君の背中
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17.カチコチ
日曜日。
18時ちょうどに、インターホンが鳴った。
奈々は受話器を取って応対し、すぐに下に降りる旨を告げ、手元のバッグを持って玄関を出る。
エレベーターの重力が酷く重たく感じられた。
1階に付くと、ドアは静かに開き、その隙間から、壁に背を預けて立っている宮田の姿が見えた。
一瞥しただけで、ハンマーで叩かれたような、ものすごい衝撃を胸に感じた。
「行くか」
「えっ・・・ど、どこへ?」
「メシ」
「あ、はいっ」
再び敬語になった奈々に対し、宮田が小さく笑った。
それからふいっと軽やかに足を進め、駅の方角へと二人で歩く。
試合のことや今後のことなど、比較的差し障りの無い話題を紡ぎながら駅前へ到着。
「好きなもん、おごってやるよ」
「えっ」
「ファイトマネー入ったから」
宮田の表情は相変わらず読めない。その一方で、奈々は自分が赤面しているのがバレないかどうか必死だった。
今日、宮田が奈々を誘ったのは、どうやらファイトマネーでご飯をおごるという趣のものだったらしい。前回の電話では、そんなことは何一つ言っていなかったのに。
奈々が決めかねていると、宮田はその辺の店までさっさと歩いて行ってしまった。
「早く決めろよ」
「なによ偉そうね、年下のくせに」
「じゃあ、早く決めてください」
「・・・可愛くないわね、相変わらず」
そして、居酒屋的なチェーン店に入った。
宮田はもちろんソフトドリンク、奈々は久々の居酒屋とあってビールを頼んだ。
居酒屋という騒がしい店内が、二人の間の緊張をごまかしてくれる。
奈々は運ばれてくる焼き鳥を頬張りながら、宮田との会話を楽しんだ。
宮田は小動物のように、少しずつ少しずつ食を進めている。
奈々は思わず、この人と一緒に居たらダイエットできそう、などとくだらないことを考えてしまった。
食事中に聞いたこと。
宮田くんがボクシングを始めたきっかけとか、理由とか。
先日チケット代を渡したのは、宮田くんのお父さんだったとか。
木村さんとどういう関係なのか、とか。
試合中のこととか、チャンピオンになった感想とか。
色々聞いて、なんで宮田くんが何度も立ち上がって来たのか、その理由が分かった気がした。
ボクシングを語るとき、宮田くんは珍しく少し頬を緩め、明らかに楽しそうな顔をする。
本当にボクシングが好きなんだな、って思った。
そして私は、そんな彼を、好きになってしまったんだな、と。
奈々は自分の気持ちがバレないようにと、ごまかすようにビールを飲んだ。
もともと酒には強くない。些か頭がフラフラするものの、目の前の宮田と貴重な時間を過ごせる幸せは、何事にも代え難いものだった。
そして一通り食べて、話して。
前回のように、割と早い時間帯で、帰宅となった。
「あのね、宮田くん」
「なんだよ?」
帰り道、ずいぶんと陽気になった奈々が宮田に言う。
「渡したいものがあるんだけど」
そう言われて宮田は、おそらく今回のお祝いかなにかの類だとすぐに理解した。
だが、奈々を見る限り、手元にそれらしきものを持っているようには見えない。
次の言葉を待って黙っていると、奈々が続けて
「家も近いし、荷物になるといけないと思って、自宅に置いてあるんだよね・・・・」
ずっと喉元に引っかかっていた言葉が、酒の力を借りたせいか、勢い良く滑り出てくる。
奈々は、自分で自分を止められない領域に来ていた。
「ちょっと、ウチに来てくれる?」
家の玄関を開ける手がおぼつかない。
それほど飲んだわけではないけれど、明らかに酔っぱらってしまった。
意思とは無関係な陽気さが自分を操っているようだった。
「ちょっと待ってて」
宮田を玄関の中に待たせ、自分は靴を脱いで自宅にあがる。
そうしてリビングに置いてあった紙袋を手に取り、再び宮田の居る玄関まで戻った。
「はい、チャンピオン、おめでとうっ!」
「・・・酔っぱらってるのか?」
「酔ってないよぅ。さ、開けてみて」
奈々の言葉に促され、宮田は紙袋から箱を取り出し、包装を丁寧に開けた。
中身はトレーニングウェアとタオル、というボクサーにとって実用的な品。
「何を渡したら良いのかわからなくて・・・邪魔にならないものと思ったんだけど」
「ああ・・・サンキュ」
宮田がふっと小さく笑って、しばらくプレゼントを眺めていた。
「じゃあオレは帰るけど・・・・大丈夫か?」
酔っぱらった奈々を心配して宮田が聞くと、奈々は宮田の肩をバンバンと叩いて「大丈夫!」と答えた。
宮田が一瞬、真面目な顔をしたが、奈々はそれに答える冷静さを失っていた。
奈々はただ、ああ、宮田くんが帰るんだ、と目の前の出来事を他人事のように思っていた。
宮田が玄関のドアに手をかけようと、後ろを振り向いた瞬間だった。
奈々の目に飛び込んで来たビジョン。
あ、その背中。
その背中を、私はずっと追いかけてきたんだ。
ずっと、ずっと、見てたんだ。
そう思うと同時に、宮田の背中に抱きついていた。
「・・・・高杉・・・さん?」
「そうよ、これよ」
何をしているんだろう、と微かに自分でも疑問に思いながら、止められなかった。
「私・・・この背中を追いかけてきたの、ずっとずっと」
奈々がそういうと、宮田はハッとしたような顔を浮かべて固まった。
奈々はさらに抱きつく両手に力を込め、言った。
「この背中、大好き」
時計の針の音が響く。
あの病室みたいに、カチコチと規則正しい音だ。
奈々が背中越しに回した腕は、宮田の腹のあたりでしっかりと結ばれている。
長い沈黙のあと、宮田はその腕を両手で握った。
少し冷えた奈々の腕に、宮田の暖かい手のひらが溶けていく。
奈々の頭が背中にくっついて、宮田は自分の心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思った。
「・・・高杉さん」
宮田は静かに口を開き、
「オレ・・・」
何かを言おうとした際に、ふと、小さな音が聞こえたのに気づいた。
すぅ、すぅ、と息をするような音。
もしやと思って首を後ろに回し、かろうじて見える範囲を確認する。
それから奈々の腕をほどいて、体をやや捻るようにして見ると・・・
奈々が自分に体を預けて、寝ているのが見えた。
宮田は大きくため息をついて奈々を抱え、靴を脱いで部屋に上がり込み、ベッドへと運んだ。
自分の心臓の早さと比較して、なんとも暢気な寝息を立てる奈々を寝かせ、布団をかけてやる。
「寝るなよ、バカ」
憎まれ口を叩いてみたものの、起きる気配はない。
部屋の中は相変わらず静かで、時計の針の音は相変わらずカチコチと騒がしい。
宮田は奈々の頭を軽く撫でながら、小さな声でつぶやいた。
「背中だけかよ」
返事をしない奈々に、宮田はふうと小さなため息をつく。
それから玄関へと戻り、静かにドアを閉めた。
日曜日。
18時ちょうどに、インターホンが鳴った。
奈々は受話器を取って応対し、すぐに下に降りる旨を告げ、手元のバッグを持って玄関を出る。
エレベーターの重力が酷く重たく感じられた。
1階に付くと、ドアは静かに開き、その隙間から、壁に背を預けて立っている宮田の姿が見えた。
一瞥しただけで、ハンマーで叩かれたような、ものすごい衝撃を胸に感じた。
「行くか」
「えっ・・・ど、どこへ?」
「メシ」
「あ、はいっ」
再び敬語になった奈々に対し、宮田が小さく笑った。
それからふいっと軽やかに足を進め、駅の方角へと二人で歩く。
試合のことや今後のことなど、比較的差し障りの無い話題を紡ぎながら駅前へ到着。
「好きなもん、おごってやるよ」
「えっ」
「ファイトマネー入ったから」
宮田の表情は相変わらず読めない。その一方で、奈々は自分が赤面しているのがバレないかどうか必死だった。
今日、宮田が奈々を誘ったのは、どうやらファイトマネーでご飯をおごるという趣のものだったらしい。前回の電話では、そんなことは何一つ言っていなかったのに。
奈々が決めかねていると、宮田はその辺の店までさっさと歩いて行ってしまった。
「早く決めろよ」
「なによ偉そうね、年下のくせに」
「じゃあ、早く決めてください」
「・・・可愛くないわね、相変わらず」
そして、居酒屋的なチェーン店に入った。
宮田はもちろんソフトドリンク、奈々は久々の居酒屋とあってビールを頼んだ。
居酒屋という騒がしい店内が、二人の間の緊張をごまかしてくれる。
奈々は運ばれてくる焼き鳥を頬張りながら、宮田との会話を楽しんだ。
宮田は小動物のように、少しずつ少しずつ食を進めている。
奈々は思わず、この人と一緒に居たらダイエットできそう、などとくだらないことを考えてしまった。
食事中に聞いたこと。
宮田くんがボクシングを始めたきっかけとか、理由とか。
先日チケット代を渡したのは、宮田くんのお父さんだったとか。
木村さんとどういう関係なのか、とか。
試合中のこととか、チャンピオンになった感想とか。
色々聞いて、なんで宮田くんが何度も立ち上がって来たのか、その理由が分かった気がした。
ボクシングを語るとき、宮田くんは珍しく少し頬を緩め、明らかに楽しそうな顔をする。
本当にボクシングが好きなんだな、って思った。
そして私は、そんな彼を、好きになってしまったんだな、と。
奈々は自分の気持ちがバレないようにと、ごまかすようにビールを飲んだ。
もともと酒には強くない。些か頭がフラフラするものの、目の前の宮田と貴重な時間を過ごせる幸せは、何事にも代え難いものだった。
そして一通り食べて、話して。
前回のように、割と早い時間帯で、帰宅となった。
「あのね、宮田くん」
「なんだよ?」
帰り道、ずいぶんと陽気になった奈々が宮田に言う。
「渡したいものがあるんだけど」
そう言われて宮田は、おそらく今回のお祝いかなにかの類だとすぐに理解した。
だが、奈々を見る限り、手元にそれらしきものを持っているようには見えない。
次の言葉を待って黙っていると、奈々が続けて
「家も近いし、荷物になるといけないと思って、自宅に置いてあるんだよね・・・・」
ずっと喉元に引っかかっていた言葉が、酒の力を借りたせいか、勢い良く滑り出てくる。
奈々は、自分で自分を止められない領域に来ていた。
「ちょっと、ウチに来てくれる?」
家の玄関を開ける手がおぼつかない。
それほど飲んだわけではないけれど、明らかに酔っぱらってしまった。
意思とは無関係な陽気さが自分を操っているようだった。
「ちょっと待ってて」
宮田を玄関の中に待たせ、自分は靴を脱いで自宅にあがる。
そうしてリビングに置いてあった紙袋を手に取り、再び宮田の居る玄関まで戻った。
「はい、チャンピオン、おめでとうっ!」
「・・・酔っぱらってるのか?」
「酔ってないよぅ。さ、開けてみて」
奈々の言葉に促され、宮田は紙袋から箱を取り出し、包装を丁寧に開けた。
中身はトレーニングウェアとタオル、というボクサーにとって実用的な品。
「何を渡したら良いのかわからなくて・・・邪魔にならないものと思ったんだけど」
「ああ・・・サンキュ」
宮田がふっと小さく笑って、しばらくプレゼントを眺めていた。
「じゃあオレは帰るけど・・・・大丈夫か?」
酔っぱらった奈々を心配して宮田が聞くと、奈々は宮田の肩をバンバンと叩いて「大丈夫!」と答えた。
宮田が一瞬、真面目な顔をしたが、奈々はそれに答える冷静さを失っていた。
奈々はただ、ああ、宮田くんが帰るんだ、と目の前の出来事を他人事のように思っていた。
宮田が玄関のドアに手をかけようと、後ろを振り向いた瞬間だった。
奈々の目に飛び込んで来たビジョン。
あ、その背中。
その背中を、私はずっと追いかけてきたんだ。
ずっと、ずっと、見てたんだ。
そう思うと同時に、宮田の背中に抱きついていた。
「・・・・高杉・・・さん?」
「そうよ、これよ」
何をしているんだろう、と微かに自分でも疑問に思いながら、止められなかった。
「私・・・この背中を追いかけてきたの、ずっとずっと」
奈々がそういうと、宮田はハッとしたような顔を浮かべて固まった。
奈々はさらに抱きつく両手に力を込め、言った。
「この背中、大好き」
時計の針の音が響く。
あの病室みたいに、カチコチと規則正しい音だ。
奈々が背中越しに回した腕は、宮田の腹のあたりでしっかりと結ばれている。
長い沈黙のあと、宮田はその腕を両手で握った。
少し冷えた奈々の腕に、宮田の暖かい手のひらが溶けていく。
奈々の頭が背中にくっついて、宮田は自分の心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思った。
「・・・高杉さん」
宮田は静かに口を開き、
「オレ・・・」
何かを言おうとした際に、ふと、小さな音が聞こえたのに気づいた。
すぅ、すぅ、と息をするような音。
もしやと思って首を後ろに回し、かろうじて見える範囲を確認する。
それから奈々の腕をほどいて、体をやや捻るようにして見ると・・・
奈々が自分に体を預けて、寝ているのが見えた。
宮田は大きくため息をついて奈々を抱え、靴を脱いで部屋に上がり込み、ベッドへと運んだ。
自分の心臓の早さと比較して、なんとも暢気な寝息を立てる奈々を寝かせ、布団をかけてやる。
「寝るなよ、バカ」
憎まれ口を叩いてみたものの、起きる気配はない。
部屋の中は相変わらず静かで、時計の針の音は相変わらずカチコチと騒がしい。
宮田は奈々の頭を軽く撫でながら、小さな声でつぶやいた。
「背中だけかよ」
返事をしない奈々に、宮田はふうと小さなため息をつく。
それから玄関へと戻り、静かにドアを閉めた。