日常つらつら
健診と天ぷら(2025/12/12)
2025/12/12 23:58こんにちは!
飽き性の私ですが、流石に2日目は継続できそうで自分に安堵しております。
いつもの如く18時までテレワーク……のはずだったのですが、今日は外せないイレギュラーな予定がありました。
そのせいで、この日の私は朝から水と自己嫌悪だけを許された哀れな現代人として始まりました。
健康診断の前には、どうして人はこんなにも空腹になるのでしょうか……
絶食という修行のさなか、7時半に目覚めました。その瞬間から世界に追い詰められる感覚に襲われました。流し見のコマーシャルは全て美味しそうな食べ物に見え、業務中のTeamsの通知音はポテトが揚がった音に聞こえます。しかし、いずれも口にすることはできません。
私にはわかります。これは飢餓がもたらす一種の幻覚であると。
それでも私は耐えました。
この日の私のミッションはただ一つ。14時半以降に最高の美味しいものを食べること、それだけだったのです。
というわけで、健康診断という大義名分を得て、午前は2時間だけ勤務し、早抜けの権利を得ました。
周囲が働いている中、ラフな恰好で街へと繰り出し、病院へ向かいます。
正午が近づく電車はこんなにも空いているのだなあ。車窓風景を前に去来するのは優越感でした。何だか、有給休暇を盗み取ったような背徳感。
しかし、それも一瞬でした。病院の最寄駅に着いた瞬間の、師走の風の冷たさたるや。
なぜこんなにも寒く、心まで不安なのか。それもつまるところ健康診断のせいなのでしょう。
私は重い足取りで建物に入りながら、この儀式について考えていました。
私たちは日頃、「健康」を意識して生きているでしょうか。
大人になればなるほど「健康」はますます肝要になるわけですが、社会人にとってのそれは、もはや電気・ガス・水道・インターネットのようなインフラに等しい。往々にして、「あって当然」の基本性能のような位置づけに置かれます。
私たちが元気であるうちは、動脈硬化もなく、血糖値も正常であることなど、もはや空気のようなもので、誰もわざわざ感謝しません。
だからこそ、健康診断は恐ろしいのです。
血圧が正常だからと言って「マルセルくん、よくぞ健康でいてくれた! 100点満点!!」とは褒めてくれない。そんな加点方式の健康診断など、どこにも存在し得ないでしょう。
健康診断は、私たちが無自覚に築き上げた「不摂生という負債」――深夜のラーメン、ストレス、運動不足――を、数値という名の成績表で暴き出し、そこからいくつ点が引かれるかを宣告するもの。
つまり、健康診断は、減点方式の儀式に他ならないのでないでしょうか。
私はそれほど不摂生をしているつもりはないのですが、それでも自分の見えない場所(主に内臓)に何らかの欠点が見つかるのではないかと、漠然とした不安を抱えながら受付を済ませました。
病院はどこまでも清潔で、暖房が効いており、薬品の匂いが強調されていました。そこそこ広い待合室には、既に検査を待つ同胞たちが手持ち無沙汰にワイドショーを眺めていました。
朝食抜きで絞り出した尿検査、身長・体重測定、胸部X線検査……今年度の「成績表」は刻々と埋められていきます。
そして今日イチの気を張るイベント、採血の時間がやってきました。控えているのはシャウエッセンほどの大きさの、空の容器が3本……これら全てを満たす量を採ってもらうことに。
担当いただいた技師の方はにこやかに対応してくださいました。
「これまで採血で具合が悪くなったりしたことありますか?」
「アッ、いいえ」
「指先がしびれたりしたことはありませんか?」
「アッ、いいえ……」
採血台を挟んでの会話はいつになっても据わりの悪いものです。
陰の者と言われても致し方のない回答でしたが、それほどまでに私は不安でした。
生理的な恐怖を覚えながら、シャツの袖を捲りあげ、腕を献上します。そして、鋭利な針を刺す直前、彼女は真顔でこう言いました。
「うわ、マルセルさん、血管が良いですね」
……ん?
血管が、「良い」?
果たして人生でそんな言葉をかけてもらったことがあったでしょうか。
「え? それはどういう――」
「いい感じに太くて、針が刺しやすいですよ。今日はあまり水を飲んでいないでしょうから、ちょっと元気無さそうですが……」
「そうですか……(もしかして、血管フェチなのかな?)」
もしかしてこれは、私の隠された才能、誰も知らない特殊能力なのでは……?
だとしたら一体、何の世界で役に立つ特技なのでしょうか。「注射されるのが上手い」? 受動的な特技って何なんだ……?
一方で心の中では「私、血管が良いらしい。この方のお眼鏡にかなうような、何かのオーディションに合格したのだろうか?」と、奇妙な高揚感を覚えました。
減点方式の世界で突然もらった、謎の加点です。
針が刺される瞬間、私は腕の内側から青く透けて見える静脈をじっと見つめました。彼女が褒めてくれたこの青い管こそが、インフラとしての「健康」を支える、目に見える生命のパイプラインでした。この透けて見える静脈が、今日の私の全てを支えている……。
採血を終え、視力、聴力、内科検診を終える頃には、時刻は14時半を回っていました。
すべての義務を果たし終えた瞬間の解放感と、空腹感の爆発。あとは、不摂生という負債を清算した私自身に、最高の褒美を……!
病院をあとにして、再び電車に乗り、大きな駅に降り立ちました。街は金曜日の午後特有の浮き立つ人々の波で溢れていました。何を食べようか。ラーメン? パスタ? いや、違う。体が求めているのは、もっと強烈な100点満点の歓びです。
さすが繁華街。選択肢が多すぎて、再び脳がフリーズしたその時、ふと、あの技師の方の「血管が良い」という声と、採血台で見た青く透けた静脈がフラッシュバックしたのです。
血管。
透けている。
生命のパイプライン。
あまりにも突飛な、しかし自分にとっては必然の結論に至りました。
(そうだ。私は今日、表層に透けて見える生命の尊さ。ならば、私がこれから食べるべきものも、また透けて見える神秘でなければならない!)
このアヴァンギャルドな哲学が導き出した結論。それは、天ぷらでした。サクサクの薄い衣越しに具材の色が透けて見える、あの奥ゆかしさ……特に、大葉の天ぷら。薄い衣を通して緑色が鮮やかに透けて見える。これこそが、私の静脈の写し鏡だったのです。
大優勝の15時半。人もまばらなカウンター席に座り、まずはレモンハイを注文。運ばれてきたそれを一口飲んだ瞬間、減点方式の世界は、音を立てて崩壊していきました。この一杯こそが、私の健診に対する「合格証明書」そのものに違いない。
天ぷらは1品ずつ注文しました。なす、玉ねぎ、鶏もも。そして、ごぼう、舞茸(今気づきましたが、野菜ばかりですね。まだ健康診断を引きずっていたのでしょうか?)。
そして、最後に、本命の大葉の天ぷらが皿に置かれました。衣を通して、確かに鮮やかな緑が網膜に焼き付いていたのです。私はそれを箸で持ち上げ、一枚の葉っぱに籠めるものとは思えないほどの熱量とともに、口に運びました。
大葉を噛みしめる。サクッとした軽快な食感と、青く香る大葉の香りが、午前中のすべての緊張と空腹を洗い流してくれました。
私は血管の良い人間として、満点の天ぷらを食べ終えました。
おそらく、いや間違いなく、健康診断でいくらか点が引かれたことでしょう。しかし、最高のレモンハイと、この至高の天ぷらという「加点」を得たことで、人生は結局相殺され、プラスマイナスゼロか、むしろプラスに転じたのです。
健康はインフラ。確かに義務に近いものなのでしょう。しかしその大切さを肝に銘じるためには、こうして時に甘美な負荷をかけてあげることもまた肝要なのです。
私はそう自らを正当化しながら、おそらく来年度の「負債」となるご褒美を、胃の中に収めました。
飽き性の私ですが、流石に2日目は継続できそうで自分に安堵しております。
いつもの如く18時までテレワーク……のはずだったのですが、今日は外せないイレギュラーな予定がありました。
そのせいで、この日の私は朝から水と自己嫌悪だけを許された哀れな現代人として始まりました。
健康診断の前には、どうして人はこんなにも空腹になるのでしょうか……
絶食という修行のさなか、7時半に目覚めました。その瞬間から世界に追い詰められる感覚に襲われました。流し見のコマーシャルは全て美味しそうな食べ物に見え、業務中のTeamsの通知音はポテトが揚がった音に聞こえます。しかし、いずれも口にすることはできません。
私にはわかります。これは飢餓がもたらす一種の幻覚であると。
それでも私は耐えました。
この日の私のミッションはただ一つ。14時半以降に最高の美味しいものを食べること、それだけだったのです。
というわけで、健康診断という大義名分を得て、午前は2時間だけ勤務し、早抜けの権利を得ました。
周囲が働いている中、ラフな恰好で街へと繰り出し、病院へ向かいます。
正午が近づく電車はこんなにも空いているのだなあ。車窓風景を前に去来するのは優越感でした。何だか、有給休暇を盗み取ったような背徳感。
しかし、それも一瞬でした。病院の最寄駅に着いた瞬間の、師走の風の冷たさたるや。
なぜこんなにも寒く、心まで不安なのか。それもつまるところ健康診断のせいなのでしょう。
私は重い足取りで建物に入りながら、この儀式について考えていました。
私たちは日頃、「健康」を意識して生きているでしょうか。
大人になればなるほど「健康」はますます肝要になるわけですが、社会人にとってのそれは、もはや電気・ガス・水道・インターネットのようなインフラに等しい。往々にして、「あって当然」の基本性能のような位置づけに置かれます。
私たちが元気であるうちは、動脈硬化もなく、血糖値も正常であることなど、もはや空気のようなもので、誰もわざわざ感謝しません。
だからこそ、健康診断は恐ろしいのです。
血圧が正常だからと言って「マルセルくん、よくぞ健康でいてくれた! 100点満点!!」とは褒めてくれない。そんな加点方式の健康診断など、どこにも存在し得ないでしょう。
健康診断は、私たちが無自覚に築き上げた「不摂生という負債」――深夜のラーメン、ストレス、運動不足――を、数値という名の成績表で暴き出し、そこからいくつ点が引かれるかを宣告するもの。
つまり、健康診断は、減点方式の儀式に他ならないのでないでしょうか。
私はそれほど不摂生をしているつもりはないのですが、それでも自分の見えない場所(主に内臓)に何らかの欠点が見つかるのではないかと、漠然とした不安を抱えながら受付を済ませました。
病院はどこまでも清潔で、暖房が効いており、薬品の匂いが強調されていました。そこそこ広い待合室には、既に検査を待つ同胞たちが手持ち無沙汰にワイドショーを眺めていました。
朝食抜きで絞り出した尿検査、身長・体重測定、胸部X線検査……今年度の「成績表」は刻々と埋められていきます。
そして今日イチの気を張るイベント、採血の時間がやってきました。控えているのはシャウエッセンほどの大きさの、空の容器が3本……これら全てを満たす量を採ってもらうことに。
担当いただいた技師の方はにこやかに対応してくださいました。
「これまで採血で具合が悪くなったりしたことありますか?」
「アッ、いいえ」
「指先がしびれたりしたことはありませんか?」
「アッ、いいえ……」
採血台を挟んでの会話はいつになっても据わりの悪いものです。
陰の者と言われても致し方のない回答でしたが、それほどまでに私は不安でした。
生理的な恐怖を覚えながら、シャツの袖を捲りあげ、腕を献上します。そして、鋭利な針を刺す直前、彼女は真顔でこう言いました。
「うわ、マルセルさん、血管が良いですね」
……ん?
血管が、「良い」?
果たして人生でそんな言葉をかけてもらったことがあったでしょうか。
「え? それはどういう――」
「いい感じに太くて、針が刺しやすいですよ。今日はあまり水を飲んでいないでしょうから、ちょっと元気無さそうですが……」
「そうですか……(もしかして、血管フェチなのかな?)」
もしかしてこれは、私の隠された才能、誰も知らない特殊能力なのでは……?
だとしたら一体、何の世界で役に立つ特技なのでしょうか。「注射されるのが上手い」? 受動的な特技って何なんだ……?
一方で心の中では「私、血管が良いらしい。この方のお眼鏡にかなうような、何かのオーディションに合格したのだろうか?」と、奇妙な高揚感を覚えました。
減点方式の世界で突然もらった、謎の加点です。
針が刺される瞬間、私は腕の内側から青く透けて見える静脈をじっと見つめました。彼女が褒めてくれたこの青い管こそが、インフラとしての「健康」を支える、目に見える生命のパイプラインでした。この透けて見える静脈が、今日の私の全てを支えている……。
採血を終え、視力、聴力、内科検診を終える頃には、時刻は14時半を回っていました。
すべての義務を果たし終えた瞬間の解放感と、空腹感の爆発。あとは、不摂生という負債を清算した私自身に、最高の褒美を……!
病院をあとにして、再び電車に乗り、大きな駅に降り立ちました。街は金曜日の午後特有の浮き立つ人々の波で溢れていました。何を食べようか。ラーメン? パスタ? いや、違う。体が求めているのは、もっと強烈な100点満点の歓びです。
さすが繁華街。選択肢が多すぎて、再び脳がフリーズしたその時、ふと、あの技師の方の「血管が良い」という声と、採血台で見た青く透けた静脈がフラッシュバックしたのです。
血管。
透けている。
生命のパイプライン。
あまりにも突飛な、しかし自分にとっては必然の結論に至りました。
(そうだ。私は今日、表層に透けて見える生命の尊さ。ならば、私がこれから食べるべきものも、また透けて見える神秘でなければならない!)
このアヴァンギャルドな哲学が導き出した結論。それは、天ぷらでした。サクサクの薄い衣越しに具材の色が透けて見える、あの奥ゆかしさ……特に、大葉の天ぷら。薄い衣を通して緑色が鮮やかに透けて見える。これこそが、私の静脈の写し鏡だったのです。
大優勝の15時半。人もまばらなカウンター席に座り、まずはレモンハイを注文。運ばれてきたそれを一口飲んだ瞬間、減点方式の世界は、音を立てて崩壊していきました。この一杯こそが、私の健診に対する「合格証明書」そのものに違いない。
天ぷらは1品ずつ注文しました。なす、玉ねぎ、鶏もも。そして、ごぼう、舞茸(今気づきましたが、野菜ばかりですね。まだ健康診断を引きずっていたのでしょうか?)。
そして、最後に、本命の大葉の天ぷらが皿に置かれました。衣を通して、確かに鮮やかな緑が網膜に焼き付いていたのです。私はそれを箸で持ち上げ、一枚の葉っぱに籠めるものとは思えないほどの熱量とともに、口に運びました。
大葉を噛みしめる。サクッとした軽快な食感と、青く香る大葉の香りが、午前中のすべての緊張と空腹を洗い流してくれました。
私は血管の良い人間として、満点の天ぷらを食べ終えました。
おそらく、いや間違いなく、健康診断でいくらか点が引かれたことでしょう。しかし、最高のレモンハイと、この至高の天ぷらという「加点」を得たことで、人生は結局相殺され、プラスマイナスゼロか、むしろプラスに転じたのです。
健康はインフラ。確かに義務に近いものなのでしょう。しかしその大切さを肝に銘じるためには、こうして時に甘美な負荷をかけてあげることもまた肝要なのです。
私はそう自らを正当化しながら、おそらく来年度の「負債」となるご褒美を、胃の中に収めました。