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物か、人か

「おい、大将。こいつぁ、一体どういうことだ?」
 白く滑らかな眉間に深い皺を刻んで薬研藤四郎は静かに尋ねた。
『大将』と呼ばれた彼の主は、既に目の前で平伏している。
「見ての通り、資源を溶かしましてございます」
 昨夜まで蔵に保管してあったはずの大量の資源は、全て両手で数えられる程度にまで減っていた。よくもまあ、ここまで浪費したものだ、と薬研は両腕を組み溜め息をつきつつ、平伏したままの主を醒めた目で見下ろした。
「理由を聞かせてもらおうか」
「はい! 実は昨日、さる情報筋から小狐丸を呼ぶことができるであろう有力なレシピを手に入れまして!」
「……で、それを限界まで回したと」
「その通りでございます!」
「結果は」
 聞くまでもない。薬研は再び小さく息を吐いた。新しい仲間が増えたのなら、主がこうして土下座をする必要はないのだから。
「――ダメだったんだな」
「……あ、いや、でも、お陰で今剣ちゃんの機動は劇的にアップしたんだぞ」
「ダメだったんだろ?」
 わざと威圧的に尋ねると、主は慌てて頭を伏せ、
「申し訳ございません! つきましては、本丸を挙げての大規模遠征を行いたく!」
 地面に額を擦りつけながらそう言った。
 薬研が眉を顰めて訊き返す。
「大規模、遠征?」
 
 
 遠征は政府から依頼されて行うもので内容によって報酬が変わる。当然、期間が長かったり困難なものほど報酬は高い。
「つまり、高額な依頼を数多く引き受けてこの窮状を乗り切ろうってことだ。皆、よろしく頼むぜ!」
 主から手渡された遠征計画を読み上げた後、薬研はそう言って仲間達に発破をかけた。
 事の発端である主は、現在『私は資源を溶かしました』と書かれたプラカードを首に下げ、冷たい廊下で正座している。
「薬研、少しいいか?」
 準備に取り掛かる仲間達の間を縫って、へし切長谷部が声をかけてきた。
「留守番のことなんだが……、数が少なすぎないか?」
 資源回収のためとはいえ、何が起こるかわからない。そのため、本丸には万が一の備えとして、薬研、三日月宗近、鶴丸国永、蛍丸、和泉守兼定、堀川国広の六名が残ることになっていた。
「確かにな。だが、大将の決めたことだからなあ」
「俺も残ろうか。俺が抜けた穴は人数で埋めれば何とか……」
「すまないが、そいつは勘弁してくれ」
 厳しさを含んだ声が、へし切の言葉を遮った。
「大将」
 いつの間に部屋の中に入っていたのか。主はプラカードを下げたまま、二人の傍でひっそりと佇んでいた。
 閉じていた両目をうっすらと開け、ニヤリを微笑む。
「今回の遠征はどれも難易度が高い。故に、それに見合った錬度が要求される。へし切よ、部隊をまとめ上げる力を持ったお前に抜けられたら、色々と困るのよ」
 主の目は殆ど見えない。これは生まれつきらしいが、そのため視力以外の全ての感覚が鋭くなったのだという。それを証明するように、彼の顔はしっかりとへし切の方を向いている。
「お前の部隊には、具現化したばかりで人間の感覚に慣れていない者もいる。助けになってやってくれないか」
 普段から主に対して絶対の忠誠を示しているへし切だ。こう言われてしまっては弱い。だが、いつもと違って返事は遅かった。逡巡しているかのような沈黙の後、へし切は重く瞼を閉ざして引き結んでいた唇を小さく開いた。そして、
「……主命とあらば」
 低い声で返した。
 一階にある大広間で最後の部隊が遠征先に飛ばされていくのを見送った後、薬研は思いきり伸びをした。こうもひと気の無い本丸は久し振りだ。薬研は、ふとここに来たばかりの頃のことを思い出した。あの頃はまだ人数も少なく、部隊を一つ編成するのがやっとだった。へし切がやって来たのはそれから少し後のことだが、彼とも随分長い時を過ごした。
 その彼が遠征出発の間際、薬研の耳元でこう囁いたのだ。

――何か、嫌な予感がする。油断するな。

 いつになく真剣な表情だった。薬研は思わず言葉を失くし、そのままへし切を見送った。
(嫌な予感、か)
 付喪神が『予感』とはなんとも奇妙な話だが、薬研にはわかる気がした。この姿になってからというもの、日に日に思考が人間のそれに近付いてきている。薬研は肩越しにそっと主の痩せ細った背中を見つめた。審神者の力は、やや年老いた彼にとって負担が大きいのだろう。肉の薄い肩が上下に動いている。
「大丈夫か、大将」
「ああ、まあ、なんとかな。連続であっちこっちに飛ばすのは流石に骨が折れる」
「あんまり無理すんなよ。大将に何かあったら俺達は路頭に迷っちまう」
「――そうでもないさ」
 おどけて言ったつもりだったが、主の反応は思いのほか真面目なものだった。微かに笑った横顔に寂しげな影が差しているのを見て薬研は息を呑んだ。
「随分と疲れているようだな。部屋でひと休みするか?」
 とりなすようにそう申し出ると、主はにっこりと笑み、
「ああ、そうさせてもらおう」
「じゃあ、俺は茶を淹れてくるよ。部屋に持って行くから待っていてくれ」
 言いながら、薬研は障子戸を開けた。薄暗い。いつの間にか夜が忍び寄っていたようだ。若干静かすぎるものの、穏やかないつもの庭を眺めて小さく息をつく。兄弟達が遠征先から戻り、ここを走り回るのは明日になる。それまで何も起こらなければいい。ゆっくりと歩き出し、そんなことを考えていると、前方からこちらに向かって歩いてくる人影に気付いた。
 堀川国広だった。
 堀川は薬研を見つけると薄く笑って、
「主さんがどこにいるか知らない?」
 と、訊いてきた。具合でも悪いのか、顔が青白い。
「大将ならまだ広間にいるか――、そうでなかったら部屋だな。それよりも、顔色が悪いようだが大丈夫か?」
「……うん、平気。とりあえず広間に行ってみるよ。ありがとう」
 右手を軽く振って堀川は足早に立ち去った。薬研は遠ざかっていく背中をぼんやりと見送っていたが、ふいに胸がざわめいた。何かが、おかしい。
 普段は明るく優しい笑顔を向ける堀川の、強張った表情が気にかかり、薬研は踵を返して広間に戻った。
「堀川さんよ、大将はいたか?」
 何気ない風を装って障子戸を開けた薬研は目を見張った。
 大広間の真ん中で、堀川と主は対峙していた。堀川は坐したままの主に脇差の切っ先を向けている。
「大将!!」
「来るな、薬研!!」
 怒鳴り返され、薬研は駆け出しかけた足を止めた。
「まだ、大丈夫だ」
 主は静かにそう言った。主の落ち着きぶりを見て少しだけ冷静さを取り戻した薬研は、堀川の微動だにしない背中を見据えて鋭く尋ねた。
「こりゃあ一体どういうことだ? 堀川さん」
「見ての通りだよ」
 振り向かずに堀川は冷たい声で返した。そして、挑発的に、
「どうしたの、薬研君。止めたいんでしょ? かかってきなよ。それとも、やっぱり君も主さんの命令には逆らえない?」
「なに?」
「おいおい、驚いたな。どうなってんだ、これは」
 突然背後から声が飛んできて薬研の声と重なった。振り返るまでもない。鶴丸だ。彼は薬研の傍らまで来ると身構え、
「手の込んだドッキリか? それとも――」刀の柄に手をかけた。「何かの罠か?」
「薬研、鶴丸。それから……そこの襖の奥にいる三人もよく聞け。手出しは無用だ」
 三人? と薬研は口の中で呟いて瞳を巡らせた。すると、隣室に面した襖が音もなく開き、そこから三日月と蛍丸、そして真っ青な顔をした和泉守が姿を現した。
 ぴくり、と堀川の肩が動く。
「兼さん……」
「国広、てめえ」
「助けたいんだ、どうしても」
 澄みきった声で堀川は言った。すると、足元からゆらりと青白い炎のような光が漂い出した。どこかで見たことがある、と薬研は思った。あれは、そう――。
「あの日、僕には為す術がなかった。でも、今なら」
「馬鹿が! てめえはまだそんなことを……。あの時も言っただろう、良くも悪くも歴史は歴史なんだって。どうしてそれがわからねえ!」
「わかってる! わかってるよ! でも、もし変えられるなら……。ただ生きてくれているだけでいいんだ。そうすれば、僕も兼さんも……」
 堀川の声は涙に滲んでいた。それを振り払うかのように頭を振り、主に向き直る。
「主さん、僕を戊辰戦争のあった時代に送って下さい。場所は――五稜郭。断るなら、僕はこの場で貴方を斬ります。貴方だって死にたくはないはずだ。そうでしょう?」
 青白い光が堀川の半身を這う。次第に形を変えてゆくその光を見つめながら薬研は唇を噛みしめた。あらゆる時代の戦場で幾度となく遭遇した『遡行軍』。彼らが纏う怖気を覚えるような昏い光に、それはよく似ていた。
 短刀を握り締めていた手に力がこもる。
 堀川は本気だ。本気で、過去を変えようとしている。本来ならば、その想いは呑み込んでおかねばならないものだ。そうでなくては、自分達がここに存在する意味そのものを失ってしまう。だが――。
 その時、主がおもむろに口を開いた。
「手が震えているぞ、堀川」
 穏やかにそう言って、主は右手で刀身を掴んだ。予想外な行動だったのだろう。堀川は狼狽して、
「な、何をしているんですか! そんなことをしたら、手が……」
 彼の言葉通り、脇差を強く握り締めた主の手から真っ赤な血が流れ出した。血は、手首を伝い、彼の着物を汚した。
「俺を斬ると言ったお前が俺の手の心配かい。おかしいねえ」
 平然とした様子で主は喉の奥で笑った。
「だが、斬るよりも、もっと確実な方法があるぜ」
 言って、切っ先を自分の左胸に当てた。堀川が悲鳴のような声を上げる。
「あ、主さん!」
「お前の頼みは呑めねえよ」
 張り詰めた空気が流れた。薬研はそっと鶴丸に目配せして少しだけ歩を進める。背中を向けている堀川は困惑しているためか、その動きに気付かないようだった。
「……なあ、堀川。元の主を救いたいという、お前の想いは純粋なものだろうよ。だがな、この世は不思議なもんで、その結果が思いもよらぬ方向に転がっちまうことが往々にしてある。それこそ、白が黒に反転しちまうほどのことだってな」
「…………」
「てめえの望んだ結果じゃねえから『やり直す』なんてなァ、余程の身勝手よ。誰も彼もが望んだ未来を生きているわけじゃねえ。後悔や無念をどこかに抱えている。それをいちいち潰していたらキリが無ぇだろうが」
 ぞろり、と不気味な光が蛇のように堀川の半身に絡んだ。威嚇しているのか、光の一部が先端を尖らせて主を狙っている。
「だから」堀川の声は震えていた。「僕達は耐えろと? 元の主が死んでいく様を見過ごせと言うんですか」
「人はいずれ死ぬさ。お前が手を貸そうが貸すまいが、必ず死ぬ」
 そう言って微笑んだ主の顔は、どこか空虚なものだった。
 カタカタと震える脇差の音だけが響いていた。背後では風が木々を揺らし、不穏な音を立てている。
「身も蓋もないことを」
 ぽつりとこぼした鶴丸の呟きが、堀川の背中を一層哀れにした。
「主さん、僕は一体どうしたら――」
 縋るように堀川が尋ねると、主は血に濡れた手で刃を握り締めたまま、何も言わずにゆっくりと頭を振った。お前が決めろ、というのだろう。堀川はうなだれるように俯いた。
 そのまま、しばしの時が流れた。風が鳴っている。
 薬研は、ふと堀川の身体にまとわりついている光がやや変化しているのに気付いた。わずかだが、動きが鈍くなっているのだ。堀川は迷っている。その迷いを察しているのか、和泉守は痛みをこらえるような表情で堀川を見つめていた。握り締めた拳から、いつの間にか赤いものが滴っている。
「主さん。僕は……、僕は……」
 泣き出しそうな声で呟くと、堀川は突然上体を起こして絶叫した。それは、喉が張り裂けそうな、悲痛な叫びだった。直後、堀川は素早く主の手から脇差を引き抜くと、その勢いのまま刃を深々と自分の左腿に突き立てた。彼の半身を這っていた光の蛇は研ぎ澄まされた刃に貫かれ、声無き叫びを上げて霧散する。と、同時に堀川は身体を反らして腿から脇差を抜いた。
 溢れ出した血が煌めく刃を伝い、弧を描いて散る。
「国広!」
 叫んで和泉守が飛び出した。その機に乗じて薬研達も駆け寄る。和泉守は脱力して倒れ込む堀川の身体を受け止め、掻き抱いた。
「馬鹿野郎! てめえ、なんて真似を……」声は、涙に濡れていた。
「……兼さん。あの人は……土方さんは、許してくれるかな」
 堀川の小さな呟きに和泉守は頭を振る。
「許すも許さねえも無ぇよ。あの人なら、わかってくれる。きっと――馬鹿な奴だと笑ってくれるだろうさ」
 無言で目を伏せる堀川の頬に涙が一筋流れ、彼はそのまま気を失ってしまった。その気配を察したのか、主がとっさに指示を出す。
「和泉守、堀川を手入れ部屋へ連れて行ってくれ」
「……いいのか?」
「当然だろう。なんだ、情けねぇ声出しやがって。シャキッとしろや。いいから早く行け。このままだと堀川が重傷になっちまう」
 血だらけの手をうるさげに振って、主は和泉守を促した。しかし、和泉守はまだ遠慮があるのか窺うような目で薬研達を見回した。すると、障子戸の向こうに注意を払っていた三日月がその無言の声に答えた。
「風が嫌な音で鳴っているな。和泉守、堀川を任せたぞ。あとは――俺達の仕事だ」
 先ほどから不快な気配が近付きつつあるのを薬研も感じ取っていた。おそらく、堀川の変化に誘われてやってきた雑魚どもだろう。
「やれやれ。こんな驚きは二度とごめんだな」
 呆れたように言って、鶴丸は太刀を引き抜きながら踵を返す。その後を蛍丸が続いた。彼らしく飄々と、しかしどこか真剣な面持ちで呟く。
「早く終わらせよう、こんなこと。こんな――嫌なこと」
 和泉守は彼らの背中に深く頭を下げると、堀川を背負って広間を出て行った。
 三人が行くのであれば自分の役割は『ここ』だろうと、薬研は主の目の前に腰を下ろした。問答無用で傷ついた右手を引き寄せ、ウエストポーチから取り出したハンカチで血を拭う。
「まったく、無茶をするお人だ」
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