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天下分け目の枕投げ合戦

 開け放たれた窓から涼しい風が流れ込んでくる。静かな夜だった。
 伊達政宗は六爪を手に不敵に笑うと、相対する少年に言った。
「いい夜だ。楽しいパーリィになりそうだな。なぁ、真田幸村ァ!」
「某、こんな日が来るのを心から待ち望んでおり申した。政宗殿、いざ尋常に勝負!」
 両手に武器となる『枕』を持ち、真田幸村は大声で気を吐いた。
 京都府某所。修学旅行第一日目の夜、である。
 食事と入浴が終われば、あとは自由時間になる。といっても、旅館の中は娯楽が少ない。事の発端はそこにある。部屋が大部屋だったことも一因にあるが、暇を持て余したある男子が何気なく口にした「枕投げでもするか」の一言が事態を大きく変えた。退屈しのぎにやって来たり面白そうだと参加したりと、次々に人が集まり、やがて東西に分かれて枕投げをするという、題して『天下分け目の枕投げ合戦』が開催されることとなった。
 東軍のメンバーは、徳川家康、伊達政宗、長曾我部元親、野郎共三名。それに対し、西軍は石田三成、真田幸村、毛利元就。そして捨て駒三名で構成される。総勢十二名の争いである。
 勝利条件は単純で、どちらかの兵が一人でも生き残っていたらその軍の勝利となる。いわゆる総力戦だ。もちろんルール無用。無用なので――。
「イィィエヤッスウゥゥゥ!!」
 絶叫して三成は家康の顔面に枕を叩きつけた。ゲーム開始から三分ほど経っただろうか。これで五度目。しかも連続である。顔にぶつかった枕をどかし、家康はたまらず訴える。
「三成! 何故わしばかり狙う! 他にも人間はいるだろう!」
「うるさい! 秀吉様と半兵衛様がご覧になられているのだ! 貴様に負けるような無様をお見せするわけにはいかない!」
 そう言い返す三成の後方には、ゆったりと藤椅子に腰を下ろして寛ぐ豊臣秀吉と竹中半兵衛の姿があった。その傍らでは大谷吉継が座布団にあぐらをかいて座っている。彼らは戦いには参加しない。三人とも湯冷ましのお茶を手に、楽しげに観戦している。
「三成君、大丈夫。君ならやれるよ!」
「やれ、三成。二人が見ておるぞ。気張れ、気張れ」
 囃し立てているのか本気なのか判別しがたい声援を送る二人の向こう側では、猿飛佐助と前田慶次がベランダに出て二人仲良く話し込んでいる。
「慶ちゃん、いいの? こんな所にいてー。あんた、女子の部屋に入り浸って尚且つ馴染んじゃうタイプでしょ」
「そうなんだけどさ」
 と、慶次は大袈裟に溜め息をついた。
「女子の部屋に行くのに、絶対に通らないといけない廊下があるらしくてさ」
 男女の宿泊場所は階数で分けられている。三階と四階が男子で五階と六階が女子である。フロアの見取り図を頭の中に思い描いて佐助は相槌を打つ。
「ふんふん」
「ちょうどその付近に、どうやら南光坊先生の部屋があるらしいんだよ。なんか話によるとさ、男子がそこを通ろうとすると、いきなりドアが開いて問答無用で引きずり込まれるんだって! あの人さー、俺苦手なんだよねー。昔から!」
 南光坊天海先生は慈悲深い校医である。が、一部の教師や生徒は何故か彼のいる医務室に寄りつかない。三成曰く、「奴に関わるなと私の臓腑が告げている」ということなのだが、その気持ちは佐助にもなんとなく理解できた。
 それはさておき。そういう話が出るということは、つまり人柱になった人間がいるということだ。
(誰かは知らないけど、ご愁傷様)
 心の中で呟いて、佐助は苦笑した。
「だからさー、行けないんだよねー。修学旅行の夜に男ばっかで群れるとか、ありえないよなー」
 うなだれて、慶次は心底気落ちした様子で言った。佐助は少し考えて、
「それって五階? 六階? フロアは二つあるだろ。なら、南光坊のいないフロアに行けば……」
「あー……、それも多分無理。南光坊先生は五階だけど、六階には松永校長がいるんだよ。捕まれば、まず間違いなくお宝自慢で夜が明けちゃうよね……」
 後ろの枕投げ大会はかなり盛り上がっている。高校生にもなって、と佐助は冷めた視線を送るが、楽しそうな幸村の横顔が目に入ると途端に表情を柔らかくした。
「ところで、けーちゃーん。最近どうよ。雑賀とは。何か進展あった?」
 気を取り直し、佐助はおどけた口調で詰め寄った。すると慶次は何やら遠い目をして、
「俺さ、想いはいつかきっと届くって……信じてるんだよね」
「ああ、相変わらず無視されまくってるわけね」
「そうハッキリ言うなよ……」
 柵にのせた両腕に額をつけて、慶次はがっくりと落ち込んだ。この分だと先はまだまだ長そうだ。
 さて、二人が恋バナでしんみりしている頃、合戦は最高潮の盛り上がりを見せていた。
 政宗と幸村は未だに鍔……枕競り合いを続けているが、家康と三成の勝負は今にも決してしまいそうだ。分が悪い。そう思った元親が叫ぶ。
「野郎共! 家康を援護しろ! 俺は――」
 振り返り、敷かれた布団の上で涼しげな顔をして佇む元就を見やる。
「こいつを片付ける!」
「ほぉ。長曾我部……貴様、我に敵うとでも思うておるのか。まことに身の程知らずな人間よ」
 元就は表情一つ変えない。冷えた眼差しで元親を見据えている。
「身の程知らずかどうかは」
 言いながら、元親は元就の周囲を窺った。枕がいくつか散らばっているだけで、足元に誰かが隠れているような気配はない。元親は、ニッと笑った。
「やってみねーとわからねぇよな?」
 行くぜ! と気合いを入れ、元親は枕を片手に駆け出した。間合いを詰めて思いきり枕を叩きつける。それが彼の作戦だった。先手必勝。何が仕掛けられていようと、先んじることができれば――。だが、それを見透かしたように元就は口元に皮肉な笑みを浮かべた。トン、と後ろに跳び、
「今が好機! 捨て駒共よ、地曳網ぞ! 獲物を捕らえよ!」
 元就の高らかな声が聞こえたと同時に、元親の足元の布団が引っ張られた。
「だっ!」
 とっさのことに対応しきれず、そのまま大きな音を立ててひっくり返る。視界の端に、元就の残酷な笑みが見えた。
「全て我が手のうちよ。さぁ、一斉攻撃だ! 一気に長曾我部を討つ!」
 倒れ込んだ元親に容赦なく枕が投げつけられる。集中攻撃を受けた彼の悲鳴は、窓を抜け、夜のしじまに響き渡ったのだった。


 どこかで悲鳴が聞こえた気がして、浅井長政はハッと空を見上げた。秋風が吹き、木の葉を優しく揺らす。どうやら気のせいだったらしい。安堵して、座り直す。傍らには市が俯いて座っている。
 二人がいるのは旅館の中庭である。互いに部屋を抜け出し、約束通りここで落ち合った。赤い布が敷かれた長椅子に腰掛け、既に二十分ほど経つ。
 長政の動きに気づかぬほど、市は思い悩んでいた。先程から会話が続かない。せっかく二人きりになれたのに、このままではすぐ戻ることになってしまう。
(どうしよう……。どうしたら……)
 すると、遠くから風に乗って誰かの声が聞こえてきた。男女の声だ。思わず、市は耳を澄ます。遠すぎるためよく聞き取れないが、どこかで聞いたことのある声だった。
(この声……、まつさん?)
 市の予想は当たっていた。長政と市のいる場所から数メートル離れた所にも同様の長椅子が設置されている。そこに、前田利家とまつが仲睦まじい様子で寄り添っていた。
「犬千代様! はい、あーん」
 と、まつが菓子をつまみ上げて微笑んだ。言われるまま、利家が「あーん」と口を開ける。噛みしめながら、
「美味いな! なんだ、この菓子は」
「京都名物『八ッ橋』にございます! 自由時間に街を歩きましたでしょう? そこにちょうど老舗の名店がございましたの。多少待ちはしましたが、犬千代様のため、並んで買い求めたのでございます!」
「おお、まつ! 苦労して手に入れてくれたんだな。俺は嬉しいぞぉ!」
「犬千代様ぁ!」
 市はその会話をじっと耳を澄まして聞いていた。途切れ途切れに聞こえてくるため、断片的にしかわからないが、何かヒントを掴んだ気がする。なにより、新たな驚きがあった。
(あんなものがここの名物だったなんて……。でも、それなら市にもできそう)
 ふぁいと、と自らを鼓舞し、市は静かに口を開いた。
「長政様?」
「ん?」
「あのね、市……」
「なんだ、市。ハッキリ言わぬか」
 苛立たしげに長政は言った。尻込みし、思わず市はキュッと口を結んだが、やがて深く息を吸うと勇気を出して切り出した。
「長政様。市ね、長政様のために頑張って……『八つ裂き』にしてあげる」
 直後、市の影が広がり、ゾワリと無数の黒い手が伸びた。衝撃的な言葉と展開に一瞬長政の思考が停止したが、すぐにハッと我に返り、「ちょ、ちょっと待て、市! 文脈が合ってないぞ!」
「京都の名物なんだって」
「そんな物騒な名物聞いたこともない!」
「大丈夫。……えっと、死に瀬で冥天が待っているみたいだから。多生はあっても、きっと求めている場所へ逝けるわ」
 黒い手が手渡した薙刀を手に、市がにじり寄る。同じだけ、長政は離れた。
「な、何を恐ろしいことを口走っておるのだ! 市! 目を覚ませ!!」
「市、長政様に喜んでもらいたいの……」
「ちょっ……待っ……!」
 悲鳴が上がり、惨劇の幕が開いた。


 自分が宿泊している旅館の中庭でそんな凄惨な事件が起こっているとは露知らず、五階の一室では女子達が互いにお菓子を持ち寄り、恋の話などをして大いに盛り上がっていた。
「好きな殿方……ですか? え~、それはぁ……」
 ポッキーを片手に鶴姫は頬を染めた。だが、彼女が言い終わらないうちに、その場にいた全員が声を揃えて、
「宵闇の羽の方こと風魔君!」
 でしょ? と女子の一人がいたずらっぽく笑った。言い当てられ、鶴姫の顔が耳まで赤くなる。
「なんで知ってるんですか!?」
「なんで……って、そりゃ、あれだけ毎回大っぴらに告ってりゃ誰だって……」
 その時、小首を傾げる鶴姫の背後で襖が開いた。タオルを首にかけた二人の女子が入ってくる。輪の中にかすがの姿を見つけると、
「あ、かすがちゃん。今ね、一階のエントランスのとこに上杉先生いたよ」
「な……っ、まことか!?」
 かすがは即座に顔を上げた。
「うん。ファンの女の子達に囲まれてた。かすがっちも行ってきたら? きっとまだ間に合うよ」
 と、もう一人の女子が 言うのを聞き、かすがは「しまった。遅れをとったか!」と走り出す。が、襖に手をかけた時、ふと何かに気付いて振り返った。
「……すまない。すぐに戻る」
「いいって! ほら、急がないと上杉先生部屋に戻っちゃうよ?」
 笑顔で見送る女子達に小さく頭を下げると、かすがは部屋を後にした。ややして、藤椅子で寛いでいた孫市がくすりと笑った。
「鶴姫もわかりやすいが、かすがも同様だな。可愛らしいものだ」
「そう言うお姉様は?」と、鶴姫。
「何がだ?」
「慶次さんとはどうなっているんです?」
「あ、それ私も聞きたーい!」
 と、鶴姫を先頭に女子達が詰め寄る。その勢いに孫市は少々鼻白んだが、すぐに気を取り直して、
「どうもこうも……。あれは向こうが勝手にひっつき回っているだけだ」
「でも、良い雰囲気ですよ? お二人とも」
「良い雰囲気? 私と前田がか?」
 鶴姫はニッコリ笑って頷く。
「とてもお似合いだと思います」
 孫市はしばらく黙り込んで彼女の顔を見つめていたが、やがてゆるやかに微笑むと、
「そうか」
 とだけ言った。
 ほどなくして再び襖が開いた。ぴょこんとまつの笑顔が飛び込んでくる。
「皆様! 濃先生をゲットしてきましたよ!」
 彼女の言葉に、わぁ、と歓声が上がる。まつの後に続いて部屋に入った濃姫がお菓子の山に目をとめ、
「あら、あなた達、ダメよ。こんな時間にお菓子なんか食べちゃ。お肌に悪いでしょ」
 と言って、妖艶に微笑んだ。
「まつちゃん、どうだった? 利家君、喜んでた?」
 女子の一人が身を乗り出して尋ねると、まつはピースサインで答えた。
「ばっちり、でございます」そして膝を折り、三つ指をついて「良いお店を教えて頂いて……。まことに感謝致します」
「いえいえ。どういたしまして」
 彼女もまた正座をし、丁重に頭を下げる。まつやかすがが見せる、このような古めかしい言葉遣いや態度は、彼女達には新鮮で面白いらしい。楽しんで付き合っている。
「そういえば、ここに来る途中で南光坊先生の部屋から小早川君の声と薄気味悪い声が聞こえてきたけど……」
 と、濃姫は出入り口を振り返って心配そうに言った。すると、孫市が意味ありげに笑って、
「あの二人は仲が良いからな」
「あら、そうなの」物珍しそうな顔で、濃姫。
「そんなことより! 濃先生! 濃先生って、いっつも良い匂いしてますよね。何の香水使っているんですか?」
 キラキラと瞳を輝かせて尋ねる生徒達の可愛らしさに、濃姫は口元に手を添えて「ふふっ」と笑った。
「これでも教師ですもの。学校にいる時は香水なんてつけないわ」
「え? じゃあ、なんで……」
 濃姫はうっすらと笑みを浮かべたまま手招きする。誘われ、女子達は頭をつき合わせた。囁きの後……。
「きゃー!」
 嬌声が上がり、にわかに場は盛り上がった。


 五階の女子達が良い匂いの話をしている最中、三階の男子達は汗臭い熱気の中にいた。捨て駒達による一斉攻撃の直後、元就はとどめのジャンピングエルボーをくらわせ、元親を討った。そして彼は気絶した元親の腹の上に足を組んで座り、つまらないものを見るかのような眼差しで未だ続く闘いを眺めている。
 慶次と佐助はまだベランダにいた。佐助はのんびりとした表情だが、慶次は落ち込んだり笑ったりと忙しい。相変わらず屈託のない男だ。そう思い、ふぅ、と小さく息を吐くと、半兵衛は向き直って呟いた。
「まさか、こんなことになるなんてね」
「何の話だ?」と、秀吉。
「僕達のこと。政宗君や幸村君、それから元就君に元親君……。僕達は互いに命を懸けて戦った仲なのに、今はこうして馬鹿騒ぎをしている。ほんと、妙な気分だよ」
「それだけ平和ということだな」
 秀吉は目を伏せて返した。
「平和、ね」
 目の前で起きている騒動を見ていると、とてもそうは見えないが。だが、おそらくこれが平和ということなのだろう。当たり前に、日々は在る。
「我は気に入っているぞ。今日の見学で見てきた諸々の『過去』は、我らからすると『未来にあった出来事』だ。我らの戦いも、歴史という流れの中で見ることができる。これは過去の記憶を持つ我らにしかできぬこと。興味は尽きぬ」
「……そうだね。これはこれで悪くはない、かな」
 そう言って、半兵衛が秀吉を見上げた瞬間。
 ズバン、と秀吉の顔面に枕が命中した。政宗が勢い良く振り回していた六爪枕のうちの一つが指から抜け、不幸にも秀吉を襲ったのだった。途端に、半兵衛と三成が顔色を失う。
「政宗君! 秀吉になんてことをー!!」
「イィィィエヤスゥゥゥウゥウウウ!!」
「待て、三成! わしは豊臣には何も……」
「秀吉様を呼び捨てにするなァァ!」
「あ、そっちか!」
 思いきり枕を叩きつけられ、家康の顔面はその輪郭がわかるほど強く枕にめり込んだ。
 一方、半兵衛が投げつけた枕は政宗を捉え、真っ直ぐに飛んでいく。政宗は間一髪でかわした。が――。
「おい! お前ら、静かに……」
 しねぇか、という片倉小十郎の言葉は虚しく枕に封じられた。旅館の女将に言われて注意しに来た片倉先生である。勢い余って後ろに反り返るも、なんとか耐え、身を戻す。
 枕が落ちたと同時に、オールバックにしていた前髪の一部がはらりと垂れた。
「てめぇら……、高校生にもなって枕投げに熱中するたぁ恥ずかしくねぇのか……」
 怒りに震えながらも、押し殺した声で小十郎は言った。
「ま、政宗殿。今、何かプツリと切れた音が……」
「あぁ、まずいぞ。小十郎の奴、完全にGOKUSATSUMODEだ!」
「無理に横文字にしなくていいでござる!」
 ひそひそと言い合っていた二人だったが、ふらりと近付く小十郎の気配に、びくりと肩を揺らす。
「政宗様、おいたが過ぎますぞ!」
「こ、小十郎、とりあえず落ち着け。話せばわか……」
 言い終わらないうちにゴスンと鈍い音がし、政宗は額から煙を出して乱れた布団の上に沈んだ。静まり返った室内に、小十郎の怒声が響く。
「……さぁ、次はどいつだ。さっさと前に出ろォ!!」
 疲弊した情熱がまだ天井の辺りに燻っている。天下分け目の戦いは片倉小十郎の乱入により、呆気なく収束した。頭突きをくらった野郎共と捨て駒達は仲良く並んで伏している。が、政宗と家康は慣れているため早々に復活し、二人連れ立って飲み物を買いに行ってしまった。


 静寂の中の、荒れた室内はまさに夢の跡そのものだった。
「ごめんね、三成君。僕のせいでこんなことになっちゃって」
 濡れタオルを赤く腫れた三成の額にのせ、半兵衛は申し訳なさそうに言った。
「そんな、半兵衛様……。私は当然のことをしたまでです。秀吉様や半兵衛様のお役に立てるのなら、この三成、頭突きの一発や二発いくらでも……」
 とはいえ、半兵衛を庇って二発も頭突きをくらった三成のダメージは大きい。が、彼は今、秀吉が見守る中、吉継の膝枕で半兵衛に看護してもらうという、至福のひと時を味わっていた。
「三成、ようやったな。エライエライ」と、吉継が頭を撫でる。
「うむ。三成、良き戦であったぞ」
「秀吉様……」
「良かったね、三成君」
 そんな幸せオーラ全開の豊臣軍を冷めた目で見つめる者があった。元就である。壁際に片膝を立てて座り、フン、と鼻を鳴らす。
「石田がああなったのは、豊臣の罪ぞ」
「いきなりどうした」
 と、気絶から覚めた元親が尋ねた。彼は気絶していたため、小十郎の頭突きラッシュの被害に遭わなかった。元就もまた、上手く立ち回ってこの難を逃れている。壁にもたれ、見下すようにして元就は豊臣の四人を見た。
「あれだけ構われておれば、否応にも情がわく。自然、それを失った時の恨みと悲しみは絶望よりも深くなろう。――あの男が徳川をあれほどまで苛烈に憎悪したのも頷ける」
 愚かなことよ、と元就は吐き捨てる。そんな彼を横目で見やり、元親は薄く笑った。
「いいじゃねーか、それは。もう終わった話だ。過去がどうあれ、今が幸せなら……それでよ」
 元就はまた鼻を鳴らし、そっと視線を走らせた。あちこちに散乱した枕。乱れ、ひっくり返った布団。手持ちの枕が無くなり、代わりに投げ飛ばした誰かのバッグ。ふいに、乱世の頃の情景が思い出された。それらが重なり、溶ける。
「あんたも、良かったよな」
 いきなりそう言われ、元就は顔をしかめた。この男の言動は時々理解しかねる。
「何がだ」
「色々さ」
 にんまりと笑う元親に構わず、元就はふっと息をついた。そして、小声で呟く。
「……幸福、か」
 一方、ベランダでは幸村が満ち足りた表情で団子を頬張っていた。
「戦が終わった後の団子は、やはり格別でござるな!」
 額が赤くなっているものの、あまり効いてはいないようだ。見かねて佐助が口を出す。
「旦那、こんな時間に団子なんか食べたら太っちゃうよ」
「動いたら腹が減ってしまったのだ! このままでは寝るに寝られぬ。睡眠不足なんぞになったら、それこそ不健康というもの……ん?」
 と、幸村は階下を見た。中庭で何か動いたような気がする。
「どうしたの、旦那?」
「佐助、あれに見えるは長政殿ではないか?」
 そう言って指さした先に、フラフラと動く長政の姿があった。こちらからでは頭しか見えないが、彼の髪型は特徴的なのですぐにそれとわかる。
「こんな時間に一体どうしたのでござろう。……何か落としたのやもしれぬな。よし、某が行って、一緒に探すでござ――」
「待て待て待て! 旦那! 早まるな!」
 ベランダから飛び降りようとする幸村を押さえつけ、佐助は声を潜めた。
「まだ失せ物と決まったわけじゃない。もう少しだけ様子を見てみようぜ。ていうか、ここ三階だよ。いくら旦那でも飛んだら怪我するって」
 幸村は腑に落ちない表情だったが、佐助の言葉に従い柵から足を下ろした。
 その直後、暗がりから小さな頭がぴょこんと飛び出し、長政のもとへ近づいていくのが見えた。長政の決死の説得により、ようやく勘違いが解けた市である。佐助がそっと呟く。
「あれは……市か」ニヤリと笑って「へぇ、やるねぇ」
「なんと、お市殿にござるとな!」
 驚愕する幸村を尻目に慶次が後ろを振り向いた。そして、室内で休んでいる男子達に弾んだ声で呼びかける。
「おーい! 皆、こっち来てみろ! 長政さんとお市ちゃんが中庭で『いけない☆夜の課外授業』をおっぱじめてるぞー!」
「なんだってー!!」
 スパァン、と勢い良く襖が開き、政宗と家康が現れた。半兵衛が溜め息混じりに呆れたような声を出す。
「なんだ。まだウロウロしていたのか。さっさと自分達の部屋に戻ったらどうだい。君達がいると、色々巻き込まれて迷惑なんだ」
「まぁ、そう言うなって、竹中半兵衛。細かいことは抜きだ。Simpleに行こうぜ、Simpleによ」
 ニッと微笑みかけ、政宗は四人の側を通ってベランダへ向かった。先にベランダに着いていた元親の肩を叩き、一緒に前列に割り込む。続いて、家康がすまなそうな笑顔でやってきた。
「すまないな。わしらの部屋からだと中庭が見えないんだ」
「野次馬根性を出さなければいいだけのことじゃないか」
「ハハッ。確かに」
 まったく、とぼやいて半兵衛は三成の額にのっているタオルをひっくり返した。
「三成、大丈夫か?」屈んで家康が尋ねる。
「心配ない。今は寝てるけど、もう少ししたら起きられるだろう」
「そっか。じゃあ、これを三成に渡してくれないか。わしからの見舞いだ」
 と言って、家康は半兵衛にジュースを差し出した。半兵衛は目を丸くして、
「どうして僕が。後で君が直接渡したら?」
「そうしたいが、三成は受け取らんだろう。だから頼んでおるのだ」
 家康から直接渡されたものを三成が受け取るはずがない。だが、秀吉や半兵衛から手渡されるなら話は別だ。豊臣への忠誠心が異常に高い彼のこと、無下には断れまい。察して、半兵衛は鋭い目で家康を見つめたまま、口元に皮肉な笑みを浮かべた。
「なるほど。抜け目ないな。でも、その程度のことでこの僕を使うとは、君は本当に豪胆な人間だね。感服するよ」
「わしは確実に受け取ってもらえる方法を選んだだけなのだが……。まぁいい。褒め言葉として受け取っておくよ。じゃ、よろしく頼むな」
 眩いばかりに明るい笑顔でそう言うと、家康はベランダの群れに混じった。半兵衛はやれやれと息をつき、三成のタオルに片手を置いた。
「三成君。どうやら君はかなり厄介な人間に気に入られてしまったようだね」
 その頃、ベランダでは幸村が騒がしくがなりたてていた。
「長政殿! このような夜更けにご婦人と忍んで逢い引きとは! 破廉恥でござる! 某、見損ないましたぞ!」
 そこに、ニヤニヤと笑みを浮かべた慶次が割って入る。
「まぁまぁ。いいじゃないの、ユッキー。これが長政さんの正義なんだよ。愛とは正義! な? 全然間違ってないだろ?」
 それから、すかさず階下の二人に声かけた。
「いよっ! ご両人! いいねぇ、幸せそうだねぇ! 俺にもその幸せ分けてくれよ! そうだ! あんた達、もうここでチューしちゃいなよ! 俺達が盛大に祝ってやるぜー! ほら、チューウ、チューウ!」
「ちゅちゅちゅちゅチューですと!? 慶次殿! 破廉恥極まりない!」
 鳴りやまぬ手拍子とチューコールの中、幸村が真っ赤な顔で怒鳴った。
「貴様ら、ふざけるのもいい加減にしろ! そこにいろよ、即刻全員削除してくれる!」
「てめぇら、まだやられ足りねぇのか! 騒いでねーで、さっさと寝やがれー!!」
 長政の怒声と再び部屋に入ってきた小十郎の怒声とが重なった。
 彼らの夜は、まだまだ明けなさそうである。

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