日常つらつら

日曜のホットケーキと、IDチップの行方(2025/12/14)

2025/12/15 00:49
(※すみません、日付を跨いでしまいました!!)

こんにちは。
4日目です。一般社会人マルセル、明日からはまたきっちりお勤めしてまいりますので、また日記タイムに浸らせてください。

「毎回食いモンのことばっかりだなコイツ……」
と思われることは承知の上ですが、インドア人間の私にとっては、日常の変数は多くないのですよね。それこそ、ひとりで、あるいは家族とともに食する一皿のバリエーションばかりが頼りの日記となりつつありますが、どうかご容赦くださいませ。

さて、本日も悠々自適な休日を謳歌すべく、アラーム無しの起床を迎えるはずでした。しかし、目の前に広がったのは弟の顔でした。

「朝マック、食うぞ」

だいぶ意気込んだモーニングコールで叩き起こされたのが7時半ほど。私にとっては「早起きの日曜日」の幕が上がりました。

やにわにマックデリバリーの画面を突きつけられ、メニューを即決せねばならない状況でした。

起き抜けは空腹に鈍感な時間帯。ソーセージエッグマフィンの魅力もこの時ばかりはくすんで見えてしまいました。目玉焼きはムリ。いや、どちらかというとお肉、ソーセージがムリ。ああ、先日の健康診断でも指摘された低血圧が憎いものです。
叶うことなら私も「健啖家」になりたかった……

逡巡する思惑とともに弟のスマートフォンをスワイプしていた私の指は、ある一点で唐突に止まりました。それはほとんど必然かのようでした。如何にもという動物性タンパク質を受け入れがたい今の状況には、大変ありがたいメニューであり、たまに食べたくなる、あの甘ーい幸せ……

ホットケーキセットの注文ボタンは、強烈な引力を伴って私の人差し指を吸い寄せました。

雨が強まったのは注文をした直後でした。バイクでデリバリーしてくださる店員さんには本当に申し訳ないことをしました……
せめて配達いただいた食事を美味しくいただくことこそが、我々にできる最大限のお礼ではないか、そう弟と会話をしつつ、あの褐色の紙袋を受け取りました。

ハッシュドポテトが入っているからだろうか、人間の食欲のスイッチを否応なしに起動する、あの暴力的な罪の香りがリビングに持ち込まれました。発生源であるハッシュドポテトと、最近より美味しく改良されたプレミアムローストコーヒー。
そして、メインディッシュのご開帳。

3枚重ねのホットケーキ。

私が気に入っているのは兎にも角にもその名称です。「パンケーキ」ではなく「ホットケーキ」。両者の定義の差異については殊更に気にしているわけではありませんが、一般庶民の私に馴染むのは後者です。小学校の低学年のときだったか。時間割も短く、早くに帰宅しては、母と弟とともにホットプレートを囲み、焼き立てのホットケーキを食べた……そんな思い出は何層にも渡って焼き上げられております。
ホットケーキは安心の象徴。そんな「子どもの食べ物」なのです。

マクドナルド謹製のホットケーキは実にクラシックでアメリカンなもの。
薄く焼き上げられた生地に、別添のホイップバタークリームとメープルシロップをたっぷりかけなさいや!
そう言わんばかりです。3枚のホットケーキに対して、間違いなく過剰な量のメープルシロップを添えてくださるので、こちらとしてもメープルで浸さねば無作法というもの……

ナイアガラの滝のように滴り落ちるメープルシロップ。それを優しい甘さのホットケーキに纏わせ、一気に頬張ってみます。
なんと、うまいものか。
メープルシロップがあっても、ふわりとした優しい甘みの方が押し寄せてくるような気さえしてきます。
野菜もない、果物もない。魚や肉もない。シンプルな構成。単に空腹を満たすこと以上の、純粋でプリミティブな喜びがそこには詰まっているのです。
罪悪感を飲み込むには大きすぎる喜びが。

そうだ。「子ども時代の探訪」。今日の朝食は間違いなくそのための旅だったに違いありません。ホットケーキを選んだのは大正解でした。

ホットケーキは「子どもの食べ物」。

「子どもの食べ物」の甘さは、いつだって、青い時代の思い出を惹起します。
先ほどの、家族との記憶とはまた別のものです。

あれもまた、私にとっては「子どもの食べ物」でした。

10年ほど前。私にも高校時代というものがあり、部活動をしていました。運動部ではなく、文化部でした。
身体を使うわけではなく、かと言って頭脳をフル稼働するわけでなく、だらだらとした放課後を過ごす秘密結社のような部活動でした。もちろん、メインとなる活動をやるべき時は何度もあり、そのためには心血と多大な時間を注ぐ同志たちが集まった、精力的な面もあったのですがね。

さて、そんな同志の一人に、私の大切な親友がおりました。

彼とは最寄り駅まで同じ帰路を行き、途中に一軒だけあるコンビニでホットスナックを買っては、店の前で行儀悪くもかじりつく、いわゆる「買い食い仲間」でもあったのです。

決まってフランクフルトを頬張る私の横で、彼のチョイスもまた固定化されていました。

「ほんとアメリカンドッグ好きだよなー」
「ん? これが一番腹ン溜まるしな」
「まあわかるけどさ、僕の中ではどうしても『子どもの食べ物』っていうか……」
「オイオイオイオイ!! ハイティーンがアメド食ってもええやろがい!!!」

筋金入りの「アメリカンドッガー」の彼を私が揶揄し、怒った素振りをする彼とまた会話が弾む……
今にして思えば、この定番の問答は、彼の中にある「少年らしさのIDチップ」の内在を試すようなものだったのでしょう。そして、彼が語る魅力を私も内心で噛み締め、子供でいられる時間の甘美さにまどろんでは、フランクフルトを咀嚼していたのです。

あの頃の私たちは誰もがそのIDチップを堂々と持ち運んでいました。
たとえ解けない三角関数の練習問題があろうが、決められなかったシュートがあろうが、それは些末な問題であり、私たちはまだ「子ども」である。これが私たちなのだ、という、環境トップメタの最強装備だったのかもしれません。

あの甘い生地の匂いは、かけがえのないモラトリアムを伴う、沿線の夕焼けの匂いでもあります。

オレンジ色の地方都市の景色は10年経っても風化しないものです。
共感していただけるかわかりませんが、このホットケーキの生地は、あのアメリカンドッグの衣に通じる匂いがするものに感じます。



そして今、その親友も、私も、あの沿線沿いのかすりもしない場所で働いています。玉置浩二の『田園』の歌詞のように、ビルに飲み込まれています。
LINEでの交流はたまにあります。しかし、彼が今も「アメリカンドッガー」なのかどうか――そんな大人目線では「くだらない」と唾棄されかねない事柄を、リアルタイムで追うことは憚られる。そんな距離感になっているのも事実です。

私はあのIDチップをどこのポケットに置きっぱなしにしているのか、皆目検討がつきません。ふざけて同性の後輩にぶん投げた第二ボタンとともに、鈍色の愛しき校舎の片隅に忘れ去られたのでしょうか。

大人になった私たちは、健康や体裁を気にするあまり、どこかにしまい込んでいるのかもしれません。

では彼のチップは?
同じように探し出せないでいる?
そもそも覚えてくれているだろうか……

彼も参加する忘年会の店が決まったと連絡があったのは、今日の13時のことでした。
忘年会で、私はこの10年の曖昧な時間を清算するため、彼にひとつの儀式を要求するでしょう。
あのときは呑めなかったビールでも呷りながら、私は彼にきっと、こう問うのです。

「帰りさ、コンビニ寄ろう。〆にさ、アメリカンドッグ食わね?」

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