日常つらつら
夢と現実、それからちゃんぽん(2025/12/13)
2025/12/13 23:59こんにちは!
3日目もなんとか更新できそうです。
土曜日。休日です。まあ、インドア派で出不精なものですから、特段大きなイベントは無かったのですがね。
さて、試練の健康診断も過ぎ去り、私を迎えたのは至極怠惰な休日でありました。
9時半という、ぐうたらでフレキシブルな起床の後、直ぐにSwitchの電源を入れました。忙しい平日には触らないお楽しみタイム。ここ数年の私が最も「イレ込んでいる」ゲームへの没入の時間です。
『ダービースタリオン』という競馬のゲームです。ご存知でしょうか。
簡単に言うと馬を育てるゲームです。自らが馬主となり、手塩にかけて育てた競走馬たちとともに、競馬界の数多のタイトル獲得を目指す。そして大目標として、最高栄誉・日本ダービー制覇を狙う……というのがプレイヤーの目的とされています。
現在放送されているドラマ、日曜劇場『ザ・ロイヤルファミリー』を観ている方ならわかるかもしれませんが、まさに山王親子が身を置いている世界そのものですね。
私も詳しい訳ではありませんが、「物知り顔語り」をお許しいただきたい。かつてオグリキャップという名馬が日本にいまして、彼がその中核となり日本にもたらされたのが「第二次競馬ブーム」。ダービースタリオンというゲームはまさにその時期に端を発し、ちょうど私が生まれるぐらいの時代には全盛期を迎えたと聞きます。
さて、耕一がロイヤルファミリーに夢を託すのと同様に、私もゲームの中では馬主として振る舞っています。現実の中央競馬で馬主になるには、一般人にはなかなか手の届かない額の財産・所得要件が求められます。
ということは、ゲーム内のマルセルはおそらく一代で財を成した気鋭の起業家でしょうか? 半ば道楽として始めた馬主活動。しかし次第にのめり込んでいき、いつしか本気で愛馬とともにGⅠレースを獲りに行く「馬バカ」になっていく。
そんな机上の妄想はいくらでも繰り広げることができますが、一方、その箱庭的世界観をモニター越しに見つめるリアルのマルセルはどうでしょう。
何年着ているのかわからないユニクロのスウェットと、与謝野晶子も仰天のみだれ髪。夢とロマンを追うやんごとなき方々と比べるのは月とスッポンでしょう。
いや、いけませんね。ゲーマーである自分を客観視するメタ的視点など、正直言って自らにダメージを与えるだけですから、この辺にしといてやりましょうか……
そうこうしている内にお昼時になり、牧場を一度セーブすると、ドラマ好きの父がケーブルテレビの再放送にかじりついていました。
ああ、ここにもまた日曜劇場だ……
「下町ロケット」。ゲームという架空の箱庭への愛情を注ぐ私への当て付けかのように、画面の技術者たちは、実社会を支えるべくバルブシステムの開発に心血を注いでいました。ダビスタで舞い上がったり、負けてため息をついたりする私と、テスト成功で沸き立つ佃製作所の社員たち……
こう嫌味ったらしく書いてしまいましたが、私も好きなドラマです。阿部寛さんの熱演には、冷笑気味の現代社会に風穴を開けるエネルギーが迸ります。
名作はいつまでも名作です。
文句をつけるとするならば、同じく隣で見ていた母が、啖呵を切る阿部さんのセリフの数々に、
「今なんて?」
としきりに問うていたことくらいでしょうか。滑舌にご不満の様子。
「ごめん、僕もわからん」
そう返した私ともども、いっぺん阿部さんと武豊さんに鞭で叩かれた方がいいでしょう。
母は決して悪い人ではないのですがね。私ももちろん……いや、どうかなあ……
私が再びSwitchに向かう中、陽がすっかり傾いた頃には、ドラマは第二部の、人工弁開発を巡る章に入っていました。
この日の晩ご飯は、母の主導で鶏白湯鍋……というより、その向こうの鍋の〆であるちゃんぽんに決定しました。
リビングは瞬く間に、水蒸気と鍋の出汁の匂い、年賀状の送り先の話題で満たされていきます。
それは、ロケット開発の壮大なプロジェクトでもなければ、「名馬主」マルセルの血統論でもありません。ごく当たり前の、しかし確かに熱を持った「現実」の匂いでした。
私は、卑しくも野菜を切る合間に確認していたSwitchを本格的にスリープさせ、箱庭の蓋を閉じます。ソファーの上で有馬記念の優勝賞金を獲っては、大観衆の歓声に包まれたマルセルの虚像は、急激に現実の匂いに埋もれていきました。
目の前にあるのは、家庭的な湯気を上げる鶏白湯の鍋。そして隣で年賀状の枚数を見積もる母と、阿部寛vs小泉孝太郎に没入する父。
この熱量こそが平和な現実の休日なのだと突きつけられます。
そして、鍋の具材が少なくなると、母が生麺の袋を手に、最後の仕上げとなる儀式を始めました。
ぐつぐつと煮えるその中には、豚バラ肉、白菜、キャベツ、そして家族の今日の会話の断片、さらに言えば、私のダビスタの興奮と、父の下町ロケットの感動の余波までもが溶け込んでいるように見えました。
ちゃんぽんとは不思議な食べ物ですね。
聞けば「ちゃんぽん」という言葉自体に「まぜこぜ」という意味があるというではありませんか。
確かに、一般的なラーメンが「スープ」「麺」「具材」と明確に分かれているのに対して、ちゃんぽんは麺自体がスープを吸いますし、具材の出汁がすべて溶け込み、境界が曖昧になっています。その名の通り、「まぜこぜ」なのです。
この境界の溶解こそが、今日の私の休日そのものではないでしょうか。
箱庭の壮大な夢も、熱き血潮の滾るドラマも、くる年を祝う知人の想像も。そしてユニクロのスウェットを着たままソファーと一体化していた私の怠惰も、すべてが互いの出汁を滲ませて、新しい調和を生み出しているのです。
もし人生が、明確な「理想」と「現実」に分けられた加点方式や減点方式の成績表だとしたら、私たちは常にどこかに不満を持つでしょう。しかし、ちゃんぽんのように、すべての異質な要素が渾然一体となり、優しく温かいスープとなってまとまってくれるなら、それは最高の休日ではないでしょうか。
私は箸で、鶏白湯の旨味をたっぷり吸った、コシのあるちゃんぽん麺をすすりました。熱く、優しく、どこか混沌の旨味……
馬主のロマンも、ロケットの夢も、すべてはこの一口に詰まっていました。
今日の私の休日は、ソファーの上で夢と現実を混ぜ合わせ、最後に家族と囲んだ鍋の〆によって、完璧なちゃんぽんとして完成したのでした。
3日目もなんとか更新できそうです。
土曜日。休日です。まあ、インドア派で出不精なものですから、特段大きなイベントは無かったのですがね。
さて、試練の健康診断も過ぎ去り、私を迎えたのは至極怠惰な休日でありました。
9時半という、ぐうたらでフレキシブルな起床の後、直ぐにSwitchの電源を入れました。忙しい平日には触らないお楽しみタイム。ここ数年の私が最も「イレ込んでいる」ゲームへの没入の時間です。
『ダービースタリオン』という競馬のゲームです。ご存知でしょうか。
簡単に言うと馬を育てるゲームです。自らが馬主となり、手塩にかけて育てた競走馬たちとともに、競馬界の数多のタイトル獲得を目指す。そして大目標として、最高栄誉・日本ダービー制覇を狙う……というのがプレイヤーの目的とされています。
現在放送されているドラマ、日曜劇場『ザ・ロイヤルファミリー』を観ている方ならわかるかもしれませんが、まさに山王親子が身を置いている世界そのものですね。
私も詳しい訳ではありませんが、「物知り顔語り」をお許しいただきたい。かつてオグリキャップという名馬が日本にいまして、彼がその中核となり日本にもたらされたのが「第二次競馬ブーム」。ダービースタリオンというゲームはまさにその時期に端を発し、ちょうど私が生まれるぐらいの時代には全盛期を迎えたと聞きます。
さて、耕一がロイヤルファミリーに夢を託すのと同様に、私もゲームの中では馬主として振る舞っています。現実の中央競馬で馬主になるには、一般人にはなかなか手の届かない額の財産・所得要件が求められます。
ということは、ゲーム内のマルセルはおそらく一代で財を成した気鋭の起業家でしょうか? 半ば道楽として始めた馬主活動。しかし次第にのめり込んでいき、いつしか本気で愛馬とともにGⅠレースを獲りに行く「馬バカ」になっていく。
そんな机上の妄想はいくらでも繰り広げることができますが、一方、その箱庭的世界観をモニター越しに見つめるリアルのマルセルはどうでしょう。
何年着ているのかわからないユニクロのスウェットと、与謝野晶子も仰天のみだれ髪。夢とロマンを追うやんごとなき方々と比べるのは月とスッポンでしょう。
いや、いけませんね。ゲーマーである自分を客観視するメタ的視点など、正直言って自らにダメージを与えるだけですから、この辺にしといてやりましょうか……
そうこうしている内にお昼時になり、牧場を一度セーブすると、ドラマ好きの父がケーブルテレビの再放送にかじりついていました。
ああ、ここにもまた日曜劇場だ……
「下町ロケット」。ゲームという架空の箱庭への愛情を注ぐ私への当て付けかのように、画面の技術者たちは、実社会を支えるべくバルブシステムの開発に心血を注いでいました。ダビスタで舞い上がったり、負けてため息をついたりする私と、テスト成功で沸き立つ佃製作所の社員たち……
こう嫌味ったらしく書いてしまいましたが、私も好きなドラマです。阿部寛さんの熱演には、冷笑気味の現代社会に風穴を開けるエネルギーが迸ります。
名作はいつまでも名作です。
文句をつけるとするならば、同じく隣で見ていた母が、啖呵を切る阿部さんのセリフの数々に、
「今なんて?」
としきりに問うていたことくらいでしょうか。滑舌にご不満の様子。
「ごめん、僕もわからん」
そう返した私ともども、いっぺん阿部さんと武豊さんに鞭で叩かれた方がいいでしょう。
母は決して悪い人ではないのですがね。私ももちろん……いや、どうかなあ……
私が再びSwitchに向かう中、陽がすっかり傾いた頃には、ドラマは第二部の、人工弁開発を巡る章に入っていました。
この日の晩ご飯は、母の主導で鶏白湯鍋……というより、その向こうの鍋の〆であるちゃんぽんに決定しました。
リビングは瞬く間に、水蒸気と鍋の出汁の匂い、年賀状の送り先の話題で満たされていきます。
それは、ロケット開発の壮大なプロジェクトでもなければ、「名馬主」マルセルの血統論でもありません。ごく当たり前の、しかし確かに熱を持った「現実」の匂いでした。
私は、卑しくも野菜を切る合間に確認していたSwitchを本格的にスリープさせ、箱庭の蓋を閉じます。ソファーの上で有馬記念の優勝賞金を獲っては、大観衆の歓声に包まれたマルセルの虚像は、急激に現実の匂いに埋もれていきました。
目の前にあるのは、家庭的な湯気を上げる鶏白湯の鍋。そして隣で年賀状の枚数を見積もる母と、阿部寛vs小泉孝太郎に没入する父。
この熱量こそが平和な現実の休日なのだと突きつけられます。
そして、鍋の具材が少なくなると、母が生麺の袋を手に、最後の仕上げとなる儀式を始めました。
ぐつぐつと煮えるその中には、豚バラ肉、白菜、キャベツ、そして家族の今日の会話の断片、さらに言えば、私のダビスタの興奮と、父の下町ロケットの感動の余波までもが溶け込んでいるように見えました。
ちゃんぽんとは不思議な食べ物ですね。
聞けば「ちゃんぽん」という言葉自体に「まぜこぜ」という意味があるというではありませんか。
確かに、一般的なラーメンが「スープ」「麺」「具材」と明確に分かれているのに対して、ちゃんぽんは麺自体がスープを吸いますし、具材の出汁がすべて溶け込み、境界が曖昧になっています。その名の通り、「まぜこぜ」なのです。
この境界の溶解こそが、今日の私の休日そのものではないでしょうか。
箱庭の壮大な夢も、熱き血潮の滾るドラマも、くる年を祝う知人の想像も。そしてユニクロのスウェットを着たままソファーと一体化していた私の怠惰も、すべてが互いの出汁を滲ませて、新しい調和を生み出しているのです。
もし人生が、明確な「理想」と「現実」に分けられた加点方式や減点方式の成績表だとしたら、私たちは常にどこかに不満を持つでしょう。しかし、ちゃんぽんのように、すべての異質な要素が渾然一体となり、優しく温かいスープとなってまとまってくれるなら、それは最高の休日ではないでしょうか。
私は箸で、鶏白湯の旨味をたっぷり吸った、コシのあるちゃんぽん麺をすすりました。熱く、優しく、どこか混沌の旨味……
馬主のロマンも、ロケットの夢も、すべてはこの一口に詰まっていました。
今日の私の休日は、ソファーの上で夢と現実を混ぜ合わせ、最後に家族と囲んだ鍋の〆によって、完璧なちゃんぽんとして完成したのでした。