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恋と初恋 ムスクと煙草

「無理って、なんで?」
「…………」
 俺は俯いたまま、答えない。
「友達の、彼女とか?」
 静かに首を振る。
「じゃぁ、同じ子を好きだとか?」
 それも違う。
 首を振り続ける俺に、修兄ちゃんは呆れたように溜め息をついた。
「オニーチャンにも言えないことですか」
 テーブルに頬杖をついて、おどけたようにそう言った。
 チラリと目を上げると、優しく微笑む修兄ちゃんが見えた。
 目の前にいるのは、もうすっかり幼馴染みで兄貴分の修兄ちゃんだった。
 安心感。落ち着く感じ。修兄ちゃんになら、話してもいいのかな。……でも、引かれるのが怖い。
「気持ち悪い奴」
 そんな風に、修兄ちゃんも思うかな。
 もし、そうなったら。俺は……。
「エーシ」
 柔らかい声で呼ばれて、俺はゆっくりと顔を上げた。
 修兄ちゃんの誠実な瞳とぶつかる。
「弟は兄貴に甘えていいんだぞ。ま、ホンモノじゃないけどさ」
「でも……」
 暖かな言葉に瞳が揺らぐ。目だけじゃない。心もだ。
「エーシ」
 家族にだって言えないことなんだ。俺を見る目が変わるのが怖い。今までとは違う視線。歪なものを窺う目。
「そんなこと無い」と言われて、その言葉を信じられる自信が無いんだ。
「……エーシ?」
 突然、俺の両目から大粒の涙がこぼれた。修兄ちゃんが驚いて呆然としている。
「……あー」
 ボロボロと頬を伝うがまま、涙は顎先を通って膝の上に置いた手に落ちた。
 俺は自分がどうしてしまったのかわからずに。涙を拭うことすらできない程、動揺していた。
「おいおい……」
 見兼ねた修兄ちゃんが俺の傍まで来て跪いた。
 俺の目を覗き込んで穏やかに尋ねる。
「どうした? 大丈夫か?」
「……うん。はは……どうしちゃったんだろ、俺。……っかしいな。あはは」
 涙を拭いながら笑う。笑い声が乾いていて、全然ごまかせていない。
 いつもは、こんなんじゃないのに。上手くごまかせるのに。修兄ちゃんの目を見ていると、それができないみたいだ。
 昔の、小さな弟だった頃に戻ってしまう。
「よしよし」
 そう言って、修兄ちゃんは優しく俺の頭を撫でた。フワリと香水の匂いがした。
 そのせいで、止まりかけた涙がまた溢れ出した。
「よしよし」
「……しゅう兄ちゃん、俺……。……俺ね?」
 鼻水を啜って涙声で話し出す。
 修兄ちゃんの手があんまり大きくて温かいから。あまりにも修兄ちゃんが優しいから。
 全部が、もうどうでもよくなってしまったんだ。
「ん? どうした?」
 修兄ちゃんに促され、俺は唾を飲み込んだ後、震える声で前置きした。
「……こんなこと聞かされて……多分、修兄ちゃん、嫌な気分になると思うけど……」
「うん?」
「……俺ね。俺の好きな人ね。多分……」
「うん」
「……俺の親友。男の、友達なんだ」
 そっと呟いた。
 どうしよう。修兄ちゃんの顔が見れない。でも、驚いているのは雰囲気でわかる。
 時間が経つにつれて、心臓の音が大きくなってくる。怖い。微かな震えが全身を襲う。
 永遠とも思える沈黙の後、修兄ちゃんは深く長い溜め息を吐き出して、
「……そっか」
 とだけ言った。
 それから、また沈黙。
 烏龍茶の氷が溶ける音が響いた。
「……うん」
 間を置いて、俺が答える。
「気付いたのは、いつ頃?」
「え?」
 予想してなかった問いかけに、思わず顔を上げた。
 修兄ちゃんが真っ直ぐに俺を見つめている。その瞳には嫌悪感なんか全く無くて。逆に俺の方が呆気にとられてしまった。
「あー。お前が友達を……その、そういう風に見たのって……」
 目を泳がせながら言葉を選び選び、修兄ちゃんは言った。
 精一杯気を使っているのがわかって、申し訳無い気持ちになってくる。
「……いつ頃からかな。自分でもよくわからないんだ。アイツとは一年の時から一緒でさ。いつの間にか……。うん。いつの間にか、そんな風に見てた」
 涙を拭って答えていると、修兄ちゃんはティッシュ箱を差し出してきた。二、三枚取り出して思いっきり鼻をかむ。
 なんだか、少しスッキリした。
 鼻を啜りながら涙を拭っていると、修兄ちゃんはうなだれて深い溜め息をもう一度吐き出した。
「……悪い、エーシ」
 低い声で呟いた。何故か落ち込んでいるように見える。
「修兄ちゃん?」
「お前が……そうなったのって、やっぱ、俺のせいなのかなって」
 床に座り込んで、修兄ちゃんは苦しそうな顔で髪をかきあげた。乱れた髪が白い額に影を落とす。
「引っ越す前、蔵ん中で……俺があんなこと、したから。お前まで……」
 あぁ。修兄ちゃんは『あの時』のことを言っているんだと、俺はようやく気が付いた。
 修兄ちゃんが遠くに引っ越す前の日。
 ギリギリになってその事を知らされた俺は、思いっきりふてくされてた。直前まで言えなかった修兄ちゃんの気持ち、今なら簡単にわかるけど、あの頃はまだガキだったから。
 修兄ちゃんは、そんな俺に「俺がいなくても大丈夫だよ」と言って微笑んで、そっと……。
「……違うよ。修兄ちゃん。それは、違う」
「でも」
「修兄ちゃんのキス、嬉しかった」
「……え?」
 ぎこちない笑顔で言った俺を、修兄ちゃんは驚いたように見た。
 あの頃、俺達は朱に染まった屋根裏部屋で。
 一回だけ、触れるだけのキスをした。
「多分、俺は最初からそういう人間なんだよ。何の違和感も無かったんだから。それより、ずっと……。……嬉しくて……寂しくて……」
 素直な言葉が次から次へと流れ出る。
 それでわかった。修兄ちゃんにだけは、気持ちをごまかせなかったこと。
 誰にも言えない秘密を共有していたからだ。
「エーシ」
 修兄ちゃんは起き上がると、優しく俺を引き寄せた。
 伝わるぬくもりと、気怠く甘いムスクの香り。
「……うして。どうして、俺みたいなのがいるんだろう」
 呟きながら、修兄ちゃんの肩に顔を埋めて、俺はまた泣いていた。どうしても止まらない。
 修兄ちゃんの腕の力が強くなる。
「どうして、皆と同じじゃいられなかったんだろう。どうして……、どうして、俺だけが違うのかな。違っちゃったのかな」
 溢れ出した感情は涙と同じで、もう自分でも止められなかった。
 初めて口にした、誰にも言えなかった想い。修兄ちゃんは、それをただ黙って受け止めていた。
「普通でいたかった。好きな人を堂々と言えるような。でも、無理なんだ。どうしても。なんで……こんな生き物、生まれてきたんだろ……」
 とめどなく流れる言葉の羅列のその先を、修兄ちゃんの唇が奪った。
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