色使いの店内写真と緊張感を削ぐような字面が並んでいた。
「『男の娘カフェ♡ぴゅあどりーむ』って……」
男の娘、の箇所で先輩二人が水森を見たがすぐに目を逸らした。なんだ、さっきから。言いたいことがあるなら言ってくれ。水森は仏頂面で資料を読み進めた。
「大使はこの店で働く、女装した男性、通称男の娘、と浮気をしているらしいです」
「え、大使って奥さんいるんスよね?」
「どっちもイケるんでしょ」
鉄が吐き捨てるように言った。父親のことがあるからか、彼女は浮気者に対して厳しい。
「私たちの仕事は、大使が情報を漏らしている証拠集めと、浮気相手が外星人の場合、その身柄の確保、の二点です」
穂村はここまで言って、資料を置いた。要点は伝え終えた、と言うことだろう。ちらりと水森に目をやると、首を傾げながら普段と変わらない声で言った。
「水森さん、メイドの格好までして気合いをいれてもらったところ申し訳ないですが、今回は潜入の予定はないですよ」
穂村がようやく、水森の服装に言及した。それが合図のように、砂噛と鉄が吹き出す。真剣なミーティングの場で二人とも我慢をしていたが限界だったようで、タガが外れたようにげらげらと笑っている。
「そんな理由で着てる訳じゃないっス!!」
水森は羞恥と怒りで真っ赤になった。
水森かなぜメイド服を着ているのか。そもそもの発端は穂村の指示にある。
仕事の幅も増えてきたし、MESの換装を増やしてくるように言われたのだ。調査員とばれるとややこしい場面もあるから、なるべく地味な格好を一つ入れろ、とのことだ。馬喰には話を通してある、と言われてミーティング前の空き時間に彼女のいる部屋を訪ねた。
それからみっちり三十分、水森は馬喰のおもちゃにされていた。
「ぎゃははは!水森くん、女装似合わへんなー」
「だから、もう少しまともな格好にしてくださいって!」
何の格好がええかなー、なんていいながら、馬喰のデバイス操作で水森の服装は一瞬で変わる。強制的な着せ替え人形である。
「イケメンさんやし、肩幅もある、足もがっしりしてるとなると、なかなか厳しいなー女装」
「あの、マジでなんで女装?」
水森の言葉を無視して、馬喰はまたデバイスを操作する。水森が足元を見ると、先ほどまで着せられていたセーラー服から、長くて重めのスカートに服装が変わったのが分かった。
「お、なかなかええやん。足元隠れるし、エプロンのフリルで肩幅カバーできるし」
「え、何の格好ですか?」
「メイドさん、クラシカルな方」
なかなかかわいいなぁ、と言われる。そう言われると、女装には興味がないものの、水森も自分の格好が気になってきた。見たい、と素直に言うと部屋の隅から馬喰は姿見を引っ張ってきてくれる。MESでの換装の調整に使うのかもしれない。
「どう、かわいーやろ?」
水森はまじまじと、自分の姿を眺めた。確かに馬喰の言う通り、長めのスカートは足を覆い、一目で男性とわかるがっしりとしたふくらはぎを隠している。たっぷりとした布で作られたワンピースは、自分の動きに合わせて緩やかに波打つ。触ってみると厚手の布の感触があり、高そう、と庶民的な感想を抱いた。黒いワンピースを覆うのは、フリルの付いた白いエプロンだ。大ぶりのフリルが付いているが、くどくなく、全体的にシックで可愛らしい服だ。
そう、服はかわいい。
「いや、これ、オレの顔まんまじゃないっスか!」
「せやで、化粧とかは自分でしてな」
かわいらしい服に自分のいつも通りの顔が乗っている、と言うのは違和感があった。いや、頭にはメイドがよくつけている白いフリルのカチューシャが付いているが。それだけではとてもじゃないが女の子には見えない。
「似合うと思うけどなー」
馬喰さん、激務で感覚やられてんのか?水森は真剣に心配になった。どう見ても似合ってないし、かわいくない。
「と、とにかく、この格好、使い道ないんで、他のにしてください」
「うーん、あとなんか女装あったっけな」
「女装から離れて!なんか地味なやつにしてください!」
このままではメイドにされてしまう。そう危惧した水森が強めに抗議をしていると、馬喰の携帯が鳴った。「ちょっと出るなー」と宣言し、通話を始めた馬喰を水森は待つしかなかった。
電話は短かったものの、馬喰の表情が固くなっていくのを見て、水森は嫌な予感がした。案の定、電話が終わると、「悪い、緊急案件や。三十分後にもう一回来てな」と部屋から追い出されてしまう。
「えー……」
水森は部屋の前で途方に暮れた。三十分後と言われても、その時間までに課のミーティングにでなくてはならない。それこそ、五分後には始まる。
仕方ない。腹を括って、水森はミーティングスペースへと向かった。慣れないワンピースに苦戦しながら。
砂噛と鉄は笑っていたが、穂村は全く笑わなかった。ただ淡々と「かわいらしくていいと思いますが、変装には向かないので変更して来てください」と指示されてしまう。もとよりそのつもりだったので、さっさと部屋を出ようとすると、「砂噛も連れて行きなさい」と背中に声をかけられた。
「え、なんでっスか?」
「お前一人じゃ、また遊ばれて終わりだろ」
立ち上がって水森のほうに向かって来る砂噛は、まだ笑いが収まらないのか、少し口角が上がっている。その態度にむっとしたが、一人では確かに馬喰のペースに飲まれそうだ。
「じゃあ、お願いします」
水森は素直に頼んで、部屋を出た。
「しかし、お前その格好似合わねーな」
廊下で二人になると、改めて笑われて水森は閉口した。そんなこと、自分でよく分かっている。
「分かってますよ。つーか、先輩はこういうの興味ないんスか?」
水森はその場でくるりと一回転して見せた。ふわりとスカートが風をはらんで膨らむ。動作だけみれば優雅で女性らしいものだが、裾から覗く脚は男性の太さである。砂噛は冷めた目でその様子を見ていた。
「ねぇよ」
「えー、せっかく恋人がかわいい服着てんのに」
分かってはいたが、あんまりにも愛想のない答えに、水森は拗ねた。「ほら行くぞ」とさっさと歩き出した砂噛に追いつくと、ささくれ立つ気持ちをそのままに、砂噛に絡んだ。その恋人は、呆れたようにため息をつくと足を止めずに答えた。
「いや、本当に、似合ってないからな」
その言葉に、少しだけ胸が痛む。似合っていないのは事実だし、女装したい、かわいくなりたい、という願望があるわけではない。けれども、先ほど水森自身が言った通り、二人は恋人同士である。なんか、もっとこう、気遣いとかあってもいいのではないか。
そういえば、と水森は気がついた。オレ、先輩に外見を褒められたことない。
水森は自身の見た目が悪くないことを自覚している。後輩女子に告白されたこともあるし、体育祭などイベントでは知らない女子から歓声が飛ぶ。だが、そういった外観の良さは砂噛に通じてない気がする。
同性ゆえの感覚かとも思うが、水森自身は砂噛の見た目を素直にかっこいいと思っているし、それを口にしている。好きなところを三つ挙げろと言われれば、顔がランクインするくらいには、見ていて飽きない。
砂噛はどうなのだろう。水森の中で急に不安が募っていく。性格とか雰囲気とか、そういった面を好かれているのは分かっている。好意もちゃんと感じている。けれど、隣に並ぶにあたって、見た目も好いて欲しいと思ってしまう。
少なくとも今現在は、似合っていないと評される格好をしているわけだが。心なしか、普段よりも隣で歩く恋人との距離が空いている気がする。
「先輩、遠くないっスか?」
「一緒になって笑いものになるのはゴメンだ」
ひでぇ。辛辣な恋人に水森は恨めしそうに言葉をかけた。
「いっそ、ドラゴンの着ぐるみとか着たら、かわいいですか?」
水森としては、情報が少ないながら真面目に恋人の好みに合わせようとした結果だったが、再び冷ややかな目で見られてしまう。
「馬鹿かお前。お前にとって精巧な人間の着ぐるみ着ているようなもんだからな。かわいいじゃなくて気持ち悪いだろ、そんな奴」
「あー……、確かに」
「ほら、着いたぞ。真面目に選べよ」
仕事の先輩として諭されてしまえば、話はここまでだ。水森はすっきりしない気持ちを抱えながら、馬喰の部屋のドアをノックした。
「なんや、水森くん、砂も連れて来たんやな」
「はぁ、課長に言われて」
部屋で待ち構えていた馬喰は二人の姿を見て、楽しげに目を細めている。あ、これはいらん方向にからかわれるな。水森は嫌な予感がして身構えた。
「砂ぁ、恋人、かわいーやろ?」
二人の交際は、馬喰も承知している。交際を始める前のすったもんだで社内で盛大に追いかけっこをしたので、割と有名な話になってしまった。先日、遠く離れた国にいるサニーから『Congratulations!』とだけメールが来て水森は頭を抱えた。どこまで話が広がっているんだ。
「いや、馬喰さん。服はいいけど、似合ってないっスね」
「えー、砂の好みじゃないんか。じゃあ、どんなんがいい?ミニスカポリスとかも素材あんで」
なんであるんだよ。水森は心の中で突っ込んだ。馬喰は、からかいの対象を砂噛に定めたのか、にやにやと笑いながら質問を続けている。
「セクシー系とキュート系、どっちがええ?」
「勘弁してくださいって。課長からも言われてるんで、地味な格好入れてやってください」
砂噛は困ったように笑いながら、質問をかわした。穂村の名前を出したことで、馬喰の勢いは失速する。なんだかんだ、課長の存在は効果的だ。
「リンリンが言うならしゃーない。いい加減真面目にやらんと怒られるな」
馬喰はあっさりと自身のデバイスを操作した。水森が先ほどまで感じていた足下のスースーする違和感が消え、代わりにジーンズの硬い感触が現れる。
「これが『大学デビューで髪色明るくしてみたけど、いまいち服装が決まらない学生風』な」
「え、え?」
戸惑う水森を無視して、馬喰はもう一度帽子の鍔に手をかける。先ほどとは違い、水森の下半身はチノパンに覆われた。目元に違和感を感じ手をやると硬い感触があり、メガネをつけていると理解できた。
「そんでこっちが『程よく真面目そうな見た目で、実はサークルの女子食い散らかしている大学生風』」
「さっきから、ろくでもない設定ばっかり盛られているの何なんですか!?」
「えーでも、こーゆー学生多いで。量産型や」
そう言われて、水森は先ほどから出しっぱなしの姿見を見た。確かに街中でよく見る学生、といった風貌に仕上がっており、唸ってしまう。設定は変だが、街に溶け込むには良さそうだ。
「砂はどっちがタイプ?」
「仕事なんで、オレからはノーコメントで」
何やら気になる会話が背後でなされているが、入るわけにもいかず、水森は自分の服装をチェックする。先ほどのジーパンよりも、チノパンの方が動きやすい。メガネを掛けるというのも、変装という目的には合っていそうだ。
「馬喰さん、こっちのメガネの方がいいっス」
「了解、女食い散らかしてる方なー」
だから、その例えはなんなんだ。水森の心の声は馬喰に当然届かない。水森のピアスをチャカチャカといじると「出来たで」とすぐに返される。
「メイドさんも、おまけで入れといたで!」
「いらないです!」
ぐっとサムズアップした馬喰に、水森は叫んだ。結局、最後まで遊ばれていた気がする。
水森はぐったりとした疲労感を感じた。
