日常つらつら

レプリカの私、オーセンティックな敗北

2026/07/05 14:35
 こんにちは。
「日常つらつら」の方を更新するのはおよそ1ヶ月ぶりになります。なかなか私生活も忙しく、かといって日記に書くようなことでもなかったので、ついつい怠ってしまう自分がおります。

 今回はFIFAワールドカップ2026の話をしたいと思います。
(※以下、選手は敬称略とさせていただきます)

 現時点ではラウンド16が始まるというタイミングであり、まだ開催中ではありますが、私たち日本人にとっては一つの区切りを明確に迎えました。
 私たちの代表は、またしても高い壁に跳ね返されてしまいました。

 ラウンド32の日本対ブラジルの一戦。
 火曜の深夜2時。仕事があるにも関わらず、私もリアルタイムで観戦しました。あらかじめゼビオで購入したレプリカユニフォームを着ていました。
 日本は佐野海舟の圧巻のプレーによる先制点で前半をリードしながら、後半にカゼミーロ、そしてATにマルティネッリに決められて痛恨の逆転負けを喫しました。特に後半は、ブラジル相手に5バック気味の守備的布陣を選択したことも取り上げられており、「1点を守り抜いて勝ちにいく」ことを目指していたと思われます。両WBに鈴木淳之介・菅原由勢を投入したことからも、ベンチの意図が垣間見えました。しかし、その戦術を採るには、あまりにも後半のブラジルの攻勢が激しすぎました。
 美しく勝つことを標榜するはずの強豪国が、一切のプライドを排して、単純なクロス戦術を選択したのです。ハーフタイムでどんなやり取りがなされていたのか、その全容は知る由もありません。しかし、細かいパスを繋ぎたいはずのスーパースターたちにあの戦術を徹底させるためには、理論と感情の両面において選手たちを納得させる材料が必要不可欠のはず。そこで輝いたのがアンチェロッティ監督のマネジメントでしょう。CLのビッグイヤーを幾度となく掲げ、夢のような逆転劇を何度も再現してきたカリスマです。
 ブラジル代表が長年の伝統を崩してまでも外国人の彼を招聘した理由を、私たちは身をもって体感したのです。

 試合終了のホイッスルが鳴ったとき、ピッチに崩れる選手を直視できず、弾かれるように窓の外を見ました。もう4時を大きく回っている時刻でした。
 そこに広がっていたのは、学生時代、眠りにつけなかった夜の私に突きつけられたものと同じ色でした。
 東雲の空。私という一個体がどんなコンディションの最中にあろうが、この数時間後に、間違いなく、寸分の狂いもなく、現実的な日常はやってくる。
「お前は何のために起きていたんだ?」
 そう問いかけてくるような朝ぼらけが滲み出す初夏の空。
 地球の裏側のヒューストンで悲しみに暮れる選手たちの、汗に濡れたオーセンティックなユニフォーム。
 リビングで一人、ぶつけようのない虚無感に苛まれる私の、汗染みひとつないレプリカユニフォーム。
 これが4年間をかけた敗北でした。

 少しでも仮眠を取らなくてはいけない、と寝室に向かいました。しかしタオルケットの内側では、マルティネッリ選手の狙いすましたシュートの残像がこびりついて離れませんでした。

 もしあのシュートがもっと甘いコースだったら?
 もし鈴木彩艶がもっと強く弾けていたら?
 もし菅原がマルティネッリに強くコンタクトできていたら?
 もし谷口彰悟があのパスをインターセプトできていたら?
 もし前半のうちに追加点が取れていたら?

 ありもしない妄想に取り憑かれ、自らが歴史修正主義者にでもなったのか、と思うほどの強烈な思考の逡巡に襲われました。
「咀嚼し得ない感情」とは、まさにこれだったに違いない、と思いました。

 なんとか仮眠を取り、のっそりと仕事の準備をしながら、スマホを見ました。日常に帰還する同胞たちが、鬱屈とした朝を迎えていました。
 サッカーは、ざっと見渡しても息を呑むほどの熱量が渦巻く場になります。
 普段、国内のSNSを見ていると、若手有望株の名前や、各監督の詳細な戦術、さらには移籍市場の動向にも詳しい方が大勢います。そうした人たちの活発な議論が、日本の「サッカーを見る目」を少しずつ豊かにしている面はあるでしょう(もちろん、そこは玉石混交。取り下げられるべき誹謗中傷じみた意見もないわけではありません)。
 最近では、塩貝健人のインスタグラムに国内外から膨大な数のコメントが書き込まれていることも話題になりました。メディアの働きにも後押しされ、賛否両論を形作っています。

 どうしてここまで強い力で人々を突き動かすのか? 
 私は、スポーツがアイデンティティに食い込む楔になり得るものだからだと思っています。
 日本代表を応援する。ブラジル代表を応援する。そこにはナショナリズムが横たわっている。
 鹿島アントラーズを応援する。レアル・マドリードを応援する。おらが街のヒーローが、世界に勝負を打って出るスターが活躍すれば、自分のことのように嬉しくなる。彼らが負ければ、その苛立ちは想像するまでもない。自分まで負けたような錯覚になる。自らを重ね合わせてしまうのは、アイデンティティに近いから。
 サッカーファンの反応には、表れ方も向かう先もそれぞれ多様でありながら、そこには一様に「本物」がある。

 私は、サッカーを観るのが好きです。いや、日本代表を観るのが好き、と言ったほうが正確でしょうか。
 現在の国内外のサッカーの試合をフルで観る習慣もすっかり抜け落ちました。昔加入していたDAZNも今は退会し、プレミアリーグやCLを楽しむためにU-NEXTやWOWOWに加入しているわけでもない。
「本物」なのか? 君はオーセンティックなサッカーファンなのか?
 そう聞かれれば、おそらく、いや間違いなく、そんなことはないでしょう。言い切ってもいい。
 ただ、テレビの大画面を通してみる「SAMURAI BLUE」が大好きなのです。

 サッカーを日常的に追っているわけではない私が、ワールドカップのときだけ熱を帯びる。そういう姿勢を「ああ、本物ではない」と、どこか気恥ずかしく思う自分もいます。
 4年に一度だけ現れる人間。代表戦だけを観て、勝った負けたと一喜一憂する人間。専門的な戦術を語れるわけでもなければ、各選手の所属クラブでの日々を丹念に追っているわけでもない。
 けれど、代表とは、たぶんそういうものでもあるのでしょう。
 普段は別々の場所で生活し、別々のものに関心を向けている人々が、ある夜だけ同じユニフォームに袖を通す。仕事があるにも関わらず深夜に起き、リビングの明かりを落とし、画面の向こうの青い選手たちに息を呑む。サッカーに詳しい人も、そうでない人も、国内リーグを追う人も、4年に一度だけ熱狂する人も、その瞬間だけは同じ方向を見ている。
 私の着ていたユニフォームは、もちろんレプリカです。選手たちのそれとは違います。汗も染みていない。ピッチを駆けることもない。敗北の重みを、本当の意味で背負うこともできない。
 それでも、あの夜に感じた悔しさまで偽物だったとは思えませんでした。
 試合後、SNSにはさまざまな言葉が流れていました。「なぜあんなことをした」という采配への疑問。「よくやった。次は頼むぞ」という選手への称賛。悔恨。怒り。沈黙。どれもが混ざり合い、朝のタイムラインは重たい熱を帯びていました。もちろん、許されるべきではない言葉もあります。敗北の痛みは、誰かを傷つけるための免罪符にはなりません。ピッチに立っていたのは、私たちの感情をただ受け止めて処理するための器などではなく、生身の人間です。
 けれど、それほどまでに人々が動かされてしまうものでもある。
 日本はブラジルに負けました。
 その事実だけを抜き出せば、歴史のどこかに何度もあった話のように見えるかもしれません。
 けれど、今回は違った。少なくとも、私にはそう思えました。これまで何度か見てきた、夢物語としてのブラジル戦ではなかった。善戦できるだけで満足です、という試合でもなかった。日本は先に点を取り、勝利を現実のものとして引き寄せ、そして最後の最後でそれを奪われてしまった。
 だから、こんなにも苦しかったのだと思います。届かなかった。けれど、全く届かない場所にあったわけではなかった。
 これまでとの差は、とてつもなく大きい。
 かつてなら「ブラジル相手によくやった」と言えたのかもしれません。実際、よくやったのだと思います。選手たちは間違いなく全力で渡り合うために戦っていた。画面のこちら側でレプリカユニフォームを着ていただけの私が、軽々しく何かを裁けるはずもありません。
 ただ、それでも悔しい。
 この悔しさこそが、日本代表が遠くまで来た証でもあるのでしょう。負けても仕方ない、では済まなくなった。勝てたかもしれない、と思ってしまった。ブラジルに対して、そんな感情を抱いてしまった。
 それはきっと、幸福な不幸です。

 朝になり、私はユニフォームを脱ぎました。数時間後には仕事があり、日常は何事もなかったかのように始まります。日本代表が敗退しても、メールは届くし、チャットの通知は鳴るし、昨日までと同じ生活が続いていく。世界は、個人の感情に合わせて止まってはくれません。
 それでも、あの青いユニフォームを着ていた数時間は、たしかに私の生活の中にありました。
 4年後、私はまた同じようにユニフォームを着るのでしょうか。
 たぶん、着るのだと思います。
 そのとき私は、今よりも少しはサッカーに詳しくなっているのかもしれないし、結局また代表戦だけを追いかける人間のままかもしれません。
 それでもいいのではないか、と今は思います。
 本物のファンかどうか。
 オーセンティックか、レプリカか。
 そんな問いに明確な答えを出すことはできません。
 ただ、火曜の深夜2時に起きて、日本代表の勝利を本気で願い、敗北のあとに東雲の空を見てしまった。その感情だけは、少なくとも私にとって本物でした。

 あの負けから、少し時間が経ちました。例えるなら、散らかった部屋に、フローリングが少し現れ、足の踏み場が見えてきたような感じでしょうか。とはいえ、まだ消化はできない。
 咀嚼し得ない感情を、咀嚼し得ないまま、備忘録としてここに置いておきます。
 日本代表のワールドカップは終わりました。
 けれど、次の4年間は、もう始まっているのだと思います。

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