君の背中
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14.落雷
「渡したい物があるんだ」
宮田から電話があったのは、夜の21時過ぎのこと。
奈々はすぐさまマンションの玄関まで降りていった。宮田の家はここから徒歩5分ほどにある。
1階のロビーにつくと、程なく宮田の姿が現れた。
「悪いな、呼び出して」
「ううん。久しぶりだね」
「ああ」
宮田に会うのは、見舞いの時以来だった。
入院は10日ほどで済んだし、その後、宮田はバイトを休んで試合に専念しているようで、コンビニでも見かけなくなった。
久々に会う宮田は、少し疲れてそうに見えた。奈々はその様子を見て、試合が近くて練習が大変なのだろうと感じた。
「これ、渡そうと思って」
宮田は封筒を奈々に差し出して言った。奈々はそれを受け取ると覗くようにして中味を確認し、1枚の紙切れが入っているのに気づいて、そっと取り出した。
「これって、今度の試合のチケット?」
チケットには宮田一郎VSアーニー・クロコダイル・グレゴリーと、大きな文字で書いてある。
「試合、見たいって言ってただろ」
「うん・・・ありがと。ところでいくら?」
奈々がチケット代を払おうとしたところ、宮田は目を閉じて
「要らねぇよ」
「だ、だめだよそんなの!」
「いいから」
照れ隠しなのか、宮田が少し面倒くさそうに反論すると、奈々も負けじと言い返す。
「あのね!私はきちんと対価を払って見たいの。っていうか当然でしょ!払わせてよ!」
「・・・わかったよ」
奈々の気迫に押されるように、宮田は仕方なく返事をした。宮田が黙ったのを確認して、奈々は自分の財布からチケット代を取り出そうとしたが、ふと中身が非常に寂しいことになっているのに気づいた。
「ごめん。持ち合わせがないから、後日でもいいかな・・・」
バツの悪そうな奈々を見て宮田は少し笑い、静かに頷いた。
「じゃあ、オレはこれで」
「うん。練習頑張ってね」
「ああ、そっちももう入院するなよ」
「し、失礼ねっ!大丈夫よっ!」
「もう見舞いに行く暇はねぇからな」
宮田は意地悪そうに笑い、少しむくれた奈々に向かって「じゃあな」と別れを告げた。
奈々は、宮田が自分に背を向けて去る姿を見て一瞬たじろいだ。
後ろにも目が付いているような緊迫感が、自分の体を痺れさせたのだ。
もちろん宮田本人は、そのことを自覚していないだろう。
しかし、奈々にはそれがオーラのように、体からわき上がっているのが見えた。
試合まであと1ヶ月となった。
宮田の戦いはこれからが大変なのだろうなと思いながら、いつまでもその背中を眺めていた。
*****
「あいつめ、出ないでやんの」
翌日、早速ATMからお金を下ろし、チケット代を払おうと宮田に何度も電話やメールをしたのに、いっこうに返事がない。自分の力説に「わかったよ」などと言いながら、宮田はその実、代金をもらおうなんていうつもりは無いのだと奈々は悟った。
しかし、奈々にも考えがある。
宮田は命をかけて試合をしているのに、自分はその対価を払わずにタダ見など絶対に出来ない。
宮田が電話に出ないのなら、こちらから押し掛けて払うまで。
そうして、試合を2週間前に控えた土曜日のこと。
奈々はとうとう、宮田の所属する川原ジムへと足を運んだ。
「こ、こんにちは」
川原ジムのドアを開けるなりめに飛び込んだのは、サンドバッグを叩く人や、縄跳びや筋トレをする人、リング上でボクシングをしている人・・・。見たことの無い光景を目の前に、思わず声が震える。
「見学かね?」
近くに居たスタッフらしき人が奈々に話しかけてきた。奈々はとっさに封筒を手に取り、
「み、宮田選手の試合のチケット代、払いに来たんです!」
奈々の緊張が伝染したのか、相手も些か堅い表情を浮かべながら聞き返してきた。
「ああ・・・うちで予約したのかい?それとも練習生を通じて・・」
「あ、宮田選手本人からもらったんです」
ジム内の何人かが、珍しい訪問客の会話に耳をそばだてていたらしい。
奈々が宮田の名前を出した途端に、ジムが一瞬、しいんとなった気がした。
「一郎から?直接?」
相手が宮田の名前を呼び捨てにしたことに、奈々は少し面食らいながらも答えた。
「はい・・・でもチケット代を受け取ってくれないんで、直接払いに来たんですよ」
奈々が現在向かい合っているのは、宮田のコーチであり父親その人であったが、奈々はそれを知る由もない。
しかし父親の方は、息子が女性に対してチケットを贈ったという事実に少し困惑しているようだ。
最近の息子の様子は至って何の変化も無い。
話し振りから恋人の類ではなさそうだが、先日息子が「チケットを渡したい人がいる」と言っていたのはこの子のことか、と合点が行き、無意識のうちにジロジロと観察するように奈々を見つめていた。
やがて、絶句してしまった自分を奈々が不思議がって見つめているのに気づき、慌てて、
「そ、そうか。おそらく招待だろうから、払う必要はないと思うが・・・・」
「いいえ!ダメなんです!私、どうしても払いたいので!とにかくこのお金、渡しておいていただけますかっ!?」
奈々が代金の入った封筒を押し付けるように無理矢理渡すと、宮田の父は困った顔を浮かべながらも、仕方なく受け取った。
「それじゃ、よろしくお願いします」
そういって、まさにジムを出る寸前だった。
ジムの奥の方から出て来た影に父親が気づき、ふっと顔をそちらに向けた。
そして、その影に向かって一言、
「一郎、チケット代を払いにお客さんが来ているが・・・」
そこで初めて、奈々は宮田がジム内に居たことを知った。
運動着に身を包んだ宮田は、首にタオルを巻いて、頭からフードをかぶり、春先にはどう見ても暑苦しい格好をしていた。
以前見たときよりも更に疲れた顔をして、歩く足下もややおぼつかない感じだ。
そんな様子を見て奈々は、宮田のコンディションが酷く心配になった。
奈々はチラリと宮田を見たが、宮田の目線は奈々の方には向いていない。
それどころか父親の方すらも向いていない。
こちらへ歩いて来たかと思えば、先ほどの父親の呼びかけがまるで聞こえていないかのように二人の横を通り過ぎ、そのままジムを出て行ってしまった。
その瞬間のこと。
奈々は何か刃物でも突きつけられたかのような冷たさを感じた。
同時にジム内の温度も下がった・・・というよりむしろ、一瞬で凍り付いたような気さえした。
「すまんね、君。なにしろタイトルマッチ目前で、アレも今一番集中しているころでな・・・・」
父親がフォローするように奈々に声をかけたが、奈々の反応は首を振るだけで精一杯だった。
奈々はその後、深々と一礼すると静かにドアを開け、ジムを後にした。
*****
家路を一人歩く。
奈々は、先ほどの宮田の気迫に押され、まだ心臓がドキドキしていた。
誰も近づけないほどの、少しでも近づいたら雷に打たれそうなほどの、凄まじい闘気。
それとは裏腹に、疲れきった生気のない顔。
アンバランスな状態が相まって、研ぎすまされたナイフのような緊迫感を発していた宮田。
「減量とかも凄まじいんだ。飲まず食わずでさ」
木村が言っていたことを思い出す。
宮田にとって、試合をするということは、命を削るに近い行為なのだと奈々は気づいた。
彼がどうしてそこまでして、リングにあがるのかは分からない。
けれど、きっとそこまでする理由があるのだろう。
そこまでしてたどり着きたい場所があるのだろう。
彼のことを分かったようでいて、まだ分かってなかった。
彼の背中を捕まえたと思ったけれど、まだまだ遠かった。
奈々は心にずしりと碇が沈んだように感じた。
そして、あまりの重さに、しばらくその場から動くことができなかった。
「渡したい物があるんだ」
宮田から電話があったのは、夜の21時過ぎのこと。
奈々はすぐさまマンションの玄関まで降りていった。宮田の家はここから徒歩5分ほどにある。
1階のロビーにつくと、程なく宮田の姿が現れた。
「悪いな、呼び出して」
「ううん。久しぶりだね」
「ああ」
宮田に会うのは、見舞いの時以来だった。
入院は10日ほどで済んだし、その後、宮田はバイトを休んで試合に専念しているようで、コンビニでも見かけなくなった。
久々に会う宮田は、少し疲れてそうに見えた。奈々はその様子を見て、試合が近くて練習が大変なのだろうと感じた。
「これ、渡そうと思って」
宮田は封筒を奈々に差し出して言った。奈々はそれを受け取ると覗くようにして中味を確認し、1枚の紙切れが入っているのに気づいて、そっと取り出した。
「これって、今度の試合のチケット?」
チケットには宮田一郎VSアーニー・クロコダイル・グレゴリーと、大きな文字で書いてある。
「試合、見たいって言ってただろ」
「うん・・・ありがと。ところでいくら?」
奈々がチケット代を払おうとしたところ、宮田は目を閉じて
「要らねぇよ」
「だ、だめだよそんなの!」
「いいから」
照れ隠しなのか、宮田が少し面倒くさそうに反論すると、奈々も負けじと言い返す。
「あのね!私はきちんと対価を払って見たいの。っていうか当然でしょ!払わせてよ!」
「・・・わかったよ」
奈々の気迫に押されるように、宮田は仕方なく返事をした。宮田が黙ったのを確認して、奈々は自分の財布からチケット代を取り出そうとしたが、ふと中身が非常に寂しいことになっているのに気づいた。
「ごめん。持ち合わせがないから、後日でもいいかな・・・」
バツの悪そうな奈々を見て宮田は少し笑い、静かに頷いた。
「じゃあ、オレはこれで」
「うん。練習頑張ってね」
「ああ、そっちももう入院するなよ」
「し、失礼ねっ!大丈夫よっ!」
「もう見舞いに行く暇はねぇからな」
宮田は意地悪そうに笑い、少しむくれた奈々に向かって「じゃあな」と別れを告げた。
奈々は、宮田が自分に背を向けて去る姿を見て一瞬たじろいだ。
後ろにも目が付いているような緊迫感が、自分の体を痺れさせたのだ。
もちろん宮田本人は、そのことを自覚していないだろう。
しかし、奈々にはそれがオーラのように、体からわき上がっているのが見えた。
試合まであと1ヶ月となった。
宮田の戦いはこれからが大変なのだろうなと思いながら、いつまでもその背中を眺めていた。
*****
「あいつめ、出ないでやんの」
翌日、早速ATMからお金を下ろし、チケット代を払おうと宮田に何度も電話やメールをしたのに、いっこうに返事がない。自分の力説に「わかったよ」などと言いながら、宮田はその実、代金をもらおうなんていうつもりは無いのだと奈々は悟った。
しかし、奈々にも考えがある。
宮田は命をかけて試合をしているのに、自分はその対価を払わずにタダ見など絶対に出来ない。
宮田が電話に出ないのなら、こちらから押し掛けて払うまで。
そうして、試合を2週間前に控えた土曜日のこと。
奈々はとうとう、宮田の所属する川原ジムへと足を運んだ。
「こ、こんにちは」
川原ジムのドアを開けるなりめに飛び込んだのは、サンドバッグを叩く人や、縄跳びや筋トレをする人、リング上でボクシングをしている人・・・。見たことの無い光景を目の前に、思わず声が震える。
「見学かね?」
近くに居たスタッフらしき人が奈々に話しかけてきた。奈々はとっさに封筒を手に取り、
「み、宮田選手の試合のチケット代、払いに来たんです!」
奈々の緊張が伝染したのか、相手も些か堅い表情を浮かべながら聞き返してきた。
「ああ・・・うちで予約したのかい?それとも練習生を通じて・・」
「あ、宮田選手本人からもらったんです」
ジム内の何人かが、珍しい訪問客の会話に耳をそばだてていたらしい。
奈々が宮田の名前を出した途端に、ジムが一瞬、しいんとなった気がした。
「一郎から?直接?」
相手が宮田の名前を呼び捨てにしたことに、奈々は少し面食らいながらも答えた。
「はい・・・でもチケット代を受け取ってくれないんで、直接払いに来たんですよ」
奈々が現在向かい合っているのは、宮田のコーチであり父親その人であったが、奈々はそれを知る由もない。
しかし父親の方は、息子が女性に対してチケットを贈ったという事実に少し困惑しているようだ。
最近の息子の様子は至って何の変化も無い。
話し振りから恋人の類ではなさそうだが、先日息子が「チケットを渡したい人がいる」と言っていたのはこの子のことか、と合点が行き、無意識のうちにジロジロと観察するように奈々を見つめていた。
やがて、絶句してしまった自分を奈々が不思議がって見つめているのに気づき、慌てて、
「そ、そうか。おそらく招待だろうから、払う必要はないと思うが・・・・」
「いいえ!ダメなんです!私、どうしても払いたいので!とにかくこのお金、渡しておいていただけますかっ!?」
奈々が代金の入った封筒を押し付けるように無理矢理渡すと、宮田の父は困った顔を浮かべながらも、仕方なく受け取った。
「それじゃ、よろしくお願いします」
そういって、まさにジムを出る寸前だった。
ジムの奥の方から出て来た影に父親が気づき、ふっと顔をそちらに向けた。
そして、その影に向かって一言、
「一郎、チケット代を払いにお客さんが来ているが・・・」
そこで初めて、奈々は宮田がジム内に居たことを知った。
運動着に身を包んだ宮田は、首にタオルを巻いて、頭からフードをかぶり、春先にはどう見ても暑苦しい格好をしていた。
以前見たときよりも更に疲れた顔をして、歩く足下もややおぼつかない感じだ。
そんな様子を見て奈々は、宮田のコンディションが酷く心配になった。
奈々はチラリと宮田を見たが、宮田の目線は奈々の方には向いていない。
それどころか父親の方すらも向いていない。
こちらへ歩いて来たかと思えば、先ほどの父親の呼びかけがまるで聞こえていないかのように二人の横を通り過ぎ、そのままジムを出て行ってしまった。
その瞬間のこと。
奈々は何か刃物でも突きつけられたかのような冷たさを感じた。
同時にジム内の温度も下がった・・・というよりむしろ、一瞬で凍り付いたような気さえした。
「すまんね、君。なにしろタイトルマッチ目前で、アレも今一番集中しているころでな・・・・」
父親がフォローするように奈々に声をかけたが、奈々の反応は首を振るだけで精一杯だった。
奈々はその後、深々と一礼すると静かにドアを開け、ジムを後にした。
*****
家路を一人歩く。
奈々は、先ほどの宮田の気迫に押され、まだ心臓がドキドキしていた。
誰も近づけないほどの、少しでも近づいたら雷に打たれそうなほどの、凄まじい闘気。
それとは裏腹に、疲れきった生気のない顔。
アンバランスな状態が相まって、研ぎすまされたナイフのような緊迫感を発していた宮田。
「減量とかも凄まじいんだ。飲まず食わずでさ」
木村が言っていたことを思い出す。
宮田にとって、試合をするということは、命を削るに近い行為なのだと奈々は気づいた。
彼がどうしてそこまでして、リングにあがるのかは分からない。
けれど、きっとそこまでする理由があるのだろう。
そこまでしてたどり着きたい場所があるのだろう。
彼のことを分かったようでいて、まだ分かってなかった。
彼の背中を捕まえたと思ったけれど、まだまだ遠かった。
奈々は心にずしりと碇が沈んだように感じた。
そして、あまりの重さに、しばらくその場から動くことができなかった。