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物か、人か

「すまねえなぁ」
 そう返した主の顔は全く悪びれていなかった。薬研は小さく溜め息をつく。
「どうしてあんな――身を捨てるような真似をした。あんな場面、居合わせたのがへし切さんや加州さんだったらどうなっていたか」
「大変だったろうな。あいつら、なんでか俺に懐いているからな」
「ああ、残っていたのが俺達だったから良かった。もし、へし切さんを残していたら大将が止める前に飛び出して……」
 言いながら、ハッとした。
 主がくつくつと笑って返す。
「たしかに、あいつは素早いからな。きっと我を忘れて、俺が口を開く前に堀川を斬っていただろうよ」
 薬研は顔を上げ、まじまじと主を見つめた。夢から醒めたような気分だった。そして、
「堀川さんを嵌めたな、大将」
 と、呟いた。
「さて、なんのことだか」
「しらばっくれるなよ。あんたは堀川さんの変調に気が付いていた。だから、策を巡らせた。そうだろう?」
 主は無言のまま笑みを浮かべている。目が閉じられているせいか、感情が読めない。仕方なく、薬研は主の手の平に視線を落とした。ぱっくりと割れた傷口からまた血が流れ出している。薬研はハンカチで強く傷を押さえたまま、ウエストポーチから焼酎の入った小瓶を取り出した。そして、
「しみるぜ」
 と一声かけて、小瓶の中身を全て傷口に注いだ。直後、主が身をよじって苦痛に呻く。
「お……前、一体何をかけた?」
「焼酎だ。まずは消毒しないといけないからな」
「しょう、ちゅうって、お前、それあんまり消毒には向いてねえって……」
 震えながら抗議する主の言葉に、薬研は小首を傾げる。
「そうなのか? おかしいな。戦場では皆こうしていたんだが」
「そりゃ、お前が現役だった時代はそうだろうがなあ」
「まあいい。とりあえず、今はこれ以外に消毒する術がない。我慢してくれ」
「……その救急セットの中身、早急に検める必要があるな」
 苦い顔で主は言った。
 それから、しばらく薬研は黙々と止血の処置を施していたが、包帯を巻き終えると再び話を引き戻した。 
「大将、いい加減、話してもらえねえか? それとも、俺が話した方がいいのか?」
「そうだな。お前の考えがどこまで合っているか興味がある」
 話してみろ、と主は促した。完全に面白がっている。薬研は諦めて軽く首を振ると、
「まず、へし切さんのことだ。たしかに、へし切さんは最初期からここにいる俺や三日月さん達より錬度が低い。が、和泉守さんや堀川さんほどじゃない。今回のように大規模遠征で大幅に戦力が低下する場合、本丸は少数精鋭で守るのが基本。けれど、あんたはそれをしなかった」
 それと、と薬研は一拍置いて言葉を繋げた。
「昨夜、蔵の中の資源を使い切ったのもわざとだろ。ああすれば、急な大型遠征を持ち出しても不自然じゃないからな」
「いや、小狐丸を狙っていたのは本当だけどな」
「狙っていたのは小狐だけじゃねえだろ。大型遠征は人払いのための方便だ。あんたには本丸をカラにしておかなきゃいけねえ理由があった。――堀川さんだ」
「…………」
「本丸の守りが手薄になれば、必ず何かが起こる。あんたはそう踏んだ。そして、狙い通り堀川さんは動いた」
 主は口元に冷えた笑みを刻んだまま、包帯の巻かれた手の平をしきりに撫でていた。開きっ放しの障子戸から覗いている月に目をやり、薬研は口の中でそっと呟く。
「……堀川さんのあんな姿、兄弟達には見せられねえ。あれは――刺激が強すぎる」
 事実、裏切ったわけではない。が、わだかまりは残るだろう、と思った。溝でも壁でも、一度出来上がってしまった『そういったもの』を打ち壊すのは容易なことではない。反対に、彼の想いに同調して引きずられる者もあったかもしれない。そう考えると、和泉守が堀川と同様に『堕ちそうになる』危険性は十分にあった。彼と堀川の元の主は同じ人物なのだ。
「和泉守さんを残したのはどういう考えがあってのことなんだ? 説得させるためか?」
 向き直って、薬研は何気なく尋ねた。すると、主は皮肉めいた笑みを口元に浮かべ、
「自分よりも慌てている奴を見ると、どこか冷静になるもんさ」
「和泉守さんにも『その気配』があった、と?」
「燻っていた、と言った方がいいかもしれん。まあ、そういう奴は他にもいるだろうがな。あいつが堀川にかけていた言葉は、そのまんま自分自身に対して言っていたようなもんだ」
 ふいに夜の風が吹き込んできた。
 外では三人が戦っていることだろう。だが、不安は一切感じなかった。彼らは強い。
 沈黙に、木々の揺れる音が染みた。
 ややして、薬研は掠れた声で呟くように言った。
「大将。あんた、本当に死ぬつもりだったろ」
「何故、そう思う」
「俺達の多くが主を失っている。俺もいろんな人間の手に渡った。だから、わかるのさ。元の主を救いたいと思う堀川さんの気持ちが」
 そして、畳に目を落とす。外気に触れた血は既に黒くなっていた。
「だが、もし大将が殺されたら……。俺達は迷いを捨ててそいつを討つだろう。普段は冷静な奴でも激情に駆られるかもしれない。俺達は何だかんだ言って大将のことを慕っているからな。あんたは、その気持ちを利用しようとしたんだ」
「名推理だな、薬研君よ」パチパチ、と主は軽く手を叩く。
「茶化すなよ。それにしても、随分と乱暴な手を考えたもんだな」
「堀川も死ぬ気だったからな。俺はあいつよりも早く動かなきゃならんかった。多少、強引な手を使ってでもな」
「堀川さんも?」
 薬研は僅かに目を見開いた。
「ああ、自分が自分であるうちに討たれたかったんだろうよ。下手な挑発なんかしてよ」
 言われて、薬研はふと思い出す。

――どうしたの、薬研君。止めたいんでしょ? かかってきなよ。それとも、やっぱり君も主さんの命令には逆らえない?

「……あれか」
「堀川は強いな。自分で妄執を断っちまった。卑劣な策を弄していた俺なんかより、ずっと芯が強い」
「妄執」
「お前にもないか? そういうの」
 悪戯っぽく尋ねられ、薬研はやや沈黙した。脳裏には炎の情景が浮かんでいる。
「……さあな。そう言う大将はどうなんだ?」
 問い返された主は一瞬真顔になったが、すぐにニヤリと笑い、
「俺なんか相当よ」
「あるのか」
 意外に思った。普段からのらりくらりとしていて何を考えているのか掴めない男だ。それに若くもない。固執している何かがあるなど想像もつかなかった。だが、そんな薬研の反応が面白くなかったのか、主は拗ねたように口を尖らせた。
「そりゃ、あるさ。例えば――そう、俺はまだこの世を楽しみたい」
「さっき死のうとしていた人間の言うことか」
 呆れて薬研が口を挟む。
「それで死ぬなら、それまでだったということよ」
「随分と無責任なことを言うんだな」
「なに、俺の代わりなら、あのヘンテコな狐がどこか別の時代から拾ってくるなり何なりするだろ。心配はいらんよ」
「そういうことを言いたいんじゃない」
 キッと主を睨みつけて薬研は言った。
「代わりがあるからそれでいいとか、それじゃまるで――……」
『俺達』と同じじゃないか。
 言いかけて、薬研は口を噤んだ。これ以上は言ってはいけない気がした。
 しかし、主は静かに笑い、
「なあ、薬研。この戦いが終わった後のことを考えたことがあるか」
 と言った。
「終わった後?」
「そう。遡行軍――歴史修正主義者との戦いが終わったら、おそらく俺は政府の手によって消されるだろう」
「な……っ!」
 絶句して、薬研は目を見開いた。
「大将、いきなり何を言っているんだ? そんなこと」
「有り得ない話じゃないさ。考えてもみろ。俺は過去を変えることができるんだ。強い力を持つ、お前達という『武器』を使ってな。今は良い。歴史修正主義者という『敵』がいる。しかし、その『敵』が排除されたらどうなる? 政府にとっての『敵』は誰になる?」
「それは……」
「強大な力っていうのは、平和になったら持て余されるものだからな」
 主の呟きはどこか憐れんでいるように聞こえた。
 風の鳴る音が、やけに遠くに感じた。薬研はしばらく俯いて黙り込んでいたが、おもむろに顔を上げ、
「その考えが現実になったとして……。大将は大人しく消されるつもりなのか?」
 やや間があった。
「どうだろうな」
 首を傾げ、主は困ったように苦笑する。諦めているのか、いないのか、はかりかねる表情だ。
「そもそも、この戦いがいつまで続くかわからんしなあ。俺も年だし、戦いが終わる前に寿命を迎えちまうかもしれねえ」
「…………」
「ま、できるだけ頑張るつもりだけどな。その後のことは、その後考えるさ」
 主の話を聞きながら、薬研はギュッと拳を握り締めた。
『物』である自分が、『物』のように扱われる人間を見て怒りを覚えるのは間違っているだろうか。
 背後で賑やかな声と足音が聞こえ、主は話を切り上げるようにその場を立ち、戦いを終えた三人を迎えた。その様子を肩越しに見つめながら、薬研は主の痩せた背中に無言で語りかける。

――俺は、大将が生きている時代には存在しない刀だ。なあ、大将。そんな俺が、あんたの未来に一体何を残せるのかな。

 その時、急に主が振り返った。そして、いつもの柔和な笑みで、
「薬研、ひと休みしようか」
「……は?」
「色々あって忘れていたが、まだ休憩していないだろ。とりあえず、ひと休みだ」
「ああ、そういえば」
 と、薬研は茶の用意をしていないことを思い出し、吹き出して笑った。主が怪訝な顔で眉を寄せる。
「薬研?」
「ああ、すまない。そうだな、ひとまず休憩だ。難しいことは、その後で考えよう」
 言って、立ち上がる。
 変えたい過去。
 導きたい未来。
 自分達は『物』であったはずだ。けれど、人間らしい厄介な感情がいつの間にか染みついてしまったらしい。
 薬研は、そっと畳についた生臭い黒い染みを見下ろした。おそらくこれは、どんなに拭っても消え去ることはないだろう。
「どうした、薬研。主はもう皆と行ってしまったぞ」
 背中から三日月の声がした。振り返り、彼の瞳の中に浮かぶ金色の月を覗き込んで笑う。
「へし切さん達が戻ってくる前に、ここを直さないとって思ってな。三日月さん、その時は手伝ってくれるか?」
「承知した」
 彼独特の、優雅な笑みを湛えて三日月はゆっくりと頷いた。
 夜が深みを増して降りてくる。
 冷えた風が足元を吹き抜け、血と薬の匂いをさらっていった。

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