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ポラロイド

 フワフワと頼りなく青空の中を泳ぐ透明の球体を見上げて、薬研藤四郎はシャッターを押した。手の中にあるのは、先日、本丸の大掃除をした時に物置きの奥から出てきた『ポラロイドカメラ』と呼ばれる古いカメラだ。フィルム無しでは用を成さないそれは、西暦2205年の現在において最早過去の遺物と化しており、人間である主でさえ物珍しがった。そこで、主はどういう伝手を辿ってかフィルムを扱っている骨董屋をいくつか見つけてきて、私費で大量に購入してきた。決して安い買い物ではないだろうに、彼は「興味があるなら撮ってみたらいい」と事も無げに言って薬研達に全てのフィルムを渡したのだった。それ以来、短刀達は面白がってカメラに触れたが、撮るより撮られる方が楽しいらしく、専ら薬研がカメラマンになって彼らにせがまれるまま写真を撮っていった。たまに他の面々もやってきて日常の風景や気になるもの、雅なもの等をフィルムにおさめているが、使用頻度は圧倒的に薬研の方が多く、今では誰よりも上手くカメラを使えるようになってしまっていた。
 錆びついたカメラが細かく震え、一枚の写真を吐き出した。それを取って目の上に掲げる。五虎退や秋田藤四郎達が飛ばしたシャボン玉がプカリと浮かんで写っている。庭先から聞こえてくる歓声につられるように、薬研は写真から目を移して再び空を仰いだ。いくつものシャボン玉が一斉に吹き上がり、澄み渡る空を彩っている。薬研は持っていた写真を手放すと急いでカメラを構えた。カシャリ、と小さくシャッター音が鳴る。
「また撮っているのか」
 柔らかな声に振り向くと、背後に三日月宗近が立っていた。庭から差し込んでくる陽の光も縁側から向こう側には届かない。やや薄暗い中で優雅な笑みを湛えていた彼は、ゆったりとした動作で敷居の上に落ちている写真を拾い上げると、興味深そうに眺めながら、
「薬研は、これが好きだな」
「別にそういうわけじゃねえよ。兄弟達に頼まれているだけだ」
 カメラから出てきた現像したての写真を軽く振りつつ、薬研は苦笑して返した。
「これも居間に飾るのか?」
「ああ」
 これまで撮ってきた写真は全て居間の壁に貼っている。誰が最初にそうしたのかはわからない。が、いつの間にか写真は増え、今では一枚の絵のようになってしまっている。初めの頃こそへし切長谷部が頻繁に注意していたが、燭台切光忠が撮った『カッコ良く馬を駆るへし切長谷部』の写真を貼ってからは、あまりうるさく言わなくなった。
「いつも不思議に思っているのだが……」
「なんだ?」
「どうして薬研は撮ってばかりいるんだ?」
 顔を上げて三日月は尋ねた。
「居間にある写真を見ても、あまり写っていない気がする。あの大倶利伽羅でさえ結構な量を見るというのに」
「大倶利伽羅さんの写真が多いのは皆が面白がって盗み撮りしているからだろ」言いながら、薬研は手元の写真に目を落とし、「……俺は、撮られるより撮る方が良いからな」
「それは……、好きということではないのか?」
「いや、少し違う……と思う。手合わせか写真かどちらを選ぶと言われたら、俺は迷わず手合わせを選ぶぜ。ただ――」
「ただ?」
「こうして、兄弟達や仲間の皆や大将のこと……この本丸で起こることを撮っているとさ、不思議と落ち着くんだ」
 背中に兄弟達のはしゃぎ声を聞きながら、薬研は穏やかにそう言った。足元に降り注ぐ陽光が、光と影の境界を際立たせる。
「どうしてだろうな」
「…………」
 三日月からの言葉はなかった。そっと目を上げると、彼の瞳に浮かぶ金色の三日月にぶつかった。どうやら、ずっとこちらを見つめていたらしい。沈黙に耐えられなくなった薬研はぎこちなく彼から目を逸らし、宙を舞うシャボン玉の群れを見やった。何度となく浮かんでは消える美しいそれらを見ていると、胸の中に静かな陰りが生まれる。――それは、虚しさが生んだ影か。それとも、寂しさか。そのどちらでもないような気もして、薬研は力なく目を伏せた。
「薬研、そのカメラを貸してくれないか?」
 予想外の言葉が後ろから飛んできた。薬研は振り返り、おそるおそる尋ねる。
「あんたが撮るのか?」
「そのつもりで言ったのだが……。どうかしたのか?」
 カメラが発見されてからしばらく経つが、三日月が何かを撮影したという話は一度も聞いたことが無い。薬研の脳裏に不安がよぎった。
「いや、なんというか、珍しいなと思って……」
「実を言うとな、写真というものに少々興味があったんだ。なに、心配するな。これでも俺はポットを使えるんだ。それと似たようなものだろう?」
「確かに、押せば出てくるあたりは似ているが……。まあ、いいか。使い方は俺が教える。で、何を撮るんだ? シャボン玉か?」
「いいや。薬研、お前を」
 間を置かずに返された言葉に、薬研は一瞬、何を言われたのかわからなくなった。
「は?」
「なんだ、聞こえなかったのか。お前を撮りたい、と言ったんだ」
 微かに花の匂いのする風に黒髪をなびかせながら三日月は繰り返した。
「俺を?」
「迷惑か?」
「いや、そんなことはないが……。いかんせん、慣れてなくてな」
 躊躇う薬研に優しく微笑みかけて、三日月は歩み寄った。そして、庭先でシャボン玉遊びをしていた短刀達を呼び寄せる。
「おーい! 皆、薬研と一緒に写真を撮らないか?」
 わあ、と声を上げて、その場にいた全員が駆けてきた。呆気にとられている薬研を振り返って三日月が笑う。
「三日月さん。あんた……」
「では、カメラの使い方をご教授願おう」
 短刀達のワクワクキラキラした瞳に見つめられる中、手短に写真の撮り方を教えた後、薬研はサンダルを履いて庭に下りた。兄弟達に囲まれる形で真っ白なハナミズキの下に立ち、前を見据える。同様に庭へ下りた三日月は既にカメラを構えていた。そうしながら、そっと薬研に語りかける。
「なあ、薬研」
「ん?」
「撮られる者の向こう側には、必ず撮る者がいる」
「…………」
「どちらも存在しなければ成り立たない。そうだろう?」
 その時、薬研の中でカチリと何かが噛み合った気がした。シャボン玉のように儚く消えていく『今』をフィルムに閉じ込める理由を、被写体ではなく撮影者を何気なく選んでいた理由を――自分自身では気付けなかった事柄を今更のように他者から聞かされた――そんな気分に思わず頬が綻ぶ。薬研は、ふわりと笑いながら、
「ああ、そうだな。あんたの言う通りだよ、三日月宗近」
 『今』を切り取られているのは、被写体だけではないのだ。
「では、撮るぞ。皆、笑って――」
 合図とともにシャッター音が鳴る。
 薫る風に吹かれながら、消えずに残ったシャボン玉は澄みきった空へと向かって静かに上っていった。
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