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森に至る雨
放課後、図書室でひとり課題を進めていたら、突然雲行きが怪しくなった。外が暗くなり、あっという間にざーっと雨の音が聞こえ始めた。そういえば今日は傘を持っていないことに気づいた私は、課題を切り上げて昇降口まで来た。外は校庭にある木の葉っぱが風で揺れていて、はっきりと目で見てわかるくらいの大粒の雨が降っていた。
もっと早く帰ればよかったなと天気予報を見ていなかったことを後悔しつつ、これからどうするか決めかねていた。このまま歩いて駅まで濡れて帰るか、図書室へ戻って本でも読みながら、雨がもう少し弱くなるのを待つか。濡れて帰るのはどうかと思うけれど、いつ雨が止むかわからないのを待つのはストレスに感じる。うーん……と溜め息に交じりに唸っていると、後ろから誰かの足音が聞こえた。
「あれ、小波さん?」
「紺野先輩」
「どうしたの、こんなところで」
「傘を忘れてしまって……」
「そうだったんだ、それで雨宿りしてたの?」
「はい、帰るかどうか悩んでたんです」
「なるほどね……」
紺野先輩は外の様子を伺うように目線を移したので、私も同じように外を見た。けれど、雨の様子は変わっておらず、止む気配はなさそうだった。
「小波さんは電車通学だったよね?僕もはばたき駅まで行くから、よかったら傘、入っていきなよ」
「いいんですか?」
「うん、このままだとずっと帰れないままかもしれないしね」
「ありがとうございます!」
こうして私たちは昇降口を出て、はばたき駅までの道を歩くことにした。頼りになる先輩にばったり出会えてラッキーだな、と思った。紺野先輩は生徒会長を務めていて、ボランティアサークルで活動もしていて、面倒見がよくて、優しくて、私にとって尊敬できる先輩だ。
先輩は僕の傘大きいから2人くらいなら入れるよと、大きな深緑の傘を私に見せた。それから先輩は傘をばさっと開いて、どうぞ、と私に中へ入るよう促した。私はお邪魔しますと言って、先輩の隣に並んだ。傘は内側から見ても美しい緑色をしていた。大きくすっぽりと私たちを雨から守っていて、なんだか森のようだと思った。
学校からはばたき駅までは歩いて15分ほどで、私たちは取り止めのない話をしながら駅まで歩いた。梅雨の時期らしく湿度が高くて、べたべたする。雨がアスファルトを跳ね返しぴちゃぴちゃと音を立てていて、雨の日らしく騒がしい。だからいつもより、先輩も私も少し大きな声で話をしていた。
「紺野先輩は生徒会のお仕事で残ってたんですか?」
「うん、いろいろ雑務が溜まってるから片付けてたんだ」
「大変ですね」
「まあ色々あるけど、はば学は自主性を重んじてるし、やりがいがあるよ」
「紺野先輩、生徒会長もしながら自分のこともこなして、本当にすごいです」
「そんなことないよ、執行部のみんなも同じように頑張ってるからね。あっ、小波さん、もう少し中に入ってくれるかな?濡れちゃって風邪でも引いたら大変だから」
「ありがとうございます」
私は半歩ほど、紺野先輩の方に近づいた。思わぬ形で先輩と相合傘になってしまい、しかも入ってみたらいつも先輩と並んで話すときよりも距離が近くて、少し気恥ずかしくなっていた。先輩はなんとも思っていないのだろうか。私は、紺野先輩との相合傘、どきどきするけどなあ、なんて思いながら先輩のほうをちらりと見たが、いつも通りの穏やかな表情だった。相手を包みこんでくれるような穏やかさや、安心感のあるところが先輩の素敵なところなんだけれども。それから、先輩は自分の歩幅に合わせて、ゆっくり歩いてくれているような気がしていた。私と先輩じゃ身長に差があるはずなのに、少しも歩きづらくなかった。だから、誰かと同じ傘に入って歩くことに慣れているように感じた。
「紺野先輩、こうやって誰かと一緒に帰ったことあるんですか?」
「こうやって、っていうのは?」
「えっと、相合傘でってことです」
「……あっ!えっと……その…………」
相合傘であることに私が触れた途端、先輩ははっと息を呑み、目をぱちくりさせていた。少し恥ずかしそうで、頬が赤かった。先輩に対して失礼かもしれないけれど、ちょっとかわいいと思った。
「ご、ごめん!相合傘になるとか、そういうの全然気にしてなかった……」
「いえ、こちらこそ変なこと言ってすみません……ただ誰かと一緒に帰ったことあるのかなって……なんか仕草が慣れているというか……」
「あっ、それはもしかしたら、姉がいるからかもしれないね」
「お姉さん?」
「うん、ちょっとそこまでっていう短い距離のとき、姉さんがめんどくさがって傘をささなくて、僕のところに入ってくることがあるから」
「なるほど……」
「なんだか、困ってる人を見るとほっとけないし、頼まれたらつい引き受けてしまって……」
「紺野先輩らしいですね」
「はは、もうそういう性分なんだろうね」
なるほどなあ、お姉さんのことだったのか、とほっとする自分と、もし私と同じように昇降口で困っている後輩の女の子がいたら、こうやって一緒に傘に入って帰るのかなあ、とモヤモヤする自分がいることに気づいた。話をしているうちに、はばたき駅が見えてきた。歩いている間に雨足もだんだん弱まっていて、少し空が明るくなってきた。
「自転車にも、お姉さんと乗るんですか?」
ふと、私は先週、紺野先輩が自転車に乗って学校へ来ていた時のことを思い出した。下校途中に先輩に声をかけられ、なんだろうと思っていたら、先輩は自転車でやってきた。そしてそのまま先輩の自転車の後ろに乗せてもらった。ふたりで自転車に乗るのは、なんだか不思議な体験だった。今の話を聞いて、あれもお姉さんとよくやることなんだろうか、となんとなく疑問に思ったのだ。自転車の後ろも、他に誰か乗ったことがあるんだろうか。
「さすがに自転車は一緒に乗らないよ」
「じゃあなんで私のこと、乗せてくれたんですか?」
「……確かに、なんでだろうね……」
紺野先輩はそのままうーん……と首を傾げながら考え込み始めてしまった。私は少し感情的に質問してしまったような気がして、なんだか申し訳ない気持ちになった。考え込んでいる先輩にやっぱりさっきの無しです、なんて言い出す勇気も出なかった。
結局私たちの会話は途切れたまま、はばたき駅に到着した。私は軽く会釈をして傘から出て、それから先輩は傘を閉じて、ついている雫を軽くばさばさとはらって、丁寧に畳んだ。
「歩いている間、濡れなかった?大丈夫?」
「はい、先輩も大丈夫でしたか?」
「僕は平気だよ」
「傘、ありがとうございました。助かりました」
「困ったときはお互い様だから、気にしないで」
「また何かお礼させてください。それじゃあ、さようなら」
私はぺこりと頭を下げ、左側の改札へ向かおうとしたら、紺野先輩があっ、と口を開いた。私はなんだろう、と思い先輩のほうを向いた。
「あの、さっきの話だけど……」
「?」
「自転車の話だよ。ずっと考えてたんだ」
「あっ、すみません、変なこと聞いて……」
「あれは、僕の好きなことについて、君に聞いてほしかったのかもしれない」
「私に?」
「自転車に乗ってるときの風の気持ちよさとか、通学路から見える海の見晴らしの良さとか。君にも、体験してほしいって思ったんだ」
「紺野先輩……」
「って、僕は何言ってるんだろうね、はは……。ごめん、なんかこっちこそ変なこと言って!それじゃあ!」
紺野先輩は急に早口になり、逃げるように右側の改札へ向かおうとしたので、今度は私が口を開いた。できる限り大きな声で、名前を呼んだ。私は、紺野先輩のことがもっと知りたかった。
「紺野先輩!」
「うん?」
「今日先輩と一緒に帰れてよかったですし、この前の自転車もすごく楽しかったです。またよかったら、誘ってください!」
「……ありがとう、また今度声かけるね」
「はい!」
またね、と紺野先輩が手を振ってくれたので、私はもう一度会釈して、それぞれ別の改札に向かった。私は帰宅途中の電車に揺られながら、紺野先輩と見た自転車から見える景色や、今日見た傘の中にいる先輩のことを思い出していた。また美しいものを、紺野先輩と眺めたいと思った。
20240627
放課後、図書室でひとり課題を進めていたら、突然雲行きが怪しくなった。外が暗くなり、あっという間にざーっと雨の音が聞こえ始めた。そういえば今日は傘を持っていないことに気づいた私は、課題を切り上げて昇降口まで来た。外は校庭にある木の葉っぱが風で揺れていて、はっきりと目で見てわかるくらいの大粒の雨が降っていた。
もっと早く帰ればよかったなと天気予報を見ていなかったことを後悔しつつ、これからどうするか決めかねていた。このまま歩いて駅まで濡れて帰るか、図書室へ戻って本でも読みながら、雨がもう少し弱くなるのを待つか。濡れて帰るのはどうかと思うけれど、いつ雨が止むかわからないのを待つのはストレスに感じる。うーん……と溜め息に交じりに唸っていると、後ろから誰かの足音が聞こえた。
「あれ、小波さん?」
「紺野先輩」
「どうしたの、こんなところで」
「傘を忘れてしまって……」
「そうだったんだ、それで雨宿りしてたの?」
「はい、帰るかどうか悩んでたんです」
「なるほどね……」
紺野先輩は外の様子を伺うように目線を移したので、私も同じように外を見た。けれど、雨の様子は変わっておらず、止む気配はなさそうだった。
「小波さんは電車通学だったよね?僕もはばたき駅まで行くから、よかったら傘、入っていきなよ」
「いいんですか?」
「うん、このままだとずっと帰れないままかもしれないしね」
「ありがとうございます!」
こうして私たちは昇降口を出て、はばたき駅までの道を歩くことにした。頼りになる先輩にばったり出会えてラッキーだな、と思った。紺野先輩は生徒会長を務めていて、ボランティアサークルで活動もしていて、面倒見がよくて、優しくて、私にとって尊敬できる先輩だ。
先輩は僕の傘大きいから2人くらいなら入れるよと、大きな深緑の傘を私に見せた。それから先輩は傘をばさっと開いて、どうぞ、と私に中へ入るよう促した。私はお邪魔しますと言って、先輩の隣に並んだ。傘は内側から見ても美しい緑色をしていた。大きくすっぽりと私たちを雨から守っていて、なんだか森のようだと思った。
学校からはばたき駅までは歩いて15分ほどで、私たちは取り止めのない話をしながら駅まで歩いた。梅雨の時期らしく湿度が高くて、べたべたする。雨がアスファルトを跳ね返しぴちゃぴちゃと音を立てていて、雨の日らしく騒がしい。だからいつもより、先輩も私も少し大きな声で話をしていた。
「紺野先輩は生徒会のお仕事で残ってたんですか?」
「うん、いろいろ雑務が溜まってるから片付けてたんだ」
「大変ですね」
「まあ色々あるけど、はば学は自主性を重んじてるし、やりがいがあるよ」
「紺野先輩、生徒会長もしながら自分のこともこなして、本当にすごいです」
「そんなことないよ、執行部のみんなも同じように頑張ってるからね。あっ、小波さん、もう少し中に入ってくれるかな?濡れちゃって風邪でも引いたら大変だから」
「ありがとうございます」
私は半歩ほど、紺野先輩の方に近づいた。思わぬ形で先輩と相合傘になってしまい、しかも入ってみたらいつも先輩と並んで話すときよりも距離が近くて、少し気恥ずかしくなっていた。先輩はなんとも思っていないのだろうか。私は、紺野先輩との相合傘、どきどきするけどなあ、なんて思いながら先輩のほうをちらりと見たが、いつも通りの穏やかな表情だった。相手を包みこんでくれるような穏やかさや、安心感のあるところが先輩の素敵なところなんだけれども。それから、先輩は自分の歩幅に合わせて、ゆっくり歩いてくれているような気がしていた。私と先輩じゃ身長に差があるはずなのに、少しも歩きづらくなかった。だから、誰かと同じ傘に入って歩くことに慣れているように感じた。
「紺野先輩、こうやって誰かと一緒に帰ったことあるんですか?」
「こうやって、っていうのは?」
「えっと、相合傘でってことです」
「……あっ!えっと……その…………」
相合傘であることに私が触れた途端、先輩ははっと息を呑み、目をぱちくりさせていた。少し恥ずかしそうで、頬が赤かった。先輩に対して失礼かもしれないけれど、ちょっとかわいいと思った。
「ご、ごめん!相合傘になるとか、そういうの全然気にしてなかった……」
「いえ、こちらこそ変なこと言ってすみません……ただ誰かと一緒に帰ったことあるのかなって……なんか仕草が慣れているというか……」
「あっ、それはもしかしたら、姉がいるからかもしれないね」
「お姉さん?」
「うん、ちょっとそこまでっていう短い距離のとき、姉さんがめんどくさがって傘をささなくて、僕のところに入ってくることがあるから」
「なるほど……」
「なんだか、困ってる人を見るとほっとけないし、頼まれたらつい引き受けてしまって……」
「紺野先輩らしいですね」
「はは、もうそういう性分なんだろうね」
なるほどなあ、お姉さんのことだったのか、とほっとする自分と、もし私と同じように昇降口で困っている後輩の女の子がいたら、こうやって一緒に傘に入って帰るのかなあ、とモヤモヤする自分がいることに気づいた。話をしているうちに、はばたき駅が見えてきた。歩いている間に雨足もだんだん弱まっていて、少し空が明るくなってきた。
「自転車にも、お姉さんと乗るんですか?」
ふと、私は先週、紺野先輩が自転車に乗って学校へ来ていた時のことを思い出した。下校途中に先輩に声をかけられ、なんだろうと思っていたら、先輩は自転車でやってきた。そしてそのまま先輩の自転車の後ろに乗せてもらった。ふたりで自転車に乗るのは、なんだか不思議な体験だった。今の話を聞いて、あれもお姉さんとよくやることなんだろうか、となんとなく疑問に思ったのだ。自転車の後ろも、他に誰か乗ったことがあるんだろうか。
「さすがに自転車は一緒に乗らないよ」
「じゃあなんで私のこと、乗せてくれたんですか?」
「……確かに、なんでだろうね……」
紺野先輩はそのままうーん……と首を傾げながら考え込み始めてしまった。私は少し感情的に質問してしまったような気がして、なんだか申し訳ない気持ちになった。考え込んでいる先輩にやっぱりさっきの無しです、なんて言い出す勇気も出なかった。
結局私たちの会話は途切れたまま、はばたき駅に到着した。私は軽く会釈をして傘から出て、それから先輩は傘を閉じて、ついている雫を軽くばさばさとはらって、丁寧に畳んだ。
「歩いている間、濡れなかった?大丈夫?」
「はい、先輩も大丈夫でしたか?」
「僕は平気だよ」
「傘、ありがとうございました。助かりました」
「困ったときはお互い様だから、気にしないで」
「また何かお礼させてください。それじゃあ、さようなら」
私はぺこりと頭を下げ、左側の改札へ向かおうとしたら、紺野先輩があっ、と口を開いた。私はなんだろう、と思い先輩のほうを向いた。
「あの、さっきの話だけど……」
「?」
「自転車の話だよ。ずっと考えてたんだ」
「あっ、すみません、変なこと聞いて……」
「あれは、僕の好きなことについて、君に聞いてほしかったのかもしれない」
「私に?」
「自転車に乗ってるときの風の気持ちよさとか、通学路から見える海の見晴らしの良さとか。君にも、体験してほしいって思ったんだ」
「紺野先輩……」
「って、僕は何言ってるんだろうね、はは……。ごめん、なんかこっちこそ変なこと言って!それじゃあ!」
紺野先輩は急に早口になり、逃げるように右側の改札へ向かおうとしたので、今度は私が口を開いた。できる限り大きな声で、名前を呼んだ。私は、紺野先輩のことがもっと知りたかった。
「紺野先輩!」
「うん?」
「今日先輩と一緒に帰れてよかったですし、この前の自転車もすごく楽しかったです。またよかったら、誘ってください!」
「……ありがとう、また今度声かけるね」
「はい!」
またね、と紺野先輩が手を振ってくれたので、私はもう一度会釈して、それぞれ別の改札に向かった。私は帰宅途中の電車に揺られながら、紺野先輩と見た自転車から見える景色や、今日見た傘の中にいる先輩のことを思い出していた。また美しいものを、紺野先輩と眺めたいと思った。
20240627