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キュン死に一生

 期末テストを三日後に控えて、全ての部活は活動休止になった。あれから、私はずっと胸のモヤモヤが晴れなくて勉強どころじゃない。カラオケボックスで勉強会をしよう、という友達の誘いを断り、何をするでもなく教室に残った。ぼんやりと空なんか眺めてたら、先生が出入り口から顔を出して、「帰って勉強しなさい」と言ってきたから、仕方なく帰り支度をして教室を出た。
 四組の教室にさしかかった時、話し声が聞こえてきた。「私以外にも残ってる人いるじゃん」と思ってドアの隙間から覗いてみると、三人の女子が教科書とノートを広げてダベっていた。どうでもいい、と歩きかけたその時、怜音の話が出て足を止めた。
「ヤバいよね、ビッチ。さすがに学校辞めちゃうんじゃない?」
「いや、でも、呼び出すまではできてもさー、あいつらにそんな度胸あると思う?」
「復讐するって言っても、適当にひん剥いて動画撮るくらいでしょ? そこまで大ごとにはならないって。大体、悪いのは先に手を出したビッチの方なんだし。少しは痛い目見たらいいんだよ。最近、調子乗りすぎ」
 気がついたら、ドアを乱暴に開けていた。大きな音に驚いた三人が一斉に振り返る。それからすぐに「ヤバ」って顔。
 どんどんムカついてくる。
「今の話、なに? 復讐とか言ってたよね?」
「はあ? 言ってないし。てか、急に何?」
 明らかに虚勢を張ってるこの子はヤマシタさん。合同体育では姐御肌ぶって、やたらと仕切りたがる。でも、先生に対しては弱い。
「わかった。しらばっくれるなら、さっきヤマシタさん達が話してたこと全部先生に言うから。ヤマシタさん達が知っていて黙っていたことも」
「はあ?」今度は真っ青な顔をして三人同時に。
「それが嫌なら話してよ。ねぇ、今、怜音はどこにいるの?」
「レノンって誰……?」というヤマシタさんの呟きに、隣りの子が「ビッチ! ビッチのことだよ!」と小突く。
 ヤマシタさん達の話によると、サトウノボル一味は仲間の絆とやらをめちゃくちゃにされた腹いせに、怜音を体育倉庫に呼び出して『制裁』を加える計画を立てていたらしい。ヤマシタさん達は「そんな大それたこと、どうせできっこない」って高を括っていたけど、集団と密室の危険性を軽く見過ぎてる。
「私は体育倉庫に行くから、ヤマシタさん達は先生を呼んできて!」
「はあ? なんで私達が……」
「そーだよ! だって、悪いのはビッチの方じゃん! 自業自得なのに、なんでウチらが……」
「どっちが悪いとか関係無いよ、バカじゃないの?」
「は? つーか、なに? さっきから偉そうに」
 ヤマシタさん達のしょうもない言動に、イライラが振り切れてドデカい溜息が出る。
「あのね、状況見えてる? 計画を知ってて黙ってたんだから、あんた達がしてることって共犯みたいなもんじゃん。てか、共犯そのもの。だけど、今からでも先生に通報したら、それなりに印象が違ってくるんじゃない? どっちが良いか、判断できるよね」
 三人組の一人が怯えたような顔をしたのを見届けて、私は駆け出した。怜音が呼び出されてから、まだ一時間も経っていないはず。体育倉庫には色々道具があるし、そういうのを投げて抵抗しているなら、きっとまだ間に合う。
 体育館に着いた。中には誰もいないけど、微かに騒ぎ声が聞こえてくる。全速力で体育倉庫まで走り、どうせ鍵がかかっているだろうから、その勢いのままスクールバッグを叩きつけた。鉄製の扉が震えて体育館中に良い音を響かせる。途端に倉庫内が静かになった。しばらく待ってみる。動きは無い。はあ? 居留守を使ってやり過ごすつもり?
「開けろや、ゴラァ! そこにいんのはわかってんだよ!」
 思いっきり怒鳴って扉に蹴りを入れる。可哀想な扉の悲鳴がまた体育館にこだました。
「聞こえてんでしょ? 今、ヤマシタさん達が先生に通報してるから! 先生来ちゃうよ! 先生来ちゃう!」
 とかなんとか喚きながら扉を叩いていると、耐えられなくなったのか、ガチン、と鍵の開く音がした。チャンス。即座にスカートのポケットに手を入れて、その時を待つ。そして、扉の隙間から男子が顔を出したのと同時に、催涙スプレーを吹きかけた。直後にヤバいくらいの悲鳴と悶絶。うわあ、こうなるんだ。涙と鼻水を流しながら真っ赤な顔でこっちに向かってきたのをなんとか躱し、倉庫内に踏み込む。すぐにサトウ君と目が合った。
「え? あんた、三組の……。えっと……」
「告白した相手の名前くらい覚えておけよ、ゴミカス」
 汚物は消毒だ、くらいの気持ちで顔面にスプレーしてやった。あと二人。逃げ出そうと男子がこちらに向かって走ってきたから擦れ違いざまに吹きかけ、次いで、戸惑って動けないでいるもう一人にもお見舞いした。彼らは短い悲鳴をあげると、豪快に咳き込みながら転がるように出て行った。でも、動けるのはそこまで。体育倉庫の前で蹲って目の痛みと格闘しながら、「だから嫌だって言ったんだ!」だの「みんな乗り気だったじゃねーか!」だの喚いている。素晴らしい絆だと思う。
「……愛果」
「怜音!」
 怜音は、敷かれたマットの上でシャツの前を押さえていた。スカートはたくし上げられ、太ももが露わになっている。私は足下に落ちていた怜音のブレザーを拾い上げた。
「ごめん、遅くなった」
 側まで行って手を差し伸べる。すると、怜音は泣きそうな顔になって俯いた。小刻みに震えている。え? ウソ、ひょっとして間に合わなかった?
「れの……」
「信じらんない。なに、今の」顔を伏せたまま呟く。
「え?」
「初めてキュンとした」
 ……あぁ、なんだ。
「私も初めて一生懸命走っちゃった。なんか、たまには悪くないね」
 そう返すと、怜音は立ち上がって私に抱きついてきた。ふわりと甘い匂いに包まれる。
「怖かった。すごく怖かったよ」
「……うん、私も。怖かった」
 言葉にしたら震えてる自分に気付いて泣けてきた。そして、私達は抱き合ったまま声をあげて泣いた。少しして、ようやく駆けつけた先生達の怒号が体育館に響いた。
「何してるんだ、お前達!」
 その後、私に催涙スプレーをかけられた四人は保健室へ行き、怜音と私は女の先生に事情を説明した。怜音は自分のしたことを包み隠さず話した。ただ、サトウノボル達がやった罰ゲームについては、私が話そうとすると怖い目で制して隠し通した。そして、この事件は双方の両親に通知し、処分は期末テスト後に決めることとなった。
 サトウノボル君は、事件の次の日に罰ゲームのことを改めて謝ってくれた。ちゃんと私の名前を呼んで。私も「ゴミカス」と言ったことを謝って、この話はおしまい。
 で、私は今、生徒指導室の前でスマホをいじりながら怜音を待っている。期末テストは三日前に終わった。先生と保護者達はテスト期間中も話し合いを続けていた。私は(催涙スプレーはやり過ぎだったとはいえ)友達を助けるためだった、ということで担任からのお説教だけで済んだ。母親からは「どうでもいいことで手を焼かせないで」と言われた。どうでもいいこと。そう、どうでもいいのだ。私にとっての恋愛と同じ。私は、恋人のために一生懸命走る人に共感できるようになったけど、やっぱり感動はしない。心は動かない。この価値観の違いは、そのうちぶつけ合うことになるんだろうな。親子だから。家族だから。そう考えると鬱だけど、生徒指導室から出てきた怜音の驚いた顔を見たら全部吹き飛んだ。
「愛果? え、なんで?」
「生徒指導室に呼ばれたって聞いたから……。その、待ってた」
 今更なぜか気恥ずかしくなって、私は目を逸らしつつ軽く手を振った。先生が出てくる前に離れて、廊下の適当な壁に並んで寄りかかる。
「で、どうだった?」
「厳重注意。あいつらも同じ処分だって。ま、どっちもどっちだからね。私も悪かったし。あと、ヤマシタさん達には、この話を外部に漏らさないようにキツく言ったって」
「そっか」
 昼休みだから廊下を通る人が多い。男子の目は怜音に引きつけられ、女子は奇異な目を私に向ける。私達が幼馴染みだと知らないから妙な組み合わせに見えるんだろう。
「ねぇ、怜音。どうして罰ゲームのことを先生に話さなかったの? 自意識過剰って言われたけど、怜音があんなことをしたのは、やっぱり私が話したからだよね?」
「愛果がそう思いたいなら、それでいいよ」
「そういう言い方はズルくない?」
「……罰ゲームってことはさ、愛果に告るのがそいつらにとっての『罰』になってたわけじゃん」
 僅かな沈黙の後、ぽつりと怜音は言った。
「正直、ムカついたし。それで話を聞いた人が、愛果のことを『そういう感じの扱いをされる人なんだ』って感じで見るのも嫌だった。ウザいじゃん、そういうの」
「それはまぁ、そうだけど。でも、原因をちゃんと話さないと、怜音が誤解されるでしょ?」
「わかってほしいなんて最初から思ってないよ。やったことは事実だし、『愛果の代わりに復讐してやったんだ』とか言って何になるの。私が勝手にやっただけで、愛果には全く関係無いのに」
 話を聞いているうちに私の表情は自分でもわかるくらい渋いものになった。それを見て、怜音が笑う。
「なに、その顔。どんな感情なの」
「なんか気恥ずかしいような、申し訳ないような……。こんな時、どんな顔をしたらいいのかわからないんです」
「……友達ヅラでもしといたら?」
 友達ヅラってどんな顔よ。とりあえず笑ってみたら、怜音も微笑んだ。
「助けてくれて嬉しかった。ありがと」
 この流れでそれは、照れるじゃん。私はちょっとだけ頷いて前を向いた。
「私さ、今回のことで思ったんだよね。怜音がみんなから『ビッチ』って呼ばれてんの、怜音のことを何も知らないからだろうなって。イメージっていうかさ」
「……『ビッチ』とか、本人の前で言う?」
「怜音ってさー、何だかんだ言って優しいよね」
「は?」
「夜道を歩く私に催涙スプレー渡してくれるし。マジ気遣いの帝王」
「なに、急に。ちょっと……」
「私の手が綺麗とか気付いて、嫌味無く褒めてくれるところも。あれ、すっごい嬉しかった」
「だから……」
「あの時塗ってくれたネイル、落とすの本っ当に嫌だった。手先も器用だよね」
「やめて」
 耳まで真っ赤にしながら両手で顔を覆う怜音を見て、「あぁ、そうだった」と、懐かしくなる。怜音は私のことを「変わらない」って言ってたけど、怜音だって変わってない。不器用で照れ屋。こういうとこ、みんなは知らないし、きっと興味も無い。興味が無いからどうでもいい。その気持ちはわかる。
 興味の無いものを押しつけられるのはウンザリするしムカつく。だから、怜音のことをみんなに知ってほしいとは思わない。まぁ、勝手に知ってしまうぶんには仕方ないと思うけど。
「怜音」
「なに」
「廊下で擦れ違ったら絶対に手を振るから。声だってかける。だから、こっち見てね」
「バカ。そんなことしたら、あんたも変な目で見られちゃうじゃん」
「そういうの、どうでもよくなっちゃった。『怜音』って呼ぶよ。いいでしょ?」
「…………」
「ね」
「……うん」
 顔を覆っていた手を僅かに下ろして、怜音は小さく頷いた。
 昼休み終了のベルが鳴る。
 私達は、その場から離れて並んで歩いた。顔を上げて。でも、それがなんだかくすぐったくて、どちらともなく笑った。
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