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ミルフィーユのような恋
放課後、吹奏楽部の個人練習が終わり、音楽室に譜面台を片付けに向かった。グラウンドから運動部の人たちの賑やかな声が聞こえるが、校内は静かだった。もう誰も部員はいないかもと思いつつ、音楽室まで来ると、部屋の電気が廊下に漏れていた。どうやら誰かいるらしい。邪魔にならないように音楽室のドアを静かに開けると、そこにいたのは設楽先輩だった。先輩はいつものようにピアノの前に座っていて、私の方を見て、あっ、と少し目を見開いた。
「美奈子」
「設楽先輩、こんにちは」
「練習終わりか?」
「はい」
設楽先輩は吹奏楽部の全体練習がない日や、音楽室が空いてる日にときどきピアノを弾きに来ている。私は音楽室で先輩がピアノを弾いているのを耳にして以来、完全に先輩の弾くピアノのファンになってしまった。うまく説明できないけれど、先輩のピアノは他の人のピアノとは何がが決定的に違うのだ。
「今ちょっと時間あるか?聴いてほしい曲がある」
「えっなんですか突然」
「いいから、とりあえず座ってくれ」
「はあ……」
よくわからないけれど、とりあえず相槌を打って適当な席に座り、肩にかけていたサックスが入っているケースを下ろした。今日の設楽先輩は、私に有無を言わせない強引さがある気がする。
先輩は、私が座ったのをちらりと横目で確認したあと、いつものように美しい指でピアノを奏で始めた。だけど、聞こえてくるメロディーに、私は目を丸くした。いつもの優雅な雰囲気を纏ったクラシックじゃなかったからだ。聞き覚えのあるアップテンポなメロディーで、いま流行りのj-popのピアノアレンジであることに気づいた。なんで!?と思わず驚きの声をあげそうになったが、先輩の音楽の邪魔をしてはいけないので、ぐっと堪えた。
先輩のピアノは止まらない。リズミカルで飛んだり跳ねたりするような先輩のピアノはなんだか珍しくて、聴いてる私もわくわくしてきた。そしてジャンルは違えど、やっぱりすごく上手い。一曲の中でダイナミックな雰囲気が続くかと思いきや、中盤では繊細なメロディーが奏でられたりと、曲の表現が豊かで、聴いている方も楽しい。なんとなく、先輩自身も楽しそうに見える。耳にしたことのある曲だけど、全く別の新しい曲のようにも聴こえた。
最後の一音が鳴り響いたあと、私は居ても立っても居られなくて、すぐに立ち上がり、ぱちぱちと大きな拍手を送った。圧巻の演奏だった。一瞬はばたきホールにいるのかと錯覚するくらい、聞き入ってしまった。
「設楽先輩すごい!!いつもと違いますね!?」
「まあ、ジャンルの違う曲だしな……」
「珍しい、どうしたんですか?」
「紺野に頼まれたんだ。今度ボランティアサークルで子どもの好きな曲をピアノで聞かせてやりたいけど、この曲の譜面がないから書いてくれないかって」
確かに今聞かせてくれたのは今小中学生に人気の曲で、爆発的な人気らしいと、ネットニュースで読んだ。けれど、設楽先輩がこの曲を知ってることにちょっと驚いた。だって、テレビも見ないと言っていたから。
「リリースされたばっかりだから楽譜がないんですね、きっと」
「紺野もそう言ってた」
「今のは設楽先輩がアレンジしたんですか?」
「ああ、練習も兼ねて」
この譜面も俺が書いたんだ、と譜面台に置いてる楽譜を見せてくれた。手書きの文字は、確かに設楽先輩の文字だった。ちょっと癖のある音符の書き方とか。私は楽譜をまじまじと見つめた。
紺野先輩は、たぶん設楽先輩のピアノのすごさをあんまり分かっていない気がする。以前音楽の話をしたときも、音楽鑑賞を音楽を楽しむというよりも、環境音のように扱っていたし。だから、設楽先輩に簡単に頼んじゃえるんだ。ある意味怖いもの知らずな気がする。
「なるほど……すごいですね、設楽先輩編曲もできるなんて」
「これくらいならな」
「設楽先輩が当日もボランティアに行くんですか?」
「いや、俺は用事があるから楽譜だけを渡す」
「この譜面を弾ける人がボランティアサークルの人にいるってことですか……?」
「まさか。楽譜はさすがにもっと弾きやすく書いた」
「ですよねえ……」
設楽先輩くらいピアノが弾ける人が近くにいるとしたら、是非ともお目にかかりたいくらいだ。譜面に書かれているのはもう少し弾きやすいものだとしたら、つまりいま聴かせてもらったのは、譜面にも書かれていない、完全に先輩のオリジナルのアレンジということだ。しかもj-popなんて珍しすぎる。すごく幸運なことなのでは。
「驚いたか?」
「はい、すごくびっくりしました……」
「よし」
「……よし?」
設楽先輩は目を見開いて、少し嬉しそうに笑ったけれど、私が聞き返したらすぐになんでもないと早口で言って、いつもの整った表情に戻った。
「それにしても、設楽先輩の書いた譜面でピアノを弾くなんて、すごく贅沢……いいなあ……」
「……おまえこの曲吹けるか?」
「えっ」
「試しに吹いてみろよ。ピアノ、適当に合わせてやるから」
「いいんですか!?」
「いいから言ってるんだろ。ほら、チューニングしろよ」
私はピアノが弾けないので、設楽先輩の書いた譜面をピアノで弾くことはきっとないだろう。だけど、私にはこのサックスがある。幸運の女神は、前髪しかない。設楽先輩とセッション、これ以上ない贅沢だ。サックスをもう一度ケースから出して、先輩のピアノに合わせてチューニングをする。ピアノとサックスの、B♭の音が音楽室に響いた。
***
結局、最終下校時刻ギリギリまで、何度も何度もふたりで音を重ねた。気がつけば日が落ちて、辺りはすっかり真っ暗になってしまった。まだ17時ごろでこの暗さに冬の訪れを感じる。設楽先輩の、音数が多くて華やかなピアノに合わせて吹くのはとても楽しかった。それこそ時間を忘れてしまうくらいに。
設楽先輩が、遅くなったからはばたき駅まで送ると言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。この後用事があって、家までは送ってやれないんだ、悪いなと先輩が言うので、やさしいひとだなと思った。
音楽室の鍵を閉めて、職員室に返して、学校を出る。駅までの道をふたり並んで歩きながら、今日の音楽室でのことを話していた。
「楽しかった〜!!あの曲、難しいですけど吹きごたえがありますね!」
「そうだな、おまえもなかなかいい音出してたぞ」
「設楽先輩が素直だ……」
「うるさい、もう褒めてやらないからな」
「ええ〜!設楽先輩、私もっと練習がんばるので、また一緒に合わせてくれますか?」
「ああ、まあ、がんばれよ」
「やった〜!」
設楽先輩の言葉が嬉しくてついニヤニヤしてしまう。そんな私を見て、先輩はやわらかく微笑んだ。先輩は、きれいだ。この人から、あんな素敵な音楽が奏でられるんだなあと思うと、ちょっとどきどきしてしまう。
話しながら歩いていると、あっという間にはばたき駅に着いてしまった。
「設楽先輩、送ってくださってありがとうございました」
「……おまえ、最近忙しいのか?」
「えっ」
「帰りに一緒に帰らないかって誘っても、音楽室にいるって伝えても、すぐアルバイトだって言ってさっさと帰るだろ、おまえ」
「だってバイトのある日ばっかり先輩が誘ってくるから……」
文化祭の準備期間中は吹奏楽部の練習に参加したかったから、バイトを休んでいた。その代わり、文化祭が終わってからは他の曜日もバイトに入っていることがあった。だから、最近は放課後にバイトがあることが多く、何度か設楽先輩に誘われたが、断ったことを覚えている。
「タイミングが悪い」
「私がですか!?先輩じゃなくて!?」
「………いんだ」
「先輩?」
「おまえがいないとつまらないんだ」
「えっ」
帰宅ラッシュで人の往来も多く、ざわざわとした駅の中で、私の耳には設楽先輩の声だけがはっきりと届いた。おまえがいないと、つまらない。なんで?私が呆気にとられていると、設楽先輩は一気に頬を赤らめた。
「っ、勘違いするなよ!揶揄う相手がいないってだけだからな!じゃあな!」
「あっ、待って、」
私の続きの言葉は届くことなく、設楽先輩は駅の入り口に走って行った。たぶん先輩は車で自宅まで帰るんだろう。言い逃げなんてずるいと思ったけれど、人混みに紛れていなくなってしまったので、その場に立ち尽くすしかなかった。とりあえず明日、一緒に喫茶店でも行きませんかって誘ってみようかなあ、なんて思いながら、先輩の弾いてくれた曲を鼻歌で歌いながら、改札を通った。今日の音楽室でのひとときを噛み締めていたかった。
20240619
放課後、吹奏楽部の個人練習が終わり、音楽室に譜面台を片付けに向かった。グラウンドから運動部の人たちの賑やかな声が聞こえるが、校内は静かだった。もう誰も部員はいないかもと思いつつ、音楽室まで来ると、部屋の電気が廊下に漏れていた。どうやら誰かいるらしい。邪魔にならないように音楽室のドアを静かに開けると、そこにいたのは設楽先輩だった。先輩はいつものようにピアノの前に座っていて、私の方を見て、あっ、と少し目を見開いた。
「美奈子」
「設楽先輩、こんにちは」
「練習終わりか?」
「はい」
設楽先輩は吹奏楽部の全体練習がない日や、音楽室が空いてる日にときどきピアノを弾きに来ている。私は音楽室で先輩がピアノを弾いているのを耳にして以来、完全に先輩の弾くピアノのファンになってしまった。うまく説明できないけれど、先輩のピアノは他の人のピアノとは何がが決定的に違うのだ。
「今ちょっと時間あるか?聴いてほしい曲がある」
「えっなんですか突然」
「いいから、とりあえず座ってくれ」
「はあ……」
よくわからないけれど、とりあえず相槌を打って適当な席に座り、肩にかけていたサックスが入っているケースを下ろした。今日の設楽先輩は、私に有無を言わせない強引さがある気がする。
先輩は、私が座ったのをちらりと横目で確認したあと、いつものように美しい指でピアノを奏で始めた。だけど、聞こえてくるメロディーに、私は目を丸くした。いつもの優雅な雰囲気を纏ったクラシックじゃなかったからだ。聞き覚えのあるアップテンポなメロディーで、いま流行りのj-popのピアノアレンジであることに気づいた。なんで!?と思わず驚きの声をあげそうになったが、先輩の音楽の邪魔をしてはいけないので、ぐっと堪えた。
先輩のピアノは止まらない。リズミカルで飛んだり跳ねたりするような先輩のピアノはなんだか珍しくて、聴いてる私もわくわくしてきた。そしてジャンルは違えど、やっぱりすごく上手い。一曲の中でダイナミックな雰囲気が続くかと思いきや、中盤では繊細なメロディーが奏でられたりと、曲の表現が豊かで、聴いている方も楽しい。なんとなく、先輩自身も楽しそうに見える。耳にしたことのある曲だけど、全く別の新しい曲のようにも聴こえた。
最後の一音が鳴り響いたあと、私は居ても立っても居られなくて、すぐに立ち上がり、ぱちぱちと大きな拍手を送った。圧巻の演奏だった。一瞬はばたきホールにいるのかと錯覚するくらい、聞き入ってしまった。
「設楽先輩すごい!!いつもと違いますね!?」
「まあ、ジャンルの違う曲だしな……」
「珍しい、どうしたんですか?」
「紺野に頼まれたんだ。今度ボランティアサークルで子どもの好きな曲をピアノで聞かせてやりたいけど、この曲の譜面がないから書いてくれないかって」
確かに今聞かせてくれたのは今小中学生に人気の曲で、爆発的な人気らしいと、ネットニュースで読んだ。けれど、設楽先輩がこの曲を知ってることにちょっと驚いた。だって、テレビも見ないと言っていたから。
「リリースされたばっかりだから楽譜がないんですね、きっと」
「紺野もそう言ってた」
「今のは設楽先輩がアレンジしたんですか?」
「ああ、練習も兼ねて」
この譜面も俺が書いたんだ、と譜面台に置いてる楽譜を見せてくれた。手書きの文字は、確かに設楽先輩の文字だった。ちょっと癖のある音符の書き方とか。私は楽譜をまじまじと見つめた。
紺野先輩は、たぶん設楽先輩のピアノのすごさをあんまり分かっていない気がする。以前音楽の話をしたときも、音楽鑑賞を音楽を楽しむというよりも、環境音のように扱っていたし。だから、設楽先輩に簡単に頼んじゃえるんだ。ある意味怖いもの知らずな気がする。
「なるほど……すごいですね、設楽先輩編曲もできるなんて」
「これくらいならな」
「設楽先輩が当日もボランティアに行くんですか?」
「いや、俺は用事があるから楽譜だけを渡す」
「この譜面を弾ける人がボランティアサークルの人にいるってことですか……?」
「まさか。楽譜はさすがにもっと弾きやすく書いた」
「ですよねえ……」
設楽先輩くらいピアノが弾ける人が近くにいるとしたら、是非ともお目にかかりたいくらいだ。譜面に書かれているのはもう少し弾きやすいものだとしたら、つまりいま聴かせてもらったのは、譜面にも書かれていない、完全に先輩のオリジナルのアレンジということだ。しかもj-popなんて珍しすぎる。すごく幸運なことなのでは。
「驚いたか?」
「はい、すごくびっくりしました……」
「よし」
「……よし?」
設楽先輩は目を見開いて、少し嬉しそうに笑ったけれど、私が聞き返したらすぐになんでもないと早口で言って、いつもの整った表情に戻った。
「それにしても、設楽先輩の書いた譜面でピアノを弾くなんて、すごく贅沢……いいなあ……」
「……おまえこの曲吹けるか?」
「えっ」
「試しに吹いてみろよ。ピアノ、適当に合わせてやるから」
「いいんですか!?」
「いいから言ってるんだろ。ほら、チューニングしろよ」
私はピアノが弾けないので、設楽先輩の書いた譜面をピアノで弾くことはきっとないだろう。だけど、私にはこのサックスがある。幸運の女神は、前髪しかない。設楽先輩とセッション、これ以上ない贅沢だ。サックスをもう一度ケースから出して、先輩のピアノに合わせてチューニングをする。ピアノとサックスの、B♭の音が音楽室に響いた。
***
結局、最終下校時刻ギリギリまで、何度も何度もふたりで音を重ねた。気がつけば日が落ちて、辺りはすっかり真っ暗になってしまった。まだ17時ごろでこの暗さに冬の訪れを感じる。設楽先輩の、音数が多くて華やかなピアノに合わせて吹くのはとても楽しかった。それこそ時間を忘れてしまうくらいに。
設楽先輩が、遅くなったからはばたき駅まで送ると言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。この後用事があって、家までは送ってやれないんだ、悪いなと先輩が言うので、やさしいひとだなと思った。
音楽室の鍵を閉めて、職員室に返して、学校を出る。駅までの道をふたり並んで歩きながら、今日の音楽室でのことを話していた。
「楽しかった〜!!あの曲、難しいですけど吹きごたえがありますね!」
「そうだな、おまえもなかなかいい音出してたぞ」
「設楽先輩が素直だ……」
「うるさい、もう褒めてやらないからな」
「ええ〜!設楽先輩、私もっと練習がんばるので、また一緒に合わせてくれますか?」
「ああ、まあ、がんばれよ」
「やった〜!」
設楽先輩の言葉が嬉しくてついニヤニヤしてしまう。そんな私を見て、先輩はやわらかく微笑んだ。先輩は、きれいだ。この人から、あんな素敵な音楽が奏でられるんだなあと思うと、ちょっとどきどきしてしまう。
話しながら歩いていると、あっという間にはばたき駅に着いてしまった。
「設楽先輩、送ってくださってありがとうございました」
「……おまえ、最近忙しいのか?」
「えっ」
「帰りに一緒に帰らないかって誘っても、音楽室にいるって伝えても、すぐアルバイトだって言ってさっさと帰るだろ、おまえ」
「だってバイトのある日ばっかり先輩が誘ってくるから……」
文化祭の準備期間中は吹奏楽部の練習に参加したかったから、バイトを休んでいた。その代わり、文化祭が終わってからは他の曜日もバイトに入っていることがあった。だから、最近は放課後にバイトがあることが多く、何度か設楽先輩に誘われたが、断ったことを覚えている。
「タイミングが悪い」
「私がですか!?先輩じゃなくて!?」
「………いんだ」
「先輩?」
「おまえがいないとつまらないんだ」
「えっ」
帰宅ラッシュで人の往来も多く、ざわざわとした駅の中で、私の耳には設楽先輩の声だけがはっきりと届いた。おまえがいないと、つまらない。なんで?私が呆気にとられていると、設楽先輩は一気に頬を赤らめた。
「っ、勘違いするなよ!揶揄う相手がいないってだけだからな!じゃあな!」
「あっ、待って、」
私の続きの言葉は届くことなく、設楽先輩は駅の入り口に走って行った。たぶん先輩は車で自宅まで帰るんだろう。言い逃げなんてずるいと思ったけれど、人混みに紛れていなくなってしまったので、その場に立ち尽くすしかなかった。とりあえず明日、一緒に喫茶店でも行きませんかって誘ってみようかなあ、なんて思いながら、先輩の弾いてくれた曲を鼻歌で歌いながら、改札を通った。今日の音楽室でのひとときを噛み締めていたかった。
20240619