Short Story
Name chenge
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【高橋涼介】
□□□ バレバレ □□□
冬の朝。
かぶり込んだふとんから少し顔を出す。
カーテンの隙間からこぼれる白い光が瞳を射し、ツーンと冷え込んだ部屋の空気が鼻を通り、すぐさまふとんを被り直した。昨夜の天気予報で、今朝の予想気温も0度を下回ると言っていたのは外れてはいないのだろう。白い光が、外が白銀色であることを伝えている。
目は覚めたもののあまりの寒さにふとんから出ることなく、二度寝三度寝をしながらモソモソと過ごしていた。
贅沢な時間だ。
昼近い時間になってもゴロゴロ寝ている罪悪感はあるが、今日は休みなんだから好きに過ごすのだ。
グゥー……
寝ているだけでも、お腹は減る。
さすがにそろそろ起きようか……。
起きる覚悟を決めて、ふとんの中で縮こまっていた身体を伸ばそうとすると、隙間から流れ込んだ空気が目が覚める程冷たくて。
やっぱりもうちょっと寝てようか……。
ふとんを被り直して元の体勢に戻ってしまった。
これを何度となく繰り返す不毛を、まだ続けている。
ピンポーン
静かな部屋に玄関のチャイムが響いた。
来客の約束も、荷物が届く予定もない。宗教の勧誘とか訪問販売なら面倒だ。
そんなことで、このぬくぬくしたふとんから出るなんて真っ平御免だ、絶対出てやらない。
ふとんから出ないことに意地になってしまう。
ピンポン、ピンポン、ピンポーン……
うるさいなぁ、もう。
居留守がバレているのか、しつこくチャイムが鳴らされる。
相手の諦めの悪さに、根負けしそうだ。
――――……
お、諦めたのかな? 私の粘り勝ち!
思わずふとんの中でガッツポーズを取ると、力んだ拍子にグゥーっと盛大な空腹音が響いた。
どうやら、私のお腹も限界のようだ。
ピリリリッ! ピリリリッ!
枕元に置いた携帯が震えながら鳴る。
アラームをかけた覚えはない携帯のディスプレイ表示に、ドキリと胸が鳴り目を見開いた。
『着信中 高橋涼介』
慌ててふとんを飛び出し、玄関ドアを勢いよく開けた。
外は予報通り白銀世界。
雪化粧された景色に太陽が照らすきらめきと、入り込む空気の冷たさを勢いよく浴び、思わず顔をしかめる。
細まった視界。
その中に美しく整った顔が入り一層の眩しさを感じた瞬間、形の良い唇が動き低く品のある音が耳に届いた。
「凍死させる気か」
バリトンボイスに夢見心地になりそうだったが、外の冷気のお陰で覚醒した頭は、発せられた言葉に充分な嫌みを含んでいることは理解できた。
約束もなく勝手にやってきたとは思えないふてぶてしい物言いに、眩しさでしかめた顔により深い皺が刻まれたことに彼は気付いただろうが、お構いなしに許可無くズカズカと部屋に上がり込んだ。
「勝手にやってきて、勝手に入んないでよ!」
ズカズカ入った割に綺麗に揃えられた靴、怒る私とは真逆に平然と佇まう彼に余計に腹が立った。
が、慌てすぎてパジャマに裸足のまま飛び出した私の方が凍死しそうになって、急いでドアを閉める羽目になり、結果彼を部屋に入れることに同意した形となった。
「なんだこの寒い部屋は」
高価そうなコートを脱ぐ手を止め、怪訝な顔で部屋を見回す彼。寒さに身を縮こませているとはいえ、狭い部屋に長身の男性がいると一段と狭く感じる。天井まで低くなったと錯覚してしまうくらいだ。
彼の言うとおり、ドアを閉めたとて暖房をつけていない部屋は寒いわけで。身体を擦り震わせながら、いそいそと暖房のスイッチを押した。
「人が当直で働いている時に、ぬくぬくとふとんの中で寝ていたわけだな」
彼の冷ややかな視線は、抜け殻のようになったふとんに向けられていた。
確かに、ほんの数分前までそのふとんに包まってぬくぬくと気分良く寝ていた。なんなら、もっとそうやって過ごしたかった。なのに、うるさいチャイムに邪魔をされて、今こうしてパジャマ姿で震えている。全ては、この男のせいだ。
「今日は私は休みなの! だから好きに過ごすんです、高橋『先生』」
私の務める病院で、昨晩当直を担当していたことは知っている。それはお疲れ様でした、とは思うが、私だって昨日残業までしてヘトヘトで帰ってきたのだ。休みの日の過ごし方までどうこう言われる筋合いはない。
「『先生』の勤務時間はもう終わった。オレも好きに過ごさせてもらう」
「ひゃぁっ!!」
突然のことに、自分から出たとは思えない声が言葉を成さずに口から飛び出した。
後ろから、長い手足に抱きしめられている。
パジャマ越しに彼のコートが含んだ外気の低さが伝わる。耳に触れる彼の首筋から、凍るほど冷え切った体温の低さが伝わる。
「もうちょっと色気ある声がいいんだがな」
ゾワリ。
そう、音が聞こえるほどの身震いは、冷たさからだけではない。
耳に直接響いたバリトンの囁き、艶やかさが含まれたその振動は撫でるように身体を走った。
「冷ったいっ! お湯張るから、お風呂どうぞ!」
「シャワーでいい。風呂に入るとそのまま寝ちまいそうだ」
動揺を隠すように彼を引き剥がし、浴室へ押し込んだ。彼は私の反応を知ってか知らずか……きっと分かっているだろうが、素直に浴室に収まった。
ふぅ、と深呼吸をして心を落ち着かせようと試みる。
シャワーの音が聞こえ始めると、ようやく色気を含んだ声に上げられた心拍数と熱も落ち着いてきた。
平穏でふわふわとした休日を過ごしていたのに、すっかり目が覚めてしまったではないか。
グゥー……
気持ちの落ち着きと共に、身体は平常な反応を示しだした。
ひとまず着替えよう。この前買ったルームウェア、可愛くて肌触りも良くて贅沢な気持ちになれるので気に入っている。その分お値段は張ったのだが、これも満足度の高い休日を過ごすための投資だと考えれば、安いもんだ。……安くはないけど。
そうだ、その時にたまたまセールになってたメンズのスエット。もし父親が急に泊まりに来たらと考えて一緒に買っておいたのだが、しばらくそんな予定もないだろうから、脱衣所に置いておこうかな。着たかったら着るだろう。
ついでに、彼が脱いだコートやマフラーをハンガーに掛けようと触れる。チラッと見えたタグが私が手にしたこともないような高級ブランド名であることに気付いて、恐る恐る扱ってしまうのは庶民の哀しい性だ。私が奮発したこのルームウェアが何十着買えるんだろうか。そう思うと、贅沢と思ったウェアも、着古した安物と変わらなく思えてしまう。
モヤモヤしているうちに、昼ごはんの時間になっていた。
昨日作り『過ぎた』シチューを温める。一人分には多いシチューを焦げないようにお玉でかき混ぜながら、「食べたいなら食べてもらってもいいんだけどなぁ、お鍋洗いたいから」とつい呟いてしまった。彼が庶民の食べ物を食べたいならの話しだが。
お皿に盛り付けようとした頃に、彼がさっき置いたスウェットを着て不満げな顔で部屋に戻ってきた。
彼にとっては安物の服を纏うことはそんなに苦痛なんだろうか。それとも、身幅は合っているのにつんつるてんな丈が気に食わないのか。本人は不服かも知れないが、手首と足首が大きくはみ出している様子に貧相さを感じてもおかしくないのに、逆に彼のスタイルの良さが際立っている。高級なブランド服でなくても、彼の持っている姿容が損なわれることはないようだ。
「浴室、なんであんなに寒いんだ?」
彼が不満だったのは、別のことだったようだ。
「庶民の家に浴室暖房なんてないよ」
ボロいアパートは隙間風だって入るし、お湯だって温度は不安定だ。でっかい病院の御曹司の家とは訳が違う。そういう庶民の苦労を、きっと彼は知らないのだろう。これでこの部屋でシャワーを浴びるのは懲りたかもしれない。
彼は温まらなかった身体をすぼめ手でさすりながら、私の隣に立った。
「シチューか?」
「今から昼ごはん食べるんだけど、食べる? 今温めたところだから」
「朝ごはんの間違いだろ?」
優しい提案をしてあげたと言うのに、この男は。綺麗過ぎる顔から出てくる言葉は、毒気が強い。それは出会った頃から変わらない。
「嫌み言うなら食べなくて結構。作りすぎて余ってるだけだから」
「作り『過ぎ』、ねぇ」
鍋の中身と私の顔を見ながら、形の良い唇を綺麗な弧にしてニヤリと微笑んだ。
意外にも、彼は文句も言わずにシチューを口にした。それどころか食べ終わった後には、「うまかったよ」と澄んだ微笑みを見せて言ったのだ。
思わず見惚れて固まるほど、皮肉のない高橋涼介は積りたての真っ白な雪のように綺麗だ。内側にとんでもない毒が隠されていることを知っていても、その清涼な美しさに惹かれてしまう。
もし、その微笑みが作為したものであるなら、相当タチの悪い男だ。いや、おそらく彼ならそれができる。ほんとにタチの悪い男だ。そしてその表情が心の内から出た物だと錯覚しまんまと動揺させられる私も、バカだとは思う。
「なんだ?」
彼に声をかけられ、はたと我に帰る。彼は満足気に小首を傾げながら、私の顔を覗き込んでいた。
「……別に」
思わず目を逸らせば、ククッと喉で笑う音がした。彼に心の中を見透かされたようでムカつく。
「眠くなってきたな、寝るぞ」
満たされ温もった身体は、次に睡眠を求めたようだ。人間離れした美貌や頭脳を持っていても、彼も人間なのだ。
昨夜の当直もきっと忙しかったに違いない。患者さんの状況……よりも、些細なことで連絡を取ろうとするスタッフへの対応が。高橋先生狙いのスタッフ達が、虎視眈々と接触をはかる機会を狙っていることは院内で有名な話だ。さすがに、気の毒である。
そんな彼女達に、この部屋での悪態を見せてやればいいのにと思うが、反面、彼が職場では絶対に見せない姿をここで見せていることは、自分だけが知っておきたいとも思う。
地元に帰るまでの仮眠場所として使うことを許すくらいの慈悲は、私にもある。
「ベッド使ってくれたらいいよ……ぅわっ!?」
ドサッ
強引に手を引かれ、そのまま一緒にベッドに倒れ込んだ。
彼の胸元に頬がひっつく。使い慣れたボディソープの香りが何故彼からは甘く香って、心臓が跳ねるように打つ。
「だから、もうちょっと色気がある声がいいんだって。寝るぞ」
空気を介さず耳に直接響く声と熱と振動に、触れていないところまで熱くなる私の身体。
「じゅうぶん寝たし!」
気付かれたくなくて離れようと腕に力を込めるが、彼の長い手足が力強く絡められて、断念せざるを得なくなった。
「『好き』だろ? ふとん」
ズルい。
その言葉を使うのは、ズルい。
その声で、この熱で、この少し速い鼓動で、その言葉を使うのは、ズルい。
キュッと、彼のスウェットを握る。
「……『好き』……だよ。 ふとん……」
抗議の意味を込めた返事は、いつものように張り上げることも出来ずボソッと呟くのが精一杯だった。
クックッと喉で笑う振動が胸元から頬に伝わって、彼が満足そうな顔をしていることが想像できた。
さらっと髪を撫でられながら、彼の鼓動に耳を傾ける。トクトクと響く拍動は、私と同じくらいのスピードで、彼も同じように意識していたら良いのにと期待した。
「色々と準備がいいんだな。シチューも、着替えも、温められたふとんも……」
「それはっ、……さっきまで寝てたんでね!」
彼の皮肉には、すかさず強めの声が出た。
バレている。全部バレている。
もしかしたら、当直明けの彼がここに来るかも知れない。そう考えていろいろ準備していたことを。
もしかしたら、当直明けの彼がここに来るかも知れない。そう考えて遅くまで寝付けずにいたことも。
もしかしなくても、来る訳がない。そう考えて来なかった時の落胆に保険を掛けるように、目覚めてもふとんに居続けたことも。
私の素直じゃないもてなしは、全部彼にバレているようだ。
「ふふっ、よく眠れそうだ……」
彼が上機嫌に小さく呟いた振動を感じた後、すぐに小さくクー……と鳴くような寝息が聞こえ始めた。余程疲れていたのだろう。
少しだけ顔を上げて彼の顔を見上げると、綺麗な首筋から顎のラインとうっすら伸びたヒゲが目に入って、思わずふふっと頬が緩んだ。
「お疲れさま、ゆっくり寝てね」
起きている時なら絶対に言えない言葉。面と向かってなら絶対に出せない声のトーン。
眠る彼になら、少しは優しくできる。
狭いシングルベッド。
彼を起こさないように少しだけ身体を動かし、彼が苦しくないように姿勢を直して、再び寄り添った。
スウェットから香る彼の匂いと体温に包まれている。その事実が、なんだかとてもくすぐったい。
「おやすみなさい……」
彼の胸元に顔を埋めて呟いた。
私の小さな呟き声も胸元から伝わる振動も、きっと彼には届いていないだろうが、彼の無意識下で動かされる指に髪が撫でられるのを心地良く感じながら、私の意識は徐々に夢に攫われていった。
彼といる休日が続く夢。
こんな休日も、悪くはない。
END.
2025.1.3
□□□ バレバレ □□□
冬の朝。
かぶり込んだふとんから少し顔を出す。
カーテンの隙間からこぼれる白い光が瞳を射し、ツーンと冷え込んだ部屋の空気が鼻を通り、すぐさまふとんを被り直した。昨夜の天気予報で、今朝の予想気温も0度を下回ると言っていたのは外れてはいないのだろう。白い光が、外が白銀色であることを伝えている。
目は覚めたもののあまりの寒さにふとんから出ることなく、二度寝三度寝をしながらモソモソと過ごしていた。
贅沢な時間だ。
昼近い時間になってもゴロゴロ寝ている罪悪感はあるが、今日は休みなんだから好きに過ごすのだ。
グゥー……
寝ているだけでも、お腹は減る。
さすがにそろそろ起きようか……。
起きる覚悟を決めて、ふとんの中で縮こまっていた身体を伸ばそうとすると、隙間から流れ込んだ空気が目が覚める程冷たくて。
やっぱりもうちょっと寝てようか……。
ふとんを被り直して元の体勢に戻ってしまった。
これを何度となく繰り返す不毛を、まだ続けている。
ピンポーン
静かな部屋に玄関のチャイムが響いた。
来客の約束も、荷物が届く予定もない。宗教の勧誘とか訪問販売なら面倒だ。
そんなことで、このぬくぬくしたふとんから出るなんて真っ平御免だ、絶対出てやらない。
ふとんから出ないことに意地になってしまう。
ピンポン、ピンポン、ピンポーン……
うるさいなぁ、もう。
居留守がバレているのか、しつこくチャイムが鳴らされる。
相手の諦めの悪さに、根負けしそうだ。
――――……
お、諦めたのかな? 私の粘り勝ち!
思わずふとんの中でガッツポーズを取ると、力んだ拍子にグゥーっと盛大な空腹音が響いた。
どうやら、私のお腹も限界のようだ。
ピリリリッ! ピリリリッ!
枕元に置いた携帯が震えながら鳴る。
アラームをかけた覚えはない携帯のディスプレイ表示に、ドキリと胸が鳴り目を見開いた。
『着信中 高橋涼介』
慌ててふとんを飛び出し、玄関ドアを勢いよく開けた。
外は予報通り白銀世界。
雪化粧された景色に太陽が照らすきらめきと、入り込む空気の冷たさを勢いよく浴び、思わず顔をしかめる。
細まった視界。
その中に美しく整った顔が入り一層の眩しさを感じた瞬間、形の良い唇が動き低く品のある音が耳に届いた。
「凍死させる気か」
バリトンボイスに夢見心地になりそうだったが、外の冷気のお陰で覚醒した頭は、発せられた言葉に充分な嫌みを含んでいることは理解できた。
約束もなく勝手にやってきたとは思えないふてぶてしい物言いに、眩しさでしかめた顔により深い皺が刻まれたことに彼は気付いただろうが、お構いなしに許可無くズカズカと部屋に上がり込んだ。
「勝手にやってきて、勝手に入んないでよ!」
ズカズカ入った割に綺麗に揃えられた靴、怒る私とは真逆に平然と佇まう彼に余計に腹が立った。
が、慌てすぎてパジャマに裸足のまま飛び出した私の方が凍死しそうになって、急いでドアを閉める羽目になり、結果彼を部屋に入れることに同意した形となった。
「なんだこの寒い部屋は」
高価そうなコートを脱ぐ手を止め、怪訝な顔で部屋を見回す彼。寒さに身を縮こませているとはいえ、狭い部屋に長身の男性がいると一段と狭く感じる。天井まで低くなったと錯覚してしまうくらいだ。
彼の言うとおり、ドアを閉めたとて暖房をつけていない部屋は寒いわけで。身体を擦り震わせながら、いそいそと暖房のスイッチを押した。
「人が当直で働いている時に、ぬくぬくとふとんの中で寝ていたわけだな」
彼の冷ややかな視線は、抜け殻のようになったふとんに向けられていた。
確かに、ほんの数分前までそのふとんに包まってぬくぬくと気分良く寝ていた。なんなら、もっとそうやって過ごしたかった。なのに、うるさいチャイムに邪魔をされて、今こうしてパジャマ姿で震えている。全ては、この男のせいだ。
「今日は私は休みなの! だから好きに過ごすんです、高橋『先生』」
私の務める病院で、昨晩当直を担当していたことは知っている。それはお疲れ様でした、とは思うが、私だって昨日残業までしてヘトヘトで帰ってきたのだ。休みの日の過ごし方までどうこう言われる筋合いはない。
「『先生』の勤務時間はもう終わった。オレも好きに過ごさせてもらう」
「ひゃぁっ!!」
突然のことに、自分から出たとは思えない声が言葉を成さずに口から飛び出した。
後ろから、長い手足に抱きしめられている。
パジャマ越しに彼のコートが含んだ外気の低さが伝わる。耳に触れる彼の首筋から、凍るほど冷え切った体温の低さが伝わる。
「もうちょっと色気ある声がいいんだがな」
ゾワリ。
そう、音が聞こえるほどの身震いは、冷たさからだけではない。
耳に直接響いたバリトンの囁き、艶やかさが含まれたその振動は撫でるように身体を走った。
「冷ったいっ! お湯張るから、お風呂どうぞ!」
「シャワーでいい。風呂に入るとそのまま寝ちまいそうだ」
動揺を隠すように彼を引き剥がし、浴室へ押し込んだ。彼は私の反応を知ってか知らずか……きっと分かっているだろうが、素直に浴室に収まった。
ふぅ、と深呼吸をして心を落ち着かせようと試みる。
シャワーの音が聞こえ始めると、ようやく色気を含んだ声に上げられた心拍数と熱も落ち着いてきた。
平穏でふわふわとした休日を過ごしていたのに、すっかり目が覚めてしまったではないか。
グゥー……
気持ちの落ち着きと共に、身体は平常な反応を示しだした。
ひとまず着替えよう。この前買ったルームウェア、可愛くて肌触りも良くて贅沢な気持ちになれるので気に入っている。その分お値段は張ったのだが、これも満足度の高い休日を過ごすための投資だと考えれば、安いもんだ。……安くはないけど。
そうだ、その時にたまたまセールになってたメンズのスエット。もし父親が急に泊まりに来たらと考えて一緒に買っておいたのだが、しばらくそんな予定もないだろうから、脱衣所に置いておこうかな。着たかったら着るだろう。
ついでに、彼が脱いだコートやマフラーをハンガーに掛けようと触れる。チラッと見えたタグが私が手にしたこともないような高級ブランド名であることに気付いて、恐る恐る扱ってしまうのは庶民の哀しい性だ。私が奮発したこのルームウェアが何十着買えるんだろうか。そう思うと、贅沢と思ったウェアも、着古した安物と変わらなく思えてしまう。
モヤモヤしているうちに、昼ごはんの時間になっていた。
昨日作り『過ぎた』シチューを温める。一人分には多いシチューを焦げないようにお玉でかき混ぜながら、「食べたいなら食べてもらってもいいんだけどなぁ、お鍋洗いたいから」とつい呟いてしまった。彼が庶民の食べ物を食べたいならの話しだが。
お皿に盛り付けようとした頃に、彼がさっき置いたスウェットを着て不満げな顔で部屋に戻ってきた。
彼にとっては安物の服を纏うことはそんなに苦痛なんだろうか。それとも、身幅は合っているのにつんつるてんな丈が気に食わないのか。本人は不服かも知れないが、手首と足首が大きくはみ出している様子に貧相さを感じてもおかしくないのに、逆に彼のスタイルの良さが際立っている。高級なブランド服でなくても、彼の持っている姿容が損なわれることはないようだ。
「浴室、なんであんなに寒いんだ?」
彼が不満だったのは、別のことだったようだ。
「庶民の家に浴室暖房なんてないよ」
ボロいアパートは隙間風だって入るし、お湯だって温度は不安定だ。でっかい病院の御曹司の家とは訳が違う。そういう庶民の苦労を、きっと彼は知らないのだろう。これでこの部屋でシャワーを浴びるのは懲りたかもしれない。
彼は温まらなかった身体をすぼめ手でさすりながら、私の隣に立った。
「シチューか?」
「今から昼ごはん食べるんだけど、食べる? 今温めたところだから」
「朝ごはんの間違いだろ?」
優しい提案をしてあげたと言うのに、この男は。綺麗過ぎる顔から出てくる言葉は、毒気が強い。それは出会った頃から変わらない。
「嫌み言うなら食べなくて結構。作りすぎて余ってるだけだから」
「作り『過ぎ』、ねぇ」
鍋の中身と私の顔を見ながら、形の良い唇を綺麗な弧にしてニヤリと微笑んだ。
意外にも、彼は文句も言わずにシチューを口にした。それどころか食べ終わった後には、「うまかったよ」と澄んだ微笑みを見せて言ったのだ。
思わず見惚れて固まるほど、皮肉のない高橋涼介は積りたての真っ白な雪のように綺麗だ。内側にとんでもない毒が隠されていることを知っていても、その清涼な美しさに惹かれてしまう。
もし、その微笑みが作為したものであるなら、相当タチの悪い男だ。いや、おそらく彼ならそれができる。ほんとにタチの悪い男だ。そしてその表情が心の内から出た物だと錯覚しまんまと動揺させられる私も、バカだとは思う。
「なんだ?」
彼に声をかけられ、はたと我に帰る。彼は満足気に小首を傾げながら、私の顔を覗き込んでいた。
「……別に」
思わず目を逸らせば、ククッと喉で笑う音がした。彼に心の中を見透かされたようでムカつく。
「眠くなってきたな、寝るぞ」
満たされ温もった身体は、次に睡眠を求めたようだ。人間離れした美貌や頭脳を持っていても、彼も人間なのだ。
昨夜の当直もきっと忙しかったに違いない。患者さんの状況……よりも、些細なことで連絡を取ろうとするスタッフへの対応が。高橋先生狙いのスタッフ達が、虎視眈々と接触をはかる機会を狙っていることは院内で有名な話だ。さすがに、気の毒である。
そんな彼女達に、この部屋での悪態を見せてやればいいのにと思うが、反面、彼が職場では絶対に見せない姿をここで見せていることは、自分だけが知っておきたいとも思う。
地元に帰るまでの仮眠場所として使うことを許すくらいの慈悲は、私にもある。
「ベッド使ってくれたらいいよ……ぅわっ!?」
ドサッ
強引に手を引かれ、そのまま一緒にベッドに倒れ込んだ。
彼の胸元に頬がひっつく。使い慣れたボディソープの香りが何故彼からは甘く香って、心臓が跳ねるように打つ。
「だから、もうちょっと色気がある声がいいんだって。寝るぞ」
空気を介さず耳に直接響く声と熱と振動に、触れていないところまで熱くなる私の身体。
「じゅうぶん寝たし!」
気付かれたくなくて離れようと腕に力を込めるが、彼の長い手足が力強く絡められて、断念せざるを得なくなった。
「『好き』だろ? ふとん」
ズルい。
その言葉を使うのは、ズルい。
その声で、この熱で、この少し速い鼓動で、その言葉を使うのは、ズルい。
キュッと、彼のスウェットを握る。
「……『好き』……だよ。 ふとん……」
抗議の意味を込めた返事は、いつものように張り上げることも出来ずボソッと呟くのが精一杯だった。
クックッと喉で笑う振動が胸元から頬に伝わって、彼が満足そうな顔をしていることが想像できた。
さらっと髪を撫でられながら、彼の鼓動に耳を傾ける。トクトクと響く拍動は、私と同じくらいのスピードで、彼も同じように意識していたら良いのにと期待した。
「色々と準備がいいんだな。シチューも、着替えも、温められたふとんも……」
「それはっ、……さっきまで寝てたんでね!」
彼の皮肉には、すかさず強めの声が出た。
バレている。全部バレている。
もしかしたら、当直明けの彼がここに来るかも知れない。そう考えていろいろ準備していたことを。
もしかしたら、当直明けの彼がここに来るかも知れない。そう考えて遅くまで寝付けずにいたことも。
もしかしなくても、来る訳がない。そう考えて来なかった時の落胆に保険を掛けるように、目覚めてもふとんに居続けたことも。
私の素直じゃないもてなしは、全部彼にバレているようだ。
「ふふっ、よく眠れそうだ……」
彼が上機嫌に小さく呟いた振動を感じた後、すぐに小さくクー……と鳴くような寝息が聞こえ始めた。余程疲れていたのだろう。
少しだけ顔を上げて彼の顔を見上げると、綺麗な首筋から顎のラインとうっすら伸びたヒゲが目に入って、思わずふふっと頬が緩んだ。
「お疲れさま、ゆっくり寝てね」
起きている時なら絶対に言えない言葉。面と向かってなら絶対に出せない声のトーン。
眠る彼になら、少しは優しくできる。
狭いシングルベッド。
彼を起こさないように少しだけ身体を動かし、彼が苦しくないように姿勢を直して、再び寄り添った。
スウェットから香る彼の匂いと体温に包まれている。その事実が、なんだかとてもくすぐったい。
「おやすみなさい……」
彼の胸元に顔を埋めて呟いた。
私の小さな呟き声も胸元から伝わる振動も、きっと彼には届いていないだろうが、彼の無意識下で動かされる指に髪が撫でられるのを心地良く感じながら、私の意識は徐々に夢に攫われていった。
彼といる休日が続く夢。
こんな休日も、悪くはない。
END.
2025.1.3