次のステップに進む方法

 砂噛の家は、低層のマンションの一室だった。ごくごく一般的な間取りで「もっと小洒落たところ住んでると思っていました」というと、オレを何だと思っていると、呆れたように返された。
 途中で買ったアイスを、とりあえず食べようとローテーブルに座る。道中体温が上がったので、コンビニに寄った時に買ってもらった。この寒いのに、と馬鹿にしていた癖にちゃっかり砂噛も自分の分を買っている。
「先輩、何味スか?」
「キャラメル。めちゃくちゃ甘い」
 水森は自分のバニラアイスをつつきながら、このゆったりとした雰囲気に満足していた。慣れない場所に来たことで緊張は残るものの、恋人との平和な一時というのは彼の心を穏やかにさせた。片思いの時は、不安感や罪悪感が強く、地獄とすら思ったこの恋が、まさかこんな形になるなんて。夢見心地で甘いバニラを口に運ぶ。
「ところで、今日は家で何するんですか?」
 まさかアイスを食べて終わりではないだろう。水森の言葉に砂噛はスプーンを運ぶ手を止めた。軽い気持ちで聞いた疑問だったが、こちらを見つめる砂噛の目があまりにも真剣で、水森は身構えた。何か、楽しくないことを言われる気がする。
「会社では、できない話をしたくて呼んだ」
「話……?」
 首を傾げる水森に、砂噛はゆっくりと話した。
「しばらく、お前にはキスしない」


「は……?」
 水森は頭の中が真っ白になった。言っていることが理解できなかった。
 遠回しな別れ話をされている?さっきあんな欲みせたのに。なんで、どうして。頭に浮かんでは消えていく言葉たちは、水森の口から出ることはない。黙ってしまった後輩に、砂噛はさらに続ける。
「その……お前との始まりは割と強引だったと反省している」
 何をいまさら。便乗して文句を言ってやりたかったが、MESを使った制御や会社での鬼ごっこなど、自分の行動も大概だったので黙っていた。
「キスも……勝手にして悪かった」
 気にして、いたのか。
 水森は絶句した。好き勝手に人の唇を奪っていくものだから、気にしていないと思っていた。強引だと思っていた恋人は、案外繊細なようだった。
 戸惑う反応がかわいくて、と言う時の砂噛の表情は、怒っているように見えた。眉も寄せられているし、口元も嫌そうに歪められている。この人、好意を伝えるの、照れくさいんだな。水森はようやく理解した。
「えっと、それでなんでキスしないことになるんですか?」
 先ほどまでの言葉で、砂噛からの好意を強く感じた。気を遣われて、優しく扱ってくれている気がする。だが、それがどうやったら『キスしない』に繋がるのか分からなかった。
「強引に進めすぎたと思ってる。お前が交際に対して、納得するまで関係は進めないようにしたい」
 神妙に語られた理由は、水森を気遣うもので、やっぱりこの人優しいよな、と感じた。わかりにくいけど。
「もしかして、今までデートしなかったのもそれが理由ですか」
「……」
 気まずそうに目を逸らされた。水森に嘘は通じない。これは肯定だ。わかりにくいにもほどがある。逆にこっちは悩んでたんだぞ、と文句を言いたかった。だが、最初は交際することに戸惑っていたのも事実だ。
 水森は小さくため息をついた。


 気まずい沈黙が流れる中、お前、コーヒー飲む?と砂噛は立ち上がった。どうやらここで話は終わりらしい。
「飲みます」
 座って待っているのも気まずいので、水森は砂噛についてキッチンに向かう。コーヒーメーカーが動くのを見ながら、先ほどの話を蒸し返した。
「しばらくしないって、いつまでですか?」
「お前が、付き合うことに腹落ちするまで」
「……何したら腹落ちしたって判断するんスか?」
 あいまいな基準が嫌で食い下がる。砂噛はちらりとこちらを見ると、鼻で笑った。
「お前が自分からキスしてきたら、簡単に判断できるし、次に進めるな」
 できないだろ?と言外に言われている。
 水森はイラっとした。こちらの気持ちを尊重する、という態度は嬉しい。実際に、付き合うなんて考えたことがなく、性的な接触なんて具体的に想像したこともなかった。だから、付き合うことに対して戸惑いがあったし、キスされるといまだに照れてしまう。
 だが、尊重するなら、オレの意見聞けよ、と水森は思うのだ。砂噛がただの先輩ではなく、恋人になったことを嬉しく思っている。キスされると、ドキドキの後に多幸感が広がる。その先だって、ちょっと期待すらしているのに。
「ふーん」
 拗ねたような返事をしながら、水森は考えた。
 自分と砂噛の身長は、頭ひとつ分も変わらない。ちょっと背伸びすれば、簡単に目線を合わせられる。こっちを向かせて、肩に手を置いて、狙いをつければ問題ないな。
「砂噛先輩」
 名前を呼ぶ。わかりにくいが優しい恋人は、狙い通りきちんとこちらを向き直ってくれる。では、判断してもらおうじゃないか。
 水森は狙いを定めて恋人の唇を奪った。
 

 時間にして数秒だったが、確かに水森は砂噛にキスをした。浮かせていた踵を床に戻すと、恋人の呆けた顔がよく見えた。
「で、次に進むんでしたっけ?」
 鼻で笑って言ってやる。
 砂噛は苦虫を噛み潰したような表情をした。先ほどのように照れているのか、それとも小馬鹿にしたような態度が癪だったのか。多分両方だろう。
 水森にしてみれば、今までの仕返しと、こちらを無視した気遣いへの反論のつもりだった。あとは、できないと決めつけられたことに対する腹いせもあった。
「……気を遣う必要ないってことでいいか?」
 常よりも低い声で尋ねられて、水森はびくりと肩を揺らした。こちらを見つめる砂噛の目には剣呑なものがある。なかなかの迫力に怯みそうになるが、それでも水森は頷いた。
「そうか、なら進んでいいよな」
 砂噛の手が、水森の後頭部に回る。あ、と思うまもなく唇に柔らかいものが触れる。角度を変えながら繰り返される行為に、心臓はどんどん鼓動を早くしていった。
 ドキドキする。ただ、今まで通りのキスだ。水森は少し安心して肩の力を抜いた。慣れてくると、脳の奥が痺れるような多幸感を感じる。唇を離されたときは、もう終わりなのかと名残り惜しくなってしまった。
 そのまま離れていってしまうのか、と思っていたら、再び唇に刺激を感じる。今度は先ほどよりも、硬いものが当たっている。
 下唇を軽くだが噛まれている。水森はそれ気づいたとき驚いて口を開けてしまった。その隙を狙ったように、恋人は舌を差し込んでくる。上顎のなぞられる感覚がすこしこそばゆい。
 予想していなかった展開に、目を白黒させていると、砂噛の舌は好き勝手に動く。水森の舌を捉えると、そのまま絡めるようにゆっくり動いていく。微かにキャラメルの甘さを感じ、先ほど砂噛が食べていたアイスだ、と水森は思い至った。そこまで考えて、堪らなくなってしまった。
 離れようにも後頭部は固定されている。動きを合わせようとしても圧倒的に経験が足りず、どうすればいいかわからない。結局水森にできたのは、すがりつくように恋人の服を掴むことだけだった。
 先ほどまでのキスで感じた、じんわりするような幸せな気持ちは消え、代わりに目が回るような感覚に陥る。くらくらしながら、それでも気持ち良い気がして、そう思ってしまうことが恥ずかしかった。
「ん……」
 鼻から抜けるように、声が出る。羞恥に身を震わせていると、ようやく舌が引き抜かれた。ぼんやりと見つめた砂噛の目は、楽しそうに細められている。
「いつか、こっちもお前からしてくれよ」
 そう言って、再び合わせられた唇を水森は受け入れることしかできない。無茶言うなよ、と思いながら。
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