ふたり
手入れ部屋から出た途端、薬研藤四郎は腕を引っ張られた。驚いて振り向くと、固く頬を強張らせた不動行光が立っている。薬研は眉を顰めた。
「なんだ、不動。どうかしたのか?」
「……どうかしたのか、じゃねぇよ」
どうやら酔っ払っているらしい。不動の、ほのかに赤く染まった目元と気だるげな話し方を見て、薬研は小さく息をついた。
「お前、また脇目も振らずに敵に突進していったろ」
「それが俺の戦い方だからな。まあ、そのせいで手入れ部屋の常連だが……。心配か?」
口元に笑みを浮かべ、からかうように薬研が尋ねると、不動の頬が一層紅潮した。
「んなわけあるかよ! ……その、俺がわざわざお前を待っていたのは、ひとつ忠告してやろうと思ってだな」
「忠告?」
「そうだ。よく聞けよぉ。まず! たしかにお前は早くに顕現したから錬度が高ぇし、戦にも慣れているんだろうよ。だが! 自分一人で何でもできると考えているなら大間違いだからな。それが、後々取り返しのつかねぇ事態を招くことだってあるんだ。……おい、聞いてんのかぁ!?」
「ああ、聞いてる聞いてる」薬研は目を伏せて穏やかに答える。
「返事は一回でいい。あれ? どこまで話した……ああ、そうそう。たしかにお前は強ぇよ。それは認める。だがな、自惚れんのも大概にしておけよ。戦は何が起こるかわからねぇんだ。もしものことが起きて、痛ぇ思いをすんのはお前だけじゃ……」
言いかけて、不動は固まった。二人の間に不自然な沈黙が流れ、気まずさからか、不動の耳はゆっくりと赤くなっていった。それを不思議に思った薬研が、彼の顔を覗き込んで尋ねる。
「不動? どうした?」
「な、なんでもねぇよ!」振り払うように薬研の腕を離して、不動。「とにかく! 戦慣れしているからって、一人でガンガン突っ込んでいくんじゃねぇぞ! いいな!」
早口で捲し立てるように言うと、不動は踵を返し、ドスドスと大きな足音を立てて行ってしまった。
「……別に俺は一人で戦っているつもりはないんだがな」
取り残された薬研は、遠のいてゆく不動の背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。
「用心に越したことはねぇと深追いして、このザマよ。本当に情けねぇ」
木々の生い茂る森の中、敵の打刀に組み敷かれながら、薬研は自嘲して言った。敵の刀装兵は全て砕いたが、それはこちらも同じ。しかも、先の戦闘で槍に受けた足の傷に加えて、この打刀に両腕を傷つけられ、身動きがとれない。戦線から離れた敵、と油断していたわけではないが、どうやら今回はツキが乗らなかったらしい。敵は薬研の上に跨り、刀を握り締めている。真っ青な空と敵の昏い瞳を見上げながら、それでも薬研は強気に笑う。装備はボロボロ。短刀は手から離れ、やや遠い所に転がっている。絶体絶命。四面楚歌。全ては自分が招いたこと。だが――。
「結局のところ、俺は寸分も疑っちゃいねぇのさ」
敵の持つ刀の切っ先が薬研の喉元を狙う。
風が鳴る。遠くで、速く。
薬研は目を閉じ、細く息を吐き出した。
「知っているんだ。なんだかんだと文句を言いながら――」
足音が迫ってくる。草が揺れる。近付いてくる。近く、近く。
そして、刀を振り上げる敵の背後から、高く影が飛んだ。
薬研が微笑む。
「お前が、いの一番にすっ飛んでくることを」
「ダメ刀だからって、なめんなァ!!」
不動の、力を込めた一撃が敵の急所を貫く。不意をつかれた打刀は断末魔の声を上げることなく、天を仰いだまま砂塵と化し、風に吹かれて消えていった。そのため、飛び込んだ勢いが止まることなく、不動はそのまま薬研の上に落下した。と、同時に不動の刃が薬研の頬を掠めて地面に突き刺さる。
「……大丈夫か?」と、薬研。
「それは俺の台詞だ。つーか、走りすぎて足が痛ぇ。しばらく動けねぇから、このまま休ませてもらうぞ」
薬研の肩に顔を埋めて、不動は息を整えながら言った。短刀を引き抜き、その場に横たえる。
「重い」
「これくらい我慢しろ。忠告、忘れやがって」
「悪い。世話をかけたな」
不動は答えずに押し黙った。激しく上下していた背中は徐々に穏やかになり、やがて深く息ができるようになっていった。そして、薬研の肩口に額をこすりつけて呟く。
「勝手に、消えようとすんじゃねーよ。お前がいなくなったら、主やお前の兄弟達や……。残される奴らが悲しむだろうが」
「……すまない」
小さく答えて、薬研は目を閉じ、不動の背中を優しく叩いた。
「ほんっと、ムカつく」
吐き捨てるように不動は言ったが、その声は微かに震えていた。
「だから、悪かったって。次からは、こんな無茶はしねぇよ」薬研はそう返した後、少し考えて、「そうだ。手入れが終わったら万屋に行こうぜ。お前が呑みたがってた『プレミアム甘酒デラックス』を買って……」
「ちげーよ、バカ」
拗ねたように言って、不動は薬研の言葉を遮った。
「うん?」
「俺がムカついてんのは、お前にだけじゃなくて……その……」
「なんだ? 聞こえねーぞ」
眉を顰めて薬研がそう言うと、ゴニョゴニョと言い澱んでいた不動がぐっと口を噤んだ。ややして、
「……お前を助けることができてホッとしている自分に、俺は一番腹が立ってんだよ!! 手のひらで踊らされてるみてーで、すっげぇムカつく!!」
と、もの凄い早口で怒鳴った。
それを聞いて、薬研は面を喰らった表情でしばらくの間ポカンとしていたが、やがて小さく吹き出すと大声で笑った。堪らず、不動が顔を上げる。
「笑うんじゃねぇ! 馬鹿野郎! あと、『プレミアム甘酒デラックス』は絶対に買ってもらうからな! 聞いてんのかよ、おい!」
真っ赤な顔をして喚く不動を見て、薬研は一層声を上げて笑った。
不動の怒号と薬研の笑い声は、眩く光る緑の間を風とともに駆け抜け、澄んだ青空にこだまのように響き渡っていった。
「なんだ、不動。どうかしたのか?」
「……どうかしたのか、じゃねぇよ」
どうやら酔っ払っているらしい。不動の、ほのかに赤く染まった目元と気だるげな話し方を見て、薬研は小さく息をついた。
「お前、また脇目も振らずに敵に突進していったろ」
「それが俺の戦い方だからな。まあ、そのせいで手入れ部屋の常連だが……。心配か?」
口元に笑みを浮かべ、からかうように薬研が尋ねると、不動の頬が一層紅潮した。
「んなわけあるかよ! ……その、俺がわざわざお前を待っていたのは、ひとつ忠告してやろうと思ってだな」
「忠告?」
「そうだ。よく聞けよぉ。まず! たしかにお前は早くに顕現したから錬度が高ぇし、戦にも慣れているんだろうよ。だが! 自分一人で何でもできると考えているなら大間違いだからな。それが、後々取り返しのつかねぇ事態を招くことだってあるんだ。……おい、聞いてんのかぁ!?」
「ああ、聞いてる聞いてる」薬研は目を伏せて穏やかに答える。
「返事は一回でいい。あれ? どこまで話した……ああ、そうそう。たしかにお前は強ぇよ。それは認める。だがな、自惚れんのも大概にしておけよ。戦は何が起こるかわからねぇんだ。もしものことが起きて、痛ぇ思いをすんのはお前だけじゃ……」
言いかけて、不動は固まった。二人の間に不自然な沈黙が流れ、気まずさからか、不動の耳はゆっくりと赤くなっていった。それを不思議に思った薬研が、彼の顔を覗き込んで尋ねる。
「不動? どうした?」
「な、なんでもねぇよ!」振り払うように薬研の腕を離して、不動。「とにかく! 戦慣れしているからって、一人でガンガン突っ込んでいくんじゃねぇぞ! いいな!」
早口で捲し立てるように言うと、不動は踵を返し、ドスドスと大きな足音を立てて行ってしまった。
「……別に俺は一人で戦っているつもりはないんだがな」
取り残された薬研は、遠のいてゆく不動の背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。
「用心に越したことはねぇと深追いして、このザマよ。本当に情けねぇ」
木々の生い茂る森の中、敵の打刀に組み敷かれながら、薬研は自嘲して言った。敵の刀装兵は全て砕いたが、それはこちらも同じ。しかも、先の戦闘で槍に受けた足の傷に加えて、この打刀に両腕を傷つけられ、身動きがとれない。戦線から離れた敵、と油断していたわけではないが、どうやら今回はツキが乗らなかったらしい。敵は薬研の上に跨り、刀を握り締めている。真っ青な空と敵の昏い瞳を見上げながら、それでも薬研は強気に笑う。装備はボロボロ。短刀は手から離れ、やや遠い所に転がっている。絶体絶命。四面楚歌。全ては自分が招いたこと。だが――。
「結局のところ、俺は寸分も疑っちゃいねぇのさ」
敵の持つ刀の切っ先が薬研の喉元を狙う。
風が鳴る。遠くで、速く。
薬研は目を閉じ、細く息を吐き出した。
「知っているんだ。なんだかんだと文句を言いながら――」
足音が迫ってくる。草が揺れる。近付いてくる。近く、近く。
そして、刀を振り上げる敵の背後から、高く影が飛んだ。
薬研が微笑む。
「お前が、いの一番にすっ飛んでくることを」
「ダメ刀だからって、なめんなァ!!」
不動の、力を込めた一撃が敵の急所を貫く。不意をつかれた打刀は断末魔の声を上げることなく、天を仰いだまま砂塵と化し、風に吹かれて消えていった。そのため、飛び込んだ勢いが止まることなく、不動はそのまま薬研の上に落下した。と、同時に不動の刃が薬研の頬を掠めて地面に突き刺さる。
「……大丈夫か?」と、薬研。
「それは俺の台詞だ。つーか、走りすぎて足が痛ぇ。しばらく動けねぇから、このまま休ませてもらうぞ」
薬研の肩に顔を埋めて、不動は息を整えながら言った。短刀を引き抜き、その場に横たえる。
「重い」
「これくらい我慢しろ。忠告、忘れやがって」
「悪い。世話をかけたな」
不動は答えずに押し黙った。激しく上下していた背中は徐々に穏やかになり、やがて深く息ができるようになっていった。そして、薬研の肩口に額をこすりつけて呟く。
「勝手に、消えようとすんじゃねーよ。お前がいなくなったら、主やお前の兄弟達や……。残される奴らが悲しむだろうが」
「……すまない」
小さく答えて、薬研は目を閉じ、不動の背中を優しく叩いた。
「ほんっと、ムカつく」
吐き捨てるように不動は言ったが、その声は微かに震えていた。
「だから、悪かったって。次からは、こんな無茶はしねぇよ」薬研はそう返した後、少し考えて、「そうだ。手入れが終わったら万屋に行こうぜ。お前が呑みたがってた『プレミアム甘酒デラックス』を買って……」
「ちげーよ、バカ」
拗ねたように言って、不動は薬研の言葉を遮った。
「うん?」
「俺がムカついてんのは、お前にだけじゃなくて……その……」
「なんだ? 聞こえねーぞ」
眉を顰めて薬研がそう言うと、ゴニョゴニョと言い澱んでいた不動がぐっと口を噤んだ。ややして、
「……お前を助けることができてホッとしている自分に、俺は一番腹が立ってんだよ!! 手のひらで踊らされてるみてーで、すっげぇムカつく!!」
と、もの凄い早口で怒鳴った。
それを聞いて、薬研は面を喰らった表情でしばらくの間ポカンとしていたが、やがて小さく吹き出すと大声で笑った。堪らず、不動が顔を上げる。
「笑うんじゃねぇ! 馬鹿野郎! あと、『プレミアム甘酒デラックス』は絶対に買ってもらうからな! 聞いてんのかよ、おい!」
真っ赤な顔をして喚く不動を見て、薬研は一層声を上げて笑った。
不動の怒号と薬研の笑い声は、眩く光る緑の間を風とともに駆け抜け、澄んだ青空にこだまのように響き渡っていった。
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