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戦闘の話

 その時、空気の『匂い』が変わった。薬研藤四郎は立ち止まって、傍らにいる鯰尾藤四郎に目配せした。
「――いるな」
「うん、いるね」
 緊張した面持ちで即座に鯰尾は答えた。後ろを歩いていた歌仙兼定ら四人も警戒の目を走らせている。
 気配は、ある。が、姿は見えない。
 通常の歴史の流れを破壊しようとする歴史修正主義者――遡行軍は、あらゆる転換期に現れる。それらを撃破できるのは、審神者の力によって顕現化した刀剣の付喪神だけだ。審神者は彼らを過去に送り込み、改変を阻止する任務を負っている。
 今回、薬研率いる第一部隊が送られたのは相模国鎌倉の山中だった。この鎌倉で、ひとつの時代が終わった。「歴史修正主義者が目をつける場所としてはうってつけだ」と作戦開始前に指令室で審神者――彼らの主でもある――が話していたことを薬研は思い出す。歴史修正主義者は鎌倉幕府を存続させるつもりなのだろうか。だが、何故。何のために。彼らの真意は未だに図れない。
 草むらの奥に獣道を見つけた薬研は、「偵察に行ってくる」と言って、その細い道に足を踏み入れた。
 午後のうららかな陽気とは裏腹の、生臭さをはらんだ怖気を覚える冷気。それを辿るのは容易なことではない。感覚を研ぎ澄まし、『匂い』を追う。草木が風に揺れる音、鳥や獣の声、虫の羽音、青臭さ、花や果実の甘い匂い。光と影。その中に紛れるようにして漂う『それ』を慎重に探りながら、薬研は息を殺し、用心のため身をやや屈めて歩いた。
 いつもならすぐに特定できるはずの敵影が見えない。頬につたった汗を乱暴に拭って薬研は小さく息を吐いた。
 肩の上に乗せていた銃兵の一人が心配そうに薬研の顔を覗き込んだ。薬研は笑って、
「心配すんな。匂いは近い。もうすぐだ。とはいえ……、見つかる前に、見つけねえとな」
 自分に言い聞かせるようにそっと呟くと、また策敵に集中した。
 ふいに風が流れ、薬研は反射的に振り返った。灌木の影に身を隠し、生い茂る枝葉の間からそっと向こう側を覗く。
――いた。
 薬研は懐から遠眼鏡を取り出すと、素早く敵の数を確認した。太刀が四、打刀が二。忌々しいことに、どれもこれも金色の刀装をつけている。待ち伏せでもしているのだろうか。彼らは既に陣を形成していた。
『見つけたぜ、大将』
 遡行軍の動きから目を離さずに、未来の本丸で戦いの成り行きを見守っている主に思念を飛ばして情報を伝える。応答はすぐに来た。
『魚鱗か。奴ら、一気に討幕軍の戦力を削ぐつもりなのかもしれんな』
 短い沈黙の後、主は続けた。
『薬研、お前はそのまま奴らを見張っていてくれ。すぐに歌仙達を案内する』
『こちら側の陣形は』
『逆行陣だ。先手を打つ』
『わかった。見張りを継続す……』
 言いかけた瞬間、遡行軍の太刀の一人がこちらを振り向いた。とっさに遠眼鏡を下ろして地に伏せる。
『どうした、薬研』
 主の問いかけに答えず、薬研は目だけを動かして敵の様子を窺った。気配を探っているのか、遠くに見える太刀は微動だにしない。こちらが気付いたのだ。相手も同様に気付いた可能性はある。一対六。多勢に無勢もいいところだ。薬研は太刀を見据えたまま奥歯を噛みしめた。刀であった時とはまるで違う緊張感が全身を覆っていた。鼓動が早まり、嫌な汗が背中をつたう。
 これが、肉体を持つということか。
 薬研は密かに苦笑した。
 やがて、太刀が動いた。こちらに向かって歩み寄ってくる。
『大将、すまん。しくじったようだ』
 早口でそう言って、薬研は身体を起こした。中腰の姿勢で反転する。
『退避する。みんなに迎撃態勢を整えるよう伝えてくれ』
『いや、待て』と、主。『薬研、そのまま回り込んで敵の背後につけ』
『なに?』
 足早に立ち去りながら、薬研は眉を顰める。
『まだ向こうには何も知られちゃいない。こちら側の戦力をみすみす見せてやる必要もあるまい。――おう、みんな、聞こえるか。薬研が遡行軍を発見した。これより行動を開始する。薬研は現在、敵勢力の背後に向かって前進中だ。鯰尾、歌仙は左右に展開し、俺が指示する場所で待機。その後、鉄砲隊の発砲を合図に弓矢と石をどんどん撃ち込め。残る三日月、鶴丸、蛍丸は敵陣地に向かい、交戦しつつ後退。……そうだ、鶴丸。後退だ。俺達の刀装には限界があるからな。戦力的に向こうさんの方が上なのよ。そういう時は弱点を見せて誘い込むのがセオリーってもんさ。……その弱点が本物かどうかは別として、な』
 なるほど、と薬研は右方向に転進した。つまりは応戦する数を少なくして、弱点を『見せかける』ということだ。
『たしかに、あいつらは身体がデカイから刀装もつけ放題だよな』
 薬研が冗談めかしてそう言うと、主は楽しそうに笑った。
『お前達があんな図体していたら本丸がいくらあっても足りんよ。なにより、俺の居場所が無くなっちまう。……ん? なんだ、蛍丸。今、「そんなの元から無いでしょ」とか言ったか? 言ってない? そうか? ……三日月、笑ってんじゃないよ。まったく、お前らはもう少し緊張感をだな……――まあいい。ほれ、作戦開始だ。とっとと行って勝ってこい』
 パンパン、と主が手を叩くのが聞こえた。作戦開始。薬研は頬を引き締めた。
 今のところ、追手が来る様子はない。敵側に策敵能力の高い短刀や脇差がいなかったことが幸いしたか。だが、油断してはならない。
『薬研、聞こえるか。歌仙と鯰尾が所定の場所に着いた。お前はどうだ?』
 敵陣の背後に面し、且つ銃撃の射程圏内である斜面に薬研が辿り着いた頃、主から連絡が入った。念のため大きく迂回して進んでいたため、二人よりも遅れてしまったようだ。
 戦いは既に始まっていた。作戦通り、鶴丸達三名は遡行軍の猛攻に応戦しながらも、じりじりと後退している。それに釣られてか、遡行軍はどんどん勢いを増していた。薬研は斜面の上で身を潜めながら経過を注視しつつ、銃兵が封じ込められている銀色の玉を取り出した。
『問題ない。今、銃兵達を呼び出す。少し待っていてくれ』
 瞬間、薬研はある違和感に気付いて息を呑んだ。
 敵の数が一人少ない。
――まさか。
 思うが早いか、薬研は横に跳びすさった。背後に迫る殺意がそうさせた。直後、吹きつける強風と共に足の先に何かが掠った。轟音が響き、地面の欠片が舞う。薬研は受け身をとって一回転し、即座に身体を起こして戦闘態勢に入った。
 そこには、不穏な青白い光を身に纏った、遡行軍の太刀が立っていた。やはり勘付かれていたか、と薬研は舌打ちする。
「良い勘してるじゃねえか」
 大して時間稼ぎにもならないだろうが、と思いつつも、薬研は太刀に話しかける。
「ここに来たのは命じられてか? それとも、自分の勘を信じたのか?」
 もとより返答など期待していない。案の定、太刀は沈黙したまま刀を上段に構えた。薬研は視線を動かさずに銀色の玉を解放した。眩い光と共に現れた五人の銃兵と彼の傍に控えていた銃兵が一斉に太刀に向かって銃口を向ける。薬研は慌てて怒鳴った。
「俺のことはいい! 敵部隊を狙え!」
 命じられるがまま、銃兵は方向を転換し、鈍く光る銃口を荒々しい声が飛び交う斜面の向こう側に据えた。その間に、太刀が大きく踏み込んで強烈な気合と共に刀を振り下ろしてきた。薬研は身を引いてこれをかわそうとするが、突然、太刀筋が横薙ぎに変化した。とっさに身体を落とし、しゃがみ込む。切っ先が浅く頬に触れたが、構うことなく薬研は大声で銃兵達に号令を発した。
「放て!!」
 背中で六つの発砲音を聞きながら、薬研は地を蹴って飛び出した。身体が大きい分、技も大味な遡行軍の攻撃は、振り抜いた瞬間に隙が生じる。薬研は持ち前の機動力で相手の懐に入り込み、気合を発しながら手にしていた短刀をがら空きになった脇腹に深々と突き刺した。そして、そのまま刀を回転させて傷を抉る。太刀は苦しげに呻いて身体を折った。吹き出した血が薬研を赤く染める。生々しい温度に薬研は少しだけ顔をしかめた。と同時にぞわりと肌が粟立った。とっさに短刀を引き抜き、後ろに飛んで間合いを取る。こいつはまだ諦めていない。
 荒い息をしながら、太刀はよろめきながらも再び刀を構えた。口元は吐き出した血で汚れている。
――そんなにまでなって望む願いとは何だ。
 喉元まで出かけたその問いかけを薬研は呑み込んだ。言葉にしたところで答えは返ってくるまい。
 短刀を構え直し、じっと相手を見据える。相手の一挙手一投足も見逃してはならない。死に体となった敵がどれほど強いかを薬研は知っている。
 先に踏み出したのは太刀だった。獣のような咆哮を上げて薬研に斬りかかってくる。その激しい気合を全身で受け止め、薬研は駆け出した。振り下ろされた刀を刃で受け流し、手首を返して相手の左胸を貫いた。
「柄まで通ったぞ。――眠りな」
 力を込めて一層深く刃を刺し込み、薬研は囁くようにそう言った。
 倒れ伏した太刀の骸が砂のように崩れ去ったのを見届けた薬研は、刀装達と共にすぐさま斜面を駆け降りた。が、ここでも雌雄は決していた。血まみれの五人の笑みを見回して薬研はニッと笑い返した。そして、空を見上げ、主に向かって誇らしげに思念を飛ばした。
『勝ったぜ、大将!』

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