太陽の少年
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10.決壊
「とりあえず、全部OKよ」
時計を見ると、時間は20時を回っていた。千堂はぐったりと寝っ転がり、「もうアカン」とうなだれている。
とりあえず、追試分の問題は一通り解き終わった。あとは、1週間後に控える本番までに、何度も問題を解いて頭に叩き込めばいい。
「じゃ、私は帰るね」
「送ったるわ」
「いいよ」
「もう夜も遅いしな。気にすなや」
立て付けの悪い引き戸をガタガタと揺らしながら、千堂が廊下に出る。
先ほど入ってきた店側の玄関は既に閉まっているので、二人は靴を持って裏口へ回った。
そして千堂は古びた自転車を持ち出し、奈々に後ろに座るように促した。
「う~、寒っ」
千堂が首をすぼめながら、ギコギコと音の鳴る自転車を漕いでいる。
もう11月も末。日に日に寒さが強くなって来た。
奈々は後ろで、チラチラと時計を気にしている。
もう、父親も帰って来ているかもしれない。
二人は何を食べたのだろうと、それが頭から離れないのだ。
20分ほど行ったところで、奈々の住むマンションが見えてきた。
玄関の前まで来て、てっきり千堂がここで引き返すのかと思いきや、どうやら玄関を開けるまで帰る気配がない。
奈々は観念して、鍵を回して玄関を開けた。
「ただいま」
部屋の中からは返事が無い。
電気は付いていないが、うすぼんやりとした明かりが漏れている。
ガチャリとリビングに続くドアを開けると、弟が寝そべってテレビゲームをしているのが目に入った。
「ねーちゃん、遅いよ」
「ごめんごめん。夜、何食べた?」
「ポテトチップ」
「・・・ちょっと、夕飯にそれは無いでしょ?」
そんな会話を繰り広げている間に、ドシドシと音が近づいてくるのが分かった。
ふっと振り返ると、玄関先に立っていたはずの千堂が、靴を脱いで上がり込んでいる。
「ちょ、ちょっと千堂くん!?」
「・・・こっのクソガキ!!お前、ねーちゃんナメてんのか!!!」
家庭内にあるはずのないコテコテの大阪弁でいきなり怒鳴られ、弟はハッと振り返った。
「ね、ねーちゃん、だ、誰この・・・」
「誰とかそんなん関係あるかい!!男のくせに情けないのォ!お前はねーちゃんがおらんと何にも出来ないんか!なぁ!!なんやその態度!?ねーちゃんは勉強教えて疲れて帰ってきてんねんぞ!?なーに悠長にゲームなぞしとんねん!?アホか!?」
滝のように流れる怒号に、弟はただ固まっている。
「メシ作って待ってろとは言わん、せめて自分の世話くらいちゃんとせぇ!!一人じゃなんもできんと、偉そうな口叩くなや!!しばらくねーちゃんは返さんからな!!」
そこまで言いきると、千堂は奈々の手を握り、引っ張るようにして玄関に戻って行く。
「え!?ちょ、ちょっと千堂くん!?」
「ウチ帰るで!!」
「いや、ここ、私の家・・・」
「知らん!!」
バタン、と豪快にドアを閉めてマンションを出ると、千堂は無理矢理に奈々を自転車に乗せ、来るときよりもさらに早いスピードで自転車を漕ぎ始めた。
「千堂くん、ちょっと!どういうこと!?」
「帰らんでええ、あんな家!」
「何言ってるのよ?降ろしてよ!」
「嫌や!!」
あまりのスピードに振り落とされないように、奈々はしっかりと千堂を掴んだ。
背中から発せられる熱と、千堂の白い息が空気に溶けて行く。
突然起きた出来事に、奈々は動揺を隠せない。
しかし強引すぎる千堂の前では、何もすることが出来なかった。
がしゃん、と乱暴に自転車を置いて、再び奈々の手を取り自宅にあがる。
「座れ」
ほぼ命令口調で言われ、奈々は静かに腰を下ろした。
千堂は乱暴に上着を脱いでその辺に放り投げ、バン!とちゃぶ台を叩くようにしながら、奈々の目の前に座った。
「あの、千堂く・・」
「何やねん、お前の家」
二人はほぼ同時に声を発した。
「わ、私の家が何よ?」
「最悪やで。もう帰る必要あらへん、あんなとこ」
千堂があからさまに嫌な顔をしながら言った。
家庭をバカにされて、奈々も黙っては居られない。
「何が最悪なのよ?バカにしないでよ」
「あれがアホに見えんっちゅーなら、お前も相当なアホや!」
「どういう意味よ!?」
互いにヒートアップし、額が付きそうなほどに頭を突き出してにらみ合う。
「腐った根性しおって、あのガキ。お前にも原因があんねんぞ!なんや、必要とされてればそれでええんか!?弟の将来とか、何にも考えてないやろ!?何がしたいねん!甘やかしたままで、救われとるのはお前だけやないか!」
「そ、そんなこと考えたことないわよ!」
「そーやろな、そんだけ気ィ紛らわしとったらなぁ!お前のしてることは単なるオナニーや!くっだらな!自分のこと何にも見えてないやんけ!」
千堂のセリフのひとつひとつが、心に楔を打つように響く。
考えたことも無かったこと、というより、考えないようにしていたこと。
ずっと閉じていた部分を、無理矢理こじ開けられたような気分だった。
何か言い返したい気持ちはあっても、何も言い返せなかった。
樹皮がはがれ落ちるように、心の何かがひとつずつ剥げていく気がする。
そんな姿は誰にも見られたくない、誰にも。
「・・・・人の家庭に入り込まないでよ」
強がって奈々が言うと、千堂はふっと手のひらを奈々の頭にのせ、ゆっくり撫で始めた。
「ワイかて、おとんとおかんがおらんで、ごっつ寂しかったことくらいあるわい」
さっきまでの怒りはどこへやら、といったような優しい口調で続ける。
「そんときな、バァちゃんがこーやって撫でてくれてん」
そのセリフを聞いた途端だった。
こじ開けられないように、頑に閉じていた扉が、一気に開いた気がした。
パラパラと破片が落ちるように、隠していた気持ちが露になっていく。
ポタ、と音がした。
手の甲に冷たいしずくが落ちた。
奈々は、自分でも信じられないくらい、大粒の涙を流していた。
それを見た千堂は、奈々の頭を抱えるように抱きしめて、笑った。
「我慢せんでええ、泣け」
防波堤が決壊したように、涙があふれた。
奈々は千堂の肩に口を宛て、声を殺すようにして泣いた。
後ろに回した手で千堂のTシャツをグッと掴む。
嗚咽の度に、千堂は奈々の背中を優しくさすった。
本当は、誰かにこうやって甘えて泣きたかった。
でも、父さんも弟も、自分よりずっと辛そうに見えたから。
自分が泣くわけには行かなかった。
そうやって二人が自分を必要としてくれる限り、泣く暇なんて無かったから。
自分を必要としてくれる限り、泣く場所が無いことを気にしなくてよかったから。
そして風化して行った心の傷。
父さんも弟も、直らない傷に絆創膏を貼るように、私に甘えることで全てをごまかしていたんだ。
「とりあえず、風呂でも入ってゆっくりせぇ」
千堂はニカッと笑って、風呂場の方へ歩いて行った。
愉快そうな鼻歌が聞こえてくる。
強いって何?
自分のセリフが、ふっと頭を駆け巡った。
拳なんか使わなくても、彼はこんなに強いのに。
どうして、それを知らないんだろう。
そう言いたい気持ちを、奈々はグッと堪えた。
「とりあえず、全部OKよ」
時計を見ると、時間は20時を回っていた。千堂はぐったりと寝っ転がり、「もうアカン」とうなだれている。
とりあえず、追試分の問題は一通り解き終わった。あとは、1週間後に控える本番までに、何度も問題を解いて頭に叩き込めばいい。
「じゃ、私は帰るね」
「送ったるわ」
「いいよ」
「もう夜も遅いしな。気にすなや」
立て付けの悪い引き戸をガタガタと揺らしながら、千堂が廊下に出る。
先ほど入ってきた店側の玄関は既に閉まっているので、二人は靴を持って裏口へ回った。
そして千堂は古びた自転車を持ち出し、奈々に後ろに座るように促した。
「う~、寒っ」
千堂が首をすぼめながら、ギコギコと音の鳴る自転車を漕いでいる。
もう11月も末。日に日に寒さが強くなって来た。
奈々は後ろで、チラチラと時計を気にしている。
もう、父親も帰って来ているかもしれない。
二人は何を食べたのだろうと、それが頭から離れないのだ。
20分ほど行ったところで、奈々の住むマンションが見えてきた。
玄関の前まで来て、てっきり千堂がここで引き返すのかと思いきや、どうやら玄関を開けるまで帰る気配がない。
奈々は観念して、鍵を回して玄関を開けた。
「ただいま」
部屋の中からは返事が無い。
電気は付いていないが、うすぼんやりとした明かりが漏れている。
ガチャリとリビングに続くドアを開けると、弟が寝そべってテレビゲームをしているのが目に入った。
「ねーちゃん、遅いよ」
「ごめんごめん。夜、何食べた?」
「ポテトチップ」
「・・・ちょっと、夕飯にそれは無いでしょ?」
そんな会話を繰り広げている間に、ドシドシと音が近づいてくるのが分かった。
ふっと振り返ると、玄関先に立っていたはずの千堂が、靴を脱いで上がり込んでいる。
「ちょ、ちょっと千堂くん!?」
「・・・こっのクソガキ!!お前、ねーちゃんナメてんのか!!!」
家庭内にあるはずのないコテコテの大阪弁でいきなり怒鳴られ、弟はハッと振り返った。
「ね、ねーちゃん、だ、誰この・・・」
「誰とかそんなん関係あるかい!!男のくせに情けないのォ!お前はねーちゃんがおらんと何にも出来ないんか!なぁ!!なんやその態度!?ねーちゃんは勉強教えて疲れて帰ってきてんねんぞ!?なーに悠長にゲームなぞしとんねん!?アホか!?」
滝のように流れる怒号に、弟はただ固まっている。
「メシ作って待ってろとは言わん、せめて自分の世話くらいちゃんとせぇ!!一人じゃなんもできんと、偉そうな口叩くなや!!しばらくねーちゃんは返さんからな!!」
そこまで言いきると、千堂は奈々の手を握り、引っ張るようにして玄関に戻って行く。
「え!?ちょ、ちょっと千堂くん!?」
「ウチ帰るで!!」
「いや、ここ、私の家・・・」
「知らん!!」
バタン、と豪快にドアを閉めてマンションを出ると、千堂は無理矢理に奈々を自転車に乗せ、来るときよりもさらに早いスピードで自転車を漕ぎ始めた。
「千堂くん、ちょっと!どういうこと!?」
「帰らんでええ、あんな家!」
「何言ってるのよ?降ろしてよ!」
「嫌や!!」
あまりのスピードに振り落とされないように、奈々はしっかりと千堂を掴んだ。
背中から発せられる熱と、千堂の白い息が空気に溶けて行く。
突然起きた出来事に、奈々は動揺を隠せない。
しかし強引すぎる千堂の前では、何もすることが出来なかった。
がしゃん、と乱暴に自転車を置いて、再び奈々の手を取り自宅にあがる。
「座れ」
ほぼ命令口調で言われ、奈々は静かに腰を下ろした。
千堂は乱暴に上着を脱いでその辺に放り投げ、バン!とちゃぶ台を叩くようにしながら、奈々の目の前に座った。
「あの、千堂く・・」
「何やねん、お前の家」
二人はほぼ同時に声を発した。
「わ、私の家が何よ?」
「最悪やで。もう帰る必要あらへん、あんなとこ」
千堂があからさまに嫌な顔をしながら言った。
家庭をバカにされて、奈々も黙っては居られない。
「何が最悪なのよ?バカにしないでよ」
「あれがアホに見えんっちゅーなら、お前も相当なアホや!」
「どういう意味よ!?」
互いにヒートアップし、額が付きそうなほどに頭を突き出してにらみ合う。
「腐った根性しおって、あのガキ。お前にも原因があんねんぞ!なんや、必要とされてればそれでええんか!?弟の将来とか、何にも考えてないやろ!?何がしたいねん!甘やかしたままで、救われとるのはお前だけやないか!」
「そ、そんなこと考えたことないわよ!」
「そーやろな、そんだけ気ィ紛らわしとったらなぁ!お前のしてることは単なるオナニーや!くっだらな!自分のこと何にも見えてないやんけ!」
千堂のセリフのひとつひとつが、心に楔を打つように響く。
考えたことも無かったこと、というより、考えないようにしていたこと。
ずっと閉じていた部分を、無理矢理こじ開けられたような気分だった。
何か言い返したい気持ちはあっても、何も言い返せなかった。
樹皮がはがれ落ちるように、心の何かがひとつずつ剥げていく気がする。
そんな姿は誰にも見られたくない、誰にも。
「・・・・人の家庭に入り込まないでよ」
強がって奈々が言うと、千堂はふっと手のひらを奈々の頭にのせ、ゆっくり撫で始めた。
「ワイかて、おとんとおかんがおらんで、ごっつ寂しかったことくらいあるわい」
さっきまでの怒りはどこへやら、といったような優しい口調で続ける。
「そんときな、バァちゃんがこーやって撫でてくれてん」
そのセリフを聞いた途端だった。
こじ開けられないように、頑に閉じていた扉が、一気に開いた気がした。
パラパラと破片が落ちるように、隠していた気持ちが露になっていく。
ポタ、と音がした。
手の甲に冷たいしずくが落ちた。
奈々は、自分でも信じられないくらい、大粒の涙を流していた。
それを見た千堂は、奈々の頭を抱えるように抱きしめて、笑った。
「我慢せんでええ、泣け」
防波堤が決壊したように、涙があふれた。
奈々は千堂の肩に口を宛て、声を殺すようにして泣いた。
後ろに回した手で千堂のTシャツをグッと掴む。
嗚咽の度に、千堂は奈々の背中を優しくさすった。
本当は、誰かにこうやって甘えて泣きたかった。
でも、父さんも弟も、自分よりずっと辛そうに見えたから。
自分が泣くわけには行かなかった。
そうやって二人が自分を必要としてくれる限り、泣く暇なんて無かったから。
自分を必要としてくれる限り、泣く場所が無いことを気にしなくてよかったから。
そして風化して行った心の傷。
父さんも弟も、直らない傷に絆創膏を貼るように、私に甘えることで全てをごまかしていたんだ。
「とりあえず、風呂でも入ってゆっくりせぇ」
千堂はニカッと笑って、風呂場の方へ歩いて行った。
愉快そうな鼻歌が聞こえてくる。
強いって何?
自分のセリフが、ふっと頭を駆け巡った。
拳なんか使わなくても、彼はこんなに強いのに。
どうして、それを知らないんだろう。
そう言いたい気持ちを、奈々はグッと堪えた。