HEKIREKI
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7.感電注意
宮田の初防衛戦が近づいて来た。
と同時に、川原ジム名物、宮田一郎の壮絶減量が始まった。
「高杉、お前に先に言っておくけど」
ジムの先輩が肩にぐいっと腕を回して、ヘッドロックをかけるような体勢のまま小声で忠告する。
「宮田さんを刺激するなよ」
「え?なんでですか?」
「見りゃわかるだろ!減量でピリピリしてんだよ!」
普段から春樹以外の人間が宮田においそれと近づくことはないのだが、最近はそれにも増してさらに近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
物静かでクールなイメージはだんだんと、触れれば感電する、あるいはスパッと切られるような、物々しい雰囲気に変わりつつあった。
そして試合まであと2週間となった頃には。
痩けた頬やカサついた皮膚、生気のない表情に、誰もが「これで戦うなんて正気か?」と思うほど、悲壮感に溢れた存在になっていた。
「正気の沙汰じゃないですよこれ・・・」
春樹は目の前の宮田を見ながら呟き、その次の言葉を無くした。
あれだけ動いても、一滴の汗すら出ていない。
ジム内のなんてことないケーブルにつまづいて転ぶ。
そして目も虚ろだ。
自分が見ていたのは、試合で華々しく活躍する場面だけ。
春樹は宮田の試合前の一番過酷な減量を初めて目の当たりにし、想像以上の地獄絵図に目を背けたくなるほどだった。
「走って・・きま・・す」
宮田がヨロヨロとジムを出て行く。
いつもなら「行ってらっしゃい」とか「お気をつけて」なんていう挨拶が飛び交うものだが、今日ばかりは誰もが言葉を発することができなかった。
「宮田さん・・・一郎くんはいつまでこんな・・・」
「うむ・・・もう間も無く、決着がつくといいんだが」
「鴨川さんはなんて?」
「それが、返事がなくてな」
宮田父とコーチ陣が、ジムの隅の方でコソコソと話をしている。
深刻そうな顔だ。
防衛戦の相手は、フィリピン国内で快進撃を続ける豪腕ファイターだという。
そんな猛者を相手にするのに、あの状態では誰もが不安になるのも無理はない。
「高杉、お前初めてだよな?宮田さんの減量見るの」
「あ・・・はい」
ジムの先輩が話しかけてきて、ポンと春樹の肩に手を置く。
「あんなんで・・・リング上がれるんすか?」
冷や汗にも似た汗が、春樹のこめかみを流れる。
「上がってるよ。お前も前回の試合、テレビで見てんだろ?」
「そ、そうですけど・・・こんな状態だなんて知りませんでしたよ!」
「あの人、毎回涼しい顔してリングに上がってるからな」
ボクシングのテレビ放送は大体深夜に行われる。
春樹が見た宮田の試合も、深夜に流れていたものだ。
たまたま寝付けなくて、なんとなくつけたテレビで見つけたヒーロー。
閃光のようなカウンターと、何度倒れても諦めない不屈の闘志。
それは、テレビを通して誰もが見られる宮田の表面的な部分であって・・・
リングに上がるまでの地味で、泥臭くて、単調で、過酷で、孤独な面は、テレビには全く映らない。
こんな状態で試合をしていたなんて、全く知らなかった。
春樹は改めて、宮田に対して畏怖の念すら抱いた。
1時間ほどして、ガチャリとジムのドアが開いた。
ヨロヨロと、今にも転んでしまいそうな足取りで宮田が中に入ってくる。
そして、ベンチに腰掛けて、しばしうなだれて動かなくなった。
しかし、近づいて何かを問うものはいない。
・・・・ただ1人をのぞいて。
「宮田さん」
あっ、とジムメイトが気がついた時は遅かった。
春樹は宮田の前に立って、座っている宮田の上から次の言葉をかける。
「大丈夫ですか」
「・・・」
宮田は返事をしない。口の中が乾いて、開くのも億劫なのだろう。
「宮田さん、どうしてそんな無理するんですか」
「お、おい高杉!」
慌ててジムメイト数人が駆け寄り、口を抑えようと飛びつくも春樹は1ミリたりともその場から動かない。
「お、重っ…こいつ銅像かよ?おい高杉、そこを離れろよ!」
「おかしいですよ、宮田さんならもっと上の階級でもいいのに」
「バカ、話しかけるな!やめろ!」
「なんでそんな無茶してまでフェザーにこだわるんですか?見てられないですよ!」
誰もが思っていながら絶対に口に出さない言葉を次々に放つものだから、その場の誰もが気が気ではなかった。ただ1人、宮田の父だけは、その後の成り行きがどうなるのかを冷静に見ている感じではあったが。
宮田はゆっくりとベンチから腰を上げ、春樹の目の前に立った。
春樹より背の高い宮田が、見下ろすような形になったが、フードをかぶっているせいか、表情がよく見えない。
「宮田さん・・・」
「う・・・るせぇ・・な」
宮田がかすれた声で言い返すと、春樹はさらに詰め寄って、
「でも・・」
すると宮田は春樹の胸倉を掴み、ねじりあげるようにして引き上げた。
「ぐ・・ぐぐ・・」
「お、おい一郎!やめろ!」
「一郎くん、落ち着いて!」
首が締まって、春樹の顔色はどんどん紫色に変化して行く。
「うる・・せぇ・・・って・・・言ってんだろ!!!」
宮田はそのまま力任せに春樹を投げ飛ばした。
春樹は地面に投げ出され、首もとを抑えながら激しく咳き込んでいる。
倒れた春樹の周りに数人のジムメイトが集まってきて、背中を撫でたり、声をかけている。
宮田は春樹に一瞥もくれることなく、そのままロッカールームの方へ消えていった。
その後を追うものは、誰もいなかった。
「高杉、大丈夫か?」
「だから言ったじゃねえか、刺激するなって!」
周りが頭を叩いたり肘で小突いたりしながら春樹をたしなめる。ようやく呼吸が落ち着き、春樹は宮田が消えて行ったロッカールームへ続くドアをぼうっと眺めながら、一言つぶやいた。
「げ・・減量中なのに、あのパワー・・・さすが宮田さんっすよね」
たった今自分がしたことの重大さも全くわかっていない、素っ頓狂な一言に、周りは呆れて固まるしかなかった。
「お、お前・・・本当にバカだよな」
「バカにつける薬があったら、塗り込んでやりてぇわ」
ロッカールームへ消えた宮田は、ベンチを蹴り飛ばして、拳を何度もロッカーへ叩きつけた。
飢えから来る様々な感情はもはや制御不能となり、身体中を駆け巡って暴れ出す。
「だ・・・まれ・・・」
言葉を発するたびに乾燥しきった唇が切れ、血がにじみ出る。その血すら反射的に吐き出すほど、すべての水分を拒絶してしまう自分がいる。
「うる・・せぇ・・・んだ・・よ!!!」
倒れたベンチをさらに蹴り飛ばし、その辺のものを手当たり次第に投げつける。
モノが激しく倒れる音は、サンドバッグやロープの音が飛び交う騒がしい1階にまでも響き渡るほどだった。
だからと言って、様子を見に行く者は誰もいない。
「触らぬ雷神に祟りなし」
それが川原ジムの暗黙のルールであった。
あまりの事態に、自分が犯した事の重大さにようやく気づいた春樹は、恥じ入るように下を向いて、大人しく縄跳びを続けた。
宮田の初防衛戦が近づいて来た。
と同時に、川原ジム名物、宮田一郎の壮絶減量が始まった。
「高杉、お前に先に言っておくけど」
ジムの先輩が肩にぐいっと腕を回して、ヘッドロックをかけるような体勢のまま小声で忠告する。
「宮田さんを刺激するなよ」
「え?なんでですか?」
「見りゃわかるだろ!減量でピリピリしてんだよ!」
普段から春樹以外の人間が宮田においそれと近づくことはないのだが、最近はそれにも増してさらに近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
物静かでクールなイメージはだんだんと、触れれば感電する、あるいはスパッと切られるような、物々しい雰囲気に変わりつつあった。
そして試合まであと2週間となった頃には。
痩けた頬やカサついた皮膚、生気のない表情に、誰もが「これで戦うなんて正気か?」と思うほど、悲壮感に溢れた存在になっていた。
「正気の沙汰じゃないですよこれ・・・」
春樹は目の前の宮田を見ながら呟き、その次の言葉を無くした。
あれだけ動いても、一滴の汗すら出ていない。
ジム内のなんてことないケーブルにつまづいて転ぶ。
そして目も虚ろだ。
自分が見ていたのは、試合で華々しく活躍する場面だけ。
春樹は宮田の試合前の一番過酷な減量を初めて目の当たりにし、想像以上の地獄絵図に目を背けたくなるほどだった。
「走って・・きま・・す」
宮田がヨロヨロとジムを出て行く。
いつもなら「行ってらっしゃい」とか「お気をつけて」なんていう挨拶が飛び交うものだが、今日ばかりは誰もが言葉を発することができなかった。
「宮田さん・・・一郎くんはいつまでこんな・・・」
「うむ・・・もう間も無く、決着がつくといいんだが」
「鴨川さんはなんて?」
「それが、返事がなくてな」
宮田父とコーチ陣が、ジムの隅の方でコソコソと話をしている。
深刻そうな顔だ。
防衛戦の相手は、フィリピン国内で快進撃を続ける豪腕ファイターだという。
そんな猛者を相手にするのに、あの状態では誰もが不安になるのも無理はない。
「高杉、お前初めてだよな?宮田さんの減量見るの」
「あ・・・はい」
ジムの先輩が話しかけてきて、ポンと春樹の肩に手を置く。
「あんなんで・・・リング上がれるんすか?」
冷や汗にも似た汗が、春樹のこめかみを流れる。
「上がってるよ。お前も前回の試合、テレビで見てんだろ?」
「そ、そうですけど・・・こんな状態だなんて知りませんでしたよ!」
「あの人、毎回涼しい顔してリングに上がってるからな」
ボクシングのテレビ放送は大体深夜に行われる。
春樹が見た宮田の試合も、深夜に流れていたものだ。
たまたま寝付けなくて、なんとなくつけたテレビで見つけたヒーロー。
閃光のようなカウンターと、何度倒れても諦めない不屈の闘志。
それは、テレビを通して誰もが見られる宮田の表面的な部分であって・・・
リングに上がるまでの地味で、泥臭くて、単調で、過酷で、孤独な面は、テレビには全く映らない。
こんな状態で試合をしていたなんて、全く知らなかった。
春樹は改めて、宮田に対して畏怖の念すら抱いた。
1時間ほどして、ガチャリとジムのドアが開いた。
ヨロヨロと、今にも転んでしまいそうな足取りで宮田が中に入ってくる。
そして、ベンチに腰掛けて、しばしうなだれて動かなくなった。
しかし、近づいて何かを問うものはいない。
・・・・ただ1人をのぞいて。
「宮田さん」
あっ、とジムメイトが気がついた時は遅かった。
春樹は宮田の前に立って、座っている宮田の上から次の言葉をかける。
「大丈夫ですか」
「・・・」
宮田は返事をしない。口の中が乾いて、開くのも億劫なのだろう。
「宮田さん、どうしてそんな無理するんですか」
「お、おい高杉!」
慌ててジムメイト数人が駆け寄り、口を抑えようと飛びつくも春樹は1ミリたりともその場から動かない。
「お、重っ…こいつ銅像かよ?おい高杉、そこを離れろよ!」
「おかしいですよ、宮田さんならもっと上の階級でもいいのに」
「バカ、話しかけるな!やめろ!」
「なんでそんな無茶してまでフェザーにこだわるんですか?見てられないですよ!」
誰もが思っていながら絶対に口に出さない言葉を次々に放つものだから、その場の誰もが気が気ではなかった。ただ1人、宮田の父だけは、その後の成り行きがどうなるのかを冷静に見ている感じではあったが。
宮田はゆっくりとベンチから腰を上げ、春樹の目の前に立った。
春樹より背の高い宮田が、見下ろすような形になったが、フードをかぶっているせいか、表情がよく見えない。
「宮田さん・・・」
「う・・・るせぇ・・な」
宮田がかすれた声で言い返すと、春樹はさらに詰め寄って、
「でも・・」
すると宮田は春樹の胸倉を掴み、ねじりあげるようにして引き上げた。
「ぐ・・ぐぐ・・」
「お、おい一郎!やめろ!」
「一郎くん、落ち着いて!」
首が締まって、春樹の顔色はどんどん紫色に変化して行く。
「うる・・せぇ・・・って・・・言ってんだろ!!!」
宮田はそのまま力任せに春樹を投げ飛ばした。
春樹は地面に投げ出され、首もとを抑えながら激しく咳き込んでいる。
倒れた春樹の周りに数人のジムメイトが集まってきて、背中を撫でたり、声をかけている。
宮田は春樹に一瞥もくれることなく、そのままロッカールームの方へ消えていった。
その後を追うものは、誰もいなかった。
「高杉、大丈夫か?」
「だから言ったじゃねえか、刺激するなって!」
周りが頭を叩いたり肘で小突いたりしながら春樹をたしなめる。ようやく呼吸が落ち着き、春樹は宮田が消えて行ったロッカールームへ続くドアをぼうっと眺めながら、一言つぶやいた。
「げ・・減量中なのに、あのパワー・・・さすが宮田さんっすよね」
たった今自分がしたことの重大さも全くわかっていない、素っ頓狂な一言に、周りは呆れて固まるしかなかった。
「お、お前・・・本当にバカだよな」
「バカにつける薬があったら、塗り込んでやりてぇわ」
ロッカールームへ消えた宮田は、ベンチを蹴り飛ばして、拳を何度もロッカーへ叩きつけた。
飢えから来る様々な感情はもはや制御不能となり、身体中を駆け巡って暴れ出す。
「だ・・・まれ・・・」
言葉を発するたびに乾燥しきった唇が切れ、血がにじみ出る。その血すら反射的に吐き出すほど、すべての水分を拒絶してしまう自分がいる。
「うる・・せぇ・・・んだ・・よ!!!」
倒れたベンチをさらに蹴り飛ばし、その辺のものを手当たり次第に投げつける。
モノが激しく倒れる音は、サンドバッグやロープの音が飛び交う騒がしい1階にまでも響き渡るほどだった。
だからと言って、様子を見に行く者は誰もいない。
「触らぬ雷神に祟りなし」
それが川原ジムの暗黙のルールであった。
あまりの事態に、自分が犯した事の重大さにようやく気づいた春樹は、恥じ入るように下を向いて、大人しく縄跳びを続けた。