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恋と初恋 ムスクと煙草

 修兄ちゃんオススメのラーメン屋でラーメンを食べた後、予定通り、俺は家に帰ることになった。
 辺りはもう真っ暗で、流れていく街灯の明かりをぼんやりと眺めていた。
 明日も学校か。
 そんなことを考えていると、不意に修兄ちゃんが話しかけてきた。
「おばさんとおじさんに宜しく言っておいてくれな。今週の休みに顔出すから」
「ん」
 窓から顔を逸らさずに俺は短く答えた。
 すると、何を思ったか、修兄ちゃんは小さく息を吐いて、
「なんだ。まだ拗ねてんのか」
 と、言った。仕方なく、俺は前を向き直って答える。
「違うよ」
「……にしては、不機嫌」
「うるさいな」
 そう言うと、修兄ちゃんはクスクス笑った。
 修兄ちゃんの言葉は微妙に当たってる。ただ違うのは、帰るのが嫌で不機嫌というより、もっと複雑な感じだということ。
 もう少しだけ話していたいような、ただ一緒にいたいだけのような。この安心感を、少しでも長く共有していたい。
 もっと聞いて欲しいことがある気がする。もっと、修兄ちゃんに話してもらいたいことがある気がする。
 それが何なのかわからないけれど。
 俺の胸の中は悶々としていた。
「……修兄ちゃん」
「んー?」
「修兄ちゃん、大学こっちだったんだね。帰って来たこと、どうして教えてくれなかったの」
「あー……」
 すると、修兄ちゃんは答えにくそうに前髪をかきあげた。そのままぞんざいに頭を掻く。
「……こっちに帰って来たのは、懐かしさっていうのもあったけど……。丁度、大学に好みの学部あったし。そこそこ有名だし。色んな意味で、俺にプラスだと思ったからだ」
「うん……?」
 しどろもどろに修兄ちゃんは言った。でも、俺は何を言いたいのか全然掴めなくて。
 前を向いたまま、修兄ちゃんの次の言葉を待っていた。
「で、頑張って受験して……受かって……。帰って来て……。お前に連絡しようと思ったけど……」
「けど?」
「……急に、怖くなってさ」
 ポツリ、とそう言った。赤信号で車が止まる。
「はぁ?」
「はぁ? じゃねーよ! 普通、思うだろ!? 俺が引っ越したの、お前が中学の時だったし。もう忘れてるかもって」
「……あぁ」
 なんだ、修兄ちゃんも同じだったのか。なんかおかしい。
 変わる信号。
 吹き出した俺を横目で睨み、修兄ちゃんはゆっくりとアクセルを踏んだ。
「だって、嫌だろ? あの頃は、お前まだ携帯持ってなかったから、家電の番号しか知らねーし。電話して『何コイツ。誰だっけ?』みたいな反応されたら。『新手のオレオレ詐欺?』って警戒されたら」
「あはは。確かに、そうかもね。忘れてるかもって不安になる。……でも、そっか。じゃぁ、良かった。俺、誠条入って」
 誠条高校。俺の学校の名前。修兄ちゃんのもう一つの母校でもある。
「お前が誠条入ったのって、何? やっぱ俺がいた学校だったから?」
「自惚れんな、バカ。ウチから近いからだよ」
 あはは、と修兄ちゃんが明るく笑う。
 さっき言ったこと。
 実は、嘘。
 高校選ぶ時、少しだけ修兄ちゃんが浮かんだ。どの学校も同じに見えてたから、殆ど直感で決めた。
 まさか、こんな展開になるとは夢にも思わなかったけど。
「あーあ。明日も学校かぁ」
 ボスン、とシートに背を預け、俺は深い溜め息をついた。正直、面倒臭い。
「学生の本分は勉学だ。存分に励みたまえ」
 勝ち誇ったように笑う修兄ちゃん。なんだ、コイツ。
「修兄ちゃんだって、明日は授業でしょ。俺のクラス、現国は二時限にあるよ。大丈夫? トチらないでいけんの?」
「あー。だから、帰ったら準備しないといけないの。覚悟しとけよ。お前にガッツリ当てっから」
「げ……。マジ?」
「マジ」
 ニヤリと笑って、修兄ちゃんは煙草を取り出した。赤信号のちょっとした間を使って、くわえた煙草に火をつける。
 開けた窓から夜風が吹き込み、修兄ちゃんの前髪を撫でた。
 その端整な横顔を眺めて、俺はそっと呟いた。
「ありがとね」
「何が?」
 煙を吐き出して、修兄ちゃんはチラリとこちらを見た。
「……色々聞いてくれて。少し、スッキリした」
 照れながらそう言うと、修兄ちゃんは前を向いたまま、片方の手で俺の髪をクシャッと撫でて、
「そりゃ良かった」
 とだけ言った。
 夜風にのって煙草と香水の香りが漂う。
 久し振りに会った修兄ちゃんは、もうすっかり大人な感じだった。
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