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キュン死に一生

――ねぇ、愛果あいか。あんた、好きな人いないの?
――女は恋をしたら綺麗になるの。あんただって、彼氏ができればお隣の怜音れのんちゃんほどじゃなくても、そこそこの見た目になるはずよ。
――怜音ちゃんが街で新しいイケメンの彼氏と歩いてたんだけど、あんたはどうなの?

「好きです」
 と、隣のクラスの男子に告白された次の日に、
「ごめん。昨日のアレ、罰ゲームなんだ。俺、ゲーセンで負けちゃってさ~」
 と、ヘラヘラ笑いながら謝られて、唐突に始まった私の恋愛イベントは終わりを告げた。だからって別に傷ついたとかは無いけど、クソみたいなお遊びに巻き込まれたのがクソだった。『好き』とか『つきあう』とかよくわからないし、お試しでつきあうのは良くないって思ったから断り方を何パターンも考えたのに。私の睡眠時間を返せ、と廊下を歩きながら心の中で愚痴ったその時、何故か母親のいつものセリフが頭をよぎった。
――もう高校生でしょ? 彼氏くらい作りなさいよ。
 何気なく吐かれる呪詛は、どんな猛毒よりも強力だ。それは日常のあらゆる場面で当たり前の顔をして差し込まれる。
「一組のビッチ、また彼氏変わったみたい。今度は三年のゴトウ先輩だって。バスケ部の」
「はー? またイケメンじゃん。何人喰えば気が済むんだよ」
「つーか、あいつ、男とつきあって半年以上もったことってあんの?」
「でも、いいなぁ。どんだけビッチでも、顔が良けりゃ男の方から勝手に寄ってくんでしょ? アタシなんてさぁ、あいつと別れてから一年も経ってんのに……」
「ビッチを羨ましがるなよ。ねー、愛果。あんた、好きな人いないの?」
「へ?」
 猫ちゃんの動画に夢中で、ほとんど話を聞いていなかった。間抜けな反応に友人達は呆れたような苦笑いを浮かべた。
「だからぁ、好きな人はいないのかって」
「いない……。てか、急に何?」
「だって、愛果って全然そういう話無いからさー。つまんなーい」
 そんな大袈裟に溜息をつかれても。てか、つまらないのは私もだし。恋バナって、あんまりピンと来ないから苦手。だって、自分以外の誰かのために一生懸命になるって、何。みんなには悪いけど、頑張ってる自分に酔ってるだけって感じがする。
 で、似たような話を家でも母親から聞かされるから地獄だ。恋愛脳の母親は、『恋愛さえ上手くいっていれば人生の勝ち組だ』って本気で信じてる。そのくせ、「お父さんみたいな人とは結婚しちゃダメよ」なんてクドクド言うんだから矛盾してる。こういう『愚痴モード』に入ったお母さんはとても面倒くさい。この日も長くなりそうだったから、「コンビニへ行く」と言って話の途中で逃げ出した。
 家からコンビニまでは徒歩で十分くらい。すぐ大通りに出られるから夜道でもそんなに怖くない。それにしても、恋愛恋愛恋愛。この世は愛に満ちすぎてる。だから零れ落ちた私みたいな奴が浮いてしまうんだ。恋愛ドラマで泣けるBGMをバックに一生懸命走る主人公を見ても、「急いでるならタクシー呼べばいいのに」とか思ってしまう。てか、うっかり呟いてしまって、お母さんにめっちゃ冷めた目で見られたことがあったっけ。
 誰かに恋しないと、生きている価値って無いのかな。
 夜空を眺めながらゆっくりゆっくり歩いていると、公園の方から男女の言い争う声が聞こえてきた。通報しようか迷っている間に男の人が出てきたんで急いで顔を伏せる。もの凄く気まずかったけど、男の人は何も言わず足早に大通りへ出て行った。残った女の人が気になって少し公園を覗いてみる。と、外灯に照らされたベンチに制服の子が座っていた。ひと目で誰だかわかった。
「怜音?」
『超美人なビッチ』で有名な、私の幼馴染み。風岡怜音がそこにいた。突然の私の声に怜音は顔を上げ、
「……愛果?」
 明らかに困惑していた。そりゃそうだ。思わず声をかけてしまったけど、私と怜音は小学校を卒業して以来、ろくに会話をしていない。学校で擦れ違っても、怜音はいつも目線を下げて歩いているから目さえ合わない。
「あの……、大丈夫?」
「うん、まぁ……」
 気まずい沈黙。
「えっと……。さっきのって、喧嘩?」
「大したことないよ。慣れてるし」
 乱れた制服と長い髪を直しながら、怜音は軽い感じで答えた。でも、あの怒鳴り声はただごとじゃなかった。離れて話してるのも変だから歩み寄って、
「あの人、誰? 変質者?」
 すると、何故か怜音は吹き出して笑った。
「そう見えちゃった? あれでも一応、私の彼氏なんだけど」
「彼氏……って、バスケ部の?」
「詳しいね」
 あ、マズい。噂してたことバレちゃった。でも、怜音は焦る私に悪戯っぽく笑って、
「そう、ゴトウ先輩。でも、変に嫉妬深くてさ。委員会の連絡で男子と話してたのを勘違いして、さっきまでずーっと喧嘩」
「うわ……」
「で、メンドくなったから、今『死ね』って送った」
 そう言って怜音は嬉しそうな顔でスマホの画面を見せた。たしかに、先輩とのフィードに『死ね』って書いてある。既読がついてるのにゾッとした。
「先輩、怒って戻ってくるんじゃない?」
「大丈夫。先輩のウチ、門限があってさ。九時までに帰らないと親に怒られるんだって。今頃は駅かなー」
 怜音と同じように私も自分のスマホで時刻を確認した。七時半過ぎてる。その時、怜音が何か気付いたように「あ」と呟いた。
「愛果の手、綺麗だね」
「は?」
 たしかに私の指は無駄に長いけど、そんなの初めて言われた。戸惑う私を尻目に怜音はスクールバッグから小さな紙袋を取り出し、中からオレンジ色の液体が入った小瓶をつまみ上げた。
「こっち来て座って」
 なんだかよくわからないけど、言われたとおり怜音の隣に座る。小瓶の中身はネイルだった。怜音は蓋を開けると、私の手をとって丁寧に塗り始めた。ネイルなんて初めて。なんか薬品みたいな変な匂いがして私は顔をしかめた。
「これねー、ここに来る前に買ったの。夏の新色。可愛いでしょ。紹介動画見て、絶対買おうって決めてたんだー」
「え、そんなのダメじゃん」
「何が? オレンジ色嫌い?」
 不服そうに怜音が目を上げた。
「じゃなくて、一番最初に使うの、私じゃダメじゃんってこと。最初に使うのは買った人じゃなきゃ……」
 すると、怜音は声をあげて笑った。
「やだー、なにそれ。初めに誰が使うとか、そんなの気にしないよ」
「わ、私は……、気にするから」
「……愛果は変わらないね。変に真面目」
 恥ずかしくなって俯く私に、怜音はしみじみとそう言った。
「久しぶりだよね、こうやって話すの。小学生ぶり? だっけ?」
「うん」
 オレンジ色に彩られていく自分の爪を見つめながら頷く。怜音とは物心がついた頃からずっと一緒にいて仲が良かったけど、中学に上がり、怜音に彼氏ができてからは疎遠になった。怜音を見る女子達の目が、小学生の頃はそこまで厳しくなかったのに、中学で急に棘のようになったのも大きい。私は悪口には乗らず、かといって庇うでもなく、なんていうか微妙な立場をずっと貫いてきた。
 卑怯な臆病者だっていうのは、自覚してる。
「塗るの上手いね」
「そう?」
 ずっと爪を観察しているのも退屈だったから、密かに視線を怜音の方に移動させた。長い睫に縁取られたクリッとした大きな目。形の良い鼻と口。小さい顔。どれだけ高い解像度でも耐えられそうなほど、きめ細かい肌。生まれつきだという栗色の髪はツヤツヤでサラサラ。長い手足。細身なのにメリハリのある体。改めて見ても、やっぱり迫力がある。大体の女の子が欲しがっているものを持ってるって感じで、怜音を嫌ってる女子の何割かは彼女に憧れてもいるんじゃないかって思う。
「ねー、愛果はどうなの? 彼氏いる?」
「いなーい」
 またその話題か。
「じゃあ、好きな人は?」
「……いない。てか、人を好きになるって、よくわかんないんだよね。ときめくとか、誰かのために一生懸命になるとか経験無いし」
 冗談っぽく笑って流そうとしたら、急に怜音が顔を上げた。
「私も! 胸キュンってしたことない!」
「え、でも、彼氏いるじゃん……」
「あー……。私って、『私のことを好きな人』が好きなんだよね。だから、自分から誰かを好きになったこと無いんだ」
「そういうの、途中でツラくなったりしない? 私、そこがどうしても引っかかって、『断ろ』って思ったんだけど」
「断る……って、何の話?」
 怜音の目が興味深げに光った。しまった。罰ゲームに付き合わされたこと、誰にも話してないんだった。
 とはいえ、秘密にしなきゃいけない理由も無いから、笑い話みたいにして全部話した。すると、怜音は少しだけ怖い目をして、
「四組のサトウノボル……? あー、あの微妙にイキった四人組の……」
 と呟いてから、またクルリと表情を変えた。
「はい、できた。やっぱり似合ってる。可愛い」
 可愛い人に「可愛い」と言われるのはムズムズするけど、嬉しいものは嬉しい。オレンジ色の爪はピカピカで、見ているだけで元気になる。明日が休みで良かった。こんなに綺麗なのに、すぐ落とすなんてもったいない。
「ありがとう。ほんと言うとね、ネイルって初めてなんだ」
「そうなの? もったいない。これから色々試してみるといいよ。……そうだ、これあげる」
 怜音は、立ち上がるついでにポンと小さなスプレー缶を投げてよこした。
「何?」
「催涙スプレー。これからどっか行くんでしょ? 夜だし、持ってた方が安全だよ」
「行くっていっても、すぐそこのコンビニだよ。それに、私なんて誰も狙わない……」
「何言ってんの。いいから持ってて。私の分は家にもう一個あるから、気にしなくていいよ」
「そういうことなら……。ありがと」
「うん。じゃあ、私は帰るね。親から鬼電が来ててヤバいんだ」
 と、忙しなく手を振って怜音は行ってしまった。私の爪なんかより親の電話の方を優先すればいいのに。そう思いつつも、丁寧に塗ってくれた両手の爪を眺めて、しばらくの間ニマニマした。
 だからといって、それから怜音との距離が近づいた、なんてことはなく。廊下で見かけてもお互いに気まずく目を逸らすだけ。友達や他の人達の目を二人して気にしてる。声をかけようにも、何て言って話しかけたらいいかわからない。きっかけが掴めない。
 怜音から貰った催涙スプレーは、一応制服のポケットに入れておいてる。幸いにも使うような場面には遭遇していないけど、備えがあるのは心強かった。
 それ以外は、いたって普通の毎日。でも、期末テストが来週に迫ったある日、仲間うちで不穏な噂が流れた。怜音が、四組のサトウノボルのグループを破壊したらしい。
「てか、なんで? あいつ、ゴトウ先輩とつきあってたんじゃないの?」
「デマじゃね? あのビッチが、あんなダサい奴ら相手にする? なんか信じられないんだけど」
「マジだったら、サークラじゃん。怖」
 私は、いつものように顔を伏せて熱心に猫ちゃん動画を漁ってるふりをした。だけど、心臓はバクバクで冷や汗までかいてる。怜音がサトウノボルのグループに近づいて振り回し、関係性をめちゃくちゃにした……?
「そういえば、最近あいつら連んでなかったぽいじゃん? 合同体育でも違うグループに入ってたし。案外、本当かもね」
 複雑な気分だった。あの罰ゲームの時、あいつらは隠れて私のことを笑っていたはずだ。それを考えるとムカつくし、こんな結果になって「ざまぁ」って思うのが普通なのかもしれない。でも、正直あまりスカッとはしなかった。もし、この話が本当なら、どうして怜音はそんなことをしたのか。そればかり気になった。
 だから、直接訊くことにした。玄関でインターホン越しに怜音のお母さんと話し、怜音を呼んでもらう。
「ビックリした。家に来るとか何年ぶり?」
 Tシャツ短パン姿の怜音が、出てくるなり目を丸くしてそう言った。
「急にごめん。でも、怜音に訊きたいことがあって……。四組のサトウ君のグループを壊したって、ほんと?」
「あぁ、アレ……。もう広まってるんだ」
 髪をかき上げて面倒くさそうに答える。
「なんでそんなことしたの? 私が話したから?」
「まさか。愛果、自意識過剰~。前から気に食わなかったから遊んでみただけだよ。まぁ、あんなに上手くいくとは思わなかったけど」
 悪びれもせず楽しそうに話す怜音は私の知らない人のようで、私の脳がバグったのかと一瞬焦った。でも、違う。目の前にいる人は、ちゃんと怜音だ。
「……私、罰ゲームに巻き込まれて本当にムカついたの。だから、人の気持ちを弄ぶ奴らなんかどうなったっていいって思ってる。でも、怜音にはそんな……サークルクラッシャーみたいなことしてほしくなかった」
「へー。中学に入ってから今までろくに話もしなかったくせに、急に友達ヅラ?」
 怜音の目も声も冷えきっていた。言葉が刃になって「思い上がるな」と斬りつける。そうだった。私はもう怜音の友達じゃなかった。ビッチ呼ばわりをずっと放置していたくせに、家にまで来て説教を垂れる身勝手な隣人。ウザいことこの上ない。急激に居たたまれなくなって、私は怜音から目を逸らした。
「……ごめん」
 我ながら卑怯な謝罪だと思った。怜音は苛立ちを抑えるように溜息をついて、
「とにかく、アレは私がやりたかったからやっただけで、あんたには関係無いから。いいでしょ、それで。じゃね。バイバイ」
 と、早口で言って、家の中へ戻っていった。ドアの閉じる音が聞こえるまで、私は俯いたまま動けなかった。
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